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『折伏理論書』
折伏理論書P22・12行目
■「法華経の行者は、信心に退転無く身にいつわりの親しみなく、一切法華経に其の身を任せて金言のごとく修行せば、・・・・・・
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折伏理論書P295・6行目
▼「現世における現象はさまざまな現れ方があるので、浅薄に見てはならない。
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P294・1行目
▼「ただし現証といっても、臨終の証拠をのぞいて、現世の生活現証には種々の要素がくわわるので、表面的、あるいは一時的な見方をしてはならない」
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P86
■「此の法門を日蓮申す故に、忠言耳に逆らう道理なるが故に、流罪さられ・・・(曽谷殿御返事)」
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P155・6行目
▼「不相伝家の日蓮正宗派の学者が四方に出て、邪義が出尽くしている」
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P290・2行目に
▼「これらの己義・魔説を見抜く為、経文上の証拠を求める事が大切なのである」
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▼『「若し仏の所説に随わざる者あれば、これ魔の眷属なり」として、経文に依らず己義を構える者を「魔の眷属」と断定している』
▼『文証無きは悉く是れ邪の謂い』
▼『文無く義無きは信受すべからず』
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顕正会員は御書を拝する事ができない事をなんとも思っていない。それは
「浅井先生しか御書を正しく読めないから」
と各組織幹部をとおして指導されているから。
浅井会長が指導する御金言だけで充分だと思っている。
他の御金言は知らなくて良いとまで思っている。
また、顕正会員は
「深い事は何もわからずとも大聖人様を信じてお題目をあげれば良い」
「折伏していけばよい」
と理解している。
いわゆる「一念信解」。
折伏の勧誘の人数を挙げる事だけが浅井先生の御心に叶うと信じている。
ですのでこちらがいくら御金言をあげて破折しても受け付けない。
なので、『折伏理論書』に引用されている御金言をもとに破折するとかなり動揺する。
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■「法華経の行者は信心に退転無く身に詐親(さしん)無く、一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥(たし)かに後生は申すに及ばず、今生も息災延命にして勝妙の大果報を得、広宣流布の大願をも成就すべきなり。」
(「祈祷経送状」となっているが 「最蓮房御返事」(文永一〇年一月二八日 五二歳 642) である。
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大聖人様の御金言を知らないと仏道修行の道に迷ってしまう。
一念信解を言い訳にして御書を拝さないのは謗法である。
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顕正会員は 「道理・文証よりも現証が勝る」 と思っている。
それは
折伏理論書のP62・8行目
■「一切は現証にしかず・・・・(教行抄御書)」
とあるから。
また、功徳の体験発表と称するものを会合・機関紙などで日々会員の目に触れさせ、
「功徳 → 現証 → 顕正会は正しい」
と植えつけているからなおさら。
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しかし、P295・6行目
▼「現世における現象はさまざまな現れ方があるので、浅薄に見てはならない。
透徹して最後まで見たとき、正邪の現証は厳然として一つの例外もないのである」
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▼「ただし現証といっても、臨終の証拠をのぞいて、現世の生活現証には種々の要素がくわわるので、表面的、あるいは一時的な見方をしてはならない」
日々の洗脳で、自身が矛盾した解釈をしている事に気が付いていない。
「折伏理論書」を読み聞かせ
●「浅井会長の言っている事とあなたの解釈は違っている」事をさとし、我に返ったところで、
▼ 「国立戒壇」
▼ 「偽本尊」
などを文証・道理で破折。
それでも聞く姿勢がない人には
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P86の
■「此の法門を日蓮申す故に、忠言耳に逆らう道理なるが故に、流罪さられ・・・(曽谷殿御返事)」
の御金言をあげて
「大聖人様は 『法門』 で邪教を破折したから流罪になった と言っておられる。 と突く。
ここまで言うとだいたい 「現証だ!」 としつこい顕正会員も、おとなしくなって苦虫を噛む表情ではありますが、おとなしく話を聞く姿勢になるようだ。
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P155・6行目
▼「不相伝家の日蓮正宗派の学者が四方に出て、邪義が出尽くしている」
とあるが、
● 「顕正会は相伝されている団体なのか?」
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「 仏法は外部から破壊されるものではない、仏弟子を装う魔僧・悪侶が、仏説に背く邪義を唱えて人々を証かす時、初めて壊乱される。
ゆえにこれらの己義・魔説を見抜くため、経文上の証拠を求めることが大切なのである。
ゆえに涅槃経には
■ 「若し仏の所説に随わざる者有らば、是れ魔の脊属なり」
として、経文に依らず己義を構える者を 「魔の脊属」 と断定している。
また天台大師は
■「文証無きは悉く是れ邪の謂い」
■「文無く義無きは信受すべからず」 と云い、
また伝教大師も
■「仏説に依憑して、口伝を信ずることなかれ」 といっている。
これらは経文の裏付けなき邪義を信ずることを、堅く誡められた文である。
日蓮大聖人が法を説かれるに当っては、
■「論師・訳者・人師等にはよるべからず、専ら経文を詮とせん」(破良観御書) とのごとく、必ず経文の明証を挙げておられる。 」
(引用以上 見易くなるように若干編集した)
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『国立戒壇』 は古来から使われていた言葉だと解釈している会員もいる。
『天母ケ原』 は御書にのっていると思っている会員もいる。