【破折】信心とは身と口と意の三業が一致してこそ本物の信心である。口と意だけで身が伴わないのはまさに本物の信心ではない。
法華経を余人のよみ候は、口ばかりことばばかりはよめども心はよまず、心はよめども身によまず、(土篭御書 文永八年一〇月九日 五〇歳)
(※ 法華経=末法の今時においては「戒壇の大御本尊」様のこと)