駄犬「考える人←実は「何も考えられない人」完全粉砕・反論不能一覧表


だめだね〜〜。

今度はダメだ。
まるでなっちゃいない。

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■法華を悟れる智者・死骨を供養せば生身即法身・是を即身といふ、さりぬる魂を取り返して死骨に入れて彼の魂を変えて仏意と成す 成仏是なり■

ここで、法華講の者は、学会葬を批判し、「学会の幹部は、法華を悟っているのか?」(主意)などと批判するが、
※1「末法における「悟り」とは、「信心」のことである。」
※2「正法を正しく信じる者」が、※3「御本尊」の前に死者を横たえ唱題し成仏を願うならば、肉体から抜け出してしまってどこに行ったからわからない魂(死後の生命)にさえも感応して、亡くなった方の魂(死後の生命)を仏の境涯となすことが出来る。これも、非情成仏である。
これは、喩えば、電源を切っていたラジオに電源を入れ周波数を合わすことよって、どこからともなく放送番組がラジオの中に入って来るようなものであろう。もちろん生き返りはしないが(たまに生き返る)、生前とは別の状態「草木成仏」で成仏するのである。
しかし、学会の幹部のように※4「御本仏を「悪く敬う」創価学会」に連なる者は、与同罪であり、※5「大聖人の仏法を正しく信じている」と言えず、友人葬では救えても、学会葬で成仏させることは出来ないと知るべきである。

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■ 所詮今経の心は迷悟一体と談ず。霊と云ふは法華経なり。三世の諸仏の心法にして悟りなり。(御講聞書 1823)

どこが、▼※1「末法における「悟り」とは、「信心」のことである。」 なんだ? 

■ 妙法の五字は九識なり、方便は八識なり。八識は迷ひなり、九識は悟りなり。妙法蓮華経方便品と題したれば迷悟不二なり。(御義口伝 1806)

おい!どこが ▼※1「末法における「悟り」とは、「信心」のことである。」 なんだ? 

■ 三世の諸仏は此を一大事の因縁と思(おぼ)し食(め)して世間に出現し給へり。一とは中道なり法華なり、大とは空諦なり華厳なり、事とは仮諦なり阿含と方等と般若となり。已上一代の総の三諦なり。之を悟り知る時仏果を成ずるが故に、出世の本懐成仏の直道(じきどう)なり。(三世諸仏総勘文教相廃立    弘安二年一〇月  五八歳 1425)

おい!どこが ▼※1「末法における「悟り」とは、「信心」のことである。」 なんだ? いい加減なこと言うな!

他、類文繁多で略す。


適当に 口からでまかせ 言う駄犬     いい加減なこと言うな! 無知 のくせに !