上行菩薩に付嘱された 「妙法蓮華経の五字」 とは何か?

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■  此はさてとヾめ候ひぬ。但大尼御前の御本尊の御事、おほせつかはされておも(思)ひわずら(患)ひて候。
其の故は此の御本尊は天竺(てんじく)より漢土(かんど)へ渡り候ひしあまた(数多)の三蔵、漢土より月氏(がっし)へ入り候ひし人々の中にもしるしをかせ給わず。
西域(さいいき)等の書(ふみ)ども開き見候へば、五天竺の諸国寺々の本尊皆しるし尽くして渡す。又漢土より日本に渡る聖人、日域(にちいき)より漢土へ入りし賢者等のしるされて候寺々の御本尊皆かんがへ尽くし、日本国最初の寺元興寺(がんごうじ)・四天王寺等の無量の寺々の日記、日本紀と申すふみ(書)より始めて多くの日記にのこりなく註して候へば、其の寺々の御本尊又かくれなし。
其の中に此の本尊はあ(敢)へてましまさず。

 人疑って云はく、経論になきか、なければこそそこばく(若干)の賢者等は画像(えぞう)にかき奉り、木像にもつくりたてまつらざるらめと云云。
而(しか)れども経文は眼前なり。御不審の人々は経文の有無をこそ尋ぬべけれ。
前代につくりかヽぬを難ぜんとをも(思)うは僻案(びゃくあん)なり。
例せば釈迦仏は悲母孝養のために・
利天(とうりてん)に隠れさせ給ひたりしをば、一閻浮提の一切の諸人しる事なし。
但目連尊者一人此をしれり。此又仏の御力なりと云云。

仏法は眼前なれども機なければ顕はれず。時いた(到)らざればひろ(弘)まらざる事法爾(ほうに)の道理なり。
例せば大海の潮(うしお)の時に随って増減し、上天の月の上下にみちかく(盈虧)るがごとし。

 此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫(じんでんごう)より心中にをさめさせ給ひて、世に出現せさせ給ひても四十余年、其の後又法華経の中にも迹門はせすぎて、宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕はし、神力品嘱累(ぞくるい)品に事極まりて候ひしが、金色世界の文殊師利(もんじゅしり)、兜史多(とした)天宮の弥勒(みろく)菩薩、補陀落(ふだらく)山の観世音、日月浄明徳仏(にちがつじょうみょうとくぶつ)の御弟子の薬王菩薩等の諸大士、我も我もと望み給ひしかども叶はず。
是等は智慧いみじく、才学ある人々とはひヾ(響)けども、いまだ日あさし、学も始めたり、末代の大難忍びがたかるべし。
我(われ)五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり、此にゆづ(譲)るべしとて、上行菩薩等を涌出品に召し出ださせ給ひて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづらせ給ひて、あなかしこあなかしこ、我が滅度の後正法一千年、像法一千年に弘通すべからず。
末法の始めに謗法の法師一閻浮提に充満して、諸天いかりをなし、彗星(すいせい)は一天にわたらせ、大地は大波のごとくをどらむ。
大旱魃(かんばつ)・大火・大水・大風・大疫病・大飢饉(ききん)・大兵乱(ひょうらん)等の無量の大災難並びをこり、一閻浮提の人々各々甲冑(かっちゅう)をきて弓杖(きゅうじょう)を手ににぎらむ時、諸仏・諸菩薩・諸大善神等の御力の及ばせ給はざらん時、諸人皆死して無間地獄に堕つること雨のごとくしげからん時、此の五字の大曼荼羅(まんだら)を身に帯し心に存ぜば、諸王は国を扶(たす)け万民は難をのがれん。
乃至後生の大火災を脱(のが)るべしと仏記しをかせ給ひぬ。
而るに日蓮上行菩薩にはあらねども、ほヾ兼ねてこれをしれるは、彼の菩薩の御計らひかと存じて此の二十余年が間此を申す。(新尼御前御返事 文永一二年二月一六日  五四歳 763)
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解説

 「御本尊」=十界文字曼荼羅 について、縷々御指南された後で、その「御本尊」こそ、

上行所伝の 
妙法蓮華経の五字 であり、

それは、


此の五字の大曼荼羅 である。とおおせ。


これをまとめると、こうなる。


御本尊(十界文字曼荼羅) = 上行菩薩へ付嘱された妙法蓮華経の五字 = 大曼荼羅