■ 自ら其の過を見ずとは、三失をもって心を覆ふ。?(王+此)(きず)を蔵(かく)して徳を揚げ自ら省みること能はず。是無慙(むざん)の人なり。
(中略)記の四に云はく「?(王+此)(きず)を蔵(かく)す等とは三失を釈せるなり。
?(王+此)(きず)を蔵(かく)して徳を揚ぐは上慢を釈す。
自ら省みること能はざるは我慢を釈し、
無慙(むざん)の人とは不信を釈す。
(御義口伝 1730)


自分の間違いを省みようとしない、反省しない、者は、上慢・我慢・不信の三つの毒によって心が覆われている証拠である。

自分の不備な点、過ち、至らなさを隠して、偉そうにしていて、自身を常に深く反省し、慎み、謙虚、謙遜などがない者。
これは、まさに無慙の者。(欠点だらけなのに無反省の者)である。

自分の欠点や、過ちを認めない、あるいは隠す、あるいは、捻じ曲げて無理やり正しいことととする、言い逃れる、言い訳を言う、、、、などして、自分があくまで正しいと言い張る、偉そうに振る舞う、などの者は、まさに、増上慢の命である。

自分を見つめ直すことができない者は、我慢の命である。

無反省の者は 不信謗法の者である。