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上一人より下万民
■ 極楽寺の良観上人は上一人より下万民に至るまで、生身の如来と是を仰ぎ奉る。(聖愚問答抄 文永五年 四七歳 382)
■ 像法の末に伝教大師日本に出現して天台大師の円慧(えんね)・円定(えんじょう)の二法を我が朝に弘通せしむるのみならず、円頓(えんどん)の大戒場を叡山に建立して日本一州皆同じく円戒の地になして、上一人より下万民まで延暦寺を師範と仰がせ給ふは、豈に像法の時法華経の広宣流布にあらずや。(撰時抄
建治元年六月一〇日 五四歳 845)
■ 上一人より下万人に至るまで阿弥陀堂を立て、阿弥陀仏を本尊ともてなす故に、天地の御いか(怒)りあるかと見え候。(妙法比丘尼御返事
弘安元年九月六日 五七歳 1261)
■ 真言宗と申す宗は上一人より下万民に至るまで此を仰ぐ事日月の如し。(妙法比丘尼御返事 弘安元年九月六日
五七歳 1261)
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日本一同 日本国一同
■ すぎにし日蓮が御かんきの時、日本一同ににくむ事なれば、弟子等も或は所領を・ををかたよりめされしかば、又方方の人人も或は御内内をいだし、或は所領ををい(追)なんどせしに、其の御内になに事もなかりしは御身にはゆゆしき大恩と見へ候。(四條金吾殿御返事
建治三年四月 五六歳 1117)
↑ 本当に日本人全員が大聖人様を憎んだのか?
そもそも大聖人の存在すら知らない人もいたはず。
あるいは、船守弥三郎夫妻のように、未入信でも大聖人様を手厚く保護した方々もいた。
あるいは、龍ノ口法難の時でさえ、大聖人を護送する兵士の中で、念仏を棄教する者もいた。
とすれば、この「日本一同」との御表現は、必ずしも絶対的に「日本人口の全員」と仰せではないことは明白。
■ 日本国一同に、叡山の大師は受戒の師なり。(開目抄 567)
↑ 日本人全員が、比叡山で受戒を受けたのか?または受けるのか?そうではない。
■ 今年、日本国一同に飢渇の上、(土木殿御返事 文永一〇年一一月三日 五二歳 688)
↑ 日本国民全員が飢渇していたわけではなかろう。例えば、天皇をはじめ貴族階級とか、武士の上層階級とか。
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■ 其の上設ひ法然が弟子とならぬ人々も、弥陀念仏は他仏にに(似)るべくもなく口ずさみとし、心よせにをも(思)ひければ、日本国皆一同に法然房の弟子と見へけり。此の五十年が間、一天四海一人もなく法然が弟子となる。法然が弟子となりぬれば、日本国一人もなく謗法の者となりぬ。(撰時抄 853)
念仏信仰が盛んな意味をあらわす形容
■ 百済国の聖明皇、金銅の釈迦仏を渡し奉る。今日本国の上下万人一同に阿弥陀仏と申す此なり。(神国王書 1296)
実際に称したのはごく一部であろう。当時の阿弥陀信仰の大意をとらえたと拝す。
■ 今日本国の八宗並びに浄土・禅宗等の四衆、上は主上・上皇より、下は臣下・万民に至るまで、皆一人も無く弘法・慈覚・智証の三大師の末孫の檀越なり。(富木殿御書 1168)
このような事実はなく、またもしそうなら前揚の撰時抄・神国王御書と整合性が取れない。平仄(ひょうそく)が合わない。
真言の教の賑わいの意を取っての仰せ。
■ 其の後日本国の諸の碩徳等各智慧高く有るなれども、彼の三大師にこえざれば、今に四百年の間、日本一同に真言は法華経に勝れけりと定め畢んぬ。(本尊問答抄 1278)
趨勢の意をとっての仰せ。実際の数値としての意味ではない。
■ 物部大連等の諸臣並びに万民等は一同に此の仏は崇むべからず、若し崇むるならば必ず我が国の神瞋りをなして国やぶれなんと申す。王は両方弁へがたくおはせしに、三災七難先代に超えて起こりて、万民皆疫死す。(治病大小権実違目 1238)
崇むべからずと主張して、全てが疫病で死んだのではないことは無論。