■辛きを蓼葉に習ひ臭きを溷厠に忘る。(立正安国論)
【解釈】辛いものばかり食べていると、いつの間にか辛さに麻痺して辛さ自体が分からなくなってくる。また汲み取り式のトイレは常に臭いものですが、そこさえ長く入っているとその臭さがいつの間にか分からなくなる・・ということですね。
創価学会も同様です。冷静な目で見れば周辺の学会員などそれはひどい有様です。
しかし本人はその罰の現証がジワジワと、しかも繰り返し起こるので、それにいつの間にか慣れてしまって、罰であることに気がつけない・・・ということです。
また、「魔の通力」によって時たま、ほんの束の間の御利益らしき現象が起こるからそこにのみ執着して、目をくらまされて生活全体の荒廃ぶりが見えなくなっているんですね。
これは、パチンコ中毒・麻薬中毒などと同様です。
更にまた、創価学会員同士がこれがまた似たような罰の生活ですから、自分だけ特別に罰が出ているとは思えない、ということもありますね。
しかし、地域を一軒一軒回って見ますと、間違いなく創価学会員の家は荒廃しています。
何も信仰をしていない世間の家庭の方が遥かに立派でまともで清潔なケースが多いですね。
これはもう15年以上も学会員を破折して回ってこの目でみてきた紛れもない事実です。
最近入信した何も知らない青年部ですら、「学会員の家って外見からでもすぐに分かりますね。」というくらいに荒んでいます。
別に外見で云々するつもりは全くありませんが、それはまさに依正不二で、主体である住人たちの精神の荒廃ぶりがそのまま生活状況に現れている姿ではないでしょうか?
よくよく冷静になってご自分の家庭や周辺の創価学会員の家庭を振り返って見つめ直してみて下さい。15年くらい前から一体どのようになってきたのか、本当に幸福に向かって確実に一歩一歩進んでいるのか、それとも、不幸な現証が重なってきていて、15年前と何も変わっていないか、むしろ悪い生活状態になっていないでしょうか?