御書には「曼荼羅御本尊を開眼す」と直ちに御表現された御文は存在しない。
しかし、曼荼羅御本尊に「開眼」が必須であることは草木成仏・非情成仏の原理からして間違いない基本原則である。
まず、草木なり、ある非情の物体を「本尊」と為すためには「開眼」が絶対必要であると知れるのは以下の御文である。(他に類文繁多である)
■法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。638
これに対して謗者達は、「これは当時の仏像に限って大聖人が開眼が必要なことを仰せになったのだ。」と血迷ったことを言っている。
それが如何に頑迷かつ浅薄か、以下、論証し、以て「開眼」の原理を説示する。
1、大聖人が、御正意・御真意として釈尊等の絵像木像の類を本尊として帰依することを後々までお認めになるわけがない。
それは、大聖人の仏法を学ぶ者の”常識”です。(もちろん不相伝家では、これすら理解していませんが。)
さて、では問題となるのは、発迹顕本以降の佐後である文永9年に、何故「木絵二像」の「開眼」の御抄があるのか。ということでしょう。
そもそも、この御書中には、
■三十一相の仏の前に法華経を置きたてまつ(奉)れば必ず純円の仏なり
とあり、この御文を文字だけで読めば、
「釈尊の絵像・木像の前に法華経を置けば、必ずその木絵の二像は純実円満の生身の仏となる」
との意味になり、大聖人様が釈尊の絵像・木像を本尊としてお認めになっていることになり、曼荼羅正意の大聖人の仏法としては大いに矛盾してしまいます。
つまり、この御書は、既に何らかの方便を含ませてお説きである。ということが分かります。
方便があるからには真実・真意がその奥に存在するのが道理です。
この御抄の中に、
■法華経を心法とさだめて、三十一相の木絵の像に印すれば、木絵二像の全体生身の仏なり。草木成仏といへるは是なり。
とあり、この「印する」という語には「跡を残す。しるす。光・影などを物の上になげかける。」等の意味あり、”ある主体者が対象へ向かって為す行為”であることが分かります。
更に、この御文直後の
■法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、云々」
との御文と併せ拝すれば、
■「法華経を心法とさだめて、三十一相の木絵の像に印すれば」と
■「法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養」
とは同義ですから
「印する」とは「開眼・開眼供養」の意義であることが分かります。
ここで分かる事は、
【1】”「開眼供養」により「草木成仏」する。草木成仏をした”木絵二像”は生身の仏”になる”
ということでしょう。
では、草木成仏 とはどういうことでしょうか?
そこで、ちょうどこの年、文永9年、人本尊開顕の重書「開目抄」が説かれた同じ月に顕された「草木成仏口決」に拝してみましょう。
■草木成仏とは非情の成仏なり。(草木成仏口決 文永九年二月二〇日 五一歳)
草木成仏とはつまり、非情が成仏することである。
しかし、ここで注意を要するのは、【1】”「開眼供養」により「草木成仏」する。”ということです。
そこでここをまとめると、
【2】草木成仏は開眼供養に依って為されるが、それは非情の成仏ということである。非情が”仏と成る”ということである。
■我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり。
塔婆はそのままでは非情である。であるから、その非情である塔婆を「開眼供養」することにより、草木成仏せしめて故人の成仏を期するのである。
その根拠は以下の御文でも明瞭である。
■我等衆生のために依怙・依託なるは非情の蓮華がなりたるなり。
この御文は、塔婆にも通じ、曼荼羅御本尊を御本尊として信行の対境とする意義へも通じる文証である。
であるから、直後に以下の曼荼羅御本尊に関するお言葉へと続くのである。
■此の有情非情、十如是の因果の二法を具足せり。衆生世間・五陰(ごおん)世間・国土世間、此の三世間有情非情なり。一念三千の法門をふ(振)りすす(濯)ぎたるは大曼荼羅なり。当世の習ひそこなひの学者ゆめにもしらざる法門なり。
では、ここまでをおさらいして纏めて見ましょう。
【小結】
開眼供養によって、非情は草木成仏する。草木成仏とは非情が仏と成ること、つまり、生身の仏となることである。
さて、ではこれについて、更に他の御書に詳細を拝していきましょう。
■四条金吾釈迦仏供養事(建治二年七月一五日 五五歳)
されば画像(えぞう)・木像の仏の開眼供養は法華経・天台宗にかぎるべし。其の上一念三千の法門と申すは三種の世間よりをこれり。三種の世間と申すは一には衆生世間、二には五陰(ごおん)世間、三には国土世間なり。前の二は且(しばら)く之を置く、第三の国土世間と申すは草木世間なり。草木世間と申すは五色のゑのぐ(絵具)は草木なり。画像これより起こる。木と申すは木像是より出来す。此の画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事は法華経の力なり。天台大師のさとりなり。此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ、画木にて申せば草木成仏と申すなり。
この御文には、更に詳細に「草木成仏」の意義が示されています。
■画像(えぞう)・木像の仏の開眼供養は法華経・天台宗にかぎるべし。
ここも、”絵像木像の「開眼供養」は法華経・天台宗でしか為し得ない。”と仰せでありますが、この御文をそのまま字の面だけで読めば、
”絵像仏像等の釈迦像を開眼供養するのは、法華経と天台宗でしか出来ない”
となり、大聖人様が仏像を容認し、法華経をそのまま用い、しかも像法過時の宗派である天台宗を容認することになってしまい、大聖人様の御真意の御法門ではないことになってしまいます。
【参考御書】
■今、末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし。但南無妙法蓮華経なるべし。
■天台法華宗は伝教大師の御時計りにぞありける。此の伝教の御時は像法の末、大集経の多造塔寺堅固の時なり。いまだ於我法中・闘諍言訟・白法隠没の時にはあたらず。(撰時抄・建治元年六月一〇日 五四歳)
ですから、ここもやはり方便で御説きであり、御真意は更に深いところにあると拝さねばなりません。
そこで、この後の御文を拝すると、いよいよ大聖人様のご真意が明瞭となってまいります。
■草木世間と申すは五色のゑのぐ(絵具)は草木なり。画像これより起こる。木と申すは木像是より出来す。
ここで、大聖人様が仰せになった、「絵像・木像=木絵の二像」の意義が鮮明に現れてまりました。
つまり、「画像」の意味は、「絵の具」→つまり、”本尊”として書いた素材そのものを仰せであり、「木像」との意味は、「木」=木材、というやはり「素材・原料材」を指しておられることが分かります。
つまり、「絵像・木像=木絵二像」と仰せになった御真意は、表面上の「釈迦の絵像木像」という意味では決してなく、その原料素材としての「絵の具・木材」という「非情」のことであった訳です。
ここで、今までの考証の深意が詳らかになってきました。
【小結2】
大聖人様は機根が未だ”曼荼羅本尊正意”という深旨まで熟さない対告衆に対して表向き「釈尊像造立」を容認しつつ、そこに、原料素材である非情の絵の具・木材等の開眼供養による草木成仏により生身の仏身と為す一念三千の悟りの法門とその絶対必要性を説き篭められていたのであります。
この点を踏まえて以下の御文を拝すればいよいよ大聖人様の御真意がいや増して明瞭となる事でしょう。
■此の画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事は法華経の力なり。天台大師のさとりなり。此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ、画木にて申せば草木成仏と申すなり。
こここそが開眼供養の本義を方便の御文の内に明確に篭められて仰せ御遊ばされた御文であります。
つまり、この画(=原料素材としての絵の具。当然、”墨”も含まれることは自明の理である)、木材に、魂魄という神を入れること(=開眼供養)は、法華経(=三大秘法)の力である。これは天台大師の悟り(=大聖人様の悟り)である。この法門は生きた衆生に即して言えば即身成仏であり、非情である墨などの絵の具や木材で言えば草木成仏である。(=生身の仏と成ること)
また、別角度から補足すれば、
■ 観心本尊抄(645)
木画(もくえ)の二像に於ては、外典内典共に之を許して本尊と為す、其の義に於ては天台一家より出でたれども、草木の上に色心の因果を置かずんば、木画の像を本尊に恃(たの)み奉(たてまつ)ること無益(むやく)なり。
ここは「本尊たり得るにはどうすべきか?」との御教示の文である。
であるから、この「色心の因果」とは、物体が本尊=仏となるための「因果」であることである。
つまり、その非情が、「仏になる因と仏となった結果」である。
草木の上にこの「仏因と仏果」の因果を「置く」、つまり、先ほどの「印する」と同様に、「跡を残す。しるす。光・影などを物の上になげかける。」との何らかの作業を為さないと、非情・草木のそのままでは「本尊」とは成り得ない。ということである。
次に同じく観心本尊抄(654)
■ 今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出(い)でたる常住の浄土なり。仏既(すで)に過去にも滅せず未来にも生ぜず、所化以て同体なり。此(これ)即ち己心の三千具足、三種の世間なり。迹門十四品には未だ之を説かず、法華経の内に於ても時機未熟の故か。
此の本門の肝心、南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶(なお)文殊薬王等にも之を付属したまはず、何(いか)に況(いわ)んや其の已外(いげ)をや。但(ただ)地涌千界を召して八品を説いて之を付属したまふ。其の本尊の為体(ていたらく)、本師の娑婆の上に宝塔空(くう)に居(こ)し、塔中(たっちゅう)の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士(きょうじ)上行等の四菩薩、文殊・弥勒等は四菩薩の眷属(けんぞく)として末座に居し、迹化(しゃっけ)・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処(しょ)して雲閣月卿(うんかくげっけい)を見るが如く、十方の諸仏は大地の上に処したまふ。迹仏迹土を表する故なり。是くの如き本尊は在世五十余年に之(これ)無し、八年の間但八品に限る。正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為(な)し、権大乗並びに涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊・普賢等を以て脇士と為す。此等の仏をば正像に造り画(えが)けども未(いま)だ寿量の仏有(ましま)さず。末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか。
と、末法出現の文字曼荼羅御本尊の御相貌を顕示された後に、「末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか。」と仰せの「仏像」とは、釈尊像などでないことは一目瞭然である。
つまり、「木絵二像」も「仏像」も元意の辺はまさに「曼荼羅本尊」のことである。
次に本尊問答抄の文
■ 本尊問答抄 弘安元年九月 五七歳 1274
問うて云はく、末代悪世(あくせ)の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや。答へて云はく、法華経の題目を以て本尊とすべし。
(中略)
仏は所生、法華経は能生、仏は身なり、法華経は神(たましい)なり。然れば則ち木像画(え)像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし。
この御文からも、木像画像は曼荼羅本尊であることが証明できるのである。
まず冒頭に、「末代の衆生は何を本尊とすべきか?法華経の題目(文字曼荼羅本尊)を本尊とせよ。」
とあって、後には「木像画像の開眼供養はただ法華経に依ってしなさい。」と仰せであると言うことは、まさに、「木像画像は文字曼荼羅本尊の別称」ということが鮮明である。
更に、日寛上人・末法相応抄
■ 「仏像」の言未だ必ずしも木絵に限らず、亦生身を以て仏像と名づくるなり、(中略)若し必ず木絵と言わば出現の言恐らくは便ならず、
日寛上人も、「大聖人が言われる「仏像」という御表示は、木絵の釈迦像だけとは限らないぞ。大聖人は「生身の仏」という意義で「仏像」とも用いておられる」と仰せである。
それは、「もし「仏像」が本当に釈尊像とかであったら、「出現」という語は、「現れ出でる」という生身の能動的行動を表現されているが故に、不適切であろう。」と仰せである。
実に論理的・合理的な指摘である。
■ 観心本尊抄文段
今謹んで諸御抄の意を案ずるに、草木成仏に略して二意あり。一には不改本位の成仏、二には木画二像の成仏なり。
初めの不改本位の成仏とは、謂く、草木の全体、本有無作の一念三千即自受用身の覚体なり。外十三十四に草木成仏の口伝に云く「『草にも木にも成る仏なり』云云、此の意は草木にも成り給ヘる寿量品の釈尊なり」と云云。また二十三二十一に云く「又之を案ずるに草木の根本、本覚の如来・本有常住の妙体なり」と云云。総勘文抄に云く「春の時来りて風雨の縁に値いぬれば無心の草木も皆悉く萠え出生して華敷き栄えて世に値う気色なり秋の時に至りて月光の縁に値いぬれば草木皆悉く実成熟して一切の有情を養育し寿命を続き長養し終に成仏の徳用を顕す」等云云。応に知るべし、この中に草木の体はこれ本覚の法身なり。その時節を差えざる智慧は本覚の報身なり。有情を養育するは本覚の応身なり。故に不改本位の成仏というなり。
二に木画二像の草木成仏とは、謂く、木画の二像に一念三千の仏種の魂魄を入るるが故に、木画の全体生身の仏なり。二十八十三四条金吾抄に云く「一念三千の法門と申すは三種の世間よりをこれり乃至第三の国土世間と申すは草木世間なり乃至五色のゑのぐは草木なり画像これより起る、木と申すは木像是より出来す、此の画木に魂魄と申す神を入るる事は法華経の力なり天台大師のさとりなり、此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ画木にて申せば草木成仏と申すなり」と云云。文の中に「此の法門」とは、一念三千の法門なり。また三十一巻二十骨目抄に云く「三十一相の木画の像に法華経を印すれば木画二像の全体全身の仏なり、草木成仏といへるは是れなり」と云云。若しこの意を得ば、答の大旨自ら知るべし。またまた当に知るべし、若し草木成仏の両義を暁れば、則ち今安置し奉る処の御本尊の全体、本有無作の一念三千の生身の御仏なり。謹んで文字及び木画と謂うことなかれ云云。
要約すれば、草木成仏に二義あり。一は任運自然の草木成仏。二義は開眼供養することによって草木成仏する原理。その開眼供養によって生身の仏になられた曼荼羅本尊をただの文字だの画像などと軽々に思ってはいけない。
ということである。
ここでも、「木絵二像」について開眼を述べられた御文を引用して、その結論として「今安置し奉る処の御本尊の全体、本有無作の一念三千の生身の御仏なり。謹んで文字及び木画と謂うことなかれ」
と仰せであるから、「木絵二像」はやはり「文字曼荼羅御本尊」の別称であることが明白である。
謗者が言う、「木絵二像は文字曼荼羅本尊ではない!」との恥論は、悉く粉砕されるのである。
以上の論証から導き出される結論は、
【結論】
曼荼羅御本尊も木絵二像と全く同じく、紙・木材・墨等の非情である素材で出来ているのであるから、そこには法華経を心得た智者(鎌倉時代で言えば大聖人様。また大聖人様より御命を賜った御僧侶方)によっての開眼供養により、草木成仏為されなければ生身の仏として成立しない。
(ただしこの時代は大聖人様が直接御本尊を顕されていたのですから、殊更に曼荼羅御本尊に関しての「開眼供養」の御指南が無いのは当然です。が、現時では、殆どの信徒に下付されるのは御形木御本尊、つまりは”印刷された御本尊”ですから、素材が非情で出来ている限り、開眼供養によって草木成仏を為し、生身の仏と顕現しなければ「本尊」として成立しない
ということが、以上の、「木絵二像開眼の事」「草木成仏口決」「四条金吾釈迦仏供養事」等の御書を併せ拝し、検証すれば自ずと明瞭となってくるのであります。
そうは言っても毒気深入の頭破七分者にはそう簡単には理解できないでしょうが。)
ということで、
■法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。
との御文は、やはり創価学会発売の本尊らしき様相を偽装した掛け軸を指すのであります。(もちろん、その他世の中に存在する一切の本尊状の”モノ”も含む)