顕正会破折【御生骨について】

□ 御生骨とは

日蓮正宗に伝持される御生骨とは、御肉牙(おにくげ)とも称し、大聖人御在世中、五十余歳の頃、御歯を御抜き遊ばされ、傍らに給仕していた日目上人へ(日興上人という説もある)御授け遊ばされた。
御生骨は大聖人から日興上人、日目上人へ御相承の証明として授けたものとされる。
七百年来富士門流には御生骨に関する伝承があり、広宣流布の暁に御威光(光り)を放つと伝えられる。
さらに、抜け落ちた際に御歯に肉が付いており、その肉は隆起して段々と歯を覆っていると言われる。
まさに生きているかのような現証から古来より「御生骨」と証される。

※顕正会がいう、御生骨の肉が御歯を完全に覆い被さったときに広宣流布が実現するという説は、私見の限り、御歴代上人の御指南には見られない。
しかし、過去の宗門の書籍や学会の書物に散見できる。
(もちろん広布の暁に光明を放つとの御歴代上人の御指南は存在する。下記参考)

御生骨は歴代の御法主上人猊下によって厳護されてきた秘宝で、御虫払会の時に客殿の中央に御安置されるが箱などで覆いがされていて直接には拝することは出来ない。ただし、御法主上人の御代替法要の砌と、五十年に一度の宗祖大聖人遠忌法要の時のみ、日蓮正宗僧俗のみに特別に拝観が許される。

近時の例でいうと、
六十七世日顕上人御当座後、昭和五十五年の御替奉告法要の時と、
昭和五十六年の七百年遠忌の時(大講堂)、
そして、六十八世日如上人御当座のち、平成十八年四月に御代替奉告法要が奉修された時に内拝が許された。

ちなみに浅井が拝観したとされるのは昭和三十一年の日淳上人の御代替法要の時である。

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□ 浅井の御生骨に関する発言

▼「私は、この御生骨を昭和三十一年四月、日淳上人の御登座のおり、具に拝観させて頂きました。
その時は、もう御肉が盛り上がって御歯の全体を包んでいるごとくで、御肉の色は薄紅色のごとく拝観できた。
このとき私は『もう広宣流布は、甚だ近い』との確信を懐いた」(平成二〇年)

▼「御生骨こそ、広宣流布の証明として御本仏が留め置かれた、富士大石寺に伝わる大事の秘宝である。
… いうに甲斐なき凡夫の我等が、何という重大な時に生まれ合わせたものか。
… そして御遺命成就の日、光を放つ御生骨を、全員で紅の涙の中、拝見させて頂こうではないか」(平成二十年 「年頭の辞」)

▼「御生骨はまさに、羅什三蔵の『舌焼けず』の現証に勝ること百千万億倍の大現証です。
第三十七世・日?上人の御説法本には『御生骨、是れは御肉付きの御歯とも云い、宗祖大聖人より当山の開基日興上人へ一期弘法残る処なく御付嘱これあり、御歯に少し肉の付きたるをぬきて賜わりしなり。
それより御肉次第に増え、此の頃にてあらまし御肉に成り、御歯は少し見ゆるなり。
金言に云く、広宣流布の時、光明を放つべしとなり。
信心の人々拝見の上、疑いを晴らし信心を増すべし』と仰せであります。
このとき、忠誠を貫き通した顕正会員は、全員で、これを目の当たり拝観させて頂ける。
そしてこの『光を放つ』の大現証が、もし映像に記録されて全世界の知るところとなったら、三災七難に苦しむ全世界の人々は、竜の口の荘厳なる大現証と併せ拝し、やがて一同に他事を捨てて頭を地につけ掌を合わせて『南無妙法蓮華教』と必ず唱えるに違いない。
まさに御生骨の大現証こそ、大聖人様が末法の荒凡夫に、理屈抜きに御本尊様を信ぜしめる大慈悲なのであります」(顕正新聞平成28年5月5日号)

▼「広宣流布して大光明が放れたれるとき、疑いの心が強かった者ほど、ひっくり返って驚くでしょう。
本当ですよ。バタッ、バタッとひっくり返る(大爆笑)。
広宣流布になったら地震が起きるからもしれない(大爆笑)。
疑いが深ければ深いほど、信ずる心も強くなる。
そこに六千万が一時に信ずるということがあるのです」(顕正新聞平成28年7月25日号)

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□ 破 折

● まず、御生骨は宗門御歴代上人によって代々、伝持されている秘宝であって、宗門から破門されたよそ者の浅井如きがその意義をとかく言う資格はない。
御歴代上人の御生骨に関する御指南を盗用しているに過ぎない。

● 御生骨は血脈の証明としての意義が存するが、その意義からして現在、68世日如上人猊下が御生骨を厳護されていること自体、大聖人の仏法の一切が日如上人へ血脈相承されている証拠なのである。
ゆえに日達上人、日顕上人、日如上人への血脈を否定しながら、血脈の証明たる御生骨のことを語る浅井の言動は、御生骨の存在意義に背く行為である。

● 特に近年、まるで浅井が御生骨に関して特別な意義を示し出しているかのような発言をしているが、たんにもともと本宗に伝わる御生骨に関する意義を述べたに過ぎない。
浅井は、殆どの会員が御生骨を拝したことがないことをいいことに宗門の伝統を恣意的に利用し、また、幹部等にその指導を称讃させることによって、自身の権威付けに用いているのである。
つまり、浅井自身の欲のために御生骨を利用しているに過ぎない。

● 浅井は、御生骨の歯の御肉がまもなく覆い被さることをもって広宣流布が近いと主張しているが、実はこの発言の内容はすでに創価学会2代会長の戸田氏が発言していた内容であり、浅井は学会の発言を真似ているに過ぎない。

【参考文献】
「御肉牙というのは、日蓮大聖人様の歯である。
…ある時、日目上人が大聖人のかたわらにいられると、大聖人様の歯がグラグラしておられ、その歯をとり、それを日目上人に差し出された。
日目様は、これを衣の袖で受け取りあさばされた。
そして、これには、下のところに肉がついていた。
この肉がぜんぶ、広宣流布の時には、歯を包まれるだろうと予言あさばされている」(『戸田城聖先生講演集 下』昭和36年10月12日初版より)

御生骨の不思議

今度の4月20日から、お山においても、御肉牙(おにくげ)の拝観が許され、この御肉牙というものについて、これは不思議なものだ。話だけは、なんべんも聞いたかしらんが、もういっぺん言います。日蓮大聖人様御在世の時に歯を抜いた。その抜いた歯の下のほうに肉がちょっぴりついておった。ところが、この肉が七百年のあいだに、だんだんだんだんふえて、ちょうど、まさに歯を包まんとしている。これは説明つきますか。しかも脈打っているのですよ、汗かいているのですよ、生きているのですよ。こういう不思議なものはありますか。
身延が威張ったって、仏立宗がなんと言ったって、こういうお歯は、富士大石寺以外は絶対にない。それから、仙台からも、福運あってこの御生骨を拝観する方々は、帰ったら、わが目で見てきた、その実態を、みんなに話して、わが日蓮正宗の誇りとして、語り伝えてもらいたいと思います。

昭和31年4月1日
仙台支部旗返還授与式
仙台市公会堂
(『戸田城聖先生 講演集 下』昭和36年10月12日初版
 発行者 北条浩・発行所 創価学会 P205))


● 浅井は、昭和三十一年日淳上人の御代替法要の時に御生骨を拝観して、それ以来、六十年間も拝観していない。
御生骨が現在どのような状況かも知り得ない浅井が、さも知ったように会員に御生骨のこと吹聴するのはお門違いである。

● 昭和三十一年に御生骨を拝観した時点で、「御肉が盛り上がって御歯の全体をほぼ包んでいる」のであれば、それは、それまでの日蓮正宗僧俗(当時の創価学会を含めた)が布教した結果であろう。
決して浅井や当時まだなき顕正会の力ではない。

● 浅井は
▼「我等が、何という重大な時に生まれ合わせたものか。
… そして御遺命成就の日、光を放つ御生骨を、全員で紅の涙の中、拝見させて頂こうではないか」

▼「忠誠を貫き通した顕正会員は、全員で、これを目の当たり拝観させて頂ける」

などと、会員らに広宣流布したときには顕正会員が御生骨を拝すことが可能になるような指導をしているが、浅井を含め顕正会員が御生骨を拝せる機会など永遠に来ないことを断言しておく。
もし御生骨拝観が許されるとするならば、顕正会を脱会し、正式に日蓮正宗の信徒となる以外には道はないのだ。
「富士大石寺」を詐称する顕正会は、御生骨の光りを曇らせる存在であっても、決して広宣流布の暁における御生骨の輝きをもたらす輩ではないことを自覚すべきである。

● 浅井は、
▼「広宣流布して大光明が放れたれるとき、(中略)そこに六千万が一時に信ずるということがある」
と、広宣流布のときに六千万の人々が一同に入信すると主張しているが、一体、何を根拠に六千万もの人々がいっぺんに入信するというのか。
その理由を明確にすべきである。

正法広布とは正信の日蓮正宗僧俗が正しい仏法をひとりひとりに折伏し弘めていくことによって到達するものであり、決して顕正会が弘まることではない。
ましてや顕正会の不思議な力によって六千万の人々を一同に入信させ、広宣流布させるなどという浅井の妄想話はもはや因果律を無視した外道と同等の邪義に陥っている。

ちなみに六千万の広布とは、日本人口の2分の1広宣流布説を意味するもので、かつて創価学会の池田大作が舎衛の三億の逸話をもじった3分の1広宣流布説と酷似している。
これまた池田の説を浅井流に変えただけの邪義なのである。

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□ 御生骨の文証

17世日精上人『富士門家中見聞』に、
■ 「其の頃御牙歯脱け落つ、聖人此の歯を以て日目に授けて曰わく、我に似り問答能くせよとて御肉付きの御歯と申すは是れなり、此の御歯当山霊宝随一なり、広宣流布の日は光を放ちたもうべしと云えり」

17世日精上人『家中抄』に、
■「聖人此の歯を以て日目に授け云く我に似かり問答能くせよとて玉はりける御肉付の御歯と申すは是れなり」
■「此の御歯当山霊宝の随一也広宣流布之日放光給ふべしと云へり」

26世日寛上人の御生骨説法
■「御舎利次第に大きに為るによって、広宣に成るに順って金色の光明を放つべき」
(※日寛上人のこの御指南は「御舎利」との表示が御生骨か御遺骨のどちらを指しているのか明確ではない)

37世日?上人の御説法本には
■「御生骨、是れは御肉付きの御歯とも云い、宗祖大聖人より当山の開基日興上人へ一期弘法残る処なく御付嘱これあり、御歯に少し肉の付きたるをぬきて賜わりしなり。
それより御肉次第に増え、此の頃にてあらまし御肉に成り、御歯は少し見ゆるなり。
金言に云く、広宣流布の時、光明を放つべしとなり。
信心の人々拝見の上、疑いを晴らし信心を増すべし」

48世日量上人『富士大石寺明細誌』
■「一、日蓮聖人肉附の御歯一枚
又御生骨と称す、蓮祖の存日生歯を抜き血脈相承の証明と為て之れを日興に賜ひ事の広布の時に至らば光明を放つべきなり云云、
日興より日目に相伝し代々附法の時之れを譲り与ふ、一代に於て只一度代替蟲払の尅之を開封し奉り拝見に入れしむ常途之れを開かず」

53世日盛上人『御肉牙歯法門』
■「御舌は羅什三蔵是を残されて一切衆生の疑網を払ふ、
牙歯の御生骨は末法に至て宗祖大聖人是を御開山日興上人え御相承の証明として是を付属なし玉ふ、
而るに此れを六百御遠忌に相当て各々旁拝礼あって広く舎利を供養し咸く皆れんぼの心をいだき渇仰の心を生じて信力に住して、あら有り難や御在世と滅後とはかわれど其の尊体に於ては少しも違ふことあらずと、一心に本因妙を修行ある事は寿量品の自我偈を身口意の三業に全く修行し奉るにてあれば、只南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経等と口唱あって拝礼を遂ぐべき事が専要なり、南無妙法蓮華経」

67世日顕上人
■「今回の代替り式に際し、大聖人様の御生骨の御歯を開封申し上げ、深信なる皆様方の内拝を許すことに致しました。
どうか清浄な信念に住して、後刻大講堂に於いて御内拝あらん事をお願い致します。
抑々この御生骨は、大聖人御在世中五十余歳の頃、御歯を御抜き遊ばされ、傍らに給仕し給う日目上人へ御授け遊ばされ、
『我が仏法は最勝深秘の大法にして、釈尊が法華経に予証せられし末法適時の正法也。
故に鳩荼(くはんだ)等其の便を得せしめず、必ず遠く妙道に霑わしめんと説かれし処にして、此の正法、万年の闇を照らすこと必定にして、一天四海広宣流布疑いなし』
と仰せ給い、我が説く所は正法にして一天広布疑いなしとして、其の証明にせよと仰せ給うと伝える我が家の秘宝でありまして、700年、燦として輝き給う御生骨であります。

往昔、漢土には羅什三蔵、生前に我が説く所、翻訳せる所の経文少しも仏意に違うところに非ず、此の事は我が死後荼毘に付するも、舌のみは焼けることなかるべし、と言い置かれるに、入滅後荼毘に付するに、果たして舌のみは焼けず、青蓮華上に青い光を放ったと伝えますが、真に漢土、日本其の軌を一にして、仏法の不思議と申すべきであります。
能く能く此の事を心に置いて、虔(つつし)んで拝せらる様お願い申し上げます。
茲に当山の代替式に際し、宗祖大聖人御真筆御本尊、御生骨、御灰骨、最初仏、御書、御消息、二祖日興上人以下歴代御本尊、各種法宝等の一切を残る所なく、日顕謹んでお預り申し上げ、身を以てお守り仕(つかまつ)る所存であります。南無妙法蓮華経。」
(昭和55年4月6日の日蓮正宗総本山大石寺・67世法主日顕代替法要の時の説法)

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先程ご紹介申し上げた「大石寺即事」という七言律詩の後半で日寛上人は

 「宗祖手ずから伝う 金色の歯 
  法公自ら刻む 本尊の板 
  倶に当院に安んじて荒極を利す
  師恩を感得して涙 顔を濯う」

 と続けておられます。

 大聖人自らの御歯を日興上人にお下賜下され、代々今日まで伝持格護されて御生骨と申し上げます。
この御生骨様、和泉公日法師に命ぜられ彫刻された本門戒壇の大御本尊共ながらにこの富士大石寺に格護奉安され、代々の御法主上人猊下が伝持あそばされて今日に至っております。
( 大日蓮 1993 布教講演 御大会(於 御影堂)
     寒風に向かって
        全国布教師妙通寺住職 毛利博道


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玉野日志 問難

一、日蓮聖人御肉附の御歯        一  枚

又御生骨と称す蓮祖存日歯を抜き血脈相承の証明として之を日興に賜ふ事の広布の時に至らば光明をを放つべきなり云云、
日興より日目に相伝し代々附法の時之れを譲り与へて一代に於いて只一度代替虫払の尅之を開封し奉り拝見に入れしめ常途は之れを開かず云云、

怪ひかな京都通用の昔は此の説なし、文政年中に至つて此の説起れり、

又其れ之れを説く肉、年を追て長大すと、

家中抄に云く
其の頃、御牙歯脱落す。
聖人此の歯を以て日目に授け云く我に似かり問答能くせよとて玉はりける御肉付の御歯と申すは是れなり、
【此の御歯当山霊宝の随一也広宣流布之日、放光給ふべしと云へり、】

今放光したまふべしと云へりと云ふ訝し、唯虚実を論せず、妄伝を記して愚信を取るの謂ひならん、
仏法中に此の道理決してあるべからず是一、

自然脱落するに肉の付いて抜ける理ありや。
癩人か蓋し将た口中の腐敗せる者の外に決して肉の付いて脱落する理あるべからざるなり是二、

精師ぬけたる歯を問答よくせよとて日目にたまはりたりといへり、
今古説に反して生歯を抜いて付属の証明として日興に授くと云ふ。
仏法中に生歯を抜いて付属の証明とする道理ありや、
身を傷けて法を伝付する文証ありや、
外典身躰髪膚を保護するを以て孝養とす。
況や五十の功徳を備へ、六根備足せる法華の行者、自ら身を傷けて付法の証とする理あるべからず是三、

精師は唯霊宝の随一と云つて其の余を語らず、
然るを生歯を日興に授け、日興より日目に授くと偽説し、代々付法の時、之れを譲与し、一代一度代替に之れを開封すと云ふは、文政年中に事を巧んで愚信を釣るの策略に似たり。
道徳心の恥つべき所業にあらずや是四、

肉身終に朽滅するは仏家の常談、仮令ひ肉の付いて抜けたりと許すともあらば、其の肉終に朽滅するは一定の理なり、
然るに実に其の肉却つて増大することあらば、全く天魔破旬の所業か。
然らずば愚民を惑溺せしむる作物には過ぎざるなり是五、

又溺信する者の云く、流布の日、歯の不足なる帝王出現せり。
此の歯を以て備足せしめ、蓮祖なることを知ると、
本化国王なることを顕はさんとて生歯を抜きたまへるや、
又追才増大する肉を入歯するに至つて取り捨つるや。
自然微少になりて合するや。
何れにせよ増大するは無益なり、入歯前に光明を放ちたまうや、又入歯後、面門俄開の類なりや訝し、
家中抄を以つてみれば抜けたる歯を問答よくせよと玉はりたる迄にて別に深き子細もあらざるなり。