国立戒壇  国教化

浅井が歴代上人の文証として挙げているもの

二祖日興上人
■「広宣流布の時至り、国主此の法門を用いらるるの時、必ず富士山に立てらるべきなり」(門徒存知事)

■「国主此の法を立てらるる時は、当国天母原に於て、三堂並びに六万坊を造営すべきものなり」(大石寺大坊棟札)←偽書

二十六世・日寛上人
■「事の戒壇とは、すなわち富士山天生原に戒壇堂を建立するなり。御相承を引いて云く『日蓮一期の弘法、乃至、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり』と云云」(報恩抄文段)

三十一世・日因上人
■「国主此の法を持ち広宣流布御願成就の時、戒壇堂を建立して本門の御本尊を安置する事、御遺状の面に分明なり」

三十七世・日?上人
■「仏の金言空しからずんば、時至り天子・将軍も御帰依これ有り。此の時においては富士山の麓・天生原に戒壇堂造立あって……」(御宝蔵説法本)

四十八世・日量上人
■「事の戒壇とは、正しく広宣流布の時至って勅宣・御教書を申し下して戒壇建立の時を、事の戒壇というなり」(本因妙得意抄)

五十六世・日応上人
■「上一人より下万民に至るまで此の三大秘法を持ち奉る時節あり、これを事の広宣流布という。その時、天皇陛下より勅宣を賜わり、富士山の麓に天生ヶ原と申す曠々たる勝地あり、ここに本門戒壇堂建立あって……」(御宝蔵説法本)

以上は明治以前の先師上人の御指南である。「国立戒壇」の文言こそ用いておられないが、意は国立戒壇建立を指すこと、天日のごとく明らかである。

次いで大正以降の歴代上人の文証を挙げる。

五十九世・日亨上人
■「宗祖・開山出世の大事たる、政仏冥合・一天広布・国立戒壇の完成を待たんのみ」(大白蓮華十一号)

■「唯一の国立戒壇すなわち大本門寺の本門戒壇の一ヶ所だけが事の戒壇でありて、その事は将来に属する」(富士日興上人詳伝)

六十四世・日昇上人
■「国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年今日に至れり。国立戒壇こそ本宗の宿願なり」(奉安殿慶讃文)

六十五世・日淳上人
■「蓮祖は国立戒壇を本願とせられ、これを事の戒壇と称せられた」(日淳上人全集)

■「大聖人は、広く此の妙法が受持されまして国家的に戒壇が建立せられる。その戒壇を本門戒壇と仰せられましたことは、三大秘法抄によって明白であります」(日蓮大聖人の教義)

■「この元朝勤行とても、宗勢が発展した今日、思いつきで執行されたというものでは勿論なく、二祖日興上人が宗祖大聖人の御遺命を奉じて国立戒壇を念願されての広宣流布祈願の勤行を、伝えたものであります。大石寺大坊棟札に『修理を加え、丑寅の勤行怠慢なく、広宣流布を待つ可し』とあるのが、それであります」(大日蓮34年1月号)と。

■「真に国家の現状を憂ふる者は、其の根本たる仏法の正邪を認識決裁して、正法たる国教樹立こそ必要とすべきであります」(大日蓮 昭和三十二年一月号)

日達上人
■「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが日蓮正宗の使命である」(大白蓮華35年1月号)

■「真の世界平和は国立戒壇の建設にあり」(大日蓮35年1月号)

■「事の戒壇とは、富士山に戒壇の本尊を安置する本門寺の戒壇を建立することでございます。勿論この戒壇は広宣流布の時の国立の戒壇であります」(大日蓮36年5月号)

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会通

広宣流布達成するその時は、当然、国家規模での「事の戒壇」建立の大事業であろうし、その時の国家形態や政治体制によっては、「国立戒壇」 あるいは 「国教化」 という状況も可能j性としてはあり得るであろう。
つまり、その時の国家体制が「専制君主制」もしくはそれに類似する体制だとすれば、「国立戒壇」「国教化」という義も成り立つ可能性はあるといえる。

しかし、一国広宣流布しても、その時の国家の体制が、「主権在民」という民主主義国家もしくはそれに類似する体制であれば、「国立戒壇」つまり、「国家による建設と運営」という方法を採用しないかもしれない。

つまり結局それは、その広宣流布達成時に属する問題であって、現時では云々できない。ということである。

しかし、日達上人の仰せの意義は、現代社会の「主権在民の民主主義国家」という体制および政治形態と、現在の広宣流布の進捗状況を鑑みたとき、現時では「国立戒壇」「国教化」という表現は、無用な誤解を招くが故に、使用しない。というだけのことである。

歴代上人が用いられた「国立戒壇」「国教」という表現は、「専制君主制による国家体制」に約しての用法であると拝せられ、
日達上人が仰せの「国立戒壇」という名称は使用いない。との意義は「主権在民の民主主義国家体制」に約しての御指南と拝せられよう。
であるから、歴代上人の用いられた「国立戒壇」「国教」との御表現も、また日達上人がその「国立戒壇」という名称を使用しない、と決められたのも、両義相矛盾しないのである。

■ 諸の法相は所対に随って同じからず、敢えて偏執すること勿れ、敢えて偏執すること勿れ。(日寛上人 文底秘沈抄 47)

浅井会長は、この”「専制君主国家体制」に約した辺での「国立戒壇」「国教化」という表現”の一辺のみに強執しているだけのことであって、つまりは法門未熟なだけのことである。

簡単に言えば、円錐を水平面に”約して”投影すればその影は「三角形」となり、
垂直面に”約して”投影すれば「円形」となる。
しかして、その両方が”正解”なのであって、その片一方に執着し、もう一方を否定するから、真理が見えなくなるのである。
脳の未分化な者、つまり、知能が発達していない者は、二次元的にしか物事が捉えられず、この「円錐形は「三角形」にも見えるし「円形」にも見える」という三次元的な理解ができないのである。

同様に法門未熟の者は、法門を三次元的に多角的に捉えることができず、二次元的にしか理解できない。
浅井会長はまさにこれであって、法義理解においては実に幼稚な状態のままなのである。

後に 日顕上人がお示される「国主立戒壇」との呼称こそ、まさに大聖人様の御書の文義意のままであり、また将来どのような国家体制になろうとも適応される実に明解と拝するのである。

法門を二次元的にか理解できない脳の未分化な浅井会長がいかに「宗門は御遺命破壊だ!」と叫ぼうが喚こうがはしゃごうが、それはまさに自分が未熟が故に高度な法門が理解できずに苛立っているだけに過ぎない。哀れな者である。
また、その法門未熟で頑迷固陋な一老人に付き合わされて、正統・王道の日蓮正宗を悪口・誹謗して、罪を無間に開いている顕正会員こそさらに哀れである。

「国立戒壇」という名称を使用しようが、用いなかろうが、正統・王道の日蓮正宗僧俗は、現時でも広宣流布早期達成を目指して、折伏に次ぐ折伏を推進しているのであり、決して御遺命である広宣流布願業を捨てた訳ではないのである。


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参照

日達上人

■わが日蓮正宗においては、広宣流布の暁に完成する戒壇に対して、かつて、「国立戒壇」という名称を使っていたこともありました。
しかし、日蓮大聖人は世界の人々を救済するために「一閻浮提(えんぶだい)第一の本尊此の一国に立つ可し」 (御書全集二五四頁)
と仰せになっておられるのであって、決して大聖人の仏法を日本の国教にするなどと仰せられてはおりません。

日本の国教でない仏法に「国立戒壇」なとということはありえないし、そういう名称も不適当であったのてあります。

 明治時代には「国立戒壇」という名称が一般的には理解しやすかったので、そういう名称を使用したにすぎません。
明治より前には、そういう名称はなかったのであります。

 今日では「国立戒壇」という名称は世間の疑惑を招くし、かえって、布教の邪魔にもなるため、今後、本宗ではそういう名称を使用しないことにいたします。