問うて曰く、教主釈尊は此より堅固に之を秘す三惑已断(さんなくいだん)の仏なり、又十方世界の国主・一切の菩薩・二乗・人天等の主君なり。行(みゆき)の時は梵天左に在り帝釈右に侍(はべ)り、四衆八部後(しりえ)に聳(したが)ひ金剛前(さき)に導き、八万法蔵を演説して一切衆生を得脱(とくだつ)せしむ。是くの如き仏陀(ぶっだ)何を以て我等凡夫の己心(こしん)に住せしめんや。又迹門爾前の意(こころ)を以て之を論ずれば、教主釈尊は始成(しじょう)正覚の仏なり。過去の因行(いんぎょう)を尋ね求むれば、或は能施(のうせ)太子、或は儒童(じゅどう)菩薩、或は尸毘(しび)王、或は薩・(さった)王子、或は三祇(さんぎ)・百劫(ひゃくこう)、或は動喩塵劫(どうゆじんこう)、或は無量阿僧祇劫、或は初発心時(しょほっしんじ)、或は三千塵点等の間、七万・五千・六千・七千等の仏を供養し、劫を積み行満じて今の教主釈尊と成りたまふ。是くの如き因位の諸行は皆我等が己心所具の菩薩界の功徳か。(御書六四八.一七行目〜六四九・五行目)

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 右の文より観心段においての大きな区切りのところに当たりますから、やや丁寧に右御文の位置と前後の科段の関係を述べておきます。

 観心段の全体が二に分かれるなかの
「二、広釈」に三あり、
その「三、正釈」に二あるなかの 
「一、現見をもって心具の十界を明かす」 (御書六四七−八行目)より六四八「一六行目まで)のところは、この前の文までで終了しました。

次に、右の文よりあとが
「三、正釈」の「二、まさしく受持に約して観心を明かす」の段に入ります。

 この「受持に約して」という意味は、修行の肝要である受持という義の上から、広く仏法全体の内容である教主と経論の意義を要約して束ね、その要点を明らかになし、もって観心の正意を示すことであります。

したがって、これより教主と経論についての問答が逐次に示されます。
故に、その問には
「一、教主に約す」 
「二、経論に約す」の二があります。
「一、教主に約す」にまた二があり、
「一、総じて教主を歎ず」 
「二、別して権迹本に約して(仏の)因果を歎ず」
と続きますが、この
「一、総じて教主を歎ず」ることにより問いを起こすのが、右に挙げた文の初めより「己心に住せしめんや」までのところであります。

続いて、次の「又迹門爾前の意を以て」より、この御文の終わり「菩薩界の功徳か」までは
「二、別して権迹本に約して因果を歎ず」に二あるなかの
「一、権迹の因果」に因と果があり、その
 「因行を示す」ところであります。

 さて右入文の初め「教主釈尊は」 の次に、細字二行で「此より堅固に之を秘す」
とあります。
これは何を秘するのかということにつき、古来、色々な解釈があります。
それらは差し置いて、その正意を考えれば、この文のところより先は仏法上で最も重要な教主と経論について、まず受持に約して観心を明かすことにより、次第に受持の要点を極めつつ、さらに進んで「受持即観心」 の本義が明かされます。
この本義がなんであるかといえば、ひとえに妙法蓮華経の本尊の妙能に存するのであります。
これすなわち寿量文底深秘の要旨であり、久遠元初名字直達正観事の一念三千の大法を表す意であります。
これは、次第に文の内容が進んで、観心段より本尊段に至って示されますが、この文の「まさしく受持に約して観心を明かす」ところより終始一連の文義の関連があるのです。
すなわち、このところから教主と経論を研覈(けんかく. 事実を詳しく調べること。)し、次第に文底深秘の本尊が示される段階が存する故に「此より堅固に之を秘す」と、一往の抑止の意をもって深秘の義を表されたのであります。

 以上をもう少し摧いて、やさしく申し上げますと、これまでのところでは現見、すなわち現れた形において法華経の教えのなかの大事な意味であるところの心具の十界、いわゆる心のなかに実は十界という深いものが具わっておるということを、どうやら説明してきたのである。
しかし、実際に考えてみて信じられないところが多いために納得をいかせることが充分ではなかったが、ともかくその心具の十界を説明してきた。

 これは、心に地獄、餓鬼、畜生等の不幸な要素が具わっておることはだれでも解るし、それから低級な幸福としての修羅界とか人間界とか、あるいは天上界の如く喜びやあるいは平らかな心が具わっておることも解るが、それよりもっと勝れた菩薩界、仏界という境界が心に具わっておって、しかもそれが法華経の教えによって正しく発動すれば、いかなる人も最高の道を得るというようなことは到底、信じられない。
それをどうにか今までにおいて、難しいことだけれども説いてきた。
つまり、現在の相をもって心具の十界を説いてきたのである。

 そういう点で、例えば悉達太子は人界から仏界を成じたという証拠をもって人界に仏界が具わっておることを言ったけれども、しかし、悉達大子は仏様の子と過去から約束されて御出現され、仏様に成られたのである。
それが、何千億人中の一人という意味では解るが、末法における愚悪・愚人の、貪瞋癡の煩悩が充満する世間の人々の心のなかに仏様の命があるということは到底、信じられない。
しかし、そこを強いて述べてきたと言われるのです。

 しかし、そういうような人々に対しても、末法に日蓮大聖人様が本門の教えの深い意義を体されて出現し、末法の時に適う真の仏の道を示し、あらゆる人々が本当に救われるところの法を示すという御境界の上から、実際に修行する道をお示しになるために、法が示されるのです。
その意義が、まず受持に約して観心を示すという、教主と経論についての指南を通じ、いわゆる「受持即観心」という意義によってその趣旨が顕されるのですが、この受持ということは何を受持するかといいますと、一切の仏教の根源たる妙法蓮華経の五字七字であります。
その根本の妙法の当体は御本尊に存するのであり、本尊を離れて妙法蓮華経は存在しないのであります。

 世間一般の邪義邪宗においては、妙法蓮華経、妙法蓮華経と言って、先祖の霊魂を拝みながら南無妙法蓮華経と唱えたり、狐を拝みながら南無妙法蓮華経と言ったり色々なことをしておるが、そういうところに正しい妙法の当体はないのであって、一切の人々が救われる元は一代仏教の根本帰趨(ゆきつくところ。結局のところ。)を極めるところの本尊に存する。
その本尊の勝れた用きによって、南無妙法蓮華経と唱え、御本尊を受持するならば、その受持によって必ず正しい仏道成就の観心が得られるのであることをお示しになる。
それが右の文のところから始まるのです。
ですから「此より堅固に之を秘す」と言われ、そういう重大な受持即観心の意義をこれからあとにおいて次第に説かれるのであります。

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 問うて曰く、教主釈尊は此より堅固に之を秘す三惑已断(さんなくいだん)の仏なり、又十方世界の国主・一切の菩薩・二乗・人天等の主君なり。行(みゆき)の時は梵天左に在り帝釈右に侍(はべ)り、四衆八部後(しりえ)に聳(したが)ひ金剛前(さき)に導き、八万法蔵を演説して一切衆生を得脱(とくだつ)せしむ。是くの如き仏陀(ぶっだ)何を以て我等凡夫の己心(こしん)に住せしめんや。
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 右の御文は、教主釈尊という仏様について、総じてその御徳を讃歎することによって、そのような仏が我らの己心にありやとの問いを構えられるのです。

 そこで、ここから「此より堅固に之を秘す」という大事なところであり、受持即観心という、いわゆる真正の観心を明かすところだから、身延その他の日蓮宗関係の人々はこの 『観心本尊抄』一巻を講義するときに、ここからが序・正・流通の三段のなかで、序分に対する正宗分であると言っております。
しかし、これは修行と法体の混乱です。

 すなわち 『観心本尊抄』一巻全体は、「観心の本尊抄」という題において明らかに示されてあります。
日寛上人は、初めの一念三千の出処を示されるところの次に、
  「問うて曰く、出処既に之を聞く、観心の心如何」 (御書六四六)
から、
  「妙楽大師云はく『当に知るべし身土は一念の三千なり。故に成道の時、此の
本理に称(かな)ひて一身一念法界に遍(あまねAし』 等云云」 (同六五三)

のところまでは全部、観心を示されるところとされており、その次の、
  「夫始め寂滅道場」 (同)
より最後までは本尊を示されてあるとして、きちんと観心と本尊を立て分けておられます。

 そして、この序・正・流通ということは、教法および本尊の法体に約すべきなのです。
故に本尊段の内容において、この序・正・流通の立て分けがはっきり顕れてくるのであり、観心段のところから正宗分を持ってくるのは法相の混乱であります。

 他宗の人達は相伝がないから、本尊の正しい義が解らないために、この『観心本尊抄』一巻を拝していく上においても結局、どこがどうなっているかという、全体と部分の関連が解らない。
だから勝手に「大聖人様が大事だとおっしゃっておるから、ここからが正宗分だろう」と思い、言っているだけで、実際は正宗分ではなく、ここはまだ観心を示されておるところです。

 このあと、しばらくの間、受持に約して観心を明かし、さらに受持即観心が説かれる。
その次に、末法に出現する本尊を顕される意義において、あらゆる釈尊の爾前迹門の化導における本尊から始まって従浅至深の本尊の意義が示され、そのなかで 「五重三段」という御法門が出てきます。

 すなわち、一代一経三段、法華経一経三段、迹門一経三段、本門一経三段、それから文底下種三段という、五重の三段においてそれぞれ序・正・流通がはっきり御文に示されてある。
そこで初めて序・正・流通が出てくるのです。
それ以外のところに勝手に正宗分だなどと付けるのは、『観心本尊抄』一巻を狂って見ておる証拠であります。

 ここは、このところより受持に約して観心を明かし、次に受持即観心を示される、観心段のところなのです。
そういう意味で 「此より堅固に之を秘す」と仰せられるのであります。

さて、右の御文のなかに釈尊の主師親三徳が拝せられます。
釈尊の「三惑已断」という文は自行の完全な満足を意味し、自行の満足は必ず化他行の慈悲を生じます。
慈悲はすなわち親徳であります。
また「十方世界の国主・一切の菩薩・二乗・人天等の主君なり」の文は主徳であり、「八万法蔵を演説して一切衆生を得脱せしむ」の文は師徳を顕しております。

 このところの初めに「問うて曰く」とあり、なぜ問いを構えられるのかということですが、これから重々に問いを構えて、その上で受持即観心の大事な意義より、本尊の勝能によっての本当の即身成仏という最大幸福を末法のいかなる人でも得ることができるという大法が示されるわけですから、そのための大事な観心を顕される上においては、教主と経論につき色々と質問を構え、次第にその深義を迫り出されるのであります。

 そのうち、前からずっと述べられてきたなかで一番大事な問題は、菩薩界までの九界はなんとか我々の己心に具わることが解るけれども、仏様が具わっておるということだけはどうにも解らない。
実際問題としても解らないということです。

 しかし、仏様が具わっておらなければ、また観心修行によって本当に仏様の功徳が顕れなければ、我々は本当の成仏ができないし、永遠にわたる幸せを得ることはできない。
仏様が本当に己心に具わっているか、いないかという問題、それについて、そんなことはありえないという立場から問いを構えられる初めとして、教主釈尊という方はこういう立派な、我々が及びもつかない方ではないかということを、問いの形において示されるのであります。

 まず「教主釈尊は三惑已断の仏なり」とある「三惑已断」というのは、迷いの一切衆生が等しく持っている三つの惑があり、それを已にすべて断じてしまった仏様ということです。

 その三惑というのは、見惑・思惑をまとめて一つ、次は塵沙の惑、それから無明の惑の三つです。
たった三つのようであるが、これが大変です。
この三惑は仏教の全部の教義内容に通じております。
要するに、惑というのは不幸になる要素、つまり煩悩、迷いであり、すべての人々は無我夢中でそのなかに包み込まれているのです。
しかし、この迷いをやはり客観的に正しく見、あらゆる面からその全体を正しく見抜いて、しかも、それをどう処理していくかという道がはっきりと決まらなければ、本当の正しい教えとはなりません。
しかし、この惑の説明も大変なのですが、我々がものを見て、これが本物だと思っておる。
それはなんらかの基準があるからそこによっておるのですが、その基準になるもの自体が間違っておる場合が多くあります。

本当に世の中のすべてに行き渡る正しい道というものは正しい真理にあり、それが仏法によって厳然と存在し、示されておるにもかかわらず、その真理を知らず、おのずから背いていることに気づきません。
自分勝手に「これが正しい、これが本物だ」と思っていても、ちょうど舟の上で財布を落とした場所の基準を、舟が動いているにもかかわらず舟端(ふなばた)に印をつけるようなもので、結局、真理を知らない自分勝手な独断に過ぎないのです。
独断に過ぎないから、すぐにボロが出てくる。
「これが真理だ。私は真理を掴んだ」など、世間の今どきの学生が軽々しく言っていますが、一ヵ月もしたら「そんなことを自分は言ったか」などというようなこともあります。

共産主義がよいと思ったから一生懸命にゲバ学生なんかになっているけれども、二、三年して会社に勤めるとケロッと忘れているでしょう。
あの時はこれが本当だと思って一生懸命にゲバ学生なんかやっているのだけれども、時が経つとクルッと変わってしまうのです。

 そのようにしょっちゅう変わる真理は、本当の真理ではありません。
真理というものは永劫不変、絶対に変わらないのです。
そういう正しい真理を教えるのは何かといえば、仏教以外にないのであります。

 その仏教において、真理としては、まず空という真理が絶対に存するというのです。
これをもし無視したら、絶対にこれは真理ではない。
ところが、この空という真理を全く考えようともしない人間が世の中には多いのであります。

 お年寄りの見方・考え方には、やはり若い人と違って、一分の空を達観しているところがあります。
「だてに年を取ってはいない」と言いますけれども、やはり年を取ってくれば色々と世の中の悲しいことに多くぶつかる。
子供が死んだり、奥さんが死んだり、あるいは御主人が死んだりします。
そういうことで、若いうちは自分も家内も永遠に幸せで、一緒にいられるように思っていたけれども、やはり家内は先に逝ってしまって今はいないと切実に感ずるところに、この空ということを知る意味があります。

 なんでも世の中は、事物が実際にあると思っているのが大きな間違いです。
有るけれども、その当体は実は空であるという真理が存するのです。
すなわち空諦です。
諦とは、あきらかな悟りの意味です。

しかしまた、因縁によって事物が現実に存在するという真理もあります。
これを仮諦と言って、仮の真理であります。

それから、非仮非空、亦有亦空というような意味での事物に篭もる絶対性、いわゆる中道の不思議の真理があります。
                                       さらに、以上の一つだけに執われては不完全なのです。
つまり、有に執われれば空を見ず、空に執われれば仮、すなわち因縁を見ず、空・仮の各一辺に執われれば中道実相を見られない。
その執われている原因は三惑の煩悩にあるのです。
そのなかの有に執われるものが見惑と思惑であります。

 見惑とは、理について迷う惑であります。
これに我見・辺見・邪見・見取見・戒禁取見という五つがあります。
自分自身の命が実際に有ると思っている考え方、これは世間の何人(なんぴと)もそう思っていますし、デカルトという哲学者は「我れ思う。故に我れ有り」と言ったが、仏教はそんなものではありません。
もう一歩、深いのです。
結局、道の正しい思索にもう一歩入ると、はたして本当に自分が存在するや否やという問題がありますが、しかし、自己を実有と思うところが我見であり、これは空という真理を無視し、否定する考え方であります。

 これらは思想的な惑いの一つで、自分自身が存在する、有であるという考え方のなかから、今度はその自分自身というものが元になって、いわゆる断見−生まれてくる前は存在していない。
お父さん、お母さんの因縁によって、その時に初めて自分の命が出来たのだと考える見方もあります。
今の医学の人達が科学的な見地から言うのも、そのような考え方かも知れませんが、初めてそこから出来て、生まれて大きくなり、死んでしまえばそれでなくなってしまう、生前も死後も全く存在しないというのが断見であります。
それに対して、生まれる前も自我の霊魂として存在し、死んでからも自我の霊魂として存在していくという、常に世に存在するというのは常見という惑いであり、この二つとも真実の見解ではありません。
そして、この二つを辺見と言います。
これを離れたところに、仏法の小乗で説く離断常の中道の生命が存するのであります。

 また、見惑中には邪見といって因果撥無の見があります。
いわゆる善因善果、悪因悪果等の因果の理法を否定し、悪いのは自分でなく、他に一切を押しつける等のことであります。

 また、我見という自己自身についての執着があるところに、自分の所有しておるものは全部、自分のものだと考える惑いもあります。
父母、妻子、眷属、それから家でも財産でも、これらは全部、自分のものだと思っているのです。
ところが、仏教の本当の教えからいくと、これは一時、仮りに自分が持っているのであって、本当に自分のものではないのです。
だから、必ずいつのまにか消えてなくなってしまいます。
有ると思っていても、ある縁に値えば消えていくのです。
それをあくまで自分のものだと思っている。
これは我見に付属する我所見という煩悩で、我れの所有するところのものという意味で、全部、永久に自分のものだと思っているけれども、これは当然、間違いであります。

 以上のような思想的な惑いという意味において、見惑というものがあります。
さらに見惑には見取見、戒禁取見というものもありますが、これはひとまず省略しておきます。

 この見惑に対して思惑というのは、貪りと瞋りと愚癡と慢心による現実の煩悩です。
生まれた時から持ってきた、飲みたい、食べたいとか、あるいは貪るとか瞋る、それから癡かな心や、他に対する優越感、すなわち慢心等であります。
そういう意味での様々な実際上の感情的な欲望、本能的な欲望が思惑でありますが、これをなくすのも容易ではないのです。

 また、塵沙の惑というのは、それからまたもう一歩入り、空というところだけに執われて、自己についてはその生まれてきた意義、因縁について考えようとせず、また他に対しては、実際に世の中の多くの人々が悪業の因縁によって様々に悩み苦しんでおる姿があるにもかかわらず、それらの人々を救おうという気持ちがないという煩悩を言うわけです。

 つまり空に執われてしまって、地獄、餓鬼、畜生から天上、声聞、縁覚、菩薩という九界の命のあらゆる因縁の相において、塵や沙の如く種々雑多な無限なる苦悩の姿がある。
それを全く無視し、したがって、その現実相・具体相に暗いのが塵沙の惑であります。
要するに、他との関係を忘れ、自分だけ平らかに安心を求めるところに、塵沙という煩悩が付いて回るのであります。

それから無明という煩悩は、さらにその奥にある法性そのもの、生命そのものの実相に暗い迷いであります。
これが煩悩の根本であり、他はすべて、このなかに付属しているのです。

普通では到底、この三惑を断じきることができませんが、これをことごとく断じてしまったところの仏様、いわゆる「三惑已断の仏」が教主釈尊であると言われるのであります。

 ところが、末法の時代を導く大聖人様の仏法、法華経の本門の極理から言えば、これらの惑を強いて一つひとつなくしていくという教えではないのです。
これは、末法現代の衆生には到底できることではありません。
この末代の荒凡夫は信心を起こして南無妙法蓮華経と唱えていくところに、苦楽同体の、迷悟一体の不思議な命として功徳を生じ、その身そのまま成仏するのであります。
したがって、末法の衆生の根本無明の煩悩は、下種本仏を信じきれないところに存するのです。

 しかし、久遠の昔にその妙法を信ずることのできなかった衆生は、その因縁性において永い間、迷いに沈みつつ、道に進もうとするときは一つひとつ、その迷いをなくしていかないと本当の悟りがないというように執われております。

その人々を導くために仏様は方便の姿をもって、三惑を一つひとつ断尽して衆生を導く姿を示されたのです。
それが、ここにおけるところの 「三惑已断の仏」と言われる意味であります。

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 次の「又十方世界の国主・一切の菩薩・二乗・人天等の主君なり」というのは精神界の絶対権威を仰せであります。
ですから、国主といっても国王という意味ではなく、娑婆世界とか、あるいはまた宇宙法界のなかの様々な国土の精神界における一切の因縁因果の理法を悟る故に、その世界に自由自在の力用を持ち、その全体を領有する徳の上から「国主」という意義が存するのであります。

 故に、この姿婆世界の国主は、精神界のより高く広い次元より言えば、梵王、帝釈ではなく、釈尊である。
そして、教主ですから、一切の菩薩、二乗、人天等の教えの上の主君という意味があるのです。

 「行(みゆき)の時は梵天左に在り帝釈右に侍り、四衆八部後(しりえ)に聳(したが)ひ金剛前(さき)に導き、八万法蔵を演説して一切衆生を得脱せしむ」

と、このように立派な徳のあるお方である。

この「梵天」すなわち大梵天王というのは、元はインドの思想における色界を領有するところの初禅天の神様です。→
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梵天
サンスクリットのブラフマーの訳。@古代インドの世界観において、世界を創造し宇宙を支配するとされる中心的な神。種々の梵天がいるが、その中の王たちを大梵天王という。仏教に取り入れられ、帝釈天とともに仏法の守護神とされた。A大梵天王がいる場所で、4層からなる色界の最下層である初禅天のこと。欲界の頂上である他化自在天のすぐ上の場所。法華経如来神力品第21には、釈尊はじめ諸仏が広く長い舌を梵天まで伸ばしたと説かれているが、これは欲界すべてを越えるほど舌が長いということであり、決してうそをつかないことを象徴している。
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→ それから「帝釈」すなわち帝釈天王というのは欲界の三十三天の神様で、その梵天、帝釈等が仏様の教えを聞き、その徳によって弟子となり、昔から仏様の守護をしておるのであり、その意味をここに示されておるのであります。
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 また「四衆」とは比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷であり、「八部」とは天・竜・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅(きんなら)・摩?羅伽(まごらが)であります。
この八部衆は、それぞれの方面において仏教を守護する大力の守護神ということになっておりますが、それをしりえに従えておられる。→
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E9%83%A8%E8%A1%86
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→ さらに「金剛」すなわち金剛手菩薩という、金剛杵(しょ)を持って仏教を護るという守護の神が前に導いておる。
そして、八万法蔵を演説せられて一切衆生を得脱せられたのである。→
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手に金剛杵(こんごうしょ)または金剛杖などを持つ菩薩の総称。広義には金剛部諸尊の称で、狭義には十九執金剛の尊としての秘密主をいい、他の十八執金剛と区別する。金剛力士金剛神(こんごうじん)
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古代インドの武器サンスクリット語ではバジラvajraといわれる。「(きね)」の形をとっており、中央部が取っ手で両端がついている。堅固であらゆるものを打ち砕くところから金剛の名を冠している。密教ではすべての煩悩を破る智(ぶっち)あるいは菩提心(ぼだいしん)(仏に向かおうとする心)の標示としてこれを用いており、諸尊(たとえば帝釈天(たいしゃくてん)や執金剛神(しゅうこんごうしん)など)の持物(じもつ)あるいは修法(しゅほう)の際の法具とされている。現在では金銅製のものが多く、長さも15〜20センチメートルほどである。両端が、1本で先が分かれていないのを独鈷(とこ)(独鈷杵)、先が三つまたになったのを三鈷(さんこ)(三鈷杵)、先が五つに分かれたものを五鈷(ごこ)(五鈷杵)といい、それぞれ一真如(いちしんにょ)、三密(さんみつ)、五智五仏(ごちごぶつ)あるいは十波羅蜜(じっぱらみつ)を表しているという解釈を加えている。さらに二(にこ)、四鈷(しこ)、九鈷(きゅうこ)、人形杵、羯磨(かつま)杵、塔杵、宝杵など種類は多いが、前記3種がもっとも一般に用いられている。

加藤精一

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→ 「是くの如き仏陀何を以て我等凡夫の己心に住せしめんや」

−そのように立派な仏陀が、何をもって我らが凡夫の己心に住しておられるであろうか、そういうことは到底、信じられないことである、という問いの次第であります。

 ここで少し専門的になると思いますが、御書の文は「行(みゆき)の時は梵天左に在り帝釈右に侍り」となっております。
この御文は、天台大師が 『摩訶止観』 の第五においてこのように述べておるために、大聖人様は反転しておることを御存じではあったけれども、一往このようにお書きになったのであるという意味を、日寛上人が述べられております。

 大聖人様は天台大師を一往、像法の師として大事にされ、尊敬されておられますから、その意味からも天台の 『摩訶止観』 の文を尊重され、このように書かれておりますが、実際に日寛上人がたくさんの経典等を御覧になって、その例を挙げておられます。
それらの経典等に梵天、帝釈が釈尊の行と座の時、左右に侍っておる姿を見ると、それらはすべて、梵天が右になっており、帝釈が左になっているのです。
なぜ、このようなことを特に日寛上人が申されたかといいますと、大聖人様の御出現の御本懐は十界互具の大漫荼羅をお顕しあそばすところにあるのであります。
その大漫荼羅のなかに、大梵天王、帝釈天王を厳然としてお示しである。
しかも、その大漫荼羅においての大梵天王、帝釈天王は明らかに右尊左卑であり、大梵天王が右、帝釈天王が左となっておるのです。
したがって経典どおりであります。
その意味において、日寛上人がこのところを特に注意して示されておるのであります。
 梵天、帝釈は、だいたい守護の神様ですから、「行(みゆき)の時は」とここにあるとおり、釈尊が歩いていかれるとき、座っておられるとき、どのみち、釈尊の向いている方向の右左に梵天、帝釈がいるわけです。
つまり、インドにおいては「君父、東面する」というのが古来の国風によるところの一つの法式になっておる。
そうすると、君父が東を向けば右手は南になり、左手が北になる。
南は陽、北は陰であるから、陽が上で陰が下になる道理から、その場合、君父の右は陽、左は陰となるので、右尊左卑という、右が尊く、左が卑しいというのがインドの法式であるという考え方であります。

 これは、どんなときでもそのような形になる。
例えば逆に、君父が西を向いた場合はどうかというと、西を向いたらその逆になるのではなく、やはり東面ということが一つの基本になっておりますから、西を向いたら西を向いた形で右尊左卑と列なる。
すなわち、どの方向を向いても大梵天王が右、帝釈天王は左ということになります。

 さて、霊山の聴法の場合、法華経を説かれた「霊山一会・儼然未散」 の意義をもって、その迹を借りて久遠元初の本仏の自受用身の心法、事の一念三千を示し給うところの御本尊の御当体において、その心具の十界を顕す意義においても、迹を借りて本を顕す法式によります。
その場合、仏様は御説法なさるから、向こうからこちらを御覧になる。
多宝塔の中において、右が釈迦、左が多宝であって、それを衆生の側から拝するから、首題の左に釈迦、右が多宝として顕示されているのです。

それに対して上行、無辺行以下、九界の衆生は釈尊のほうを向いている。
この場合においても、すべて右尊左卑としての顕示である。
したがって、御本尊の中央首題の向かって右に大梵天王、左に帝釈天王が示されることは、きちんとしたインドの法式によられているのであります。

 大聖人様は一往、この御文では天台大師の『摩訶止観』 の文によってこのように「梵天左に在り帝釈右に侍り」とお書きになっておりますけれども、実際に御本尊を顕されるに当たりましては、やはり経相等の全体の意による右尊左卑で、梵天を右、帝釈を左にお示しあそばされておることが、一遍一概(※一遍の例が他全ての事例とする か)ではない証拠であります。
そこを根本として日寛上人が、そのような違いの意味を述べられていることを申しておく次第であります。

 さて、以上の御文は仏の徳に果と因があるなかで、まず果の徳を示され、そのような立派な仏様が、どうして我々凡夫の己心に具えているであろうか、ということをお示しであります。

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又迹門爾前の意(こころ)を以て之を論ずれば、教主釈尊は始成(しじょう)正覚の仏なり。過去の因行(いんぎょう)を尋ね求むれば、或は能施(のうせ)太子、或は儒童(じゅどう)菩薩、或は尸毘(しび)王、或は薩・(さった)王子、或は三祇(さんぎ)・百劫(ひゃくこう)、或は動踰塵劫(どうゆじんこう)、或は無量阿僧祇劫、或は初発心時(しょほっしんじ)、或は三千塵点等の間、七万・五千・六千・七千等の仏を供養し、劫を積み行満じて今の教主釈尊と成りたまふ。
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 この前のところは
「一、総じて教主 (の徳)を (讃)歎する」文意でしたが、このところからは
「二、別して権(教)迹(門)本(門) に約して(教主の)因果を歎ず」る文で、まず初めに「権教と迹門の教主の因行」が示されます。

 まず、爾前迹門の教説の意よりすれば「教主釈尊は始成正覚の仏」である、すなわち、この土に生まれて、十九歳で出家し、修行によって三十歳の時に仏の悟りを開かれたのである。
つまり、始めて正覚を成ぜられた仏様である。
この十九出家、三十成道の始成正覚にちなんで、ここから無量劫の過去の因行をお示しになっております。
釈尊がそういう始成正覚の仏として、インドに出現されて仏様に成られたのも、これは過去にそれだけの原因があるのであります。
つまり、原因のない結果というものはないということです。

 先程の「三惑」ということのなかに邪見というのがありました。
この邪見というのは因果を無視し、因果を撥無(払いのけて信じないこと。 否定して排除すること。)することです。
原因がなくても結果があるとか、あるいは原因があっても結果などというものはないと考える人が多い。
正法を信じない今の人間は、これが実に多いのです。

 つまり、悪いことをしても悪い結果は必ずしも来ないと思うのが因果撥無の考えです。
善いことをしても善い結果は来ないから、利益のために悪いことをする、これも因果撥無の考え方です。

 善いことをすれば、その分々に応じて必ず善い結果が来るのであります。
けれども、小さな善いことをしても、もっと大きな悪いことをしていると、その善い結果は出るけれども、押しつぶされて、ほとんどなくなってしまうのです。
それで、過去の悪い結果ばかりが出てきて、善い結果がないように思うのです。
しかし、大きな善い原因を修すれば、善い結果が必ず来るのであります。

 そのように、善因善果・悪因悪果ということを本当に知ることが仏弟子であります。
この因果の理法は絶対に間違いないということを否定して、お題目を唱えていてもだめなのです。
しかし逆に言えば、お題目を唱えていれば自然に因果の理法を信ずるようになるのであります。

 したがって、仏様のような大きな果報を得られたということは、必ずそこに原因があり、その原因がこれより爾前経の教えの上から示される次第であります。

 初めに 「能施太子」という方の名前が出てきますが、これからは、このあとに出る「三?(しめす偏 ね偏+氏)」すなわち三大阿僧?劫の修行なのです。(※阿僧? 一説では10の59乗 )
この方は小乗の精進波羅蜜という菩薩の修行をなさった方であり、要するに、一切衆生を救うために竜宮から如意宝珠をもらってきて、その如意宝珠によってあらゆる宝を生じて、多くの人々を救いたいということを志した。
これは精進波羅蜜の満行になるわけです。

 その最後の満行というのは、色々な精進の行をなし、最後に修行が満ちて初めて、精進波羅蜜なら精進波羅蜜というものが満行になる。
他の五波羅蜜についてもそのとおりです。(※ 六波羅蜜 布施 ふせ ・持戒・ 忍辱 にんにく ・ 精進 しょうじん ・ 禅定 ぜんじょう ・智慧。)
ただし、これは爾前経の意であります。
爾前経の教えというのは、それぐらい大変なものなのです。
末法の御本仏の教えは有り難いから、南無妙法蓮華経の一行だけで即身成仏の功徳がありますが、爾前の諸経で仏様に成るのは大変な時間と修行が必要なのです。
ですから、能施太子が行った満行の修行も大変なものであります。

′それは、ある時、能施太子が眠っているすきに、せっかくもらってきた如意宝珠を竜王が持ち帰ってしまった。
それで、その不誠実を怒った能施太子が海のほとりに立って、小さな貝殻をもって海の水を掻(か)い乾(ほ)し始めました。
それを見た竜王等が笑って、あんな貝殻でもって海の水を掻い乾せるわけがない、千万年経ってもできるわけがないと笑っていたならば、来る日も来る日も一生懸命に精進をしてやっておる、その姿を見て、大梵天王、帝釈天王その他、諸天等がすべて力を貸して、海の水を掻い乾し始めたために竜宮も露わになってしまい、それで竜王がたいへん驚き、謝って、その如意宝珠を返したという話です。

 それによって能施太子は再び如意宝珠を得ることができて、その宝殊によってあらゆる宝を出生し、多くの人々を救ったということですが、それがいわゆる精進波羅蜜の満行の教えということであります。
そこに至るまでも、多くの精進波羅蜜の修行をされていたわけであります。

 次の 「儒童菩薩」 のことは瑞応経という経文に説かれてあるのですが、五茎の蓮華を五百文の金をもって買い、そして定光仏に供養したという布施供養、また様々な布施波羅蜜の修行をされたというのであります。

 また「尸毘王」については、檀波羅蜜の満行の教えと言われております。
(※檀波羅蜜=悟りを得るために、他人に財宝・真理を施す修行。 布施波羅蜜。)
いわゆる帝釈天が鷹となり、毘首羯磨天が鳩になって、檀波羅蜜の修行をしておる尸毘王の志を試そうとして、鳩が尸毘王の懐に入ったのです。
そして、鷹がその鳩を追ってきて、鷹と尸毘王との問答が始まります。
 「私は、この鳩を救いたい」。ところが鷹も「私も今日一日の食事は、この鳩によって得ることができる。
あとはどこに行っても得ることはできない。
あなたは鳩を救いたいと言うが、私を救うにはどうしてくれるのか。
私はその鳩を食べることによって、今日一日の命を長らえることができる。
鳩だけを救って私を救ってくださらないのは、たいへん不公平ではないか」と言います。
「それならば、鳩の肉の代わりに、私の身体の肉を裂いてあげよう」と言い、尸毘王が腿(ふともも)の肉を裂いてあげましたが、「いや、こんなものでは少ない。鳩の肉のほうがもっと多い」と言って、その鷹は承知しない。

 そこで、秤を持ってきてかけたところ、全然、鳩の肉のほうが重い。
「これではしょうがない。あなたの腿の肉はいらないから、鳩を返してくれ」と言って鷹が責めてくる。
そこで尸毘王は、左の腿を裂き、右の腿を裂いて、それでも足りないから、今度は右の肘、左の肘、それから身体のあらゆるところの肉を取ってあげたけれども、まだ鳩のほうが重い。
それで全身が傷だらけになっても、こけつ、まろびつ、「自分の命に代えても、この鳩を渡すことはできない。この上は自分の身体の全体をもって鳩に代える」と言って秤に取り付いたということであります。

 その時に帝釈天が元の身体に返って「汝は今までの行を後悔するや否や」ということを聞いた時に、尸毘王が「私は仏道の修行において志を立てておるが故に、絶対に後悔しない。このような身体になって、たとえ命を捨てても、この修行を満足することが自分の願いである」ということを答えた。
それを聞いた帝釈天が「その志が正しければ、この傷は直ちに本復する」ということを言った途端に、その傷がことごとく癒えて元のとおりになり、その檀波羅蜜が満行したということが、過去の釈尊の、尸毘王の身を鳩に代えて鷹に与えたという修行として説かれておるのであります。

 次の「薩?王子」というのは、ある時、山中において飢えた虎の母子があった。
その母親はたいへん飢えておって、子供に乳をやることもできず、まさにその虎の親も子供も死のうとしておる。
それを見て、その虎を助けんがために自分自身の身体の肉を与えてこれを救おうという覚悟を持ち、その時は二人の兄と共に三人で遊んでおったけれども、その二人の兄を帰して、自分がその虎に身を食らわれたのです。

 そこで、子供がいつまで経っても帰ってこないので、父の王様と母の妃があちらこちらを捜し、ついにはその二人の子供から事情を聞いて山林に入ったところが、虎が自分の第三番目の息子を全部食べてしまって、口の周りが血だらけになっており、そこには骨だけが残っておったというところを見て非常に心を痛め、嘆いた。

 その時、既に薩?王子はその功徳によって天に昇っておって、天人の境界からその父母に対して「私はこの功徳によって、今まさに天人として生まれております。
勝妙の果報を得ておるのであるから、絶対に嘆かないでください」ということを伝えたという説話が、やはり経典に説かれておるのです。
これもやはり、釈尊の「三?・百劫」という長い間の修行の一つであります。


 それが、次に「或は三?・百劫、或は動踰塵劫」として出てきます。
だいたい、この「三?」というのは、初阿僧?、二阿僧?、三阿僧?とあって、その初阿僧?の長さがまた大変なのです。
これが、このあとに出てくる「七万五千・六千・七千等」とある七万五千仏の−古えの釈迦仏から尸棄仏という仏様まで七万五千仏が出現される。
その一仏と一仏との期間がまた、長いわけです。
無量の長さの間に一人の仏様が出られる。
それで七万五千の仏様が出られる間の長い時間かかって、あらゆる仏様と値ってあらゆる修行をされたというわけですが、それが初阿僧?、次に七万六千仏が二阿僧?、次の七万七千仏が三阿僧?であります。

 これは、先程も見惑・思惑の煩悩、それから塵沙の惑と無明の惑について少し述べましたが、このうちの最初の見惑・思惑の煩悩だけを断尽して空理を悟るだけの、仏様の位で言えば一番下の丈六劣応身という小乗の仏様に成るだけの修行が、この 「三?・百劫」 であります。

能施太子も儒童菩薩も、あるいは尸毘王も薩?王子もみんな、こういう修行をした。そして、菩薩の修行ですから、声聞や縁覚と違って、自分だけ勝手に煩悩を断尽して、さっさと自分は阿羅漢になって悟りを得ましたというわけにはいきません。
化他、すなわち衆生済度の願業を起こして、初阿僧?、二阿僧?、三阿僧?という長い間、惑を断じないで煩悩を残しておいて、衆生世界に生まれてきて衆生を導く菩薩の布施行・持戒行・忍辱行・精進行・禅定行・智慧行という六度の修行をする。
それがこの 「三?」ということであります。

 それがやっと終わったと思うと、今度は「百劫」という長い間、一劫がまた長いのですが、それが百の間ですから大変な長時です。
その間、三十二相を修するのです。
仏様に三十二相というのがあり、百の福を作って、初めて一つの相ができる。
百福ということの一つの福は、例えば数千あるいは数万人の目の不自由な人を全部、あらゆる手立てを尽くして治療をして目を開かせてあげる。
そういうようなことをしたところの福を−それは善いことをしたわけですから、そういう福徳が付くのであります。

 昔、清水の次郎長という侠客は、一組の男女が心中するのを助けただけで剣難の相が消えたといいますが、数万人の目を開ける徳は大きいはずです。
それでやっと一つの福となり、そういう福が百、集まってやっと一つの相、眉間白毫相とか頂上肉髻相、身体の金色相等の特別な相が得られる。
それを一つずつ得ていって、三十二相の全部ができるのに百劫という長い間かかるのです。

それでいて、それらを全部尽くしてもまだ仏様に成れない。
それでもまだ、今度は見惑・思惑の煩悩があって、これを断尽しなければならない。そのために、中忍、上忍から世第一の位に入り、それから三十四心に煩悩を断尽する。
 三十四心とは、見惑と思惑をそれぞれ十六心、十八心によって断ずるので、合して三十四心となるのです。
見惑については、苦・集・滅・道の四諦につき、色・無色の上界と欲の下界に各々無碍(とどこおらせる障害がないこと。邪魔するもののないさま。)道の忍と解脱道の智との二道がある故に、八忍八智の十六心を起こし、これによって見惑を断じます。
また思惑については、欲・色・無色の三界の九地 (欲界一地、色・無色界各四地)における九品の思惑に対し、同じく無碍道の忍と解脱道の智があって、この十八心で思惑を断じます。

 これは一利那ずつでありまして、そこまで行くとあらゆることに通じておりますから、瞬間、瞬間で最後の煩悩を断尽して、三十四心断結成道の仏と成るのですが、それが小乗の仏様なのです。

 だから、奈良の大仏は華厳経の教主ですから、ずっと格が高いのですが、そのずっと低い、一番下の仏様ですら、それだけの修行が必要なのであるということを、ここにお説きになっているのであります。
それが 「三?・百劫」 の意味であります。

 次は「動踰塵劫」、これがまた大変なのですが、この「動」というのは「ややもすれば」と読みます。
また「踰」は当て字でありまして、本当は「逾」という字であります。
これは「越える」という意味であり、「動(やや)もすれば塵劫を踰(こ)える」ほどの長い期間との意です。

 つまり、小乗に二つあって、低いほうの小乗、いわゆる蔵教と、高いほうの小乗としての通教という、大乗に通じている意味の小乗の教理があるのです。
その通教の場合は煩悩を一つひとつ潰していって空理を証するのではなく、当体即空ということを初めから悟れる声聞・縁覚・菩薩の三乗なのでありまして、機根が高いのであります。

 この通教は、声聞・縁覚・菩薩の三乗が共に十地−一地、二地より十地に至る修行をします。
いわゆる乾慧(けんね)地、性地、八人地とか離欲地というようなところをだんだんと進んでいって、そして声聞地に至れば声聞はここで入滅し、次の辟支仏(ひゃくしぶつ)地で縁覚は入滅します。
次の菩薩地において、菩薩は衆生済度の願があるので見・思の煩悩は断じたが、その残りの習気(じっけ)というものを扶けて三界の迷界に生じ、菩薩の行をなすのであります。
この辟支仏地から菩薩地の、菩薩の修行のところにおいて−八地から九地に至る修行の期間だけで動踰塵劫の長さだというのです。

 「動もすれば塵劫を踰える」ということは、三千世界の塵の数の如き劫というのですから、どれほど長い劫か解りませんが、それほどの時間がかかってようやく菩薩の修行が満足するというのが、通教の菩薩の修行であります。
それほど修行して、やっと完全な空理を悟ることができるのです。

 つまり、見惑・思惑と簡単に言いますけれども、見惑・思惑の煩悩を習気まで断尽するのは容易なことではない。
それほど長い時間かかって、やっとそれが断尽できるというのですから、我々一人ひとりの持っている一つひとつの煩悩というものが、どれほど大変なものかということを深く考えるべきであります。

 次に「或は無量阿僧祇劫、或は初発心時」とありますが、この「無量阿僧祇劫」というのは別教の五十二位という位−これがまた長いのです。
十信・十住・十行・十回向・十地・等覚・妙覚という五十二の位がある。
この一つひとつが大変です。
そこで、全体で無量阿僧祇劫ということになるのです。
無量の阿僧祇劫ですから、ただの阿僧祇劫ではなく、一阿僧祇が無量だとの意味です。
先程の小乗教は「三?・百劫」とありましたから、初阿僧?、二阿僧?、三阿僧?−これが別教の場合は無量の阿僧?劫というのですから、またこれは大変な長さであります。

 そこで、それだけの修行をしてだんだんと煩悩を断尽し、まず見惑・思惑から、その次は塵沙の惑を断尽して、そして最後に無明の惑を断尽し始める位が、次の「初発心時」の位なのです。
ですから、無明の惑を断尽して初めて、本当の仏様としての悟りが開かれてくる。
その最初の初住の位というのが発心住なのでありまして、それをここに「初発心時」と示されておるのであります。

 それから「三千塵点」というのは法華経の化城喩品に説かれてありまして、大通智勝仏の三千塵点劫の古えに、その仏の十六王子があって、その十六王子の末子が釈迦仏として法華経を、久遠の三千塵点劫の古えに修行されたのです。
その因によって今番、インドに出現して、釈尊としての法華経を説かれるところの仏様と成ることができた、というのが法華経の化城喩品の意味なのであります。
そういうふうに因位の修行がたくさんあることが挙げられてあるのです。

 そして「七万五千・六千・七千等の仏」−これについては先程述べましたが、仏を供養し、「劫を積み」−すなわち、そういう長い間の劫を一つひとつ経ていって、その因位の修行が全部終わって今の教主釈尊となられたのである、ということであります。

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 是くの如き因位の諸行は皆我等が己心所具の菩薩界の功徳か。
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 この文は、今までの権迹の因行についての質問の結論であります。
 つまり、これほどたくさんの修行を実践する菩薩界、我々の命のなかにそれほどの功徳を積んだ菩薩界が具わっているのだろうかということを疑うというわけです。
我々は、十界互具ということを簡単に言いますけれども、十界互具ということのなかに、よく考えてみると、菩薩界の因行の深さ、広さというものは容易なものではないということを、ここでお示しであります。

 しかし、これはすべて爾前迹門の方便の教えであります。
釈尊は久遠元初の古えにおいて一切衆生に即身成仏の大法を、ただ信の一字をもってお示しあそばされたのであるけれども、その信の一字をもって受けることができなかった衆生がある。
これを、あるいは疑い、とてもそんなことで簡単に成仏することができないというように考えて、むしろ爾前迹門等の教えに執着をしてしまった人々のために、仏様は大慈大悲をもって自ら爾前迹門等の修行をあそばされた。
そして、あるいは三?・百劫、あるいは動踰塵劫、あるいは初発心時、あるいは三千塵点等の長い間の修行を自らあそばされることによって、それらの根本の教えによって成仏しそこなった人々に、方便の教えによる因行を示されたのである。
その釈尊の教えによってまた多くの人々が修行をして、そしてだんだんと成仏していく姿があったのであります。

 しかし末法においては、それらの教えはことごとく方便であるとして、釈尊自らが法華経の迹門から本門において、はっきりとお示しであります。
そして、特に末法の衆生に対しては上行等の大菩薩を召し出されて、久遠元初の即身成仏の大法である本門の本尊、本門の戒壇、本門の題目という三大秘法をもって付嘱せられたということが、大聖人様の付嘱の上からの御法門に明らかであります。

 その意味において、本尊を受持することによって、まさしく即身成仏の本懐を得ることができるという大慈大悲の御指南が、この 『観心本尊抄』 に説かれておる所以であります。