クズ犬「考える人」完全粉砕・反論不能・完全敗北決定・一覧表



クズ犬、完全に御書を読み違えている。



 ・ 9月14日

 ■釈迦仏等の仏の法華経の文字を敬ひ給ふことは民の王を恐れ星の月を敬ふが如し、然るに我等衆生は第六天の魔王の相伝の者・地獄・餓鬼・畜生等に押し篭められて気もつかず■ アナタは、第六天の魔王の相伝を狂信し、南無妙法蓮華経の文字を恐れず、無間地獄に堕ちるのです。





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    浄蔵浄眼御消息    弘安三年七月七日  五九歳
 きごめ(生米)の俵一つ・瓜篭(うりこ)一つ・根芋(ねいも)、品々の物給(た)び候ひ畢(おわ)んぬ。
 楽徳(らくとく)と名付けゝる長者に身を入れて我が身も妻も子も、夜も昼も責め遣(つか)はれける者が、余りに責められ堪(た)へがたさに、隠れて他国に行きて其の国の大王に宮仕(みやづか)へける程に、きりもの(権者)に成りて関白と成りぬ。後に其の国を力として我が本の主の国を打ち取りぬ。其の時、本の主、此の関白を見て大いに怖れ、前(さき)に悪(あ)しく当たりぬるを悔ひかへして宮仕へ、様々の財(たから)を引きける。前に負けぬる物の事は思ひもよらず、今は只命のいきん事をはげむ。法華経も又斯くの如く、法華経は東方の薬師仏の主、南方西方北方上下の一切の仏の主なり。釈迦仏等の仏の法華経の文字を敬ひ給ふことは、民の王を恐れ、星の月を敬ふが如し。
 然るに我等衆生は第六天の魔王の相伝の者、地獄・餓鬼・畜生等に押し篭(こ)められて気(いき)もつかず、朝夕獄卒(ごくそつ)を付けて責むる程に、兎角(とかく)して法華経に懸かり付きぬれば、釈迦仏等の十方の仏の御子(みこ)とせさせ給へば、梵王・帝釈だにも恐れて寄り付かず、何に況んや第六天の魔王をや。魔王は前には主なりしかども、今は敬ひ畏(おそ)れて、あ(悪)しうせば法華経十方の諸仏の御見参にあ(悪)しうや入らんずらんと、恐れ畏(かしこ)みて供養をなすなり。何(いか)にしても六道の一切衆生をば、法華経へつけじとはげむなり。


一読すれば高校以上の古文読解力があれば容易に文意は分かる。

楽徳長者=第六天の魔王 
逃げた者=我等衆生 
逃げた国(仕えた国王)=法華経

との例えをされ、末法の衆生は、長年、第六天の魔王の所領に囚われ、。。。つまりは三悪道・四悪趣・そして三界六道の中で輪廻をしてきた。
が、この度、法華経に出会い、初めてそこから解放され、成仏を目指す立場となれた。
そうなれば、大梵天王・帝釈天すら、畏敬の念を持って接するし、ましていわんや今までの主であった、第六天の魔王などは、掌を返したように、畏れ戦いて仏子となった我等衆生へ仕えるのである。
であるから、自分の所領で飼っている六道輪廻の衆生を、何としても法華経の信仰をさせないようにと、猛然と邪魔をしてくるのである。

という意を説かれておられる。

さて、ここでクズ犬は、この■「第六天の魔王の相伝の者」が全く読めていない、誤読しているのである。

ここは、大聖人が示同凡夫の御姿を表にされ、御自らも含めて、末法の衆生は久遠から第六天の魔王の所領に囚われていた。
という意義を、、■「我等衆生は第六天の魔王の相伝の者、」 と仰せなのである。

クズ犬は、何と、この御文を、

▼ 「大石寺の血脈「相伝」に囚われている者」 と全く見当外れの読み違いをしでかしている。 

大バカ者である。

こんな低脳・低劣・幼稚・稚拙のレベルで我意・我見で御書を漁っておるから、大聖人の真意が全く見えないのである。

こんな者が、▼「一大秘法が題目だ!」のなんだらかんだらとほざいても、全くレベルが低すぎて相手にならない、というまさに証拠である。

クズ犬、自分の無知さ加減をよくよく恥入るがいい。

実に バカ である。

「第六天の 魔王の相伝」 読み違え 完敗の上 更に大恥