唯、この拠点の本尊もどきと、日蓮正宗で下附されていたものが異なるのかは
「本紙の紙質」にあります。

顕正会の本尊の本紙はかなり白い紙質です。これは「中性紙」と云われるものです。
しかし日蓮正宗で昭和 40 年頃まで下附されていた紙は赤茶の色に変色しています。
これは唯の汚れではなく、昭和 40 年頃の紙質は「酸性紙」が使用されており、1980 年代
の中頃から中性紙に切り替わり、1990 年代(平成 2 年頃)には使い捨ての新聞紙を除くほと
んどの紙が中性紙になっている
のです。

つまり────
この酸性紙から中性紙の紙質という問題が、時代の進展によって切り替わったが為に
昭和 40 年以前に日蓮正宗で下附されていた日寛上人の御形木御本尊様と、後年顕正会で製
作されたとしか考えられない顕正会の日寛上人の御形木本尊もどきには、どうしても製作上の紙質の問題が生じてしまったと考えられます。

この物証的な見地から、どうやっても顕正会の本尊は
自前の製作品という事が導き出せるのです。
唯、この件につき、浅井会長は何一つ語ってはおりません。