■    本尊問答抄   弘安元年九月  五七歳 1274

 問うて云はく、末代悪世(あくせ)の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや。答へて云はく、
法華経の題目を以て本尊とすべし


1 大聖人は、「南無妙法蓮華経」 もしくは 「妙法蓮華経」 だけで 「本尊」 としてない。

それは、現存する全ての大聖人御図顕の御本尊を見れば明瞭。

全て、十界文字曼荼羅本尊(時期により御相貌に大きな差はあるが)である。



2 当抄の末文には、大聖人が十界曼荼羅御本尊を下付されている御文がある。

 此の御本尊は世尊説きおかせ給ひてのち、二千二百三十余年が間、一閻浮提(えんぶだい)の内にいまだひろめたる人候はず。漢土の天台・日本の伝教はほヾ(粗)し(知)ろしめして、いさヽかもひろ(弘)めさせ給はず。当時こそひろまらせ給ふべき時にあたりて候へ。経には上行・無辺行等こそい(出)でてひろめさせ給ふべしと見えて候へども、いまだ見えさせ給はず。日蓮は其の人には候はねどもほヾ心(得)へて候へば、地涌の菩薩のいでさせ給ふまでの口ずさみに、あらあら申して況滅度後(きょうめつどご)のほこさき(矛先)に当たり候なり。願はくは此の功徳を以て父母と師匠と一切衆生に回向し奉らんと祈請仕(つかまつ)り候。其の旨をし(知)らせまい(進)らせむがために御本尊を書きをく(送)りまいらせ候に、他事をすてヽ此の御本尊の御前にして一向に後世をもいの(祈)らせ給ひ候へ。又これへ申さんと存じ候。いかに御房たちはからい申させ給へ。(1283)

この「御本尊」とは、まさに 「十界文字曼荼羅御本尊」 である。

1,2 の事実から


■ 法華経の題目を以て本尊とすべし   


法華経の題目 = 十界文字曼荼羅御本尊

ということが分る。