<Y. 抑々、顕正会は戒壇義を語るべきではない>

戒壇義につき、前頁まで色々と書きましたが・・・・

実は顕正会は戒壇義を語る資格は微塵もありません。
なぜなら浅井会長の父である、初代講頭の甚兵衛氏がその旨を発言しているのです。
以下は「小説 顕正会の研究」の著書の風間柊次さんの内容を引用します。

<戒壇論は別付嘱の領域>

▼「そもそも本門戒壇の建立は、総じては門下一同への御遺命とはいえ、別しては御法主一人への付嘱たること、一期弘法付嘱書・日興跡条々事に明白である
御遺命守護の戦い/ 顕正会の書籍)←浅井昭衛 著

これは顕正会の書籍の内容であり、
▼「本門戒壇の建立は、御法主一人への別付嘱」との旨が書かれています。

さらに
▼「時至れば・・・時の御法主が相伝に基づきこれを指示決定される
(御遺命守護の戦い)

とも書いているのです。つまり顕正会の見解として

本門戒壇は広宣流布の後、時の上人が「相伝」に基づき、お決めになられる

@相伝を受けられた歴代上人のみが、「戒壇」の内容について御存じである。

A広宣流布し、その後で、上人が「戒壇」について指示決定される。

こういう事がちゃんと書かれているのです。

相伝には
・口伝相承書・・「百六箇抄」「本因妙抄」など
・法門相承書・・「御義口伝」など
ここまでは書によって、誰でも知ることができますが、最も肝心の大事は「口伝」によるわけであり、三大秘法抄にも
「此の三大秘法は・・・日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり」
大聖人は釈尊から口決された、と。

金口嫡々の相伝───
日興上人から日目上人・・・歴代上人への口伝の内容は知ることが出来ません。
誰人も入り込むことができない・口を挟むことはできない。
それが「別付嘱の領域」です。
ところが、長い歴史には
「本来 大石寺は正しいのです。でも今は間違っているのです」
このように言う者も出て来ます。
大聖人は三世了達ですから、兼ねてこのような事態を予見され、こうした論を封じ込められています。
口伝相承書の「百六箇抄」に
「日興を以て総貫首と為し・・悉く付嘱せしめ畢んぬ。・・・
尽未来際に至るまで・・日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり」
(平成新編御書 1702 頁)
「尽未来際」、未来永遠まで“不断に”「別付嘱」は続くと大聖人が仰せられています。
広宣流布という御遺命をめざして、信徒はただ折伏を実践して行く。
広宣流布の時に至ると、時の上人が「口伝」と「相伝」に基づき、「戒壇」の内容を決定される。


「別付嘱の領域」
この根本義を理解すると「戒壇」についての全ての論議は、解決してしまうんですね。
以上が顕正会の古き時代を知る風間さんの顕正会の戒壇義破折の内容です。
この一連を知れば、
顕正会員は本来「戒壇義」を論じれる様には教えられていませんし、
また譲って論じている内容に言及すれば、矛盾と誤りに満ち満ちている事がわ
かるのです。