参照 駄犬「考える人←実は「何も考えられない人」完全粉砕・反論不能の一覧表

いや〜〜、クズ犬、派手に ゲロをぶちかましていきましたな〜〜(^^;)

今日は、まず、このゲロ掃除からいきますか〜〜。

===================

====================

● ほう〜〜、なるほど!
いつもながら、脇が甘いね〜。

当該段 (新池御書    弘安三年二月  五九歳 1460)

■ 此の経の信心と申すは、少しも私なく経文の如くに人の言を用ひず、法華一部に背く事無ければ仏に成り候ぞ。仏に成り候事は別の様は候はず、南無妙法蓮華経と他事なく唱へ申して候へば、天然と三十二相八十種好を備ふるなり。如我等無異と申して釈尊程の仏にやすやすと成り候なり。(※以上クズ犬が引文した箇所)

譬へば鳥の卵は始めは水なり、其の水の中より誰かなすともなけれども、觜(くちばし)よ目よと厳(かざ)り出で来て虚空にかけるが如し。我等も無明の卵にしてあさましき身なれども、南無妙法蓮華経の唱への母にあたゝめられまいらせて、三十二相の觜出でて八十種好の鎧毛(よろいげ)生(お)ひそろひて実相真如の虚空にかけるべし。爰(ここ)を以て経に云はく「一切衆生は無明の卵に処して智慧の口ばしなし。仏母の鳥は分段同居の古栖(ふるす)に返りて、無明の卵をたゝき破りて一切衆生の鳥をすだ(巣立)てて、法性真如の大虚にとばしむ」と説けり取意。

■ 有解無信(うげむしん)とて法門をば解(さと)りて信心なき者は更に成仏すべからず。有信無解とて解(げ)はなくとも信心あるものは成仏すべし。皆此の経の意なり、私の言にはあらず。されば二の巻には「信を以て入ることを得、己が智分に非ず」とて、智慧第一の舎利弗も但此の経を受け持ち信心強盛にして仏になれり。己が智慧にて仏にならずと説き給へり。舎利弗だにも智慧にては仏にならず。況んや我等衆生少分の法門を心得たりとも、信心なくば仏にならんことおぼつかなし。

■ 末代の衆生は法門を少分をこゝろえ、僧をあなづり、法をいるが(忽)せにして悪道におつべしと説き給へり。法をこゝろえたるしるしには、僧を敬ひ、法をあがめ、仏を供養すべし。今は仏ましまさず、解悟の智識を仏と敬ふべし、争でか徳分なからんや。後世を願はん者は名利名聞を捨てゝ、何に賤(いや)しき者なりとも法華経を説かん僧を生身の如来の如くに敬ふべし。是正しく経文なり。


● クズ犬が、引文したその直後に、赤字のごとく仰せである。

まさにクズ犬の姿をピシャッっと射貫かれておられる。

元意の辺

今末法の時代の謗法根性の者は、
▼ 御書を自分勝手に盲読し、
▼ 正統正嫡の御法主上人を誹謗し、挙げ句  
▼ 『 邪宗の仏像も売ってる、謗法の仏壇・仏具・仏像屋 』 から買った 『 ネット販売の模造掛け軸 』 をありがたがって拝んでいる。
これ間違いなく三悪道に墜ちる。(現にクズ犬の今の、みっともない足掻きぶり、頭破作七分の悩乱ぶり、が何よりの現証)

本当に仏法を体得している証拠は、
● 血脈正統の御法主上人を尊仰し、
● 戒壇の大御本尊を信じ、
● 現時の生身の仏である、戒壇の大御本尊へ、現実に御供養申し上げることである。

今は、直にお声を発して教導してくださる肉身を持たれた日蓮大聖人はあわしまさない。
が故に、
● 血脈正統の御歴代御法主上人を日蓮大聖人の如く敬うべきである。
どうして、即身成仏という功徳がないことがあろうか。
本気で来世の三悪道を畏れるならば、今、どんなに恥ずかしかろうとも、悔しかろうとも、現に、
● 御本尊を書写できる唯一の方、日蓮正宗の御法主上人を、まさに、生身の日蓮大聖人と拝して、日蓮大聖人を尊信するが如くに敬いなさい!


クズ犬が引文した箇所は、以後のこの↑御文を前提にした上での、仏道修行の果報を説かれた御文である。

そういう
大局を見て、御文を読めないから、クズ犬のようなゴミ・クズ・カス 虫 となるのである。 呵々大笑!

引文し その御抄で 首切られ  ぶわはっははっははっははh〜〜〜