果位を以て之を論ずれば教主釈尊は始成正覚の仏、四十余年の間四教の色身を示現(じげん)し、爾前・迹門・涅槃経等を演説して一切衆生を利益したまふ。所謂(いわゆる)華蔵の時、十方台上の盧舎那(るしゃな)、阿含経の三十四心、断結成道(だんけつじょうどう)の仏、方等・般若の千仏等、大日・金剛頂等の千二百余尊、並びに迹門宝塔品の四土色身(しどしきしん)、涅槃経の或は丈六(じょうろく)と見る、或は小身大身と現じ、或は盧舎那と見る、或は身虚空(こくう)に同じと見る。四種の身、乃至、八十御入滅には舎利(しゃり)を留(とど)めて正像末を利益したまふ。本門を以て之を疑はヾ、教主釈尊は五百塵点已前(いぜん)の仏なり、因位も又是くの如し。其(そ)れより已来(このかた)十方世界に分身し、一代聖教を演説して塵数(じんじゅ)の衆生を教化(きょうけ)したまふ。
                (御書六四九.五行目〜同・九行目)
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 右冒頭に挙げた御文は「まさしく受持に約して観心を明かす」という科段のなかで、前の文は権迹の教主に「因果」 の二があるにつき「因行」を示された文ですが、この文は権迹の教主の「果位」を説かれるところであります。

 つまり、仏様に成るためには原因と結果がある。
これは因果ということです。
因果を信ずるから、正しい仏法を信心修行することになる。
つまり、善い原因があれば必ず善い結果が来る、悪い原因があれば必ず、また悪い結果が来る、これが因果の道理であります。

 そこで、仏様に成るための原因について、爾前権経と迹門の説相において説かれたのが、この前の御文のところであったのに対し、その原因によって結果を得た、その結果という上から、やはり爾前権迹の仏様を拝して、それについてお示しになるのが右に挙げた文です。

 その仏様も、一代仏教の権経・迹門の上からいきますと、実にたくさんの仏様が現れて、たくさんの教えを説いておられる。
では、それらの仏様はそれぞれ、こちらの仏様とあちらの仏様とは、どういう関係があるのかということが問題となります。

 例えば、西方極楽十万億土に阿弥陀仏という仏様がいることになっている。
あるいは、東方には善徳仏とか阿しゅく仏がおられ、そのほかあらゆるところに様々な仏様がおられるというように、大乗仏教においては説かれておるのですが、それらの仏様と釈尊との関係はどうなのか。

 しかし、今から二千数百年前にこの地球上にお生まれになり、現実に修行して実際に仏様としての教えを説かれたのは釈尊であります。
その釈尊の教えのなかにおいて、他の仏様とはどういう関係があるかということをはっきりしてこないと、結局、本当の仏様の仏様たる所以が解らず、仏様に迷うことになる。

例えば、南無阿弥陀仏という宗旨がある。
大聖人様の教えからは、末法において念仏は無間地獄であるということにきちんと判釈されておりますが、これも結局、仏様と仏様との関係の元が解らないから、そういう誤りが横行しておるのです。

 右に掲げた御文では、その統一的観点から、きちんと四つの筋道に括って、因行に対する果位としての仏様の在り方をお示しであります。
 では、御文の初めから拝してまいります。

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果位を以て之を論ずれば教主釈尊は始成正覚の仏、四十余年の間四教の色身を示現(じげん)し、爾前・迹門・涅槃経等を演説して一切衆生を利益したまふ。

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 まず「果位を以て之を論ずれば」とある「果位」とは、仏様の場合、因の修行をすることによって悟りを開き、仏様の位という偉大な結果を得たということが果位です。
果という意味は、仏教における仏様の智徳と断徳、つまり広大な智慧と迷いの元である煩悩を断じて二徳を得たという意味であります。

 その果位の仏とは「教主釈尊は始成正覚の仏」と仰せられる。
二千数百年前にインドに出現して教えを説かれた釈尊は始成正覚の仏であると、まずここにきちんとお示しになっていらっしゃるのです。
これがまた、大聖人様の教えの正しい筋道・筋目のところであります。

 釈尊が仏様に成ったのは三十歳の時ですけれども、法華経の寿量品はすぐお説きになったのではない。
七十二歳にして法華経を説かれ、それからさらに約四年ののちに寿量品を説かれました。
だから七十六歳になります。
その時までの四十余年乃至、五十年の説法はどういう資格と立場でお説きになっておるかといえば、全部これは始成正覚であるということを、ここにはっきりお示しなのです。

 他宗では、このけじめがきちっとしていないから、法門がめちゃめちゃになってしまうのです。
例えば、華厳経の教主が一代仏教の中心だと言う華厳宗、阿弥陀仏が十劫前の仏様だから釈尊よりも勝れているなどと言う念仏宗、あるいは大日如来は法身仏だから応身の釈尊よりもっと勝れていると言って釈尊を無視する真言宗等があります。

けれども、正しいけじめからいくならば、これら諸仏が説かれているのは全部、釈尊のお説きになった教えであり、さらに言えば、四十余年間の始成正覚のなかの説法なのです。
これは筋目から見てきちんとしておりますが、ただそのなかの大乗の教えについては、法身仏等が衆生の機根に応じて現れ、法を説かれる姿がありますから、元々は釈尊の説法の内容であるにかかわらず、それら諸仏と釈尊との関係がはっきりしていないように誤解することにより色々と迷う仏教家があって、その結果、仏様という大事なお方における認識の中心が全部、誤っておるのです。
すなわち一切の諸仏の存在は、始成正覚の仏がその中心なのです。

 その始成正覚ということは、この土に初めて生まれ、十九歳で出家して修行され、三十歳で伽耶(がや)城菩提樹下において悟りを開いたという、これが始めて正覚を成ずるという意味であります。
つまり寿量品の説法を除いて、釈尊の御化導は一切が、この裟婆世界に出現して始めて仏に成ったという立場であり、故に始成正覚の仏なのであります。

 そして、この仏が四十余年の間「四教の色身を示現し」たのであり、このなかで衆生の機根に応じてあらゆる諸仏が示現されたのである。
先程、四つの立場に括ってあると言ったのは、この四教のことであります。
一代仏教においては、この四教のなかに、その教主と教理が全部、機根に対する適切な化導の形で顕れております。

 この四教とは、蔵・通・別・円という四つの教えであります。
その蔵教・通教・別教・円教という四教は、釈尊の一代五時の説教である華厳部、阿含部、方等部、般若部、法華・涅槃部と大きく分けたとき、この経々について全部乃至、一部が含まれているところの法の内容を意味するのです。

 つまり薬で言いますと、薬のなかに入っている色々な薬味に当たります。
あれとこれと、何種類もの薬を混ぜて、この病人に与えると病気が治る−その場合の薬の調合の度合いを薬方と言い、これは頓・漸・秘密・不定という化儀の四教であり、その内容になるのが薬味で、蔵・通・別・円の化法の四教です。
つまり、この薬味を、仏様は蔵・通・別・円の四つに括っておられるのです。

 蔵教とは、空仮中が円融する絶対の真理より空の一面だけを撰び出し、それだけを真理として立てる教えであり、因縁によって生滅する万物を分析して空に到達せしめる教えです。

 次の通教は、やはり空を説きますが、それが仮と中に通ずる、広く深い意味を含みます。
したがって万物の当体は幻の如しとして、そのまま空と観ずるのであります。
別教は空と仮の対立を高めて中の真理を強調し、空仮二辺より別個に抜き出て勝れたものとして教えを立てます。

 すなわち、まず空だけでなく、実際に宇宙法界に存する因縁の法理というものの上から事物が存在しておることを示される。
これは、けっして実際に永久に存在するものではないけれども、因縁によって存在しておるという意味からの、仮りに物が存在するという意味なのです。
これを仮諦と言いまして、空諦のみでなく、仮諦の真理がある。
さらに、その仮諦のみでなく、仮にもあらず、空にもあらず、中道という真理が存するというようなところを深く入っていくのが別教です。

 しかし、これはまだ仏の真実の悟りではなく、中がそのまま仮であり空であることを説くのが、真実円満な真理を説く円教なのです。
そこに宇宙法界の、有にして無、無にして有−そのなかからあらゆるものが顕れてきて、そこに一切が具わってもおるし、また、それがそのまま空でもある。
一切はことごとく円く融じている即空即仮即中という法門をそのまま説いたのが円教です。
逆に言えば、この円教のうちから空を取り出したのが蔵通二教であり、中を取り出したのが別教です。
「四教」という内容はそこにあります。

 だから、仏教というものは非常に広く深いけれども、これをきちんと捌(さば)いて示してくださった方が中国に出現された天台大師という方でありまして、法華経を中心とした一代仏教を、正しい鏡に懸けて示されました。
いわゆる、そこには四教という形があるということです。

 そこで「四教の色身」ということは、四教を説くにおいて、その仏様がみんな違うのです。
つまり程度の低い教えを説く時は、程度の低い仏様の形が現れる。
それから程度の高い仏様は、ずっと勝れた仏様と現れるという意味があります。
いわゆる三蔵教は劣応身、通教は勝応身、別教は報身、円教は法身であり、この仏の身を示されるのが「四教の色身を示現し」ということであります。

 次に「爾前・迹門・涅槃経等を演説して」と言われるのは、それらの仏身を示して、たくさんの教えを説かれた。
したがって、阿弥陀仏も、華厳の盧舎那仏も、真言の大日如来も、各宗の劣応・勝応の仏身も、始成正覚の釈尊の説より出た釈尊の化身なのです。

 爾前経というのは、四十余年間の教えが全部爾前経ですから、先程言った華厳経、阿含経、方等部という多くの経典、それから般若部には大品般若、金剛般若、光讃般若、そのほか多くの般若部の経典がありますが、そういうお経が説かれたのちに法華経を説かれ、さらに一番最後に説かれたのが涅槃経であります。
そして、それらの経々を演説されて一切衆生を利益されたのである。

 このように、まず第一に、仏果としての仏様とはこういう方だということを概略、ここに掲げられたのであります。
これを「標」と言います。
標・釈・結という意味の標です。
つまり、しるしとして掲げるという意味が、ただいままでの御文のところであり、その次が「釈」と言って、以上挙げたことの解釈、すなわち説明であります。

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所謂(いわゆる)華蔵の時、十方台上の盧舎那(るしゃな)、阿含経の三十四心、断結成道(だんけつじょうどう)の仏、
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 この 「華蔵の時、十方台上の慮舎那」というのは、華厳経という経典を一番最初に釈尊が説かれておりますから、まず最初に示されておるのです。

 その華厳経による華厳宗というのは、日本の国にもずいぶん昔から伝わってきておるが、その前に、中国において華厳宗が盛んに弘まったことがある。
法蔵、澄観という人達が華厳経を説いたのですが、この人達は、華厳が一代仏教のうちで一番勝れていると主張したのであります。

 華厳経では、この時に盧舎那仏という仏様が現れたと言います。
一番元にこの盧舎那仏という仏が釈尊の出現と同時に出現しておられて、すなわち釈迦仏、盧舎那仏(報身)、毘盧舎那仏(法身)は、一大法身の一仏と見て法を説かれたと考えます。
その盧舎那仏という仏は、宇宙法界が蓮華の形をなしており、その宇宙法界たる蓮華の上に座っておる仏様というので、宇宙大の仏様ということになっておる、大きな仏様なのです。
それを象徴して造ったのが奈良の大仏であり、だからあのように大きく造ってあるわけです。

 その華厳経の教主が盧舎那仏でありますが、実際の盧舎那仏はその周りに蓮華が千葉あって、その千葉の蓮華の葉の上に千仏の釈尊がおられる。
それから、その葉のなかにおいて百億の釈尊がおられる。
だから全部で千百億という実にたくさんの釈尊がおり、その中心が盧舎那仏ということになっております。
その盧舎那仏は過去の因行によって報われて得たところの報身という仏様、つまり大乗の別数あるいは円教という教えを修行することにより、その修行の因によって結果を得る、その功徳に報われてそのような大きな身を得た仏様ということが華厳経に説かれてあり、その仏様が、天台の四教の判釈では他受用報身(※仏が他に法楽、利益を受用させる報身のこと)という別教の仏であります。

 ただし、前にも述べたように、これは釈尊の説法による化現であり、釈尊が元であります。
それを、実際に盧舎那仏が本で釈尊が末でありながら一体とも言い、寿量の仏身を認めず背くところに、四教および法華真実の仏身に迷う華厳宗の本末顛倒の見解があるのであります。

 次が「阿含経の三十四心、断結成道の仏」−小乗三蔵教、つまり蔵教の空理を悟った仏様が「三十四心、断結成道の仏」であります。

 前の因のところでも、これと同じ意義の「三?・百劫」というような言葉が出てきました。
以下、三?・百劫より三十四心断結に至る説明が重複しますので、このところは省略いたします。

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方等・般若の千仏等、大日・金剛頂等の千二百余尊、並びに迹門宝塔品の四土色身(しどしきしん)、

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 次に「方等・般若の千仏等」という「方等」とは方等部の経典、特に大集経の序品等において釈尊が法を説かれた時に諸仏が雲集してきたということが示されておりますが、これは諸仏の功徳、釈尊の徳を顕す意味であります。

 それから「般若の千仏」というのも、般若経の無作実相品という品において千仏が示現したことが説かれておりますが、同じく般若、すなわち深い智慧を釈尊と共に説いたということで、大乗の深理を顕すのであります。

 その次に「大日・金剛頂等の千二百余尊」とありますが、大日経、金剛頂経等の密教の経典、いわゆる真言の教えのなかで漫荼羅というものがあります。
そのうち、大日経の場合は胎蔵界漫荼羅、金剛頂経の場合は金剛界漫荼羅という、二つの漫荼羅があるのです。

 これは、理と智の二つを示すということであり、一切万物の法性、つまり、その一切の事々物々のなかにも遍く具わっておるところの真理の体として悟りの因子がそこにあることを説き、そういう理の意味から漫荼羅を示し、諸仏の悟りを示すのが胎蔵界漫荼羅のほうであります。

 それから、仏様の智慧というもの−金剛頂経の「金剛」というのは金剛石、いわゆるダイヤモンドのことですが、あれは硬いものです。
あれより硬いものは今、ないと言われます。
あの金剛石で色々な物を切ったり、加工したりします。
そのように一番硬いものが、あらゆる煩悩を切っていくという意味での仏の智慧を顕す。
その仏の智慧が衆生に蘊在(うんざい)しており、その仏の智慧によって衆生がまた、迷妄を打ち破って悟りを開くという、智の意味から色々な漫荼羅を示してくるのが金剛界漫荼羅です。
そういった真言の宗旨における形があるのです。

 その漫荼羅のなかに、たくさんの諸仏があります。
大聖人様の場合、千二百余、つまり胎蔵と金剛で五百と七百と言われていますが、今の資料ではちょっとまた違います。
もっとも、この密教の教えというのはたくさんあるのです。
たくさんの経典が渡ってきていますから、大聖人様はそのなかの一つのものを御覧あそばされたと考えられます。
所詮、これも方等部の経典のなかで、方便として始成正覚の釈尊がこういう大日経の意義を説き、金剛頂経の諸尊の種子を説いたのであると見るべきであります。

 次が「迹門宝塔品の四土色身」−これは普通、法華経の前十四品を迹門と言い、のちの十四品を本門と言うので、宝塔品は迹門流通分に属します。
つまり、法師品・宝塔品・提婆品・勧持品・安楽行品の五品が迹門の流通分になるわけです。

 その前の迹門の正宗の八品というのは、方便品から始まって、譬喩品・信解品・薬草喩品・授記品・化城喩品・五百弟子受記品・授学無学人記品までで、その流通分が法師品以下です。
その第二番目が宝塔品であります。

 さて、この宝塔品においては、まず品の初めに空中に宝塔が架かるのであります。そして、その宝塔の中から、

  「善哉(ぜんざい)善哉、釈迦牟尼世尊、能く平等大慧・教菩薩法・仏所護念の妙法華経を以て、大衆の為に説きたもう。是の如し、是の如し。釈迦牟尼世尊、所説の如きは、皆是れ真実なり」 (法華経三三六)

という音声が出される。
これは宝塔の中の多宝如来という仏様が出された音声であります。

 それで一切大衆がたいへん驚きました。
見たこともない宝塔が突然、虚空に架かって、その中から音声が聞こえてきた。
そこで、それを仏様に問い奉ったところが、釈尊が答えて仰せられるには、過去無央数(※=阿僧祇。無量または無数を意味する。)劫の昔に多宝如来という仏様がおいでになって、その仏様が深重の誓願をなされた。
それは、真実の法は法華経である。
したがって、もし自分の滅後、あらゆる所に仏が出現し、諸仏第一の本懐たる法華経を説かれる時には、自分は必ずそこに宝塔をもって涌現して、その仏が法華経を説く真実の証明をなさんという誓願である。
つまり今、我れ釈尊の説く法華経は本当に勝れておる教えであるということの証明をなさる誓願によって出現されたのである、という返事をなさいました。

 釈尊のお弟子達はそれを聞いて、なんとかして宝塔の扉が開かれ、その多宝如来のお姿を拝見したいという願いを起こします。
しかるに、この多宝如来の誓願においては、法華経を説く仏様、すなわちインドの場合は釈迦牟尼仏ですが、その釈迦牟尼仏が十方のあらゆる所に存在する分身仏を全部、釈尊の周りに集めて初めて、自分の全身の舎利を顕す−その宝塔を開くという誓願があるのです。
だから、そう簡単に開けないということを言われます。
そこで、その大衆はさらに釈尊にお願いし、ぜひ分身を集めていただいて、そしてこの宝塔が開かれ、多宝如来のお姿を我々は拝したいということをお願いするのです。

 そこで初めて、釈尊に召集されて分身の諸仏が出現してまいります。
つまり、前に釈尊は始成正覚の仏と言いました。
右冒頭に掲げた御文のなかにも「始成正覚の仏」ということを、大聖人様がはっきりとおっしゃっております。
その始成正覚の仏という意味は、それまで釈尊の分身は一仏も出てきていないし、また存在しないのです。

 では先程、大日経・金剛頂経の千二百余尊、あるいは方等・般若の千仏等の仏の出現のあることが示されましたが、この仏様は何かといえば、他の四方八方の国土の仏様が釈尊の教えを聞いて喜んで集まってこられたのであり、この時期においてはまだ、始成正覚の釈尊の分身として現れてはいないのです。

 したがって、法華経を説かれるまでの釈尊は、十九歳で出家し、三十歳で成通した始成正覚という仏様で、分身という仏のない仏様だったわけです。
あちらこちらに仏様がおられたけれども、爾前迹門の仏様は釈尊によって仏様に成ったのではないから、釈尊と直接の関係がない仏様と言われ、思われていたのです。

 ただし、これは寿量品が説かれるまでの話です。
寿量品が説かれて初めて、それらの仏様も全部、釈尊の分身であるということが解るわけなのです。
そこに寿量品の大事な所以がある。

 その寿量品を説かれるための遠序という意味から、この宝塔品が存在するわけです。
宝塔品において多宝如来が出現し、その誓願ということから、釈尊が自身の十方に分身しておるところの諸仏を集めるということは、これは寿量品を開顕するための準備であり、そのための宝塔品なのです。
そういう意味で、始成正覚の仏格である迹門のうちは、まだいるはずのない釈尊の分身の諸仏が、宝塔品で集められたということであります。

2022.7.9

 さて、それらの分身の諸仏を集めるに当たっては、山や谷、色々な荊棘(けいきょく・茨などがはえた荒れ地。)や岩場がたくさんあると、仏様を集めることができない。
そこで、四百万億那由他阿僧祇の国土を全部、平らかにされたのであります。
それが法華経宝塔品の初変、二変、三変と言いまして、三回、土田を変じたということです。

 その土田というのは、土や田んぼ、いわゆる荊棘や山や谷、あるいはぬかるみなどがあるのを平らかにしたという意味で、ひとたび土田を変じ、それでもまだ仏様を全部集めることができないので、再び八方にさらに二百万億那由他の国を変じて清浄にした。
それでもまだ、たくさんの分身の諸仏が各方にいらっしゃるために三たび土田を変じ、八方に各々二百万億那由他の国を変じて清浄ならしめ、平らかにしたということが、宝塔品の「三変土田の変革」ということであります。
それによって十方分身の諸仏を集めたのですが、その無量無辺の仏様が全部、釈尊の分身なのだということを顕されたのです。
釈尊が身を分けた仏様−ここに初めて、釈尊がたいへん偉く勝れた、格の高い仏様であることを、この宝塔品で顕されたのであります。

 さて、御文の 「迹門宝塔品の四土色身」というのは、この三変土田の変革についてこれを天台が解釈いたしまして、「四土」というのは、最初は凡聖同居土という、凡人も聖人もみんな一つの所にいる穢土だったけれども、それが第一変の土田を変ずることによって−これはその所表として法門の上からの意義で解釈したわけですが、方便有余土という国土になった。
そして第二変が実報無障礙土、最後の第三変が常寂光土という国土に変じたとしております。

 まず、初めの凡聖同居土の仏様は、先程の 「三十四心、断結成道の仏」という丈六(一丈六尺(約四・八五メートル)」の略。仏像の標準的な高さとされる。)劣応身の小乗の仏様です。
次に方便有余土の仏様は、報身にも通じている勝応身という仏様のお姿を顕してある。
これは七里の相好というのですから、丈六よりずっと大きい仏です。

 それから、第二変において実報無障礙土になった場合には、華厳経の盧舎那報身仏という大きな身の仏様が出現された意味がある。
そして最後の第三変は、常寂光土における円教の法身仏という仏様になる。
そういう意味での仏様が全部、釈尊の分身であるということを示されたのであります。

 ただし、のちの本門寿量の意をもって見れば、迹門の仏は自受用報身(「ほしいままに受け用いる身」のこと。覚知した法の功徳を自ら受け自在に用いる仏の身をいう。)が欠ける故に応即法身の仏となります。
それはともかく、この宝塔品の意義はたいへん深いのです。
すなわち、一代仏教の仏身はすべて純円の法華経が元であり、そこから方便の各経々に分々に種々の姿を示し、方便の仏身の形を現された意義が存するからであります。

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涅槃経の或は丈六(じょうろく)と見る、或は小身大身と現じ、或は盧舎那と見る、或は身虚空(こくう)に同じと見る。四種の身、乃至、八十御入滅には舎利(しゃり)を留(とど)めて正像末を利益したまふ。

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 次に「涅槃経の或は丈六と見る、或は小身大身と現じ、或は盧舎那と見る、或は身虚空に同じと見る」とありますが、涅槃経には「追説・追泯」という意味があります。
追説とは先に法華の会座で廃せられた方便の四教を再び取り出して説くことで、迫泯とは既に法華経に説いてある仏性の常住の理を再び説いて四教の差別を脱し、一実に帰するを言います。
つまり、今までの華厳、阿含、方等、般若、法華経までに説かれたあらゆる教えを、ことごとくもう一遍、その意義を説いたのです。
これは、いよいよ釈尊が亡くなる時の御説法ですから、未来の衆生のためにといって、扶律談常(※戒律を扶(たす)け仏性の常住をあらわす)という意味からも戒律を再び説き、さらに円教の意義であるところの法身常住の義を再び説かれたのであります。

 したがって、そこには先程言った蔵・通・別・円という四教の、程度の低いところから高いところまでの教えの全部が混じてあるのです。
法華経はどうかというと、純円一実と言う如く、真実の円の意義以外の方便は全くないのです。
蔵も通も別も、そういう方便は一切ない。
純円の教といって、仏様の深いお悟りのところからだけ説かれておるのが法華経の内容です。

 それに対して、涅槃経はもう一遍、方便も含めて、つまり戒律を説いたり色々なことをもって、小乗・大乗、権教・実教を混じて説いたのであります。
ですから、涅槃経はもう一遍、方便も含めて、つまり戒律を説いたり色々なことをもって、小乗・大乗、権教・実教を混じて説いたのであります。
ですから、そこに見る人の機根にしたがって釈尊の身体も四つに顕れたということです。
 つまり、蔵教の機根の人は、釈尊のお姿を見て丈六の小乗の仏様だと思い、通教の人は、もうちょっと高い、大乗に通ずる意味がありますから、小身であってまた大身の尊徳身、あるいは盧舎那身と見ることがあるのです。
それから別教の人は盧舎那報身と見、円教の人は身、虚空に同じところの相好を持った法身仏として見るということで、これが四教によるところの「四種の身」であるという次第であります。

 故に、釈尊はそのように色々に一代の化導をなさっておるのですから、法華経を忘れ、法華経以外の経典における、大日如来とか盧舎那報身という仏が釈尊の本地であるという真言宗・華厳宗等の主張は大変な誤りであります。

 そして、釈尊は「八十御入滅には舎利を留めて正像末を利益したまふ」のである。この「舎利」というのは骨ということであります。
日本の国にも、あちらこちらに仏舎利塔というのが建っています。
釈尊のお骨がそんなにたくさんあるわけがなく、おそらく釈尊の縁故のある場所から石か何かを持ってきて、仏舎利ということにして祭ってあると思うのです。

 けれども、たしかに徳の高いお方のお骨を安置して供養すれば、それによって功徳を得るということは経典にも説かれてある。
しかし、法門は所対によるべきである。
「砕身の舎利」と言いまして、仏様が入滅され、その死体を焼くとお骨になります。それが砕身の舎利です。
ですから、釈尊の場合も焼いて、そういうたくさんのお骨のなかの小さな一片をあちらこちらに持っていって、安置してあるということですが、大乗の教えから言えば、その砕身の舎利の功徳は小さく、「法身の舎利」が大事なのです。
なぜかというと、仏様はその肉身よりも、仏様のお悟りになったところの法の内容がより勝れておることを仰せられており、そこに尊い功徳利益があるのです。
法華経や諸大乗経、特に法師品にそのことが明らかに説かれています。
すなわち、
  「経巻所住の処には、皆応に七宝の塔を起てて、極めて高広厳飾ならしむべし。復舎利を安んずることを須いず。所以は何ん。此の中には、已に如来の全身有(いま)す」 (法華経三二六)
とあり、明らかに砕身の舎利を安置することを禁じ、涅槃経にも同様の趣旨が説かれています。
特に天台大師の『法華三昧』には、
 「形像舎利並びに余の経典を安んずべからず。唯法華経一部を置け」
                           (御書一二七四)
と厳しく指摘してあります。

 したがって、この法華経は、その仏様の真実の教えが法身の舎利として示されており、我々がそのお経を読むことによって、あるいはそのお経の意義を深く考えることによって、実に深い功徳を得るのであります。

 例えば、わずか二句ですが、自我偈に、
  「一心欲見仏 不自惜身命」 (法華経四三九)
という御文があります。
この御文を深く拝して、我々がその境界においてお題目を唱えたときに、この功徳たるや、計り知れないものがあるのです。

 身命を惜しむから煩悩が起こり、色々な意味の悩みが捨てきれない。
身命を捨てて御本尊に尽くすのだという境界でお題目を唱えれば、いかなる悩みも消滅する。
だから、この 「一心欲見仏 不自惜身命」というわずかな御文が、法身の舎利の意義において、どれほど尊いものであるかという意義があります。

 次の「舎利を留めて」という御文も、お骨を拝めばよいということではなく、仏様の本当の御精神は法華経に残されてある。
正像末の三時の上から拝すれば、正法千年の時代は砕身の舎利で利益がありましたが、像法千年は権実双用(そうゆう)時代ながら、結局は法華の経文としての法身の舎利により、また末法は法華経本門の要法付嘱の上からの内証の寿量品が、真の法身の舎利として大利益を生ずる時代です。
そこに
「舎利を留めて正像末を利益したまふ」 の本義があるのです。

 これを要法付嘱を受けられた地涌の立場から言えば、内証の寿量品の所詮の妙法五字は上行菩薩の所持であります。
故に大聖人様は、
  「此の妙法蓮華経は釈尊の妙法には非ず。既に此の品の時上行菩薩に付嘱し玉ふ故なり」 (御善一七八三)
と仰せであります。
すなわち、釈尊が付嘱し、手渡されたのですから、あとは地涌の菩薩が所持されるのであり、それが妙法蓮華経の当体である。
ここに法身の舎利の根本的意義が存するのであります。
それが末法に上行菩薩が大聖人として御出現あそばされ、法華経の身読の結果、その法華経の正しい意義を実証あそばされて、本門三大秘法を建立されました。

 我々がこの三大秘法の御本尊を根本の大法として南無妙法蓮華経と唱え奉るところに、一切の功徳を成就し、また未来永劫にわたるところの成仏の道が開かれておるのであります。

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本門を以て之を疑はヾ、教主釈尊は五百塵点已前(いぜん)の仏なり、因位も又是くの如し。其(そ)れより已来(このかた)十方世界に分身し、一代聖教を演説して塵数(じんじゅ)の衆生を教化(きょうけ)したまふ。本門の所化を以て迹門の所化に比校(ひきょう)すれば、一(いってい)と大海と一塵(いちじん)と大山となり。本門の一菩薩を迹門の十方世界の文殊・観音等に対向(たいこう)すれば、猴猿(こうえん)を以て帝釈に比するに尚(なお)及ばず。其の外十方世界の断惑証果(だんなくしょうか)の二乗並びに梵天・帝釈・日月・四天・四輪王、乃至無間大城の大火炎等、此等は皆我が一念の十界か、己心の三千か、仏説たりと雖(いえど)も之(これ)を信ずべからず。
 此を以て之を思ふに、爾前の諸経は実事なり実語なり。華厳経に云はく「究竟(くきょう)して虚妄(こもう)を離れ染(ぜん)無(な)きこと虚空(こくう)の如し」と。仁王経に云はく「源を窮(きわ)め性(しょう)を尽くして妙智存せり」と。金剛般若経に云はく「清浄(しょうじょう)の善のみ有り」と。馬鳴(めみょう)菩薩の起信(きしん)論に云はく「如来蔵の中に清浄の功徳のみ有り」と。天親菩薩の唯識(ゆいしき)論に云はく「謂はく、余の有漏(うろ)と劣の無漏(むろ)と種は、金剛喩定(こんごうゆじょう)が現在前(げんざいぜん)する時、極円明(ごくえんみょう)の純浄(じゅんじょう)の本識を引く。彼の依(え)に非(あら)ざるが故に皆永く棄捨(きしゃ)す」等云云。爾前の経々と法華経と之を校量(きょうりょう)するに彼の経々は無数なり時説既(すで)に長し、一仏の二言ならば彼に付くべし。馬鳴菩薩は付法蔵の第十一、仏記に之有り。天親は千部の論師、四依(しえ)の大士なり。天台大師は辺鄙(へんぴ)の小僧にして一論をも宣べず、誰か之を信ぜん。其の上多を捨て小に付くとも法華経の文分明ならば少し恃怙(じこ)有らんも、法華経の文に何(いず)れの所にか十界互具・百界千如・一念三千の分明なる証文之(これ)有りや。随って経文を開拓するに「諸法の中の悪を断じたまへり」等云云。天親(てんじん)菩薩の法華論にも、堅慧(けんね)菩薩の宝性(ほうしょう)論にも十界互具之(これ)無く、漢土南北の諸大人師・日本七寺の末師の中にも此の義無し。但天台一人の僻見(びゃっけん)なり、伝教一人の謬伝(みょうでん)なり。故に清涼(しょうりょう)国師の云はく「天台の謬(あやま)りなり」と。慧苑(えおん)法師の云はく「然るに天台は小乗を呼んで三蔵教と為(な)し其の名謬濫(みょうらん)するを以て」等云云。了洪(りょうこう)が云はく「天台独(ひと)り未(いま)だ華厳の意を尽くさず」等云云。得一(とくいち)が云はく「咄(つたな)いかな智公、汝は是(これ)誰が弟子ぞ。三寸に足らざる舌根(ぜっこん)を以て覆面舌(ふくめんぜつ)の所説の教時を謗ず」等云云。弘法大師の云はく「震旦(しんだん)の人師等諍(あらそ)って醍醐(だいご)を盗んで各(おのおの)自宗に名づく」等云云。夫(それ)一念三千の法門は一代の権実に名目(みょうもく)を削(けず)り、四依の諸論師其の義を載(の)せず、漢土日域(にちいき)の人師も之を用ひず。如何(いかん)が之を信ぜん。
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 右に挙げた御文は、内容が「教主」と「経論」の二段に分かれ、二十九行あって、前より長い御文であります。

 この前の説明ずみの御文は「まさしく受持に約して親心を明かす」について、受持に関係ある凡夫の己心に仏を具すや否やの件につき、教主に関して問いを構えるに当たり、別して権・迹・本の三仏のうち、まず権教と迹門の教主の因果を挙げ、この教主が凡夫の己心にありやとの問いでありました。

 このたびのところは「本門の教主の因果」について挙げ、この仏が凡夫の己心にありやとの問いの部分です。
これは文の初めの「本門を以て之を疑はゞ」より「仏説たりと雖も之を信ずべからず」まで、七行ほどの文です。

 次の「此を以て之を思ふに」以下、終わりまでの約二十二行は、今までが教主についての問いであったのに対し、今度は「経論」の内容についての問いを構え、十界互具一念三千が信じられない諸々の理由を挙げ、抗弁する内容であります。

 さて、十界互具一念三千という法門は非常に大事であり、この原理と、その仏様の御指南による化導の姿があって初めて、我々は本当の幸せを開くことができるのであります。
いわゆる即身成仏という大きな功徳を得られるのです。

 もし、この一念三千が本当に法義と化儀の上に確立しておらなければ、いくら仏法を修行しても無駄な意味がある。
したがって、これからの世の中の人々を正しく導き、幸せを得させるためにも大事な問題です。
そういう点からは、この御文はまことに難しいけれども、現在以降、五濁乱漫の、様々な破壊と恐怖のなかにさらされつつあるこの地球上において、いかに人類が本当の幸せを得るかという問題は、一にこの問題にかかっておると言えるのであります。

 そこで、この一念三千ということについて、大聖人様が『観心本尊抄』 においてその出処をまず初めに示され、さらに現在において、それを実際に見ることが可能であるという観点から、強いて十界互具をお説きあそばされ、さらに一歩進んで、それでは十界互具一念三千を、我々はどのように拝し、その功徳を得ることができるかという、仏法上の大事な修行の問題に入ってくるのが「まさしく受持に約して観心を明かす」ところであります。

 さて、その凡夫の己心に仏ありや否やの元として、仏とはいかなる方かについて問いを構え、その問いにおいて、まず釈尊の爾前経、それから迹門等について、勝れた因行によって悉達太子が三十成道の釈迦牟尼仏という仏様と成られたこと、また方便品等の法華経の迹門を説かれた釈尊の因行と果徳は実に広大で、衆生を長く利益されたこと等を述べられて、この仏がはたして己心に具するやとの疑いにあてがわれておるのが、前の文のところでありました。

 次に、右の文より本門の教主たる仏を挙げられて比況され、やはり本門の仏もその久遠よりの化導が爾前迹門に勝れるのみならず、その所化についても大きな違いがあるので、これが我ら如き己心にあるということは全く信じ難いと、教主についての最後の反論が挙げられます。
そのあと、今度は経論の上から一念三千に対する強い質問を構えて、凡夫の己心に仏界を具すことがはたして本当にありうるか、今までの多くの仏教家の言っておるところ、あるいは釈尊の説かれた教えでは言われていないというところから、一念三千の法門を正しく教え示した天台大師を誤りの人師として謗っておる諸文献が示されます。

 そこでまず、その本門の仏を挙げ給うところから拝説する次第であります。
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本門を以て之を疑はヾ、教主釈尊は五百塵点已前(いぜん)の仏なり、因位も又是くの如し。其(そ)れより已来(このかた)十方世界に分身し、一代聖教を演説して塵数(じんじゅ)の衆生を教化(きょうけ)したまふ。
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さて「本門を以て之を疑はゞ」とある「之を疑はゞ」というのは、何を疑うのかということですが、これは我々の如き何も解らない、貧・瞋・癡といって、貪りと瞋りと愚癡のなかで生活しておるような我々の命のなかに、はたして本当に本門の仏様の境界が存するのかという問題です。
そのような本門の仏様が我々の境界に具わるということが、はたして考えられるであろうか、という疑いの意味であります。

 それで、本門の仏を拝すれば「教主釈尊は五百塵点已前の仏」と言われます。
この五百塵点ということは、寿量品に、
 
「五百千万億那由他阿僧祇の三千大千世界を、仮使人有って、抹して微塵と為して、東方五百千万億那由他阿僧祇の国を過ぎて、乃ち一塵を下す」・・
                          (法華経四二九)
とあるとおり、五百千万億那由他阿僧祇の三千大千世界を抹して微塵とする数は無数であり、数えることができない。
さらに東方へ行き、五百千万億那由他阿僧祇の国を過ぎて一塵を下し、また東方五百千万億那由他阿僧祇の国を過ぎて一塵を下す。
この経過した国土の数も数えることができない。
それのまた全部を抹して微塵となして、一塵を一劫とする。
その劫の長さというのは、全く数えることのできないほどの長い時間であるが、この上、さらに「復過於此(ぶかおし)」 いわゆる、

  「我成仏してより已来(このかた)、復此に過ぎたること、百千万億那由他阿僧祇劫なり」
                               (同四三一「)
と言われております。
つまり、五百塵点というのは無量だけれども、さらにそれに過ぎたること百千万億那由他阿僧祇劫であると言われるので、ここに「教主釈尊は五百塵点已前の仏なり」と示されてあるのです。

 そして「因位も又是くの如し」というのは、仏様がその功徳を得られたことには必ず原因があります。
キリスト教のように原因がなくて、初めから神様があったなどというような因果の理法に反することは、仏教ではありません。
因果の法則により、必ず原因があって結果があるのです。
だから、仏様というどんなに勝れた果徳があっても、その原因があり、その原因が因行であります。

 それを寿量品では、

 「我本行菩薩道。所成寿命。今猶未尽。復借上数(我本菩薩の道を行じて、成ぜし所の寿命、今猶未だ尽きず。復上の数に倍せり)」 (同四三三)
という十八字の御文で示されております。
これにはまた重々の深い意味がありますが、その因位によって成じたところの寿命もまた、それ以上に長いと言われるのです。

 次の「其れより已来十方世界に分身し、一代聖教を演説して塵数の衆生を教化したまふ」という御文は、寿量品の仏様が衆生を導いてこられた化導の用きは実に広く大きいということが、明らかに拝せられるのであります。

 右文の 「分身」というのは身を分けることであります。
釈尊一仏がさらに身を色々に分けて、あらゆる人の命のなかに入ってその精神を伝え、その人がまた、その仏様の精神を伝えていくという意味です。
だから、この分身には重々無尽の意義があります。

 大聖人正系門下の人々が本当に真剣に信心をし、本因下種のお題目を唱え、決定して信心の功徳を説くときには、その人の命のなかに大聖人様がそのままおわしますわけですから、したがって、そこに大聖人様の分身の意義があるわけです。
そういうことも含めて考えてみると、実に分身とは大事な、また重要な意味を持っております。

 釈尊は久遠以来、十方世界に分身し、それらの仏様が出現せられると常に「一代聖教を演説して塵数の衆生を教化したまふ」 のである、つまり塵の数の如き多くの衆生を教化されておると説かれるのです。

 この教化の姿は 「形声(ぎょうしょう)の二益」といって、仏身の形を顕されることと、それから声で色々と教えを説かれ、衆生を利益されるということであり、その衆生の病に応じて種々に法を説き、そして最後に真実の教えをもって永遠の幸せ、成仏の道を開かしめられることであります。

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本門の所化を以て迹門の所化に比校(ひきょう)すれば、一(いってい)と大海と一塵(いちじん)と大山となり。本門の一菩薩を迹門の十方世界の文殊・観音等に対向(たいこう)すれば、猴猿(こうえん)を以て帝釈に比するに尚(なお)及ばず。

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次の「本門の所化を以て迹門の所化に比校すれば、一「?+帝」(てい)と大海と一塵と大山となり」ということは、まずここに所化の数を示されるのです。
「所化」というのは「化すところ」と書きます。
すなわち、煩悩に執われ根性の曲がった人間が、仏様の勝れた、また不可思議な教えを受けて、その人間が善く変わっていくことです。
悪いものが善く変わるのが、いわゆる化される姿です。

 この「本門の所化」というのは、数が非常に多い。
すなわち、法華経の寿量品の前に涌出品第十五という品があり、そこで地涌の菩薩が出現されておる。
その地涌の菩薩は全部、久遠以来の釈尊の教化による本門の所化であると示されております。

 すなわち、涌出品において、

  「或は大菩薩の 六万恒沙を将(ひき)いたる有り 是の如き諸の大衆 一心に仏道を求む 是の諸の大師等 六万恒河沙あり 倶に来って仏を供養し 及び是の経
を護持す 五万恒沙を将いたる 其の数是に過ぎたり 四万及び三万 二万より一万に至り 一千一百等 乃至一恒沙 半及び三四分 億万分の一 千万那由他 万億の諸の弟子 乃ち半億に至る 其の数復上に過ぎたり 百万より一万に至り 一千及び一百 五十と一十と 乃至三二一 単己にして脊属無く 独処を楽う者 倶に仏所に来至せる 其の数転(うたた)上に過ぎたり」(法華経四一四)

と、地涌の数が述べられてあります。
ここをよく見ますと、六万恒河沙を率いている上首が一番上位のために、たくさんの眷属を率いておられる。
それからあと、五万恒河沙が六万に超える数であり、四万、三万とだんだん減っていって、最後は十人、三人、二人、一人となる。
その数がまた上に過ぎるというのですから、率いる眷属の数が少なくなるほど今度は逆に、その個々の菩薩の人数は増えてくる。
そのように涌出品に説かれております。

 そういうところから数を勘定してみると、六万恒河沙全体の数というものは実に広大無辺であって、算数(さんじゅ)譬喩も及ぶ能わざるところとなります。
それをここにお書きになってあるわけで、本門の所化は迹門の所化に比校すれば「一「?+帝」(てい)と大海」の如きである。
つまり、仏様の迹門身において化導された弟子は一つの?+帝」(しずく)のようなものであり、それに対して大海のようなものが、本門におけるところの化導の弟子である。
あるいはまた、一つの塵と大きな山の如きものとも言われております。

 この本門の所化の数が多いということ、すなわち本迹の所化の多少は、それだけ本門の仏様の教化の数が迹門の仏よりも数千倍、数億倍、多いことを顕されるのです。

 また「本門の一菩薩を迹門の十方世界の文殊・観音等に対向すれば、猴猿を以て帝釈に比するに尚及ばず」という文は、本と迹の教化の衆を比べ、その勝劣を示されるのです。

 本門の化導による地涌の菩薩方を、迹門の十方世界において釈尊の教化を受けた文殊師利菩薩あるいは観音、勢至等の菩薩に対すると「猴猿を以て帝釈に比するに尚及ばず」と言われるのです。

 この「猴猿」というのは猿のことですが、その猿と、帝釈天王という六欲天中の「りっしんべん+刀」利天の主であり、大変に偉い仏法守護の神様−これはインドの神様ですけれども、猿とその神様とを比べても、なお及ばないほどの相違があるということです。

 ここは、多と少、それから勝と劣という二つを挙げて、迹門の仏様の眷属より、なお本門の仏様の所化が多く、かつ勝れておる所以を説かれております。

 かくの如く勝れた本門の仏様が、我々の如き凡夫の、全く明日も判らないような
凡愚の者の命のなかにおいでになるであろうか、到底、信じられないということを、反論の例証とされるのであります。

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其の外十方世界の断惑証果(だんなくしょうか)の二乗並びに梵天・帝釈・日月・四天・四輪王、乃至無間大城の大火炎等、此等は皆我が一念の十界か、己心の三千か、仏説たりと雖(いえど)も之(これ)を信ずべからず。
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 次に「其の外十方世界の断惑証果の二乗並びに梵天・帝釈・日月・四天・四輪王、乃至無間大城の大火炎等」
とあるのは、今まではずっと、爾前、迹門、本門と、その教主すなわち「仏界」について挙げられ、その己心所具の難をお示しになってきました。
ここのところは一転して「九界」について、それが凡夫の一念に具わるやの疑いを挙げられます。

 仏が高であるに対し、九界の衆生は広です。
この広大無辺な衆生が、我が一念に具わるや、すなわち十方世界の二乗、それから「梵天・帝釈・日月・四天」は天界の衆生、それから「四輪王」というのは、金輪聖王・銀輪聖王・銅輪聖王・鉄輪聖王という四人の転輪聖王のことで、これは人界を代表する。
それからさらに、ここに「乃至」とある、この「乃至」 のなかに修羅、畜生、餓鬼が入っておる。
そして最後の「無間大城」というのは、無間地獄というたいへん恐ろしい、最も悪いことをした者がこの無間地獄に堕ちると言われます。
この無間大城においては常に「大火炎」が充満しており、そこに堕ちた衆生が常に阿鼻叫喚の苦しみを受けておる。

 そこで「此等は皆我が一念の十界」であろうか、我が「己心の三千」であろうかと言われるのは、宇宙法界の全生命がそのまま我が一念に具わっておるということは、はたして本当であろうかというわけであります。

 したがって「仏説たりと雖も之を信ずべからず」と言われます。
仏様の説かれておることであっても、それを信ずることができないのであるということをまず挙げて、ここに教主の所具と九界の所具という両面からの一念三千の難信難解である所以を示し、その問いを次にさらに強く構えて、のちにおいて答えを出されるわけです。

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此を以て之を思ふに、爾前の諸経は実事なり実語なり。華厳経に云はく「究竟(くきょう)して虚妄(こもう)を離れ染(ぜん)無(な)きこと虚空(こくう)の如し」と。仁王経に云はく「源を窮(きわ)め性(しょう)を尽くして妙智存せり」と。金剛般若経に云はく「清浄(しょうじょう)の善のみ有り」と。

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 このところからは「経論」についての難、すなわち一代の経と論において法華経の一念三千の義などは存在せず、十界互具はこれら数多い経論の趣意に反しているという難に入ります。

 その初めは 「執権」すなわち権経や権論に執着する相を示されます。

 さて「此を以て之を思ふに、爾前の諸経は実事なり実語なり」とある「爾前の諸経」とは、法華経以前の教えを権経と言い、また爾前経と言うのです。
最初に説かれたのが華厳経、それから阿含経、次に方等経−方等経というのは固有の経典の名前ではなく、あらゆる大乗経典がだいたいこの方等部に入っております。
次に、般若部という非常に多くの経典の集まりの部があります。
それらが法華経以前の四十余年間に説かれた爾前経であります。

 しかるに、そういう法華経以前の諸経に説かれてあることこそ「実事」すなわち真実のこと、あるいは「実語」すなわち釈尊が説かれた真実の言葉であると思われるのであり、どうにも法華経は信じられないという難を、今度は「経論」 の上から構えられるのです。

前は「教主」を凡夫の心に具することについてずっと反対してきたのですが、今度はその教主の説かれた経論、いわゆるお経や各論の内容から、爾前経の真実であることを主張するのであります。

そこで、次に三つの経を挙げられます。

まず第一に華厳経の「究竟して虚妄を離れ染無きこと虚空の如し」
という文を引かれます。
これはどういうことかといいますと、迷ったり愚痴を言ったりするような低級な境界に悟りはない。
より深く修行して一切の迷いや煩悩をなくしていき、間違った認識や評価をするような頭をすっかり切り払い、取り払ったところ、つまり穢れた心や煩悩がなくなった境界において初めて、虚空の如く広く清浄なる悟りが生ずるという意味であり、華厳経にそのように説かれてあるのです。

 二番目に仁王般若経の「源を窮め性を尽くして妙智存せり」という文を引かれます。
この「源を窮め」ということは、迷いの本源を窮めていくということです。

 迷いにも色々な迷いがあります。
毎日、生活していくなかで、あることに迷っていた。
しかし、今はそれがある程度、高い所から見えてきて、迷いの元が判ってきた。
少し智慧がついて賢くなったために、前にはあんなくだらないことで迷っていた、というようなことがよくあります。
 しかし、それでは今は迷いがないかというと、まだまだいっぱい判らないことや迷いがある。
そういう迷いが次から次へと出てくる。
それが普通の人です。
その全部の迷いを徹底してなくしてしまったというのが「源を窮め性を尽くして」という意味なのです。

 そういう迷いの性を尽くしてしまって、初めて真実の「妙智」すなわち不思議なるところの智慧が生じてくる。
故に、色々な人間の欲望や執われ、穢れや迷いや煩悩をなくしてしまわなければ、本当の妙智は出てこないのだということが仁王般若経に説いてあるのです。

 次の三番目に、金剛般若経の 「清浄の善のみ有り」という文を引かれております。
これは、仏様が須菩提という弟子に向かって、衆生には眼・耳・鼻・舌・身・意という六根があることを説き、これがあるから色々な罪を作ったり、煩悩・罪障が盛んになると言われたのです。

 眼で色々な物を見て、あれがほしい、これがほしい、あれが好きだ、これが好きだということになってきて、その行為につじつまが合えば、まだよいけれども、筋道を外せば大変な自他の不幸を現出することになっていくわけです。
眼・耳・鼻・舌・身・意によって起こるところの色・声・香・味・触・法の五欲、六欲というのがそれであります。

 煩悩の原因がその六根にあるから、そういう眼・耳・鼻・舌・身・意の欲望に執われてはいけないのであり、それを離れたところに清浄の善の境界があると説かれたのであります。


 この金剛般若経の文も、先程の華厳経、仁王般若経の文も、要は同じことを言っています。
これはあくまで方便教ですから、末法の時代はこういう煩悩をなくさねばならないという考えに執われるのは、時機不相応で誤りです。
煩悩を完全になくして仏に成るということは、何千万年の修行でもできないほど、容易なことではないのです。
特に末法の衆生はできるわけがないのです。

 かといって、迷いと欲望に夢中で執われている者が、そのまま仏だと勘違いして正しい信心修行を忘れ、「自分は煩悩・欲望に執われている、この迷いのままが悟りだ」と思って、やりたいことを行えば、必ず地獄に堕ちます。
要は、この両面の弊害を知って、正しい末法即身成仏の大法に帰することが肝要なのです。

 この日本国の多くの人々のなかにも、わけが判らないでいながら爾前経の教えを盲信し、爾前経の教えの坊さんにお経をあげてもらって有り難がり、そして日蓮正宗を謗っているような人が大勢います。
これは仏法における根本的なところで、大きな間違いを犯しているのであります。

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馬鳴(めみょう)菩薩の起信(きしん)論に云はく「如来蔵の中に清浄の功徳のみ有り」と。天親菩薩の唯識(ゆいしき)論に云はく「謂はく、余の有漏(うろ)と劣の無漏(むろ)と種は、金剛喩定(こんごうゆじょう)が現在前(げんざいぜん)する時、極円明(ごくえんみょう)の純浄(じゅんじょう)の本識を引く。彼の依(え)に非(あら)ざるが故に皆永く棄捨(きしゃ)す」等云云。

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 前は三つの経文を挙げられましたが、今度は次に二論を引かれるのであります。

 初めの「馬鳴菩薩の起信論」というのは 『大乗起信論』という有名な論でありまして、このなかに「如来蔵の中に清浄の功徳のみ有り」ということを言われておる。

  「如実の道に乗じ来たって正覚を成ずる故に如来と曰う」

と『成実論』に説かれておりますが、この如来というのは仏様のことなのです。
仏様が悟られたこの宇宙法界の内容は、事々物々、皆、如来蔵であるというのです。

 如来蔵とは、つまり煩悩・業・苦の、あらゆる迷いの衆生が充満しているけれども、その煩悩と一緒に、その命のなかにまた如来の清浄な悟りの心が、蔵の中にある宝の如く存在しておるということで、これは爾前経にも説いてあります。
ただ、それが顕れるためには、そこの周りにぐるっと取り巻いている煩悩を全部きれいになくしてしまわなければそれが出てこない、というのが爾前経なのです。
そこが法華経とは違うのです。

 その爾前経の内容の誓えとして、ここに一つの蜂の巣があるとします。
その蜂の巣の中には甘い蜜がいっぱい詰まっており、その蜜を取りたいのだけれども、蜂がいるので、そのままでは刺されてしまう。
そこで、人間はうまく智慧を使ってその蜂を除いてしまってから蜜を取るという、一つの誓えなのです。
そのように、蜂を煩悩に誓え、その煩悩の蜂を除いてしまえば、中の甘い蜜を得ることができるということで、要するに煩悩は除かねばならないということであります。

 それから、お米は籾(もみ)のままでは食べられない。
その籾殻を取り除き、精米して、白米にして初めて多くの方の食用になるわけです。
籾殻があるうちは食べられない。
そういうものを取り除くから初めて食べられるという意味において、煩悩を除いて初めて、本当のものが顕れてくるということも、また一つの誓えとなっておる。
この如来蔵については、ほかにも色々な誓えが示されておるのですが省略いたします。

 そういうように『起信論』 では、如来蔵のなかにおいて煩悩充満しつつも清浄の功徳が深いところに存在していることを指摘し、長い修行の結果、不覚の迷いより始覚に至り、ついに本覚の悟りを開くという大乗の義を述べております。
しかし、結局、歴劫修行は免れません。
これを唯識のほうからいくと八識の浄分ということになるのですが、それは次に出てまいります。

 次に、天親菩薩の 『唯識論』 の
「謂はく、余の有漏(うろ)と劣の無漏(むろ)と種は、金剛喩定(こんごうゆじょう)が現在前(げんざいぜん)する時、極円明(ごくえんみょう)の純浄(じゅんじょう)の本識を引く。彼の依(え)に非(あら)ざるが故に皆永く棄捨(きしゃ)す」
という文が引かれております。
なかなか難しい文ですが、これは唯識のほうの法門なのです。

 まず「金剛喩定」というところから言いますと、菩薩がだんだんと修行していって、十地の境界という−微細な心の煩悩を次から次へと断破していって最後に残る煩悩、それを法雲地の位といって、その最後心に発得する禅定を金剛喩定と言います。
その堅固なること金剛石の如き定の境界を言うのであります。
そこから最後の妙覚の悟りに入る、その仏に成る時に行われることが二つあるといいます。
いわゆる、一に断捨と、二に棄捨であります。
断捨とは真智をもって最後の煩悩を打ち破ってなくしてしまうことですが、その断破される煩悩にまた二つあり、いわゆる貪瞋癡等の煩悩障と、正しい理を知る智慧を蔽う所知障であります。

 その二つを断破しても、そのあと、まだ完全な悟りに至れない迷いの果が二つ残っておるというのです。
それがこの文にある「余の有漏」と「劣の無漏」における迷いの種ということであります。
もっとも、ここのところまで行くには生まれ変わり死に変わり、生まれ変わり死に変わって−そして死んでもまた変易の生死というのがあって、この人間界には生まれてこないが精神界のなかで生まれてきて、そのなかでまたさらに修行していきながら、次から次へと微細な煩悩を断破していく修行を数えきれぬ長時に行い、その最後のところで所知障と煩悩障をなくしたあとにおいて、一つは過去の業の結果としての身体が残るということです。
それを「余の有漏」と言うのです。

 「有漏」というのは煩悩のことで、この煩悩による生死に分段の生死と変易の生死という二つがあるうちの分段の生死というほうであり、これは段々の分節によって生まれ、そして死んでいく。
我々の命も分段の生死のなかに入るわけです。
お母さんのおなかに入って−その前はどこにいたか判らないのです。
いつかお母さんのおなかに入って、それから生まれてくる。
そして死んでしまうと、どこかに生まれるけれども、どこに行ったか、、凡眼では少しも判らなくなってしまう。
そういうふうに分節・段々のある生死を分段の生死と言い、それは煩悩に惑わされながら受ける生死であるから、そういう意味で有漏の生死と言うわけです。

 そこで「余の有漏」という「余」という字は、精神的な意味での煩悩は全部なくしてしまったけれども、まだ過去の煩悩・罪障の果報として余った身体が残っておる。それを言うのです。

 それから「劣の無漏」というのは、変易の生死、つまり仏教で説く精神界の生死のほうへ入っていって、仏道における前の境界の悟りは次の境界から見ればまだまだ迷いがあったということで、それを破してだんだんと深く入っていくのであります。
そういう形から変易の生死が存するわけですが、その最後心における智慧も本当の仏智から見れば劣っている。
それが劣の無漏における種です。

 しかし、この二つは金剛喩定が目の前に存して、いよいよ仏様の境界に立つという時−金剛に誓えられるような心の禅定がそこに引き起こされてきた時には「極円明の純浄の本識を引く」 つまり八識浄分の本識が顕れてくるのである。

 これは唯識のほうで言うことですが、我々の命は、眼・耳・鼻・舌・身のなかに、さらにそれを統一するものとして六識がある。
我々はすべて、この六識により生活をしております。
眼に物を見、身体がかゆいとか、気持ちがよいとか、あるいは御飯を食べておいしいとか、そのほか色々なものを感じて生活をしておる。
これらはみんな六識の作用なのです。
眼・耳・鼻・舌・身を統一して六識があるわけで、それを普通、我々は意識と言うのです。

 その意識の奥に実は七識という存在があり、その七識の奥に今度は八識がある。
さらに八識の奥に九識があると言われておる。
しかし、八識だ、九識だと言ってみても、我々は自分の知覚では到底、知ることはできません。

 最近、催眠術で心の奥のほうを知るようになったけれども、それはせいぜい不純の要素を持つ七識ぐらいまでで、八識まではとても及ばない。
昔の聖者は八識までちゃんと掴んだわけで、そこをここに言われているのです。

 そういうような意味で、極円明の純浄の八識の浄識というのが引き起こされてくる。
八識に染分と浄分がありますが、前者が不浄の種子を残すのに対し、浄分は純粋清浄、鏡の如き識である。

 これは、実は 『唯識論』 では、九識の存在は言わないのです。
八識に染分と浄分とがあって、その浄分の八識までのところしか説かれていないから、ここが一番最後のところと言われておる。
その「極円明の純浄の本識」が引き起こされてきた時には、余の有漏と劣の無漏との元になっておる種、つまり迷いの煩悩の種子というものは、その本識と関係がないから「依」すなわち依りどころにならない。
その極円明の純浄の八識浄分が引き起こされてきた時には、全く自然になくなってしまうということです。
つまり、煩悩を断じて捨てる断捨でなく、自然になくなるから「棄捨」というのです。

 したがって、永い間、勤めに勤めぬいて煩悩を断ずる修行をずっとしてきたけれども、最後のところへ来ると、最後の迷いというものは自然に消えてしまい、永く悟りの境のみが顕れるということであります。

 しかし、ここまで至る修行は大変であるし、また、そこのところまで行かなければ本当の仏様に成れないというのが『唯識論』 の教えなのです。
その『唯識論』は、爾前経で言えば解深密経というような教えによって立てられております。

 こういうことから考えてみたならば、到底、末法の我々はだれ一人として仏様に成れないということであります。しかし、こういう考え方のほうが本当ではないのかということを、十界互具を否定する方便の仏教の立場から論じておるのであります。

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爾前の経々と法華経と之を校量(きょうりょう)するに彼の経々は無数なり時説既(すで)に長し、一仏の二言なら
ば彼に付くべし。馬鳴菩薩は付法蔵の第十一、仏記に之有り。天親は千部の論師、四依(しえ)の大士なり。天台大師は辺鄙(へんぴ)の小僧にして一論をも宣べず、誰か之を信ぜん。

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 前には「執権」として三経二論が引かれましたが、このところからは「謗実」すなわち権に執われることによって、必然的に実を謗る相を挙げられます。
そのなかで、まず「不信」 の文が示されてきます。

 爾前の経々と法華経とを「校量(きょうりょう)」すなわち比較してみると、爾前の経々は数が実にたくさんある。
この「無数」ということは、数えきれないほどたくさんあるという意味です。
そして「時説既に長し」とある「時説」というのは、華厳経から般若経までの四十余年間が、その爾前経である。
法華経は八ヵ年と言われ、そういう面からいっても「一仏の二言ならば彼に付くべし」−もし一人の仏様が二つの意味を説かれたとするならば、やはり数の多いほうを取るべきである、という不信の主張です。

 ここのところは、法華経を謗るという意味を示すなかで、法華経だけが勝れておるということは、はなはだ信じにくいことを、問者が主張するのです。
今の世間でも、まだ爾前経の宗旨がある程度、虚偽の宣伝により幅をきかせておりますから、そのことを信じないという人が多く、ために人の命の本当の正しさを説く道に背いているのであります。

 次の「馬鳴菩薩は」というところからは、法華経の意義を説いた天台大師という方に対する不信と誹誘が示されます。
                       
 「馬鳴菩薩は付法蔵の第十一、仏記に之有り」
−馬鳴菩薩という方は、大月氏国の迦弐志加王が馬場菩薩の住んでいたマカダ国を征伐した時に、非常に勝れた論師であるが故に、その王が自分の国に連れていってしまい、それから馬鳴菩薩はその国でさらに大乗の教えを説いたのです。
仏滅後六百年のころの方でありますけれども、その時に王の馬が七頭いた。
ある時、王が馬鳴菩薩の御説法を聞いていたら、そばにいた馬がポロポロと涙を流した。
それで、馬が鳴くと書いて馬鳴という名称なのです。
この馬鳴菩薩はそれほどお徳のあった方であり、付法蔵第十一の仏記にきちんと示されてあるような大徳の方であると言われます。

 この方が 『大乗起信論』 を造ったのです。
その論に先程述べたように、極円明純浄の本識を引いて、初めてそこに八識浄分が顕れて成仏できるというようなことが示されてあり、これは実に容易ではないということを説かれている。

 また「天親は千部の論師、四依の大士なり」とある。
天親菩薩は無著菩薩という大乗を説かれた方の弟になっておりまして、初めは小乗の論師でしたけれども、のちに大乗に転じて千部と言われるような論を造った。
その有名な論としては 『倶舎論』 それから 『唯識論』 『十地経論』等のたくさんの論を説かれておる。
そういうものを説いた四依の大士である。

 それに対して「天台大師は辺鄙の小僧にして一論をも宣べず」と言われておりま
す。
この「辺鄙」というのは、仏教の本国であるインドから見れば中国はたいへん辺鄙な国であるし、馬鳴、竜樹、天親等の人から比べれば実に辺鄙な所に生まれて、そして勝手に仏教を説いたに過ぎないという意味です。

 そして「一論をも宣べず」ということは、論としては述べておらず、釈を述べたという意味を言われておるのです。
だから、天台のことは「人師」と言うのです。
インドの竜樹、それから馬鳴、天親等の方については論師と言い、中国の天台、妙楽、あるいは日本の伝教というような方の場合は、経典を釈されておる意味から人師と言います。
論師、人師という区別がそこにあるわけです。

 けれども「一論をも宣べず」といっても、全く記述がないという意味ではありません。
否、むしろ天台も天台三大部その他、多くの経論の釈を述べ、それによって仏法の広い意義を、法華経中心に広く深く説かれてあるわけです。
しかし、爾前経やその論に執われる者は、天台の言っていることは信じられないという意味から「誰か之を信ぜん」と言われております。