本尊下付矛盾

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基礎教学書

▼『近年本宗において、信徒の増加にともなって、止むなく信心決定までの暫定の仮本尊として、形木御本尊(印刷された御本尊)が下附されるようになった。
もちろん本宗における形木御本尊は、日興上人が日向・日頂等を誡められた御制誡に該当するものではなく正しき暫定の仮本尊であるが、これとても、よく創価学会員の入信勧誘に見られるような軽々しい下附、あるいは不信の輩に無理に押しつけるごときは、「軽賤」の罪に当たろう。』(日蓮大聖人の仏法 折伏理論解説書 改訂版第12刷 69頁)



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さて、果たして以下の写真ははどうだろう?

下付 冨士 昭和42年11月号

堂々と204世帯の御本尊流布

との見出しである。
また、当時の妙信講員数の変遷から、本尊下付は何もこの記事の204世帯のみだけではなく、相当数の妙信講員宅に本尊が下付されていたことは間違いないであろう。

参照

妙信講時代の年表から抜粋

▼ 昭和41年10月25日 五千世帯ついに完遂、感涙の幹部会(拓大教室)
▼ 昭和43年03月25日 六千世帯を突破。


↑さて、では、浅井昭衛は、この当時本尊下付された全ての人々は、本当に”真実強信な人々だった”と、絶対に断言できるのでろうか?
当時本尊下付された講員の中から、絶対に退転者はいなかったのだろうか?
その後、妙信講や顕正会を辞めて、日蓮正宗へ帰伏した人が絶対にいないのだろうか?
あるいは創価学会へ転げ堕ちた人は絶対にいないのだろうか?

そんな訳があるはずはない!
事実当時本尊下付された妙信講員が、日蓮正宗へ帰伏している人など枚挙に暇のないほど多数存在する。
その方々は浅井昭衛からすれば全て”退転者”となる訳であるから、当時の本尊下付は浅井昭衛が言う 軽々しい下附 となり、「軽賤」の罪 になるではないか?

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班長以上は自宅拠点に

▼『今後の自宅拠点においては、すべてを非公開といたします。
そして願主がもし班長ならば、その班の弘通活動においてのみ、その拠点を活用することを原則といたします。
したがって、御本尊の下附は事実上、願主個人への下附ということになります
。』 顕正新聞 H28.1.5号

↑ この言は、突っ込みどころ満載だが、本項では一点。

言い換えれば、
★「班長以上で、”自宅で入信勤行とかをしたい!”と決意して幹部に申請したならば、(誰が作ったか知らないが)日寛上人の曼荼羅を(曼荼羅授与の権能もないただの在家集団・顕正会から)有難くも下付してもらえる!」
ということであろう。

▼『すべては、今後の広宣流布を大規模に着実に進めるための準備
というのであるから、班長以上の自宅へどんどん”大規模に”本尊下付を推進していく。ということであろう。

さて、では、その班長以上の方々だが、果たして、今後、絶対に顕正会から退転しないのだろうか?
顕正会を辞めて、日蓮正宗へ帰伏する人は絶対にいないのだろうか?
あるいは創価学会へ転げ堕ちる人は絶対にいないのだろうか?・・・・・

もし、一人でもそういう人間がいたとしたら、軽々しい下附 となり、「軽賤」の罪 になるのではないか?

当方が知っている限りでも、(顕正会の得体の知れない)本尊を下付された班長以上の幹部の相当の人間達が、見事顕正会脱会し、日蓮正宗へ入信しているのだが、この事実を以ってしても、顕正会としては、本尊の 軽々しい下附 となり、「軽賤」の罪 になるのではないか?

如何?