【破折 1】←既述済み

創価学会販売のニセ本尊を「蓮祖」は「御図顕」されていない。(当たり前である。呵々大笑)
(※ 因みに、沖浦君が拝んでいる日達上人御書写の御本尊の御形木(印刷)御本尊も、「蓮祖御図顕」(→大聖人が直接書き顕された)の御本尊ではない。
当然至極のことである。
寿量文底の一大秘法を「図顕」されたのはまさしく日蓮大聖人様であるが、我々が現に拝する御本尊は御歴代上人が「書写」された御本尊である。)

1、大聖人様御図顕の御本尊は現時では百数十幅しか現存しておらず、貴公らが拝んでいるのはこの内のいずれでもない。

2、1、以外の御本尊は正系門家では全て御歴代御法主上人の”御書写”された御本尊、もしくはその御形木御本尊である。
この御本尊を”蓮祖御図顕の御本尊様(あるいは御形木様)”とは誰も呼ばないし、事実”蓮祖御図顕の御本尊様(あるいは御形木様)”ではない。あくまで”蓮祖御図顕の御本尊様”(就中 戒壇の大御本尊)の御内証を御歴代上人が”御書写”されたものである。

3、沖浦君ら創価学会員が拝んでいる掛け軸は、

 日寛上人が
 ”蓮祖御図顕の御本尊様”の中でも大聖人様の御本懐中の本懐「戒壇の大御本尊」の御内証を
 ”御書写”され
 浄圓寺16代住職・日證師に授与された
 一機一縁 の
 常住御本尊を
 『勝手に撮影・改竄・変造し、掛け軸様に表具してあるように見せかけるために多色刷り印刷をした一枚ものの掛け軸模様の紙』であって、
 日寛上人が”蓮祖御図顕の御本尊様”を”御書写”した御本尊そのものではない。

4、よって、そんなものは紙屑・糞紙にも劣る 魔紙・鬼札 といっているのである。
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【破折 2】既述

「大聖人御図顕の御本尊」とは、まさに”大聖人が図にして顕した御本尊”との意味ですから、大聖人御真筆の御曼荼羅御本尊を意味します。
また、御書には「形木本尊を広めろ」との御指南もありません。

創価学会がかつて創立以来広めてきた御本尊は

【1】「日興上人から正統な唯授一人・血脈相承を相伝された御歴代上人が”大聖人御図顕”の戒壇の大御本尊の御内証を書写された御本尊(常住御本尊)と、同じくそのようにして書写された御本尊を印刷した御形木御本尊」です。
決して、「大聖人御図顕の曼荼羅御本尊」ではありません。

沖浦さん、まずこういう基本的な語句の意味や用法をきとんとしていきましょうね。
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【想定破折 3】

▼=沖浦さん
△=当方

▼ 御本尊は全て蓮祖御図顕の本尊である。

△ 何を以って「蓮祖御図顕本尊」と言うのか?

@ 御歴代上人が「御書写」された御本尊の「字体・筆感・字質」は「蓮祖御図顕本尊」と明らかに違う。

A 十界の座配も相貌も「蓮祖御図顕本尊」と一様ではない。
特に創価学会販売のニセ本尊の元となった日寛上人「御書写」の御本尊の座配は、明らかに「蓮祖御図顕本尊」とは違う。

B 「蓮祖御図顕本尊」=大聖人御真筆御本尊には御自著で「花押」があらせられる。
が日興上人以降の御歴代上人が「書写」された御本尊には当然ながら「花押」はあらせられない。
「在御判」とお認めである。
「字体・筆感・字質」も 「座配」も「相貌」も違って、しかも 「花押」か「在御判」との決定的な相違が厳然であるのに、では、沖浦君は、一体何を以って、どこを指して、日寛上人、あるいは御歴代上人のお手に成る御本尊を「蓮祖御図顕本尊」と言い張るのか?

▼ 私は専門が本尊書写ではありません。
 そちらの専門家(法主など)にお聞きなさい。(←※かつての沖浦君の言)

△ では沖浦さんの言う通りに、創価学会発行の模造掛け軸が”真正の蓮祖御図顕の御本尊”なのか、御歴代の御法主上人に聞きましょう。

■『日顕上人御講義』
「『ニセ本尊』の申し出は、創価学会に対して成田宣道が平成五年六月六日にしております。一方、平成四年十一月十二日に日蓮正宗を離脱して以来、浄圓寺はもう既に実質的に総本山大石寺の末寺ではなくなっているのです。また、成田宣道なる者も、大石寺末の僧侶でもなければ、日蓮正宗の僧侶でもなくなっておるわけです。(中略)邪宗の坊主が勝手に学会へ申し入れたことであり、血脈伝承の総本山の全く関知しない非合理な『ニセ本尊』であると言えます」(偽造本尊義を破す二二n)

■ 平成七年一月十七日の未明に、あの「阪神・淡路大震災」が起こったのであります。実は、その前日、前々日に、池田創価学会が、あの地域においても、あろうことか御本尊に対する大謗法を犯し、『ニセ本尊』を配布し
ておったのであります。その直後に、あの阪神・淡路大震災が起こり、言うに言えないような悲惨な状態が起こったことは、皆様も御承知のとおりであります。(御法主日顕上人猊下お言葉 法華講連合会第三十五回総会の砌 平成十年一月三日 於 総本山広布坊)

■ 日亨上人『有師化儀抄註解』
「曼荼羅書写本尊授与の事は・宗門第一尊厳の化儀なり、(中略)宗祖は濫に曼荼羅を授与し給はず・開山は曼荼羅転授に就いても之を鄭重になし給ひ、尊師は宗門未有の弘通者なれども自ら曼荼羅を書写せず、(中略)然るに本尊の事は斯の如く一定して・授与する人は金口相承の法主に限り授与せらるる人は信行不退の決定者に限る」

御本尊の書写・授与は、時の御法主上人によっておこなわれる最も重要な化儀。
 したがって、歴代上人ご書写の御本尊を形木にお作りし、授与する場合であっても、御本尊に関する一切の権能を持つ、時の御法主上人の許可のもとにおこなわれなければならないことは明白。

つまり、沖浦さんが御指名の”御本尊書写の専門家”である御法主上人は、明らかに創価学会発行の模造掛け軸をニセ本尊である。と断定されているのですが、上記の詰問に答えられない御本尊に関しての”専門家ではない”沖浦さん?また、すり替え、言い逃れ、捏造に あくせく足掻いて見せてくださいね。
この猛暑の中で、少々暑苦しく、見苦しいですが、沖浦さんの必死で足掻く姿を見ると、その余りの無軌道ぶりに、暫し暑さも忘れることができますよ。

では、頑張って。
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沖浦対樋田法論を検証する 57 投稿者:管理人(樋田 昌志) 投稿日:2007年 8月 9日(木)12時16分11秒 p4117-ipbf302yosida.nagano.ocn.ne.jp   返信・引用

つづき

【他の法華講員からの破折】

沖浦君↓

▼  また、寛師の本尊なるものはありません。  寛師書写による蓮祖御図顕の御形木様です。

破折↓

何故?日寛上人と特定されていらっしゃるのですか?
何故、日寛上人様でなければいけないのでしょうか?
北山本門寺の貫首も「蓮祖御図顕」の御本尊を書写していますし、大聖人様御図顕の御本尊様とそっくりです
が、そちらではいけないのでしょうか?
また、この板で常に話題になる、身延の売店で売られている本尊は、大聖人様御図顕の御本尊をそのまま写真に撮り、縮小して印刷したものですが、それではいけないのですか?
もしもいけないのであればその理由は何ですか?
ここも、やはり御文証をしっかりお見せいただきたいです。

沖浦君↓

見ていませんし、私は専門が本尊書写ではありません。
 そちらの専門家(法主など)にお聞きなさい。

以上再掲載

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では、その通り、御法主上人のお言葉から。

■特に、日寛上人の本尊を勝手に在家が分限なく私に専用することは、「三宝欠如」「魔性本尊」「簒奪」「非道」「唯物形骸」「変造」「背逆」「矛盾撞着・自語相違」であり、その理由は後述いたしますが、これは明らかに『ニセ本尊』であります。
 もし文証を言うなら、勝手に在家地体が血脈の上の本尊を血脈の筋道に背いて作ってよいという文証は全くないということが、まず、はっきり言えると思います。(御法主日顕上人猊下御講義 創価学会の偽造本尊義を破す 平成九年八月二十八日 於 総本山広布坊)

■ 総本山歴代上人の御本尊書写は、大聖人の御化導の上より、三大秘法整足の大御本尊の御内証を、唯授一人の相承をもって書写申し上げるのであります。創価学会は、信心を欠く故に御内証書写の意義を没し、単に文字を書き写すことだと解釈しているのは、浅識の馬脚を表しています。

■ 要するに、学会の『ニセ本尊』は、在家が勝手に出しているということが、まず第一に挙げられます。在家乃至その団体が血脈上の御本尊を勝手に出したことは、正系門家すなわち、日蓮正宗においてはかつて例のないことであります。したがって、まさに大謗法行為であるということが言えます。
 次に、彼等は在家であり、正しい宗門の本尊を左右する資格がないにもかかわらず、これを行なったのは、まさに越権の行為である。

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↑さ、沖浦さん、お望み通り、御法主上人のお言葉で創価学会発行の模造掛け軸をバッサリ 謗法である。と断定されてますが、下手な言い逃れを頑張ってくださいね。

謗法者の特徴である、「自分の言で自分の首を絞めていく。」 というところですかね?

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