★ 班長以上は自宅拠点に !?
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▼『今後の自宅拠点においては、すべてを非公開といたします。
そして願主がもし班長ならば、その班の弘通活動においてのみ、その拠点を活用することを原則といたします。
したがって、御本尊の下附は事実上、願主個人への下附ということになります。』 顕正新聞 H28.1.5号
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↑ この言は、突っ込みどころ満載だが、本項では一点。
言い換えれば、
★「班長以上で、”自宅で入信勤行とかをしたい!”と決意して幹部に申請したならば、(誰が作ったか知らないが)日寛上人の曼荼羅を(曼荼羅授与の権能もないただの在家集団・顕正会から)有難くも下付してもらえる!」
ということであろう。
▼ 『 顕正会もこの大精神に則り、自宅拠点の御本尊下附を進めたいと思っております。』
▼ 『すべては、今後の広宣流布を大規模に着実に進めるための準備』
というのであるから、班長以上の自宅へどんどん”大規模に”本尊下付を推進していく。ということであろう。
さて、ここで浅井会長のかつての発言を挙げてみよう。
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▼ 昭和60年2月23日 本部会議における浅井会長指導
「顕正会で護持している御本尊は、すべて日蓮正宗妙縁寺住職・松本日仁尊能師より授与され、私が護持申し上げてきたものである。(中略)妙信講に解散処分が下された時、私は松本尊能師に将来の広布推進のため、御本尊を大量に御下げ渡し下さるよう願い出た。松本尊能師には私の意をよくお聞き下され、自ら護持されていた
大幅の常住御本尊七幅と、日寛上人書写の御形木御本尊数百幅を私に託して下さった。
この七幅の常住御本尊とは、
・二十八代日詳上人
・五十四代日胤上人
・五十五代日布上人
・五十六代日応上人
・六十代日開上人
・六十四代日昇上人
等の歴代上人御書写の御本尊であり、
このうちの日布上人書写の御本尊が高知会館に御安置されたのである。
また御形木御本尊については、宗門の全末寺において昭和四十年までは日寛上人の御本尊が下附されていたが、四十一年からは日達上人の御形木御本尊に替わった。
松本尊能師は四十年以降この日寛上人の御形木御本尊を妙縁寺に秘蔵しておられたが、私の願い出により、これをすべて託して下さったのである。
いま、顕正会において、地方における入信勤行の際に幹部が奉持する御本尊も、また地方拠点に御安置される御本尊も、みなこの日寛上人の御本尊様である。」
(顕正新聞 昭和60年3月15日号)
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顕正会が所有している自宅拠点用の本尊は
日寛上人書写の御形木御本尊数百幅
しかないのである。
数百幅! である。
平成31年現在 会員数 200万人を超えたと称する顕正会 (~_~;)、
全国の自宅拠点の数はいかほどであろう?
数百軒しかないのであろうか?
そんな少数な訳はなかろう。
しかも、上掲の顕正新聞によると、平成28年以降は、班長以上であれば自宅拠点をどんどん増やしていく!という方針。
だとすればおよそ、数百幅では足りないであろうことは誰が聞いても分る。
普通 数百幅 と言えば、せいぜい2,3百、多く言う時でも、7、8百というのが通常の用法である。
仮に最大に言って9百とした場合、現時点でも、200万人の顕正会員に対して、9百軒しか、自宅拠点がないことになる。
とすると、顕正会員 約2,222人に、一軒しか自宅拠点がないことになる!
・・・・ここまで読めば、普通の知性を持つ人だったらあることに気がつくのである。
つまり、浅井会長は 『日蓮正宗の正当の本尊を複写して印刷して新たに作ってしまった』 ということである。
しかも、これからもいよいよ 『本尊を増刷し続ける』 であろう。ということである。
これまさに、基礎教学書で浅井会長がさも偉そうに語っていた自分の文言に、もろに破折され劈(つんざ)かれてしまう醜態を演じることになる。
▼ 『日向・日頂等は御本尊の尊厳がわからなかった為に、大聖人御直筆の御本尊を「形木に彫む」すなわち版木におこして印刷し、それを信心もない輩に軽々しく授与していたのである。まことに不敬の至りである。』と。(P68)
この文言の「日向・日頂」を「浅井昭衛・池田大作」に、「大聖人」を「御法主上人」と読み換えてみると、いかに浅井会長(&池田大作)が大謗法者の痴れ者であるかが、更に鮮明になるのである。
★ 『浅井昭衛・池田大作』等は御本尊の尊厳がわからなかった為に、「御法主上人」御直筆の御本尊を「形木に彫む」すなわち版木におこして印刷し、それを信心もない輩に軽々しく授与していたのである。まことに不敬の至りである。』と。
天に吐いた唾が落ちて来て顔面にもろに喰らった図である。
実に嗤える。呵々
▲形は仏に似れども意は本の非情の草木なり。又本の非情の草木にも非ず、魔なり、鬼なり。 (木絵二像開眼の事 文永九年 五一歳 638)
▲法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。(木絵二像開眼の事 文永九年 五一歳 638)
▲鬼をば奪命者(だつみょうしゃ)といふ。
魔入りて功徳をうばふ。
魔をば奪(だつ)功徳者といふ。
鬼をあがむるゆへに、今生には国をほろぼす。魔をたと(尊)むゆへに、後生には無間の獄に堕す。(木絵二像開眼の事 文永九年 五一歳 638)