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我が宗では真実をいうと、古来から広宣流布の時の国主は転輪聖王である。
しかも転輪聖王の内の最高の金輪聖王である。
金の転輪聖王である。
こう相伝しておるのでございます。

 皆様、それを忘れておるかも知れませんが、既に昔からそういうことを相伝しておる。
しかし、明治時代以後、それを忘却しておる人が多くなったのでございます。
それ故に、直ちに明治時代に於ては、国立という観念から、この一期弘法抄や三秘抄に於ける王は天皇だと、こう断定してしまったのであります。

 この考えは、日本が世界を統一するんだという考えのもとから天皇が転輪聖王だという考えが起ったものではないかと思われるのであります。

ところが、御書を拝しますと、王というのは一国の王というのではなく、より高次元の意味で使われております。

 北条家に対しては、

「僅か小島の主に恐れては閻魔法王の責めを如何せん」

という御書もございます。

 で、この島の長がどうして一閻浮提広布の時の転輪聖王といえましょうか。
なかなか簡単には云えないと思うのであります。

 これについて、先程さしあげたー堀猊下が、日恭上人伝補という、日恭上人の伝を少し書いております。
それにこういうことが出ております。

 ▲「印度の世界創造説は全世界中の各史に勝れて優大な結構であり、又其に伴ふて世界に間出す転輪聖王の時代と世界と徳力と威力宝力と眷属との説が又頗る雄大であって、其中に期待する大王は未だ吾等の知る世界の歴史には出現しておらぬ」

広宣流布の時の大王は未だ出て来ない。

 ▲「但僅に彼の阿育王が世界の四分の一を領せる鉄輪王に擬してあるばかりである。仏教では此の四輪王の徳力等を菩薩の四十位に対当してあるが、別して大聖人は此中の最大の金輪王の出現を広宣流布の時と云はれている程に、流溢の広宣は吾人の想像も及ばぬ程の雄大さであるが小膽、躁急の吾人はこれを待ちかねて至って小規模に満足せんとしてをる。(乃至)金輪王には自然の大威徳あって往かず戦はず居ながらにして全須弥界四州の国王人民が信伏する。」

と、こう出ております。
だから、実際に広宣流布した暁の、国主が天皇だとか、或いは、我々の人民の支配者だと、即座に決定するということは難しい。
もっと大きな大理想のもとの転輪聖王を求めておる。

 日寛上人は観心本尊抄文段に

「一には法体の折伏(中略)蓮祖の修行是なり」(歴全五―四〇八)

 と示されている。
大聖人の修行と化導は本門三大秘法を顕わされるためであり、この最高の法体の弘通は外道・小乗・権大乗・迹門、並びに応仏迹中の本門までの一切を、おのずから破折することに当たるのであり、そこに五段の相対が説かれる所以がある。

更に観心本尊抄の

「此の四菩薩、折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す」(新編六六一)

 の文の摂受とは、国王の折伏を化儀の折伏と判じ、この化儀の折伏に対して法体の折伏をしばらく摂受に属して示されたものと日寛上人は判定された。

故に観心本尊抄で一往摂受に約すとはいっても、末法万年化導の折伏の大本は、大聖人の法体の折伏にましますことを知らなければならない。

 次に化儀の折伏に関し、大聖人の金言中にもしばしば拝される国主や国王の解釈については、法蓮抄に

「夫人中には転輪聖王第一なり。此の輪王出現し給ふべき前相として、大海の中に優曇華と申す大木生ひて華さき実なる。金輪王出現して四天の山海を平らかになす」(新編八一一)

 と示されるように、転輪聖王の絶大な人格の出現と、その徳によって世界全体を靡き伏させる折伏が完遂されることに当たるであろう。
このような意義における四菩薩の興起が、正法を受持する因縁の上に、必ず現われることを確信すべきである。

 所詮法体の折伏とは、大聖人建立の本門三大秘法であり、化儀の折伏とはこの本尊・戒壇・題目の正義を広く日本ないし世界に受持せしめ、不受余経一偈の信心を確立せしめることである。

そして一期弘法付嘱書に説かれる戒壇の実現に向かって邁進し、完遂しきっていく行業が化儀の折伏というべきである。


 で教行証御書の終りの方に、三行目に

 「已に地涌の大菩薩、上行出でさせ給いぬ結要の大法亦弘まらせ給うべし、日本・漢土・万国の一切衆生は金輪聖王の出現の前兆の優曇華に値えるなるべし」

こう説かれております。
大聖人様が出現して、いよいよ広宣流布になる時は、この金輪王が出現するんだ。
その為に、大聖人様がこうしておられるのは、金輪聖王の主手右舷のためのお祝いの、優曇華の華に値えるが如くであるということをおっしゃっております。
だからこれらを見ても大聖人様の考えは広布の時には金輪女王が出現するのである。
そして戒壇を建立する。
その時には法主は我々の日目上人、一閻浮提の座主日目上人の出現、ということは、本宗の伝統的相伝であります。

これを皆な忘れて、簡単に三秘抄或いは一期弘法抄の時の王様は天皇だということをいわれ、それで又、国立戒壇ということをいっておる。
それを今、そういう考えを改めて、昔の仏教の精神に返らなければならないと思うのであります。

 で、更にここで今度は第二番目の出世間の内感的に考えていくと王ということばはどうであるかと、こう考えていきます。

 そうすると御義口伝に、一番最後の厳王品のところには、この

「王とは中道なり」

と仰せになっております。

ここに於て仏の言葉を仏勅と申し、勅宣と申されておる。
仏を賢王と申される故であります。

 で、三秘抄・一期弘法抄の戒壇建立について、もし、世間儀典的な考えを以てするならば、広宣流布が完成した時には転輪聖王が出現して建立するという事になる訳で、その金輪聖王は誰かといえば、

 御義口伝に、化城喩品の処に、

 ▲「御義口伝に云く、本地身の仏とは此文を習うなり、祖とは法界の異名なり、此れは方便品の相性体の三如是を祖と云うなり、此の三如是より外に転輪聖王之れ無きなり、転輪とは生住異滅なり、聖王とは心法なり、此の三如是は三世の諸仏の父母なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は三世の諸仏の父母にして、其祖転輪聖王なり。金銀銅鉄とは金は生・銀は白骨にして死なり、銅は老の相・鉄は病なり、此れ即ち開示悟入の四仏知見なり、三世常恒に生死・生死とめぐるを転輪聖王と云うなり。此の転輪聖王出現の時の輪宝とは我等が吐く所の言語音声なり。此の音声の輪宝とは南無妙法蓮華経なり。爰を以て平等大慧とは云うなり。」

と、こう仰せになっております。
即ち結局は金銀銅鉄の輪王は、我等大聖人の弟子檀那の南無妙法蓮華経を唱え奉る者の当体である、というべきであります。

 故に出世間内感的に於ける戒壇建立の相を論ずるならば、三秘抄の王法仏法等のお言葉は、大聖人の弟子檀那の南無妙法蓮華経の信心を離れて存在しないのであります。

 我等、弟子檀那の末法に南無妙法蓮華経と修行する行者の己心にある有徳王、覚徳比丘のその昔の王仏冥合の姿を其のまま以て末法濁悪の未来に移さん時、と申されたと拝すべきであります。

 三秘抄に有徳王・覚徳比丘とあれば、じゃ有徳王か覚徳比丘という人物はいつ出て来たか、又そういう人があるのかといわれる時に、有徳王・覚徳比丘は涅槃経におけるところの釈尊己心の世界の人物である。
しからば今、末法に於いて、我々大聖人の弟子檀那が南無妙法蓮華経と唱える、我々の己心においての有徳王・覚徳比丘の王仏冥合の姿こそ、我々の己心にあると考えなければならないのであります。

 これ実に我々行者の昔の己心の姿を顕わされていると拝すべきであって、その己心の上に勅宣並に御教書がありうるのであります。

 即ち、広宣流布の流溢への展開の上に霊山浄土に似たらん最勝の地、富士山天生ケ原即ち大石ケ原に戒壇建立があるべきであります。


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