参照 駄犬「考える人←実は「何も考えられない人」完全粉砕・反論不能の一覧表

三大秘法 は 本門の本尊 へ収斂し それが 一大秘法 であることを論証する。
以下三大秘法抄から、三大秘法を明示された個所を全文挙げ、三大秘法の核心部分を強調してみる。
■ 問ふ、寿量品は専ら末法悪世(あくせ)に限る経文顕然(けんねん)なる上は私に難勢を加ふべからず。然りと雖も
三大秘法其の体如何。答ふ、予が己心の大事之に如(し)かず
汝が志無二なれば少し之を言はん。
■ 本門の本尊 
寿量品に建立する所の本尊は、五百塵点の当初(そのかみ)より以来(このかた)、此土有縁深厚・本有無作三身の教主釈尊是なり。
寿量品に云はく「如来秘密神通之力」等云云。疏(しょ)の九に云はく「一身即三身なるを名づけて秘と為し、三身即一身なるを名づけて密と為す。又昔より説かざる所を名づけて秘と為し、唯仏のみ自ら知るを名づけて密と為す。仏三世に於て等しく三身有り、諸教の中に於て之を秘して伝へず」等云云。
■ 本門の題目
題目とは二意有り。所謂正像と末法となり。正法には天親菩薩・竜樹菩薩、題目を唱へさせ給ひしかども、自行計りにして唱へてさて止(や)みぬ。像法には南岳・天台等は南無妙法蓮華経と唱へ給ひて、自行の為にして広く化他の為に説かず。是理行の題目なり。末法に入って
今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり。
名体宗用教の五重玄の五字なり。
■ 本門の戒壇
戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王(うとくおう)・覚徳比丘(かくとくびく)の其の乃往(むかし)を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣(ちょくせん)並びに御教書(みぎょうしょ)を申し下して、霊山浄土(りょうぜんじょうど)に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。三国並びに一閻浮提の人懺悔(さんげ)滅罪の戒法のみならず、大梵天王(だいぼんてんのう)・帝釈(たいしゃく)等の来下(らいげ)して踏(ふ)み給ふべき戒壇なり。(三大秘法稟承事 弘安五年四月八日 六一歳 1594)

この御文に、三大秘法の義、顕然である。
本門の本尊 本門の題目 本門の戒壇 である。

■ 本門の本尊
本門の本尊は、総じていえば 「十界文字曼荼羅御本尊」 である。
しかし、最勝の地に建立する戒壇に安置する御本尊は、御一体である。(「最勝」とは一か所しかない)
それが何か?と問えば、「本門戒壇」と御銘記ある御真筆御本尊は、御一体しか坐わしまさない。
つまり、弘安二年十月十二日御建立の、戒壇の大御本尊のみの御一体である。

■ 本門の題目
次に 本門の題目 とは
「本門の本尊」 に唱えるのが、 「本門の題目」  である。 「南無妙法蓮華経」 と 「唱える」 のである。
文証
■ 今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり。
この十界文字曼荼羅御本尊の御首題「南無妙法蓮華経」だけが、「本門の本尊」から、別に抜き出されて、一大秘法になる。などという文も義も全くない。
「本門の本尊」が建立された後には、「題目」はその「本門の本尊」に向かって唱えるのは理の当然である。
もし、「本門の本尊」を抜きにしてただ題目を空に向かって唱える、とすならば、本尊を顕わされた意味がない。
であるなら 「本門の本尊」 がまず主体で、(その本尊は別しては戒壇に安置される御一体)、その 「本門の本尊」 に唱えるのが 「本門の題目」 である。
■ 本門の戒壇
そしてその 「本門の本尊」 は、広宣流布の暁に、富士山本門寺の本堂に安置され、「事の戒法」 となるのである。

以上の文証と道理から
「本門の本尊」 「本門の題目」 「本門の戒壇」 という 三大秘法 が収斂される 一大秘法 とは 「本門の本尊」 以外にないのである。


大聖人が、本門の題目を このように↓明示された。 
■ 今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり。
南無妙法蓮華経 と 唱える これが 本門の題目 である。
本尊に向かって 唱える南無妙法蓮華経 が 本門の題目 である。

駄犬は、これが読めず、 
▼ 一大秘法とは南無妙法蓮華経の題目である。
と喚く。

もし、仮に 「一大秘法を 南無妙法蓮華経の題目」 とすると、
三大秘法は 「本門の題目」 に収斂されることになり、
現実に、「南無妙法蓮華経」と「唱える」行為として、大聖人が三大秘法抄にお示しの 「本門の題目」 が欠けることになり、三大秘法が成立しない。

また、「南無妙法蓮華経」の「題目」 を 「本門の本尊」 と見立て、ここに三大秘法が収斂するとしても、
今度は、十界文字曼荼羅 の 「本門の本尊」 が行方不明になり、やはり、三大秘法が成り立たない。
クズ犬の怪釈では、どう転んでも 「三大秘法」 が成立しないのである。

では、駄犬に試験。
▼ 「一大秘法が 南無妙法蓮華経の題目」 なら、
残り二つは具体的に何だ? 説明してみよ。 
その二つの内に、大聖人が仰せのように 「唱える」 という行為がきちんと 一項目入っていなければ落第。
さ、答えてみよ? (まっ、解答できるわけはないが。。)

「題目を 一大秘法!」と 言っちゃって 後がもうない 足掻く駄犬か