クズ犬「考える人」完全粉砕・反論不能一覧表

さ、次

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▼ 南無妙法蓮華経の題目は、三大秘法を具えていると判断されるのである。

この判断が正しい事を証明する御文はあるか。

(中略)

■一心は万法の総体なり総体は題目の五字なり■ 

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■ 一 一念信解の事

 仰せに云はく、此の経文は一念三千の宝珠を納めたる函(はこ)なり。


→ 「仏の寿命の、長遠是の如くなるを聞いて、乃至能く一念の信解を生ぜば、所得の功徳限量有ること無けん。」

この経文の「一念の信解を生ず」というところは、文底事の一念三千=三大秘法=本門の本尊が納まる函。

此は現在の四信の初めの一念信解(しんげ)なり。

→ これは、釈尊在世における四信の最初の位 一念に信解を生ず という位である。

さて滅後の五品の初めの十心具足初随喜品(しょずいきほん)も、一念三千の宝を積みたる函なり。

→ 次に、釈尊滅後の修行の位である、五品の最初、初随喜の位も、文底事の一念三千=三大秘法=本門の本尊を積む函である。

法華経の骨髄、末法に於て法華経を修行する相貌(そうみょう)分明(ふんみょう)なり。

→ 以上の事から、末法に於ける、三大秘法の修行するその様相・在り方は明確である。 

所詮信と随喜とは心同じなり。
随喜するは信心なり、信心するは随喜なり。


→ 詰まるところ、信心と、随喜する心は、同じものである。
三大法の修行して随喜するとき、まさに信心ある姿であり、真っ直ぐで強盛な信心をする時、必ず随喜するのである。

一念三千の法門は信心随喜の函に納まりたり。

→ 文底事の一念三千=三大秘法=本門の本尊 即身成仏の大法は、真っ直ぐに、至心に、強盛に信心し、随喜するところに全てがあるのである。

又函とは所謂南無妙法蓮華経是なり。

→ この強盛な信心による随喜によって感応・発得するところの文底事の一念三千=三大秘法=本門の本尊 即身成仏の大法とは、その要と云えば、本門の本尊の中央首題の「南無妙法蓮華経 日蓮」である。

又此の函は我等が一心なり。

→ この強盛な信心による随喜によって感応・発得するところの本因下種・文底事の一念三千=三大秘法=本門の本尊 は 本仏日蓮の一念一心であり、その本門の本尊に信心無ニにして境智冥合した、門下僧俗である。

此の一心は万法の総体なり。総体は題目の五字なり。(クズ犬が引証)

→ この本仏日蓮の一念一心・事の一念三千は、宇宙森羅万象・万物の全ての体である。
その全ての体とは、本門の本尊の中央首題「南無妙法蓮華経 日蓮」である。

一念三千と云ふが如く一心三千もあり。

→ 一念三千 というが、 これは 一心三千 でもある。

釈に云はく「介爾(けに)も心有れば即ち三千を具す」と。

→ 妙楽大師の釈には「ほんのわずかばかりでも心があれば、全て十界×十如×三世間の三千種の生命活動を具足する」とある。

又宝函(ほうかん)とは我等が色心の二法なり。

→ また、宝の函とは、本仏日蓮の色法・心法である。(境智冥合した門下僧俗も含む)

本迹両門・生死の二法、止観の二法なり。

→ 本仏日蓮の色法・心法は、法華経本門・迹門の両門であり、生死の二法であり、止観の定と慧の二法である。

所詮信心の篋(はこ)に入れたる南無妙法蓮華経の函なり云云。(御講聞書 1849)

→ 篋 書物などを入れる、竹製の長方形のはこ。
   函 ふばこ(文函〜手紙を入れるはこ)。封筒。
 
つまりは、信心という篋の中に、南無妙法蓮華経(本門の題目)の函は入っているのである。


さあ、この御文に、クズ犬の言う、

「一大秘法は、題目」(趣意) という義があるのかどうか。
再度、論証してもらおう。

さ、クズ犬、遠慮せず、よろしくお願いします。



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