<『家中抄』と血脈>

7●(※日行上人は)日道の付嘱を受く其の時本尊を日行に授与す其の端書に云く「暦応二大才巳卯年六月十五日、日道在判日行に之を授与す一が中の一弟子なり」(已上此の本尊当山に在なり)、8●又興目両師に従って血脈を禀承する等を日行に伝授す(相伝切紙等其外相伝書籍等手取引様示給書物等森殿に之を預け置く趣行公自筆状に見たり往見)、9●行公此の付嘱を受け大石寺に住持し・・・(第17世日精上人『家中抄下』/『富士宗学要集』第5巻250頁)
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「日道の付嘱を受く」とは金口の相承である。
「又興目両師に従って血脈を禀承する」という「血脈」の内容とは「相伝切紙等其外相伝書籍等」「手取引様示給書物等」である。
この「血脈」=「相伝切紙等其外相伝書籍等」「手取引様示給書物等」を「森殿に之を預け置く」とある。
「行公此の付嘱を受け大石寺に住持」とあるのは、「切紙」などの相伝書を森殿より受け取った後に御登座されたということであろう。
いずれにせよ、8●では「血脈」=「相伝切紙等其外相伝書籍」等であり、金口の相承ではない。
このことは、この切紙について日精上人御自身が、「当宗嫡々法門相承」ではない、と仰せになっていることから明らか(下記13●)。
しかも、この「血脈」は、第三者に預けても不都合がないことが分かる。

★日精上人は唯授一人金口の相承以外の相伝書を「血脈」と称し(8●)、さらに相伝書の授受を「付嘱」と仰せである(9●)。

10●此の日産湯相承を記録す、同十日には本尊七箇相決并に教化弘教七箇の決を記し給ふ、十一日に本因妙抄を日興に付与し給ふ、其の文に曰く又日文字の口伝産湯口決の二箇は両大師の玄旨にあり、本尊七箇口伝は七面決を表す、教化弘教七箇伝は弘通する者の大要なり、又此の血脈并びに本尊大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の禀承唯授一人血脈なり、相構へ相構へ秘す可し伝ふ可し云云。誠に日興は多聞の士、自然に仏法の深義を解了せる故に仏法の大海水、興師の心中に流入するにより斯の如き甚深の血脈を禀承し給ふ
(第17世日精上人『家中抄上』/『富士宗学要集』第5巻154頁〜)
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「産湯相承」「本尊七箇相決」「教化弘教七箇の決」「本因妙抄」=伝法の書=甚深の血脈であることが分かる。
「秘す可し伝ふ可し」とはあるものの、後に徐々に公開されたものである。
しかし、唯授一人の血脈相承は、これら相伝書のみではなく、金口相承こそが根幹なのである(下記14●〜16●)。

11●亦天王鎮守の神(たましい)と申すは祖師御相伝の秘書当家代々の秘書なり、日興日目相続して房州妙本寺に之れ有るなり。常随給仕の功と云ひ問答第一と云ひ旁々の勲功により甚深の血脈禀承したまふ(第17世日精上人『家中抄中』/『富士宗学要集』第5巻185頁)
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ここでいう「甚深の血脈」とは「秘書」とあるように文書である。
金口相承ではない。
第59世日亨上人は、「今無し」(頭注)と仰せである。

12●大聖より禀承の一紙血脈を以って日目に授く其文に云く。(中略)右二通の御血脈等とは日蓮、日興、日目御相承にして御正筆房州妙本寺に之れ有り(第17世日精上人『家中抄中』/『富士宗学要集』第5巻186頁)
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ここでいう「相承」とは文書のことであり金口相承ではない。
また、下記13●の「切紙」とも違うようである。
日亨上人は「此の文今無し」(頭注)と仰せである。

13●当宗嫡々法門相承どもを日道に付嘱す、其の外高開両師よりの相伝の切紙等目録を以て日道に示す、其の目録に云く。(第17世日精上人『家中抄中』/『富士宗学要集』第5巻213頁)
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「当宗嫡々法門相承」こそが唯授一人金口の血脈相承であり、「其の外高開両師よりの相伝の切紙等」とあるように、「高開両師よりの相伝の切紙等」と唯授一人の金口相承とは別個のものである。

●当家甚深の相承の事。全く余仁の一言半句も申し聞く事之れ無く、唯貫主一人の外は知る能わざるなり。(中略)又本尊相伝、唯授一人の相承なるが故に、代々一人の外、書写すること之れ無し。(第17世日精上人『歴全』第2巻314頁/『大白法』H16.6.16)

14●法を日道に付す所謂形名種脱の相承、判摂名字の相承等なり、惣じて之を謂はゞ内用(証)外用金口の智識なり、別して之を論ぜば十二箇条の法門あり甚深の血脈なり其の器に非ずんば伝えず(第17世日精上人『家中抄中』/『富士宗学要集』第5巻216頁)
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ここでいう「甚深の血脈」とは「金口の智識なり」とあるように、これこそ日寛上人仰せの金口相承であり、上記「血脈」=「相伝切紙等其外相伝書籍等」(上記9●)とは別物である。
★日精上人のいう「血脈」とは文書化されたものを含んでおり、必ずしも唯授一人金口相承のことではない。
この文書化された血脈を第5世日行上人は、森殿(在家信徒?)を経由して受け取られたのである。

油(柚)野浄蓮が第8世日影上人または第9世日有上人に伝えたという「血脈」「相承」もまた金口の相承ではない、と考えるべきである。
★日精上人自身、金口相承の他に相伝書(上記13●)のあることを認められている。
しかも金口相承については「其の器に非ずんば伝えず」(14●)と断言されている。
このような日精上人が、金口相承が在家等に伝えられたり、途中で断絶したという意味の記録を掲載されるはずがない。

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15●祖師より興師へ御付嘱亦是れ三大秘法なり。興師より目師へ御付嘱も亦是れなり。(中略)目師より代々今に於て、二十四代金口の相承と申して一器の水を一器にうつすが如く云々(第26世日寛上人『寿量品談義』/『富士宗学要集』第10巻131頁)

16●仮令(たとい)、広布の時といへども別付血脈相承なるものは他に披見せしむるものに非ず(第56世日応上人・『弁惑観心抄』212頁/)