<X. 「日達上人は正しい」と浅井会長も (文証)>

(以下、浅井会長の書状、「正本堂」に就き池田会長に糺し訴う)より

P29  30

▼ されば、紛わしき「事」と「義」の会通よりも、猊下御自身の御本意を確と拝し奉る事こそ所詮の大事である。
猊下の御意濫(みだ)りに窺い奉るは誠に恐れ多いが、時に当ってすべてを決する鍵ここに在せば敢えて拝し奉る。

昭和四十年二月十六日の御説法の御意については先の一書に既に拝し奉れば此処には略す。
其の後における御指南を拝するも、猊下は正本堂を以て三大秘法抄・一期弘法抄の戒壇とは断じて認め給わない。
此の旨はすでに昨年五月二十九日、妙信講の代表と共に、学会代表たる森田・秋谷・和泉の三氏も直々に確と承った所である。

また昨年四月六日の御影堂に於ける御説法を拝すれば、更に明瞭である。即ち

「この本門事の戒壇建立は、小乗の戒壇や法華経法門の戒壇には似るべくもなく大難事な事でございます。
『仏法は体のごとし、世間は影の如し,体曲れば影斜めなり』の大聖人様の御言葉を深く了解する事が出来なければ『王法仏法に冥じ、仏法王法に合し』の御言葉は理解出来ません。
今日の唯物的考え方では受け入れ難いのであります。
而しながら、有徳王・覚徳比丘のその昔の王仏冥合の姿を末法濁悪の未来に移し顕わしたならば、必ず勅宣並に御教書があって霊山浄土に似たる最勝の地を尋ねられて戒壇が建立出来る、との大聖人の仰せでありますから、私は未来の大理想として信じ奉るのであります」と。

既に三大秘法抄の御遺命の戒壇を指して、「私は未来の大理想として信じ奉る」と仰せ遊ばす。猊下の此の御意仰いで拝すべきである。


更に昨年六月九日の 一 宗務院文書、即ち要行寺住職・八木直道尊師の提出した「御伺書」に対する宗務院の回答書を此処に挙げる。
此の書は日蓮正宗総監の名を以て執筆され、すでに一部の御僧侶にも配布されたものであれれば、猊下の御意を体した宗務院の公式見解が表明された文書として依用する。
文中、八木尊師が「正本堂が若し事の戒壇とならば、何故最勝の地を尋ねずに墓地を堀り返えして建てるのか」と質すに判然と答えて云く 
正本堂が三大秘法抄等に示したまう最極の戒壇でない以上、奉安殿に引き続いてより大なる戒壇御本尊格護の殿堂として建設する場合、大石寺境内またはそれに隣接する地所を撰ぶことが諸般の実状と便宜上当然のことである」と。

瞭々として一点の疑問の余地もない。
正しく正本堂は、奉安殿の延長として国立戒壇建立の暁まで戒壇の大御本尊を厳護し奉る堂宇なのである。

たとえ規模・荘厳は改まるとも、仏法上の意義は己然として大御宝蔵・大奉安殿たる事少しも変らない。