【破折】日顕上人が猊下になられたのは昭和54年である。ではそれ以降、平成6年ごろ学会が独自の本尊を普及するまでは一体どなたの御本尊を拝んでいたのか?その期間は全ての学会員に功徳はなかったのか?そんなバカなことはないだろう。その間の聖教新聞にも功徳の体験談は数え切れないほど掲載されている。
つまり、学会のいうことは、伝統ある学校から、その校則を破ってばかりいる生徒達が退学処分になり、その放校処分にされた者どもが、自分を正当化するためにその伝統校やその校長の悪口を言っているに過ぎない。世間ではそのような者達のいうことなど全く信用されない。それがおまえたち創価学会の言い分である。この矛盾も明確に説明してみよ。出来なければ副会長でも会長でも連れて来い!