ここには、「神様」と不遜なHNを名乗る創価学会員破折のほぼ全記録を掲載した。

当初はいかにも謙虚そうに振舞っていたが、そのうちに謗法の醜い正体を現し、御歴代上人への賎知による邪難を吐き掛けてきた。

ここにその醜面を晒し、以って創価学会員の狡猾で卑劣な姿を暴く。

今後各所の法華講員におかれては、親しげに言い寄って来る、斯様な似非求道者に欺かれないように注意を喚起したい。

 

 

227.学会員

 

名前:神様    日付:6月10日(金) 2時51分

とても教学にたけた方ですね。私は創価学会の三世です。学会は大御本尊否定ですか?確かに日顕さんの法王としての資質は否定していますが、日興上人だってホウボウに屈したら時のカンズうんぬんって言ってなかったでしたっけ?形式的には法王は事実上日顕さんだからそういう意味での血脈はありますよ、でももっと大きな意味での信心?の血脈は学会にあるって感じですよね、ホウボウには屈さない、三類の強敵と戦い、広い御仏意として大御本尊を信じ、お守りしていこう!って感じですよ。学会の教学本や会則ご覧になりましたか?あの法論の人たちは?ん?三宝も三大秘法も変わってないよ。変えたらダメジャンねえぇー。変えられる訳ないよ。僕は内部にいても違うと思いますよ、少し学会の教学本をご覧になって調べられたらどうですか?口より活字のほうが責任が発生して確実ですよ。いっぱい教学勉強して考えがこりかたまり、おれは立正安国、日蓮仏法を正統に広めるぞって思い込み、悟りの暗示にかかってませんか?いいんですよ、そんな自分が好きでしょ?いいことですよ。よく考えりゃ法王も人、なんで法王しか本尊かけないの?特別な力があるの?お手かざし?学会員や法華講しか真の成仏はないの?南無妙法蓮華経だって、功徳はただの心理学的精神力の向上か、妙法と自分が合致した真の成仏か、死後の世界みたいに誰も証明できない。みんな体験や、教学などの大いなる思い込みでカバーしてるわけ。僕は宗教は幸福実現の手段としか考えられない、ってみんな考えがこりかたまってるから、なにお?!って思うかもしれないけど冷静に考えてほしい。でも素敵ですよね、信仰のある生活は科学は生きる意味は教えてくれないもん。だから学会が何で発展したかって、それは価値創造につきると思います(どの宗教も)、高度成長期は新たな日本的コミュニティーとして、現代は平和主義の文化団体として価値を作り出し、日本の暗い世の中に広まった。そしてこの団体は圧倒的マイノリティだし、絶対日本はのっとれないよ、笑

みなさん学会を過剰評価してるよ、そんな力ない。公明党政権取れる?だから僕はもっとこの団体を自分の思ういい社会に向けての手段として使いたい。公明党の国会議員に愛国心明記しろ!拉致問題もっとがんばれ!って二時間会談したことあるよ。

宗教って価値をつくりだす集団って考えるとわかりやすい。むかしは天変地異への恐れから自然崇拝という価値観をつくり、科学の発展にともなって生きる意味を見出し、よりよい社会を作る価値観をつくってきた。私自身は絶対的幸福主義それにつきる。後半は余談です。なんでこんなの書いたんだろ、ごめんなさい。前半はいちお法論ですよね。すいません、若輩者の強がりを許してください。

 

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232.Re: 学会員

名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 10時20分

 

> とても教学にたけた方ですね。私は創価学会の三世です。

 

はじめまして。

 

>形式的には法王は事実上日顕さんだからそういう意味での血脈はありますよ、でももっと大きな意味での信心?の血脈は学会にあるって感じですよね、ホウボウには屈さない、三類の強敵と戦い、広い御仏意として大御本尊を信じ、お守りしていこう!って感じですよ。

 

根本の戒壇の大御本尊から離れたら、やはり、大聖人の仏法ではないと思いますよ。

御本尊も勝手に作ってはやはりまずいんじゃないですかね。

 

結局のところどうしてそうなったかというと日顕上人への憎悪から始まっていると思うんですが、でも一学会員としては、その憎悪なり、軽蔑はどこから起きているかといえば、聖教新聞・創価新報・会合での口コミ的指導から醸成されたと思うのです。

 

でも実際に自分の行動を通して認識している方はほとんどいないと思うのです。

 

私は平成3年この問題が起きてから毎月大石寺に参詣し、聖教新聞に書かれている内容と全く違うことを確認し、それから脱会しました。

 

その後も大石寺へ何度も参詣し日顕上人も何度も拝してきました。

その体験と認識として、やはり聖教新聞等に書かれていることは相当おかしいと思います。

 

皆様もやはりご自分の目と頭で事実を良く見極める努力をなされたほうがいいのではないでしょうか。

 

繰り返しになりますが、やはり戒壇の大御本尊から離れたら大聖人の仏法の功徳はないと思いますよ。

 

更にもし、学会発行の御本尊を拝んでいるとすれば、教義的な説明は省きますが、人生に大きな問題が発生してくると思います。

 

ここに書き込まれたのも不思議なご縁ですから、真実を見極めていただきたいと切に念願します。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

228.学会員

返信  引用

名前:神様    日付:6月10日(金) 3時30分

これを書いてからなんかいろいろ見ましたが(ここきたの最近なんです)、ちょっと口が悪いですね、とても理論的で素敵な方ですから、相手が興奮しても悟りを開いた修行僧のようにしなきゃ

いっぱい教学勉強して考えがこりかたまり、おれは立正安国、日蓮仏法を正統に広めるぞって思い込み、悟りの暗示にかかってませんか?いいんですよ、そんな自分が好きでしょ?って自分で書いたの思い出しました。

 

 

229.Re: 学会員

名前:神様    日付:6月10日(金) 3時40分

また変なこと書いちゃった。でもイヤミなはなしかたですね、丁寧に話されてるんですが、気になります。意図的でしょうがいちお年上だしね皆さん。なんか悟りの境地とは到底感じられないんですよ。私もそういうところがあって、そんな自分がいやなんですよ。

僕まだ学生なんです。すいません。でも同年代はもっと教学ないし、一般の主婦はわからないですよ。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

261.ありがとうございます

返信  引用

名前:神様    日付:6月11日(土) 0時37分

なんかていねいに返信していただきありがとうございました。やっぱり学会員だから法華講のかたってだけで嫌悪があったんよ、深層心理で、これは生まれたときから学会員だからしかたないと思います。いろいろ変なこと書いてしまってすいません。

日顕さんも池田さんも内部の人はほめますよ。それぞれお互いがどれだけ批判されているか考えるべきですね。でも池田さんもこれだけの組織をまとめる組織力と指導力、普通の人じゃハーバードとかで講義できないと思います、普通に。だから日本をのっとる私利私欲の淫乱オヤジとはおもはない。あと、日顕さんも法王になるんだから教学力のある方だと思います。お互い老人だから利害を超えていたわらなきゃと思います。僕は生まれたときに破門されたので、一度も寺にも、もちろん大石寺にもいったことがありません。ニュー世代の学会員なわけです。これじゃ成仏できませんね、笑

質問なんですが山崎正友さんについてどう思われますか?いずれ法王が死に、名誉会長が死に、お互いが歩みよれたらドイツがナチスにしたように、このひとに問題押し付けて一緒になれませんかね?笑

 

 

263.Re: ありがとうございます

名前:神様    日付:6月11日(土) 0時55分

ちなみに僕の家いちお幹部なんで、教宣ようの本があるんですよ、これはみんなあるのかな?まぁいいや。これに三宝、血脈、登山、三大秘法、などの公式見解が書かれてるんですよ。ぜひ見せてあげたいです。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

264.(untitled)

返信  引用

名前:神様    日付:6月11日(土) 1時7分

ちなみに学会の本尊は開眼がないというのが功徳のないというポイントですか?学会が信心がないのでそこが出しているからというのを除いて考えれば。

 

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268.神様氏へ

返信  引用

名前:樋田 昌志    日付:6月11日(土) 6時20分

> なんかていねいに返信していただきありがとうございました。やっぱり学会員だから法華講のかたってだけで嫌悪があったんよ、深層心理で、これは生まれたときから学会員だからしかたないと思います。いろいろ変なこと書いてしまってすいません。

 

その気持ちは分かりますよ。

当然だと思います。

 

> 日顕さんも池田さんも内部の人はほめますよ。それぞれお互いがどれだけ批判されているか考えるべきですね。でも池田さんもこれだけの組織をまとめる組織力と指導力、普通の人じゃハーバードとかで講義できないと思います、普通に。だから日本をのっとる私利私欲の淫乱オヤジとはおもはない。あと、日顕さんも法王になるんだから教学力のある方だと思います。お互い老人だから利害を超えていたわらなきゃと思います。

 

本当にあなたの気持ちは理解できますよ。

お若いのに心の大きな方ですね。

 

ただ、大聖人の仏法を実践して絶対的幸福=成仏を目指す限り、大聖人のお言葉の通りにものを見、考える努力が必要かと思います。

 

大聖人は「法に依って人に依らざれ」との釈尊の言葉をよく用いられます。これはなかなか難しいことですが、人物の表面的な評価や実績に捕われることなく、真実の成仏できる法はどこにあるのか?ということを見極めていく姿勢だと思います。

 

そうすると、やはり戒壇の大御本尊へ行き着くのですね。

大聖人が御一生のその全てを賭けて顕された究極の御本尊だと思います。色々調べて見ますと。

この戒壇の大御本尊を信じ拝すことがそのまま成仏への道と説かれています。

 

>僕は生まれたときに破門されたので、一度も寺にも、もちろん大石寺にもいったことがありません。ニュー世代の学会員なわけです。これじゃ成仏できませんね、笑

 

??ん・・・確かに新しい世代ですね。

少し酷かもしれませんが、確かに今のままでは「成仏」は無理かと思います。戒壇の大御本尊に参詣することですよ!

 

> 質問なんですが山崎正友さんについてどう思われますか?いずれ法王が死に、名誉会長が死に、お互いが歩みよれたらドイツがナチスにしたように、このひとに問題押し付けて一緒になれませんかね?笑

 

創価学会が創価学会のままで日蓮正宗に帰ってくることは残念ながらその可能性は限りなく0に近いと思います。

が、将来分裂して、その中で日蓮正宗の教義をきちんと守ると言う組織が現れたらそれはそれで組織ごとの帰伏はありえると思いますよ。

 

山崎氏のことはすみません、すみません。あまり良く知りません。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

291.神様へ

返信  引用

名前:れいな    日付:6月12日(日) 23時42分

貴方の質問は素朴な質問です。

 

でも、ここはもう少し高度な話を進める掲示板ですので、

貴方のカキコを移動致しました。ここでお聞き下さい。

http://www1.ezbbs.net/37/mksutra/

 

 

292.Re: 神様へ

名前:神様    日付:6月13日(月) 0時26分

僕も法論じゃないなと思ってたんです。ありがとうございます。これは確かに法論以前の、低次元のお話ですが、一番重要なお話です。

 

293.Re: 神様へ

名前:神様    日付:6月13日(月) 0時33分

ちなみにぼくは法華講にも学会にも肩入れしません。宗教は幸福実現の手段でしかない。あっすいません

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

294.神様氏へ

返信  引用

名前:樋田 昌志    日付:6月13日(月) 0時36分

289.神様 本尊について 返信 引用

 

●この件に関して、私なりにも一生懸命答えさせていただきます。

 

名前:神様 日付:6月12日(日) 19時49分

 

>父もよくお札の話をするんです。父はお札は信頼で成り立っている。だからホウボウに屈した日銀がいくらこれが金だといっても誰も信用しないし、国家も日銀も崩壊した、富士宮の地域振興券だ。国民のほとんどが信用しなければ金として使えない。新たな新生国家が誕生し、国民はそっちを信頼している。ってね面白い例えだなぁーって思いますよ。

 

●おなたのお父上はとても聡明な方のですね。

今まで学会員の方と接してきてこのようなロジックを以って話された方はいませんでした。

 

確かに御本尊様への信仰も、その名の通り、「信心」で成り立っていると思います。

つまり信心がなければ何も伝わってきません。

何も悟ることができません。

 

ではこのロジックでの第一点目の問題は「大石寺が謗法を犯したかどうか。」ですよね。

 

果たして大石寺は本当に謗法を犯したのでしょうか?

それは一体どういう行為なのでしょうか?

そもそも謗法とは一体どういう行為を指すのでしょうか?

 

ここはこと重大な問題であるので、未熟な私がどうこう言っても始まらないと思いますので、仏様の言葉に依って謗法の定義を見つけなくては大きな過ちを犯す元となると思います。

ですから、少しご面倒でも、やはり大聖人様のお言葉の中から「謗法」の定義を見つけなくてはならないと思うのです。

そこで、私が深く気がつかせていただいた御文は、

 

■凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり。(真言見聞)

 

でありました。

 

御僧侶を謗ることが「謗法」なのである。

と大聖人様がはっきりと仰せなのです。

しかも「三宝一体なる故なり」とは大変なお言葉です。

つまり仏様のお力も南無妙法蓮華経のお力も何もかも全て実は御僧侶(中でも御法主上人)と一体なのだ、と。

???!と驚き、且つ又、はっと、目を覚まされるお言葉でした。

 

長くなると面倒になりますから、今日はこの辺で止めますが、この仏様の御言葉を深く深く噛み締めて味わって心に留め、刻んでみていただきたいのです。

 

日興上人も仰せであります。

 

■御抄を心肝に染め、極理を師伝して、云々。

 

そこから「神様」氏にとっての今後のための何かが見えてくると思うのです。

そのことを切に祈って止みません。

 

以下のご質問については、また順を追って微力ではありますが、できる限りのお答えをさせていただきたいと思います。

 

大変に失礼いたしました。

 

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295.ありがとうございます

返信  引用

名前:神様    日付:6月13日(月) 2時30分

法華講員もいい人はいます。うん、います。親に言っておきます。脱会の掲示板に回された時はあぁと少し悲しくなりましたが、このようにていねいに答えていただくと本当にうれしいです。決して法華講員の方を意図的に傷つけるために書き込んでるのではありません。純粋に聞きたいのです。大御本尊についてもおねがいします。

やっぱり日顕さんの資質の問題は大きいですよね。ここがこの問題の一種のキーポイントですね。

教宣用の本には日顕さんが落語を聞きながら本尊を書いていたとか、題目をあげてる時に居眠りしてる写真がデカデカと書かれています。池田さんについてもそんな写真や、音声いっぱいありますけど、なんかフライデーみたいで互いに好きになれません。

僕も最初は題目をあげれば幸せになると思い、ただただあげていまた。でも大きくなるにつれてなぜ?と疑問に思い、宗教の本、資料を読みあさりました。今の友達に大石寺の話や、五老僧の話をしただけで、へぇーといわれます。創価学園ですよ?日蓮も教科書に載っていることしか知らないでしょう。

そうして学ぶうちに大御本尊や、宗門との歴史を知り、雑然と家にあった法王詐欺、山崎正友、サイコパス、C作戦うんぬんの本の意味がわかってきたんです。それからは母に、大石寺行かなくていいの?三宝はなに?とミニ法論を繰り返す日々。母は本当に純粋な婦人部なんです。最後は私が大石寺行って取り返してもいいけど、できないでしょう?とボロが出ます。僕より教学ないです。最後はいつもあなたは寺に着くなら縁を切るはと怒られます。笑

父は教学試験の教授を持っていて、宇宙と一体となって死も怖くないと悟りを開いています。いつも法論になると哲学的なことを言い出し、よくわからなくなります。話も長いです。法論のビデオを見て、気持ちが少しわかります。

でもきずいたんです。母は幸せだ。今の母は無間地獄の境涯ではない。母はいつも私たちの体験を見なさいと言うのですが、その通りだ。

父はいつもお前は形式ばかり見てる。全体を見ろといいます。そうだ、仏教は哲学だ。大御本尊、開眼、血脈は表面的で、日蓮はそんなことより大衆の救済をといてるんだ。

父はその当時法を残しておく一番丈夫なものが木だっただけで、今なら鉄かなとか、木はいずれ必ず朽ちる。じゃあ法は消えたのか?そうじゃない教えは思想、哲学だ。何万光年と続く。宇宙人も形は違うが同じ妙法を信じているというのです。

なんか少しだけ納得させられてしまいました。

 

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296.Re: ありがとうございます

名前:樋田 昌志    日付:6月13日(月) 11時30分

> 法華講員もいい人はいます。・・・純粋に聞きたいのです。大御本尊についてもおねがいします。

 

私はあなたの文章を見て純粋で真面目で無垢な心を感じました。

今朝も勤行の最中にふと貴方のことを思い出して、そうしたら涙がこみ上げてきました。不思議な感覚です。きっと前世からの深い因縁があるのかも知れません。

今後も私は私なりに真剣にお答えしたいと思っております。

 

> やっぱり・・・なんかフライデーみたいで互いに好きになれません。

 

全くの同感です。

ある有名な人物を落とし込めようとしたら、双方幾らでもそれらしい記事は作れると思います。

やはり、以前にもお話した「法に依って人に依らざれ」で、あくまで根本の法を見極めていく態度が大事だと思います。

その点あなたはお若いのに本質へ目が向いていく優れた資質をお持ちだと思います。

 

> 僕も最初は題目を・・・しまいました。

 

ですからこのように戒壇の大御本尊様へ関心が向くことはとて尊い感性だと思います。

 

ここからは少し教義的な話になりますがご容赦ください。

でもあなたの感性ならご理解いただけるものと信じて書きます。

 

この宇宙(といってもビッグバンで始まったところのこの宇宙を包含する時空も含めての「宇宙」なのですが)にはまさに「法」があり、その法はまた存在そのものの本源である。と。

そして、その法はただ法として存在しているだけではなくてそこにまた自ずからその法を覚知する智慧の働きも備えていた。と。

そしてこの法と智慧が相冥合するところ自ずからその法を説かれる「人」としての働きが生じる。と。

その方が様々な深い因縁によって再びこの地球と言う天体の日本と言う国にお生まれになって、日蓮と名乗られ、その根本・本源の法を戒壇の大御本尊様というお姿で顕された。と。

 

ここまでは概ね学会でも(私が学会だった頃は)同様の見解かと思います。

 

そこでこの戒壇の大御本尊様は今後どうなるのであろうか?

ということですよね。

 

まずその本源の法を覚知して御図顕できる方は日蓮大聖人様以外いらっしゃらないと思います。

仏と言う存在の約束事として、今も今後も現れないのですね。

 

しかもその大聖人は究極唯一の御本尊として戒壇の大御本尊を顕されていらっしゃるので、この御一体しかこの世で我々一般の衆生が宇宙本源の法に触れ、その本源の妙法を覚知することのできる御本尊はいらっしゃらないのです。

ただしここに大聖人が定められたことは、この戒壇の大御本尊の御内証を唯授一人の血脈相承で一人から一人へと相承なされ、その方がこの根本の戒壇の大御本尊を書写した御本尊の前で唱題をするならば、同様の悟りを得ることができるということです。

 

そこで戒壇の大御本尊様自体はどうなっていくのかという疑問が生じますよね。

こと戒壇の大御本尊のことに関しては軽々に語るのは真に憚られるのですが、根本的には大聖人様即戒壇の大御本尊様ですから、龍ノ口の御法難の如くに、また「草木成仏」の義により、不思議なる御加護があらせられるということ。

 

そこに加えて今後時代時代の唯授一人の血脈相承をお受けになられた御法主上人が最新の保存技術を駆使されながら厳護なされていくことと存じます。

現に七百年間には幾度か、御衣替え、お色直し等の儀も行われているのです。

 

これらの意義を大聖人は端的に

■「仏法法宝は必ず僧によて住す」と仰せです。

 

これ以上の解釈はさすがに憚られますので割愛しますが、いずれにせよ、戒壇の大御本尊を離れて大聖人様の御悟りはないのであります。

また、我々も妙法の悟りを得ることは不可能かと思います。

 

そこで付け加えですが、学会の発行している本尊は、この戒壇の大御本尊様を大石寺の二十六世日寛上人が御書写されて個人に授与された御本尊をその授与書を削除し、御文字にも変更を加え、印刷流布しているもです。

これはやはり御本尊の深い義を知らずに形だけ真似ただけのもので、それに向かってどんなに唱題しても、とうてい大聖人様が得られた御悟りの境地にはなり得ないと思います。

 

以上甚だ粗略ですがご説明申し上げました。

更に様々な疑問がありましたら遠慮なく仰ってください。

 

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301.感謝

返信  引用

名前:神様    日付:6月13日(月) 18時57分

ぼくも樋田氏と出会い、親にもいえないことを心から話せることが幸せです。最近は仏法の話ばかりを考え、勉強が頭に入りません。笑

僕は日蓮正宗は正しいと思います。でも僕の中にどうしても疑問が残ります。大御本尊はいずれ朽ち、必ずなくなる、じゃあ正法は消えたのか?直接拝まなければ功徳はない、目が悪い人は?開眼がなければダメ、寺院からの本尊でなくてはダメ、特別な力があるの?法華講員しか成仏しない、同じ考えを持っていても、現代秩序の中での戸籍上、組織上の身の上が成仏するしないに関わるの?法王もしか本尊をかけない、同じ人でしょう?

そして根本疑問です。南無妙法蓮華経をとなえれば成仏する、功徳は心理学的現象なのか、成仏なのかは絶対にわからないし、ほかの無数にあるマントラのように信じればいいのでは?本尊が重要、ただの紙切れに何の力が?大御本尊根本、ただの木に何の力が?

この疑問はみんな経験すると思います。

そこで思ったんです。日蓮はこんな非科学的で神秘主義的なレベルの存在なのだろうか?宗教は科学で淘汰されるべきだ、

そこで思ったんです。それは違う、

大御本尊根本とは何か、日蓮は当時一番後世に残る方法で、どんな精神を伝えたかったのか?それは一閻浮提総与、つまり大衆の救済、平和社会の実現にある。その気持ちを伝えたかったんだ!根本が法なら世界に残るし、例え宇宙人でも、動物でも、平和社会は理想だ、と

つまり比喩的にこれを伝えたかったんだ!

では題目とは何か?単なるマントラか?功徳は幻想か?違う、

南無、つまり帰依

法華経への帰依、法華経とは何か、つまり何千年にもおよぶ仏教の人生哲学の最高、永遠の生命、輪廻、救済がとかれた魂の開放の著

つまり自分の成仏=幸福境涯の追求

これを比喩的に伝えたかったんだ!

本尊とは何か?単なる紙切れか?違う、これにはどのような思想がこめられているのか?

本尊を拝めば自分と相手になる。他者の救済だ!題目では声聞、緑覚だ!つまり仏界の境涯をあらわしているんだ!

つまり三大秘法は

本尊、仏界の境涯、慈悲、他者の救済

題目、幸福境涯の追求と、最高の人生哲学、人生観

戒壇、大衆の救済と、平和社会の実現だ!

これは僕の言う、幸福主義や、世界の普遍的真理と合致する。科学にも反しない、立証不可能な神秘主義でもない!

仏法とは、この日蓮の説いた普遍的真実に忠実であれ、そして広めていけということ。しいては日蓮との師弟観。

法宝とは、この思想そのもの

そして僧宝とは、日蓮はこのような絶対的根本思想を説き、教えたが、六老僧のうち、日興上人以外は本質がわからず、形式ばかりに固執した。よって日蓮宗は本質に迫っていない、葬式仏教とかした。本来なら日興上人から代々この本質に迫る、最大の仏教哲学が広められるべきだったが、時代と共にすたれ、いまや形式に固執する、五老僧と同じレベルになってしまった。つまり、僧宝とは、本質を見極めよ!ということです。そうでなければ真の理想は達成できません。

いまの日蓮正宗は正しい。大御本尊根本、開眼も、法王もすべて教えに忠実である。でも形式にばかり固執し、そこにとかれている真実を見極めようとしない。五老僧と同じレベルである。僧宝にとかれた本質を見極めよ!との教えを自らないがしろにしているのである。

今の学会は、その本質に迫るということをやってきた。牧口氏の価値論、戸田氏の生命論、池田氏の平和主義、哲学、宇宙、宗門から見れば新興宗教的と思われようが、これも教えに忠実なあまりの行動である。

つまり、学会も宗門も、教えを忠実にまもる、本質に迫る、という両者とも正しい行動をしてきたのである。こう考えれば宗門と学会とのあつれきはパズルが解けたようにわかりやすくなる。

僕はこれが日蓮仏法の本質、真実、真理だと思う

いままで言いたいことがたくさんあり、少し支離滅裂な部分があったが、何とか自分の言葉で言いたいことが言えた気がする。

今のスキャンダル合戦、脱講、脱会の庶民を無視した組織活動、は絶対的に無意味であり、これこそがホウボウである!

しいては、登山、布施、財務、選挙も組織活動、社会表現であり、根本がなければ何の意味もない。

樋田さんは頭のいいかたなので、僕の考えをわかっていただけたと思います。僕もあなた様のおかげでこれを考えさせていただきましたし、少しばかりでも若輩者の考えが信仰に参考になればと思います。

 

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302.意見

返信  引用

名前:神様    日付:6月13日(月) 19時28分

あと同じような書き込みを法華講の方のサイトや、学会員のサイトに乗せても、両者から門前払いをくらいました、笑

今この思いを伝えられるのは樋田氏だけです。さまざまなことを学んでいきたいとおもいます。

 

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303.意見

返信  引用

名前:神様    日付:6月13日(月) 21時11分

■「仏法法宝は必ず僧によて住す」

僧宝を、本質を見極め、広めよ!とする日蓮の御意思のあらわれとすると、仏法法宝は必ず本質を見極めることが大切ということになり、自分もしっくりくるんです。

僧宝を御書を表面的に解釈した法王自身と考えれば、法王の権威そのものであり、同じ人なのに特別な力があるの?などの疑問が生じ、科学や現代思想に反すると思います。

このような日蓮の真髄の思想を広めることが大切です。学会が原点に立ち返り、選挙などの社会表現の根本を再確認し、池田氏との師弟観から日蓮との師弟観にもどり、形式的な側面ばかりを重視する宗門は僧宝をきちっと理解し、本質を見極めていくことが大切です。

大事な日蓮の御意思を受け継ぐ日顕氏が五老僧と同じレベルの表面的仏教解釈をしていてはいけないと思います。でもその教学を次世代の法王に伝えていけば、中興の祖のような、きちっと日蓮の思想の源流を理解した方が現れると思います。法華講のみなさんも本質をみてほしいです。そして末端の信徒の方から宗門を変えてほしいです。

僕も、学会の教学の幹部の方と合わせていただく機会を作るなど、学会を変えていきたいです。

そうすれば一緒になる可能性は0ではありません。広く御仏意とうけとめ、真の法を広めたいです。

と僕は思います。僕自身大石寺に参拝し、純粋に大御本尊を拝みたいです。それはそうしなければ成仏できないということではなく、日蓮が万感の思いを託された大御本尊を直接見て、それにこめられた平和社会実現(立正安国)の思いを感じ、大衆の救済の決意、世界を変えていこうという決意をしたいからです。でも僕は今でも大御本尊根本です。

 

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308.神様氏へ。お答え、少し遅れました。申し訳ありません。

返信  引用

名前:樋田 昌志    日付:6月14日(火) 11時47分

> ぼくも樋田氏と出会い、親にもいえないことを心から話せることが幸せです。最近は仏法の話ばかりを考え、勉強が頭に入りません。笑

 

それはきっと貴方は前世から因縁で仏法の深い何かを求める為に生まれてきたのかも知れませんね。

私も小学校の頃から宇宙とは?命とは?死んだ後は?神は本当にいるのか?とか諸々考えていました。

その頃は仏教なんて葬式屋だと思っていましたから。

 

> 僕は日蓮正宗は正しいと思います。でも僕の中にどうしても疑問が残ります。大御本尊はいずれ朽ち、必ずなくなる、

 

これは、私も随分と考えあぐねました。

しかし、様々な見地から今はすっきりしております。

その内の一点は、昨日も申し上げたように、今後の時代によって、その時代の最先端の科学技術を駆使し保存厳護申し上げていけば、想像出来ない位未来まで御護り申し上げることは不可能じゃないと思いますよ。

 

しかも

■「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。」

と仰せですから、大聖人の御悟りのお命即法はまさに御文字にあるのであって、その御文字=大聖人様のお命・御悟り=法  が不思議な宿縁の七百年前の楠の木に刻まれているのだと拝します。

根本はあくまで大聖人様の「御文字」なのです。

 

しかしまた当然ここに草木成仏の義が生じ、凡慮を超越した不可思議な加護があることは当然なのですが、しかし、やはり人即法の御悟りは御文字なのです。

 

ですから楠の木だけに目が行ってしまうとやはり貴方の言うように

「大御本尊はいずれ朽ち、必ずなくなる、」と思うのは当然でありますが、昨日も書きました、

■「仏宝・法宝は必ず僧によて住す。」とのお言葉、そしてまた、

■「此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の

  稟承唯授一人の血脈なり。相構へ相構へ、秘すべし伝ふべし。」

 

とのお言葉を合わせ熟考するに、大聖人の御悟りの御文字を歴代の御法主上人が時に宣しきを得た方途で久住せしむることは科学的にも矛盾はないと思います。

 

ではたとえば「地球だっていつかは太陽に飲み込まれてしまい無くなってしまうではないか?」との疑問も生じましょう。

 

これは何もこの「地球」という小さな天体に拘る事は無い訳で、それなりのテクノロジーを用い、他天体への御遷座もありえましょう。

 

ですから、結論として、常に唯授一人・血脈相承の御法主上人が久住せられ、ありとあらゆる方途を用いても、仏宝・法宝であれせられる戒壇の大御本尊様の御悟りのお姿は厳護せられていく、ということです。

 

ですからそういう意義も含められてと拝しますが、こういう御文があるのです。

 

■「白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」

 

賢明な貴方のことですから、敢えて通解は書きませんが、決して現時の科学的な常識を無視した形での戒壇の大御本尊様の永存を主張しているのではないのですよ。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

347.ご意見お聞かせください

返信  引用

名前:神様    日付:6月14日(火) 20時26分

返信ありがとうございます。引用をしてまた返信をお返ししようと思ったのですが、手違いで消えてしまいました。あぁ最悪です。

そこで前にも書いた僕の意見についてのご意見を聞きたいと思いました。御書の表面的事実に固執せず、科学、現代哲学と合致した御精神が重要だと考えました。物質は限界があり、永遠の中では無意味で、特別な力、形式などないとする考えです。

大御本尊根本とは何か、日蓮は当時一番後世に残る方法で、どんな精神を伝えたかったのか?それは一閻浮提総与、つまり大衆の救済、平和社会の実現にある。その気持ちを伝えたかったんだ!根本が法なら世界に残るし、例え宇宙人でも、動物でも、平和社会は理想だ、と

つまり比喩的にこれを伝えたかったんだ!

では題目とは何か?単なるマントラか?功徳は幻想か?違う、

南無、つまり帰依

法華経への帰依、法華経とは何か、つまり何千年にもおよぶ仏教の人生哲学の最高、永遠の生命、輪廻、救済がとかれた魂の開放の著

つまり自分の成仏=幸福境涯の追求

これを比喩的に伝えたかったんだ!

本尊とは何か?単なる紙切れか?違う、これにはどのような思想がこめられているのか?

本尊を拝めば自分と相手になる。他者の救済だ!題目では声聞、緑覚だ!つまり仏界の境涯をあらわしているんだ!

つまり三大秘法は

本尊、仏界の境涯、慈悲、他者の救済

題目、幸福境涯の追求と、最高の人生哲学、人生観

戒壇、大衆の救済と、平和社会の実現だ!

これは僕の言う、幸福主義や、世界の普遍的真理と合致する。科学にも反しない、立証不可能な神秘主義でもない!

仏法とは、この日蓮の説いた普遍的真実に忠実であれ、そして広めていけということ。しいては日蓮との師弟観。

法宝とは、この思想そのもの

そして僧宝とは、日蓮はこのような絶対的根本思想を説き、教えたが、六老僧のうち、日興上人以外は本質がわからず、形式ばかりに固執した。よって日蓮宗は本質に迫っていない、葬式仏教とかした。本来なら日興上人から代々この本質に迫る、最大の仏教哲学が広められるべきだったが、時代と共にすたれ、いまや形式に固執する、五老僧と同じレベルになってしまった。つまり、僧宝とは、本質を見極めよ!ということです。そうでなければ真の理想は達成できません。

348.戒壇の大御本尊様こそが法華経の本体・実体なのです。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月14日(火) 21時26分
>そこで思ったんです。日蓮はこんな非科学的で神秘主義的なレベルの存在なのだろうか?宗教は科学で淘汰されるべきだ、
そこで思ったんです。それは違う、
大御本尊根本とは何か、日蓮は当時一番後世に残る方法で、どんな精神を伝えたかったのか?それは一閻浮提総与、つまり大衆の救済、平和社会の実現にある。その気持ちを伝えたかったんだ!根本が法なら世界に残るし、例え宇宙人でも、動物でも、平和社会は理想だ、と
つまり比喩的にこれを伝えたかったんだ!

●今まで申し上げてきたように、戒壇の大御本尊様は血脈相承されたその時代時代の御法主上人の御裁断によってあらゆる形をとって永存されるでしょう。
ですから、貴方の心配は杞憂ということになると思います。

——————————————————————

>では題目とは何か?単なるマントラか?功徳は幻想か?違う、
南無、つまり帰依
法華経への帰依、法華経とは何か、つまり何千年にもおよぶ仏教の人生哲学の最高、永遠の生命、輪廻、救済がとかれた魂の開放の著
つまり自分の成仏=幸福境涯の追求
これを比喩的に伝えたかったんだ!

●貴方の前提が戒壇の大御本尊はいつか滅びる、ですが、このことに関しては既に詳述してあります。
結論から言えば、滅びないように僧俗相和してあらゆる方途をも講じていくのです。
それが僧俗共に為して行く広宣流布への道程なのです。

その上で、ここは御文に明確です。
法華経とは観念的な何物かではありません。
既に示しましたが、
■法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給ひて候は、此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給へばなり。秘す可し秘すべし。

つまり戒壇の大御本尊様こそが法華経の本体・実体なのです。
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349.「日蓮の説いた普遍的真実」とは一体具体的には何をどうすることなのでしょうか?
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月14日(火) 21時34分
>本尊とは何か?単なる紙切れか?違う、これにはどのような思想がこめられているのか?
本尊を拝めば自分と相手になる。他者の救済だ!題目では声聞、緑覚だ!つまり仏界の境涯をあらわしているんだ!
つまり三大秘法は
本尊、仏界の境涯、慈悲、他者の救済
題目、幸福境涯の追求と、最高の人生哲学、人生観
戒壇、大衆の救済と、平和社会の実現だ!
これは僕の言う、幸福主義や、世界の普遍的真理と合致する。科学にも反しない、立証不可能な神秘主義でもない!

●この辺からは少々混乱していると思います。
では整頓する為にも考えてみてください。

その貴方の理想を実現する為には、一人一人の方々へ一体何をどうしたらいいのですか?
何を広めればその方々は根本的な幸福を獲得できるのですか?

この答えはとても重要ですよ。

——————————————————————

>仏法とは、この日蓮の説いた普遍的真実に忠実であれ、そして広めていけということ。しいては日蓮との師弟観。
法宝とは、この思想そのもの

●ここでも少し整頓しましょう。
「日蓮の説いた普遍的真実」とは一体具体的には何をどうすることなのでしょうか?
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350.ではどうしたら一切の衆生を救済できるのでしょうか?
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月14日(火) 21時47分
>そして僧宝とは、日蓮はこのような絶対的根本思想を説き、教えたが、六老僧のうち、日興上人以外は本質がわからず、形式ばかりに固執した。
よって日蓮宗は本質に迫っていない、葬式仏教とかした。
本来なら日興上人から代々この本質に迫る、最大の仏教哲学が広められるべきだったが、時代と共にすたれ、いまや形式に固執する、五老僧と同じレベルになってしまった。

●さて、ここはどうでしょうか?
貴方は何を以って日蓮正宗が「形式に固執する、五老僧と同じレベルになってしまった。」と言うのでしょうか?
大聖人の仏法は化儀即化法と申しまして、日蓮正宗に伝わる化儀の中に大聖人の仏法の本質が伝わっているのですね。
物事の道理として、製作者が決めた決まりごとをそのまま実践してこそその製作されたものの力用を発揮でき、恩恵に預かる事ができるのではないでしょうか?
もし具体的に日蓮正宗が「形式に固執する、五老僧と同じレベルになってしまった。」事例があるのならばお聞きしたいです。そうしてお互いに力を合わせて改善していかねばなりません。
——————————————————————
>つまり、僧宝とは、本質を見極めよ!ということです。
そうでなければ真の理想は達成できません。

●大聖人様の仏法の本質とは何でしょうか?
先ほどの問いとも同様ですが、ではどうしたら一切の衆生を救済できるのでしょうか?

——————————————————————

>いまの日蓮正宗は正しい。
大御本尊根本、開眼も、法王もすべて教えに忠実である。
でも形式にばかり固執し、そこにとかれている真実を見極めようとしない。
五老僧と同じレベルである。
僧宝にとかれた本質を見極めよ!との教えを自らないがしろにしているのである。

●ここも上段と同様であります。
具体的には何を指して言われているのでしょうか?
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返信

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 メッセージ 223 / 275 

投稿者 : terry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:20

 

351.以上の内容をまずよく熟考してみてください。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月14日(火) 22時9分
>今の学会は、その本質に迫るということをやってきた。
牧口氏の価値論、戸田氏の生命論、池田氏の平和主義、哲学、宇宙、宗門から見れば新興宗教的と思われようが、これも教えに忠実なあまりの行動である。
つまり、学会も宗門も、教えを忠実にまもる、本質に迫る、という両者とも正しい行動をしてきたのである。
こう考えれば宗門と学会とのあつれきはパズルが解けたようにわかりやすくなる。
僕はこれが日蓮仏法の本質、真実、真理だと思う

●果たして最近の学会の行動は大聖人様の仏法の本質に迫った行動でしょうか?

日蓮正宗第26世日寛上人が仰せです。

■顕仏未来記に云く「本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか」と云云。これを思い合すべし。但受持せざるのみに非ず、剰え捨離の心を生じて聴聞せんことを楽わず。また身に供養せず、意に尊重せず、口に讃歎せず。文底受持の行者を見て能く尊重讃歎供養せず。故に諸天をして三箇の秘法の妙法を聞くことを得ざらしむ。故に三箇の秘法の食味に飢え、三箇の秘法の水流に渇く。故に威光勢力あることなし云云。

ここは、大聖人様が民衆救済の為には何が必要かとの仰せには、戒壇の大御本尊に通じる御本尊を世界に広宣流布しなさい、と。
しかし、今、創価学会はその戒壇の大御本尊様からの血脈正しい御本尊を受持しないだけでなく、その御本尊を捨てさせ(日顕上人の御本尊を回収し破却している)。
また戒壇の大御本尊様へ身の三業を以って参詣をしない。
また、歴代の御法主上人を侮蔑し軽蔑してる。
が故に諸天が三大秘法の法味に飢え、威光勢力がない。
⇒学会が破門されて以降日本がどうなってきたか、
公明党が政権与党の一角になってから更に日本がどうなってきたか、
よくよく考えてみる必要があるのではないですか?
——————————————————————
>いままで言いたいことがたくさんあり、少し支離滅裂な部分があったが、何とか自分の言葉で言いたいことが言えた気がする。
今のスキャンダル合戦、脱講、脱会の庶民を無視した組織活動、は絶対的に無意味であり、これこそがホウボウである!
しいては、登山、布施、財務、選挙も組織活動、社会表現であり、根本がなければ何の意味もない。
樋田さんは頭のいいかたなので、僕の考えをわかっていただけたと思います。
僕もあなた様のおかげでこれを考えさせていただきましたし、少しばかりでも若輩者の考えが信仰に参考になればと思います。

●以上の内容をまずよく熟考してみてください。
貴方は頭が良い方なのできっと何かを感じてくださると信じています。
http://toyoda.tv


 

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352.神様くん、言葉に気をつけよう

返信  引用

名前:れいな    日付:6月14日(火) 22時22分

創価学会員は最近、末法の御本仏のことを「日蓮」と呼び捨てにしたり、「日蓮仏法」等とまるで何の関係もないアカの他人のような非常に粗末な言葉を使用しますね。あなたは自分の御両親を「あんた」、「キミは」と呼び捨てにしますか? あなたは「形式などどうでもいい」と思いますか? 表に現れている言葉はあなたの心の中身です。スポーツの世界でも「形式などどうでもよい、勝てばいい」のではありません。そこにはルール・マナーがあるのではありませんか?

 

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355.Re: 神様くん、言葉に気をつけよう

名前:神様    日付:6月14日(火) 23時27分

> 創価学会員は最近、末法の御本仏のことを「日蓮」と呼び捨てにしたり、「日蓮仏法」等とまるで何の関係もないアカの他人のような非常に粗末な言葉を使用しますね。あなたは自分の御両親を「あんた」、「キミは」と呼び捨てにしますか? あなたは「形式などどうでもいい」と思いますか? 表に現れている言葉はあなたの心の中身です。スポーツの世界でも「形式などどうでもよい、勝てばいい」のではありません。そこにはルール・マナーがあるのではありませんか?

 

れいな様、この度は誤解をさせてしまってすいませんでした。確かに日蓮という言い方は不適切でした。日蓮大聖人と毎回書くのが大変だと思った、ただそれだけの理由です。すいませんでした。

ルールやマナーは必要です。勝利やルールのとらえ方の違いですね。

僕は法華講員さんを生理的に嫌悪や、軽蔑は一切しておりません。

彼も人なら我も人です。

れいな様も学会員も同じ感情をもった人だと思ってほしいです。

 

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356.大御本尊

名前:神様    日付:6月14日(火) 23時42分

●今まで申し上げてきたように、戒壇の大御本尊様は血脈相承されたその時代時代の御法主上人の御裁断によってあらゆる形をとって永存されるでしょう。

> ですから、貴方の心配は杞憂ということになると思います。

 

わかります。今後の科学の発達は未知数だと思います。でも物質は必ず必ず限界があります。永遠の時間は絶対絶対残りません。法とは永遠、宇宙大の壮大な時空をもつかさどっていると思います。そこは純粋にそう思われませんか?だから僕は単純にそこにこめられた日蓮大聖人の思想、思いが法であり、重要だと思うのです。わからずやかと思われたらすいません。でも単純にそう思うし、おまわれませんか?

 

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357.どうすればよいか?

名前:神様    日付:6月15日(水) 0時4分

本尊とは何か?単なる紙切れか?違う、これにはどのような思想がこめられているのか?

本尊を拝めば自分と相手になる。他者の救済だ!題目では声聞、緑覚だ!つまり仏界の境涯をあらわしているんだ!

つまり三大秘法は

本尊、仏界の境涯、慈悲、他者の救済

題目、幸福境涯の追求と、最高の人生哲学、人生観

戒壇、大衆の救済と、平和社会の実現だ!

これは僕の言う、幸福主義や、世界の普遍的真理と合致する。科学にも反しない、立証不可能な神秘主義でもない!

 

●この辺からは少々混乱していると思います。

では整頓する為にも考えてみてください。

 

その貴方の理想を実現する為には、一人一人の方々へ一体何をどうしたらいいのですか?

何を広めればその方々は根本的な幸福を獲得できるのですか?

この答えはとても重要ですよ。

 

確かに重要ですね。単純に相手を思いやり、相手のために行動する。学校でも社会でも、基本とされる道徳観だと思います。具体的には、暴力はしない、人を傷つけない、殺さない、とかですかね、無数にありますね。それを確認するために向き合うんだと思います。その思いが込められていて、それを常に確認し、祈る。世界はわかっているようで、この考えをわかっていないから戦争が起こると思います。

 

仏法とは、この日蓮の説いた普遍的真実に忠実であれ、そして広めていけということ。しいては日蓮との師弟観。

法宝とは、この思想そのもの

●ここでも少し整頓しましょう。

「日蓮の説いた普遍的真実」とは一体具体的には何をどうすることなのでしょうか?

 

 

本尊、仏界の境涯、慈悲、他者の救済

題目、幸福境涯の追求と、最高の人生哲学、人生観

戒壇、大衆の救済と、平和社会の実現だ!

を世界に広めることです。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

358.思い

名前:神様    日付:6月15日(水) 0時29分

書いていて思ったんですが、僕は法というものを世界がみな幸せに暮らせる、平和な世の中の実現、その思想だと思っていると思いました。でもこれは共産主義も、資本主義も、組織も、お金も、秩序も、政治も、動物も、ありとあらゆるものの目的だと思います。

題目をして法と合致するのはこの思想を実感し、共感し、行動することだと思うのです。日蓮大聖人もこれを思ったと思います。

やはり法や題目や本尊に立証できない絶対的特別な力があると思えないのです。ここは単純にわからないと思います。みな少しは疑問はあるがこの思いを確信で押し殺しているとしか思えないのです。どうですか?

その点で日蓮大聖人そのものとその宗派、関連する歴史は、他の宗教や、政治、組織、民族などさまざまな森羅万象と違う異質で唯一の真理ではなく、みな同じところから生まれ、同じ理想を目指し、その方法を説いてきたが、日蓮はそれを本尊にたくし、祈りによる確信と、行動と、立正安国とされたのです。これが一番洗練されたものです。

またよくわからないことを書いてしまいました。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

359.Re: ではどうしたら一切の衆生を救済できるのでしょうか?

名前:神様    日付:6月15日(水) 0時47分

●さて、ここはどうでしょうか?

貴方は何を以って日蓮正宗が「形式に固執する、五老僧と同じレベルになってしまった。」と言うのでしょうか?

大聖人の仏法は化儀即化法と申しまして、日蓮正宗に伝わる化儀の中に大聖人の仏法の本質が伝わっているのですね。

物事の道理として、製作者が決めた決まりごとをそのまま実践してこそその製作されたものの力用を発揮でき、恩恵に預かる事ができるのではないでしょうか?

もし具体的に日蓮正宗が「形式に固執する、五老僧と同じレベルになってしまった。」事例があるのならばお聞きしたいです。そうしてお互いに力を合わせて改善していかねばなりません。

つまり、僧宝とは、本質を見極めよ!ということです。

そうでなければ真の理想は達成できません。

●大聖人様の仏法の本質とは何でしょうか?

先ほどの問いとも同様ですが、ではどうしたら一切の衆生を救済できるのでしょうか?

 

南伝仏教徒の方々は釈迦の教えに忠実に修行し、行動し、戒律を守り、

日々暮らされています。これは決まりをそのまま実行しています。

でもこれは本質ではありませんね、大乗仏教はこれに解釈を加えます。だからこそ釈迦のされた、言われたことを表面的ではなく、哲学、宇宙大の壮大な思想として理解できるのです。と思います。日蓮正宗は教えを忠実に、厳格にやられているわけですから決して日蓮大聖人の意思に反するものではなし、純粋な信仰心を感じます。事例、、、やはり開眼などにこだわるところ。ではと思います。

 

いまの日蓮正宗は正しい。

大御本尊根本、開眼も、法王もすべて教えに忠実である。

でも形式にばかり固執し、そこにとかれている真実を見極めようとしない。

五老僧と同じレベルである。

僧宝にとかれた本質を見極めよ!との教えを自らないがしろにしているのである。

 

●ここも上段と同様であります。

具体的には何を指して言われているのでしょうか?

 

 

やはり僕は文字は文字、紙は紙、人は人、言葉は言葉、という考えが抜けませんどうしても物質ではなく思想と思ってしまうのです。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

360.Re: 以上の内容をまずよく熟考してみてください。

名前:神様    日付:6月15日(水) 1時15分

今の学会は、その本質に迫るということをやってきた。

牧口氏の価値論、戸田氏の生命論、池田氏の平和主義、哲学、宇宙、宗門から見れば新興宗教的と思われようが、これも教えに忠実なあまりの行動である。

つまり、学会も宗門も、教えを忠実にまもる、本質に迫る、という両者とも正しい行動をしてきたのである。

こう考えれば宗門と学会とのあつれきはパズルが解けたようにわかりやすくなる。

僕はこれが日蓮仏法の本質、真実、真理だと思う

●果たして最近の学会の行動は大聖人様の仏法の本質に迫った行動でしょうか?

 

 

確かに、学会のいままでの行動は決して良いと思われないものがあります。でも学会が単なる金目当ての集団ならなぜこれだけ発展し(破門後も壊滅せず)、みな幸せなのか(もちろん悩んでいる人もいるのは認めます。でも少なくとも僕の周りの人たちは幸せす。)だから学会の存在は肯定します。選挙も、会合も、池田氏も仏法の平和主義、幸福主義を見失ってはいけないと思います。

 

ここは、大聖人様が民衆救済の為には何が必要かとの仰せには、戒壇の大御本尊に通じる御本尊を世界に広宣流布しなさい、と。

しかし、今、創価学会はその戒壇の大御本尊様からの血脈正しい御本尊を受持しないだけでなく、その御本尊を捨てさせ(日顕上人の御本尊を回収し破却している)。

また戒壇の大御本尊様へ身の三業を以って参詣をしない。

また、歴代の御法主上人を侮蔑し軽蔑してる。

が故に諸天が三大秘法の法味に飢え、威光勢力がない。

⇒学会が破門されて以降日本がどうなってきたか、

公明党が政権与党の一角になってから更に日本がどうなってきたか、

よくよく考えてみる必要があるのではないですか?

 

 

ぼくも学会員なら、あなた様も法華講員です。互いの組織を見るには少し偏見がはいるのは仕方ありませんね。僕は政治が好きなので、公明党という社会表現は正しいと思います。公明党の国会議員と2時間会談し、いち学生の思いをじかに伝えることができるのも素晴らしいことだと思います。僕も外国人の地方参政権は断固反対です。きちっとかいこう一番訴えてきましたよ!憲法から、学会のことまでさまざま話してきました。僕は学会も宗門も蜜月な関係にあり、互いの裏まで見ていたわけですから、学会の批判も宗門批判もあるていど的を得ていると思います。学会も大御本尊(平和社会、幸福社会の実現というぼくの考えにすれば)根本です。確かに破却はいけないとおもいます。でも学会からすれば学会の本尊はどうなさっているんですか?偽本尊だからいい!なら学会も同じ考えですよ。

 

 

 

いままで言いたいことがたくさんあり、少し支離滅裂な部分があったが、何とか自分の言葉で言いたいことが言えた気がする。

今のスキャンダル合戦、脱講、脱会の庶民を無視した組織活動、は絶対的に無意味であり、これこそがホウボウである!

しいては、登山、布施、財務、選挙も組織活動、社会表現であり、根本がなければ何の意味もない。

樋田さんは頭のいいかたなので、僕の考えをわかっていただけたと思います。

僕もあなた様のおかげでこれを考えさせていただきましたし、少しばかりでも若輩者の考えが信仰に参考になればと思います。

●以上の内容をまずよく熟考してみてください。

貴方は頭が良い方なのできっと何かを感じてくださると信じています。

 

 

感じました。樋田氏の信仰心と人のあたたかさに触れ、現実的に今一番変わったのは法華講員への偏見です。

 

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361.Re: また、じっくり語り合っていきましょうね。

名前:神様    日付:6月15日(水) 1時40分

■「仏法法宝は必ず僧によて住す」

僧宝を、本質を見極め、広めよ!とする日蓮の御意思のあらわれとすると、仏法法宝は必ず本質を見極めることが大切ということになり、自分もしっくりくるんです。

 

●今まで述べてきたように、僧宝の定義そのものがやはり貴方の立論であるから、それはそれであらゆる御仏の御言葉ときちんと照らしあわさないと、ともすると我見に陥ってしまって、大事な御聖意を見失うことになってしまうと思うのですね。

僧宝を御書を表面的に解釈した法王自身と考えれば、法王の権威そのものであり、同じ人なのに特別な力があるの?などの疑問が生じ、科学や現代思想に反すると思います。

●既述の如く、人には因縁によって平等に即してやはり自ずから差別(個体差)があるのであります。

世の中の事象全てが現時における科学で解明されているわけでもないのであるから、現時の科学の成果だけを以って未知なる現象を全て否定はできないと思いますよ。

 

そうですね。ひとはちがいがありますね。でもその地位に儀式でなった瞬間に本尊を書く力と、開眼の力をえるのですか?でもなるということはやはり教学力と指導力があるのでしょうが。日顕氏は85歳ぐらいですよね?それを知ったとき、うちのおじいちゃんと変わらない!かわいそうだと純粋に思いました。池田氏も77歳です。でも両者元気ですね?。立正佼成会の庭野氏は92歳まで生きました。信仰は人を豊かに長生きさせますね。

 

 

むしろ謙虚に考えれば今の科学の解明点がまだまだあらゆる事象に未到達なのだから、その現時に於ける解明点を根拠に未解明の分野を「非科学的」と下すことこそ、真の科学的な態度ではないと思います。

 

確かに科学はこれからも進化しますね。

 

 

このような日蓮の真髄の思想を広めることが大切です。学会が原点に立ち返り、選挙などの社会表現の根本を再確認し、池田氏との師弟観から日蓮との師弟観にもどり、形式的な側面ばかりを重視する宗門は僧宝をきちっと理解し、本質を見極めていくことが大切です。

●ここは小異を捨てて考えるに共感できます。 宗門も今後の広宣流布への道程を真剣に命がけで考えたときには改善すべき点は多々あると思います。

    

 

僕は学会の展望をきちっと僕なりに伝え、変えていきたいです。では 樋田氏は日蓮正宗のどこが改善点だと思われるのですが?

ぜひ聞きたいです

 

 

大事な日蓮の御意思を受け継ぐ日顕氏が五老僧と同じレベルの表面的仏教解釈をしていてはいけないと思います。でもその教学を次世代の法王に伝えていけば、中興の祖のような、きちっと日蓮の思想の源流を理解した方が現れると思います。法華講のみなさんも本質をみてほしいです。そして末端の信徒の方から宗門を変えてほしいです。

 

●う??ん、ここも小異を捨てて賛同しましょう。

 

ありがとうございます。お互い末端からがんばりましょう。前、」他の法華講の人に変えていきましょう!といったら、私は私でよければ何にでも使ってくださいという気持ちです、とおっしゃりましたがそれは違いますよね。一人一人が一番重要です。

 

 

僕も、学会の教学の幹部の方と合わせていただく機会を作るなど、学会を変えていきたいです。

そうすれば一緒になる可能性は0ではありません。広く御仏意とうけとめ、真の法を広めたいです。

と僕は思います。僕自身大石寺に参拝し、純粋に大御本尊を拝みたいです。それはそうしなければ成仏できないということではなく、日蓮が万感の思いを託された大御本尊を直接見て、それにこめられた平和社会実現(立正安国)の思いを感じ、大衆の救済の決意、世界を変えていこうという決意をしたいからです。でも僕は今でも大御本尊根本です。

●やはり貴方は根底では尊い使命を担った方だとつくづく感じましたよ。

> ここでも涙が出ました。

> また、じっくり語り合っていきましょうね。

 

はい、7割が信仰を持っていないという日本で、お互いこのような特殊な家庭に生まれなけば出会わなかったし、こんは深いお話もできませんね。ほんとに一期一会ですね。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

362.感謝

返信  引用

名前:神様    日付:6月15日(水) 1時49分

いちおすべての返信に対してまた返信させていただいたので、お読みください。またどんどんご指導お願いします。

山崎正友氏をよくしらないようですが、この問題のキーパーソンです。学会は日顕氏よりこの方個人の批判本が多いです。なかには日顕氏もこの方に利用されたと書いてあるのもあります。盗聴や出版弾圧もこの方発案とか。杉田かおるさんの自伝にもこの方らしき記述があります。逮捕歴もあり、学会、正信会、宗門とてんてんとし、宗教界の小沢一郎です。作り、壊し、裏切り、創造し、

正信会からいきなり宗門へ行って、血脈を語るとはこの方の信仰を疑います。今は宗門にいますのでどのように思われるているのか聞きたいです。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

363.思うこと

返信  引用

名前:神様    日付:6月15日(水) 2時21分

学会員は大御本尊、法王否定ではないです

今でも最新の教学本も会則もそんなことでないですよ。学会員だって日達法王の本尊拝んでいるし、会館にもある。それはちがいます。

 

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376.神様氏へ。お答え、遅れました。申し訳ありません。

返信  引用

名前:樋田 昌志    日付:6月16日(木) 0時2分

●今まで申し上げてきたように、戒壇の大御本尊様は血脈相承されたその時代時代の御法主上人の御裁断によってあらゆる形をとって永存されるでしょう。ですから、貴方の心配は杞憂ということになると思います。

 

>わかります。今後の科学の発達は未知数だと思います。でも物質は必ず必ず限界があります。永遠の時間は絶対絶対残りません。法とは永遠、宇宙大の壮大な時空をもつかさどっていると思います。そこは純粋にそう思われませんか?だから僕は単純にそこにこめられた日蓮大聖人の思想、思いが法であり、重要だと思うのです。わからずやかと思われたらすいません。でも単純にそう思うし、おまわれませんか?

 

●ここの疑問が実は真に深く、大重要事だと思います。

 

ここが難信難解・難解難入 なんだと思うのですね。

 

つまり、宇宙の法そのものが永遠、というのは信じ易い。理解し易い。⇒ 法身如来 なんです。

で、この法そのものを悟る働きとしての智慧の永遠性・・ここもまぁ、何とか信じれる。  ⇒ 報身如来  ですね。

で、ここです、ここが大問題なのですね。 

この法身如来と報身如来が相合するところに衆生を救う具体的な仏様の働きが現れる。 ⇒ 応身如来 です。

 

この応身如来様も永遠なのです。・・え??!となるんですよね。真面目に考えると。

 

この三身は即一身で、そのまま大聖人様であり、大聖人様の御身御一身はそのまま即三身なのですね。

そしてその大聖人様はそのまま戒壇の大御本尊様なのであります。

戒壇の大御本尊様は報身如来様を表に顕されていらっしゃいますけれども、一身即三身・三身即一身の御本仏であらせれられ、三世常恒なのです。

つまり永遠に存在されるのです。

 

ここが信じれるか否かの具体的な面での瀬戸際です。

 

この一身即三身・三身即一身の仏様の寿命は永遠無限であると、釈尊は寿量品で説かれた。

ここは到底信じがたいけどもしかし信じなさいよ、と。

 

それが開目抄に

■「本門十四品も涌出・寿量の二品を除きては皆始成を存せり。雙林最後の大般涅槃経四十巻、其の外の法華前後の諸大乗経に一字一句もなく、法身の無始無終はとけども、応身・報身の顕本はとかれず。」

とあるところだと思います。

 

根本的にはそう信じ拝しまさに血統正しい御本尊様と境智冥合した時に、真の成仏の悟りがえられるのだと思います。

 

しかし、少しでも理解をしていただく為に敢えて更に砕いて考えますと、先にも言いましたように、戒壇の大御本尊様の御文字が大聖人様なのですから、御文字ならばどのような方法であっても厳護は可能だと思います。

 

それと、今現時にある物質だけを考えれば、確かに変化していくことは当然ですが、現の戒壇の大御本尊様も御衣替えや御化粧直しをされて、大聖人様御建立当時そのままではないですから、今後も、あらゆる手立てを尽くして、御文字を厳護されていくのです。

 

でも、その為には新たな保存の為の物質も加わっていきながら、しかし厳然と御護りされていくのです。

 

つまり変化しながら永存していただくのです。

 

貴方が戒壇の大御本尊様に絶対信をとれる、一段階として、今までの状況と今後の状況を説明しました。

 

今直ちに永劫の未来まで想いを馳せてしまうと確かに貴方の言うような気持ちになりますが、ここはしかし、凡慮を絶した仏の智慧を、そして御指南を勇気を出して心開いて信じる以外ないのですよ。

 

そして信じて戒壇の大御本尊様に南無妙法蓮華経を唱えたとき、間違いなく生まれてから今までに感じたことのない境地を感得することができるのです。

 

貴方が私と共々に戒壇の大御本尊様を拝する日を祈っていますよ。

 

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389.ありがとうございます

返信  引用

名前:神様    日付:6月16日(木) 21時37分

●ここの疑問が実は真に深く、大重要事だと思います。ここが難信難解・難解難入 なんだと思うのですね。つまり、宇宙の法そのものが永遠、というのは信じ易い。理解し易い。⇒ 法身如来 なんです。で、この法そのものを悟る働きとしての智慧の永遠性・・ここもまぁ、何とか信じれる。  ⇒ 報身如来  ですね。で、ここです、ここが大問題なのですね。 この法身如来と報身如来が相合するところに衆生を救う具体的な仏様の働きが現れる。 ⇒ 応身如来 です。この応身如来様も永遠なのです。・・え??!となるんですよね。真面目に考えると。この三身は即一身で、そのまま大聖人様であり、大聖人様の御身御一身はそのまま即三身なのですね。そしてその大聖人様はそのまま戒壇の大御本尊様なのであります。戒壇の大御本尊様は報身如来様を表に顕されていらっしゃいますけれども、一身即三身・三身即一身の御本仏であらせれられ、三世常恒なのです。つまり永遠に存在されるのです。ここが信じれるか否かの具体的な面での瀬戸際です。この一身即三身・三身即一身の仏様の寿命は永遠無限であると、釈尊は寿量品で説かれた。ここは到底信じがたいけどもしかし信じなさいよ、と。しかし、少しでも理解をしていただく為に敢えて更に砕いて考えますと、先にも言いましたように、戒壇の大御本尊様の御文字が大聖人様なのですから、御文字ならばどのような方法であっても厳護は可能だと思います。それと、今現時にある物質だけを考えれば、確かに変化していくことは当然ですが、現の戒壇の大御本尊様も御衣替えや御化粧直しをされて、大聖人様御建立当時そのままではないですから、今後も、あらゆる手立てを尽くして、御文字を厳護されていくのです。でも、その為には新たな保存の為の物質も加わっていきながら、しかし厳然と御護りされていくのです。つまり変化しながら永存していただくのです。貴方が戒壇の大御本尊様に絶対信をとれる、一段階として、今までの状況と今後の状況を説明しました。今直ちに永劫の未来まで想いを馳せてしまうと確かに貴方の言うような気持ちになりますが、ここはしかし、凡慮を絶した仏の智慧を、そして御指南を勇気を出して心開いて信じる以外ないのですよ。そして信じて戒壇の大御本尊様に南無妙法蓮華経を唱えたとき、間違いなく生まれてから今までに感じたことのない境地を感得することができるのです。貴方が私と共々に戒壇の大御本尊様を拝する日を祈っていますよ。

 

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394.Re: ありがとうございます

名前:神様    日付:6月17日(金) 0時28分

今回の返信も今までで一番心に響きました。科学を無視して本尊や題目を信じるのは愚かだと思っていました。だが、樋田氏はもっと深い境地におられたのですね。ですが僕は創価学会は否定できません。父の境涯と母の幸福な姿は絶対に無間地獄の境涯ではないからです。すいません。あと心無い学会員の書き込みは確かに意図的に樋田氏を挑発するものです。しかし、それに対して同じ姿勢で樋田氏が反論されれば、相手も絶対に心は開けません。法論もそうです。相手を打ち負かすのがもくてきですか?相手を救うことでしょう。樋田氏の優しさにふれればもっと分かり合えると思います。余計なこと書いてしまい、すいません。

 

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投稿日時:2005/06/23(Thu) 18:18
ホスト名:219.52.118.131
おなまえ:神様
タイトル:聞きたいです
 
お久しぶりです。僕も樋田氏の信仰の経歴をぜひ知りたいです。教えてください。

 

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投稿日時:2005/06/25(Sat) 00:47
おなまえ:神様Eメール:
URL  :

勧戒とはなんですか?

 

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投稿日時:2005/06/25(Sat) 21:52
おなまえ:神様
タイトル:感謝
 
勧戒、やっぱりそのような意味だと思いました。こちらでいう教宣活動ですね。
樋田さんは生まれたときから日蓮正宗(創価学会)ですか?
破門されたとき、第一次宗門問題が出てきたときは家族やあなた様はどのように考え、行動されたのか知りたいです。
いまは大石寺のお目通りについての見解を問い合わせ文書をいただく、教宣用のビデオもとりよせました。ネット初心者の僕がここのサイト、掲示板と出会い、樋田氏との対話を通じて得たものは大きく、感謝しております。

 

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投稿日時:2005/06/26(Sun) 00:37
おなまえ:神様
タイトル:ありがとうございます
 
そういえば302は見た記憶があります。忘れていました。
私的なことですが、樋田さんは音楽活動もなさっていますか?
あと前にも聞いたことがあると思うのですが、樋田さんは広宣流布のために宗門も変えていくべき事もあるとおっしゃっておりましたが、僕は創価学会についてかなり変えていくべきことも書いたと思うのですが、具体的に樋田氏の宗門への思いを教えていただきたいのですが?

 

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投稿日時:2005/06/27(Mon) 19:48
おなまえ:神様
タイトル:Re:[329] 創価教育の成果とは
 
> あどべの脳足りんちゃん、お前さんは横槍を入れて来て怪しげな博識をひけらかそうとした積りなんだろうが、お前さんのあれは、何処かの三面記事を丸写ししたような噴飯物は、何の足しにもならない駄文の見本でしかない事を知るべきだよ。
>
> お前さんの尊敬して止まないあの太作の身に纏わる話は、まんざら根拠のない話でない事は理解できたかい?。
>
> 拙者が思うには創価教育の最大の成果は、あの池田太作は、日蓮正宗という信仰の縦社会の僧俗の中に、共産主義の理念を形成する階級闘争の横の連帯思想を持ち込んで、人権、人権と騒ぎたて「我々俗は昼も夜も働いて折伏を実践し、僧に供養し坊主を養って来た。それに対して感謝もないし生意気だ」等と叫んで、宗門乗っ取りを画策し、多くの学会員を煽動した挙句、不幸にも宗門から遠ざけて終に会員の大半を離反せしめ、堕獄に至る道を選択する事に成功したようだ。
>
> そのマルクスの階級闘争とも言うべき教育理念こそが創価教育の最大の成果だろうね。その傍ら、横の連帯を強調しながら、いつもの事ながらその頂点に君臨するのは、あの富士短期大学の卒業資格を持つ太作さんと、それら一握りの選ばれた提灯持ちらが晩餐を楽しむ社会とはね。これは最大の歪だね。



たしかにそうかも知れませんね、ある意味で共産主義的プロレタリアによる政治を実現させたのかもしれません。でもレーニンや中国共産党も腐敗します。根本を見失ってはいけない、宗門・学会員両者とも主体的信仰が必要でしょうね。
>

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投稿日時:2005/06/28(Tue) 22:51

おなまえ:神様
タイトル:聞きたいこと
 
なぜ樋田氏はこの教えに確信を得たのですか?さまざまな矛盾、形式的な点を人智を超えた御意思と考えられるまで確信されたのですか?悩みや大きな体験を得たからですか?
屁理屈をことごとく論破されたと言っておりましたが、どういう点ですか?
なぜさまざまな教えから、日本の鎌倉時代の日蓮の教え、創価学会やその他法華系宗教が活発で一番身近な教えに確信されたのですか?
ある意味でこれは創価学会が価値創造して、民衆を救済するという例になってしまったのでは?なぜこの教えが全てと思われたのですか?

 

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投稿日時:2005/06/28(Tue) 22:59
おなまえ:神様
タイトル:Re:[332] ありがとうございます
 
 > 折伏精神と実践。この全国津々浦々までの横溢ですね。
> 折伏しなくては本当の功徳は絶対に積めません。
> それどころか自行ばかりでは諸々の悪人と地獄に堕ちる、とまで言われています。

折伏ですか、でも折伏はいまでも妙観講などが行われているのでは?
僕は創価学会、日蓮正宗両者とも正しいところも間違ったところもあると考えます。どちらかが大ホウボウを犯しているとは断固考えません。僕の周りの人、樋田氏などの法華講の方は両者とも真の法華経の行者です。両親も宗門とは一緒にはもうならない、法華講員も学会も絶対うちの信仰に帰依させてやると言っておりますが、ここがちがいます。両者がそれぞれ本質に気づき、大きな時間、仏の慈悲のもと一緒になる日が必ず来ます。これは長期的な視野での話です。これはある意味で両者に対する仏の警告ではと考えております。

 

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投稿日時:2005/06/29(Wed) 12:38
おなまえ:ミュン
タイトル:神様くん、日蓮正宗に入信しなさい。

神様くん。君は間違っていますよ。君は少しは日蓮正宗とか創価学会とかを知っているかもしれませんよね。でも、それは100の内に1も知らない状態です。日蓮正宗がなぜ、他の宗教が間違っているかもわからないでしょう!そして昭和に何があったかの歴史も。それがわからなければ、長期的な視野でのうんぬんなんていうのは、神様は知らないからなんだなーって、読んでいて思います。
 神様が本当のことを知りたいなら、まず日蓮正宗の大石寺に入信して、勤行、唱題、折伏、そして、教学の勉強をしてみなさい。
しっかりやれば、功徳の体験も詰めるし、そうしたら御本尊様が紙でなく、仏様だとわかってきますよ。そして、日蓮正宗の教学や歴史を勉強をしたら、なぜ他の宗教が間違えで、学会とは2度と一緒にならないかも、わかりますよ。
 意見は皆さん持っていますよね。でもそれが真実かどうかは、知識(日蓮正宗の)がないと、決して真実には届きませんよ。
 神様くん、早く日蓮正宗(大石寺)に入信しなさい。他の宗教は間違えだから。そしたら真実が見えますよ。
 

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投稿日時:2005/06/29(Wed) 16:31
おなまえ:神様
タイトル:意見ありがとうございます
 
そうですね、でも考えの違いはあります。ミュン様の考えることは否定しないし、かといって大肯定もしません。あなた様は100全てを知っているのですか?それは違うと思います。宗門との問題は僕なりに学会のも、宗門のも中立的に読んだと思います。リアルタイムでないのでもちろんわかりませんが。両者これだけスキャンダルや批判され、裁判も勝訴もあれば敗訴もあるのですから、単純にどちらかが全て正しく、相手は絶対悪などでは単純にないと思います。ここは確信があります。考えは変わりません。すいません。
単純に僕が今わかるのは、親や周りの人の幸せな信仰生活と、樋田氏などの法華講員さんの真剣な信仰心、それだけはリアルタイムで現実を知っております。あなた様の言われるこちは学会員さんにも同じようなことを言われます。あまりに似ているのでびっくりするぐらい。僕は主体的に寛容に信仰し、信仰の本質と日蓮大聖人の御意思を常に考えていきたいです。一緒にならないかはわかりません。未来は誰も知りえません。まぁ希望ですけど。僕の。そうがんばっていきたいですけど。ミュン様はなぜ本尊を仏様と、日蓮正宗の教えが全てだと思われたのですか?聞きたいです。

 

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投稿日時:2005/06/29(Wed) 16:36
おなまえ:神様
タイトル:意見ありがとうございます
 
そうですね、でも考えの違いはあります。ミュン様の考えることは否定しないし、かといって大肯定もしません。あなた様は100全てを知っているのですか?それは違うと思います。宗門との問題は僕なりに学会のも、宗門のも中立的に読んだと思います。リアルタイムでないのでもちろんわかりませんが。両者これだけスキャンダルや批判され、裁判も勝訴もあれば敗訴もあるのですから、単純にどちらかが全て正しく、相手は絶対悪などでは単純にないと思います。ここは確信があります。考えは変わりません。すいません。
単純に僕が今わかるのは、親や周りの人の幸せな信仰生活と、樋田氏などの法華講員さんの真剣な信仰心、それだけはリアルタイムで現実を知っております。あなた様の言われるこちは学会員さんにも同じようなことを言われます。あまりに似ているのでびっくりするぐらい。僕は主体的に寛容に信仰し、信仰の本質と日蓮大聖人の御意思を常に考えていきたいです。一緒にならないかはわかりません。未来は誰も知りえません。まぁ希望ですけど。僕の。そうがんばっていきたいですけど。ミュン様はなぜ本尊を仏様と、日蓮正宗の教えが全てだと思われたのですか?聞きたいです。

 

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投稿日時:2005/06/29(Wed) 16:36
おなまえ:神様
タイトル:無題
 
すいません。まだネットなれてないので二回書き込んじゃいました。すいません。

 

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投稿日時:2005/06/30(Thu) 12:45
おなまえ:ミュン
タイトル:神様くん、答えです(パート1)
 
 こんにちは、神様。ミュンです。返信をありがとうございます。神様の質問に答えますね。

>ミュン様はなぜ本尊を仏様と、日蓮正宗の教えが全てだと思われたのですか?聞きたいです。

答えです。
→ミュンの家は、浄土真宗の檀家総代を2代続けてやった家です。(祖父と祖父の父)そして祖母は日本中の宗教ならほとんどやったと思う位宗教をなんでもやった人でした。(ちょっと大げさですが、イメージとしては間違っていない位日蓮正宗以外をやっていました。)神棚があり、柱には、びっしりいろいろな種類の神札が貼ってあって、仏壇はいくつもあって、中に入れてあるものもそれぞれ違って、その上、一つの仏壇の中に幾つもいろいろな宗教のものが入っていたようにおぼろげに記憶をしています。
ご飯を食べる時は、邪宗の説法をカセットで聞きながら、きつねに蛇に、お守りその他何から何までありました。霊媒師に頼ったり、邪宗に修行に行ったり。そんな祖母は幸せかというと、人間としての生活は底辺でした。見た目も生活も病気も家族も何から何まで。。。そんな祖母に会っていると、宗教なんて何の力もないもの。気のよりどころ。程度で、人を幸せになんか出来ない物だと思っていました。こんなに一生懸命宗教(日蓮正宗大石寺以外)をしているのに、周りのどの人より不幸なんだもの。(長くなったので別のに続きます)

 

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投稿日時:2005/06/30(Thu) 13:02
おなまえ:ミュン
タイトル:神様くん 答えです(パート2)
 
続きです。
そんな祖母等なので、ミュンの家族もたくさんの辛い人生だったよ。その不幸の理由なんて間違った宗教が原因だとも思わなかった。ただ祖母は幸せになりたくて、たくさんの宗教をしたのでしょう。父も母も幸せになりたくて、いろいろな宗教をしていたよ。でも邪宗をすればするほど、病気がひどくなって働くことができずに寝たきりになったり、その他いろいろ幸せとは違うことが起きたんだ。。。
そんなミュンが日蓮正宗(大石寺)が唯一正しいと初めて聞いても、すぐになんか信用をしなかったよ。だって宗教の無力(日蓮正宗:大石寺以外)はず~っと見てきたんだもん。
初めて話しを聞いた時2~3時間たくさんの人と話をして日蓮正宗をやろうと思ったの。みんながやれば良くなるよと、言っていたけれど。その言葉には現実がよくなるという物もあったの。今までミュンが知っていた邪宗教は、先祖の成仏とか心とか、見えないものばかりのことを言っていたの。でも日蓮正宗(大石寺)は、現実も宿命転換して変わるんだよ。というの。幸せになるか成らないかが、見てわかるんだよ。これって、ビックり。どの宗教も見えないものが良くなるとばかり言っていたのに、現実問題が良くなるということなんだもの。
 あと、ミュンは日蓮正宗(大石寺)のことを何も知らないということに気がついたの。お題目を唱え、折伏すれば幸せになる。それが本当かどうかわからなかったの。だからやってみて、幸せにならなかったら、嘘だとわかればやめるし、幸せになればうれしいと思ったよ。だから入信は日蓮正宗を試す為にやったの。力があるとないかを他人がどう思うかでなく、自分の人生で、知っていこうと。
だから入信したら、毎日勤行、唱題3時間、そして折伏等やったよ。そうしたらすごい、すごい、功徳が出てくる出てくる。
日蓮正宗(大石寺)が正しいとわかったよ。神様くんも、自分でやってみたら?日蓮正宗(大石寺)を。勤行、唱題をしないと、日蓮正宗の御本尊様のすごさなんて、いつまでたってもわからないよ。

 

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投稿日時:2005/06/30(Thu) 16:51
おなまえ:神様
タイトル:感謝
 
素敵なことですね。すばらしい体験ですね。
僕は生まれたときから学会員なので、自分の意思で入信された方のほうが信仰に対して思い入れがちがうなぁと思っていました。僕は神社にも、お寺(破門後に生まれたので)にも行ったことはあれどそこで参拝などはした事がありません。
やはり体験ですね。どんな疑問も、科学ではわからない事も、形式的なことも、矛盾点も
吹っ飛ばすような大きな体験ですね。たぶんみなさん(さまざまな宗教の熱心な方)はこれがあったのだと思います。
ですが生まれた時から学会員の私にとって、祈りなさいとは両親から言われ続け、体験も聞き続け、ある意味で慣れてしまったというか、
やっぱり祈ればいいというのは信じることの心理学的癒しでしかないと思えて仕方ないのです。どの宗教も共通だとしか思えない。自分で納得してからしか祈れません。
ですから日蓮大聖人の御意思、みな平等に必ず現世で幸せをつかみ、世界に広め、みなを幸福へと導いていけという思いが重要と考えてしまいます。ある意味で形式的なことは全て比喩であり、本質ではないとしか考えられません。
これからもいろいろと考え、探求していきたいです。100のうちまだ1も知らないですから。
ミュン様!すごく参考になりました。ありがとうございます。

 

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投稿日時:2005/06/30(Thu) 16:57
おなまえ:神様
タイトル:無題
 
ミュン様は最近、創価学会ではなく法華講に入信されたのですか?私的な質問ですいません。

 

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投稿日時:2005/06/30(Thu) 19:46
おなまえ:ミュン
タイトル:神様くんへ
 
こんにちは、神様くん。ミュンです。

神様くんの質問に答えますね。ミュンは創価学会から平成の問題で法華講に入りましたよ。ミュンは学会時代から学会活動もしていたけど、ずっとお寺に通ってお題目を唱えていましたよ。ミュンがしたかったのは、本当に幸せになることだったの。学会員の中のたくさんは、いつのまにか池田や、活動や、役職?が好きでやってイル人もいるでしょ。でもミュンは、御本尊様から功徳をもらいたかったの。
だから本当の真実の日蓮正宗をしたかったの。だから唯一人の血脈や大御本尊様ある大石寺に移ったよ。それまでは、戸田先生の本を読んで、学会は戸田先生と違うことを何で言うの?と会合で質問をしたり、広布と人生を語るを読んで、何で学会はこの本と全然違うことをしてしまうのだろうと、思っていました。神様くんもこれらの本を読むと学会がどんどん昔の学会が言っていることと、変わって来てしまうことがわかりますよ。
 神様くん、邪宗をすると本当に不幸になるよ。日蓮正宗(大石寺)以外は本当に不幸になるのよ。宗教はなんでもいいんじゃないよ。神様くんも、はやく日蓮正宗(大石寺)に移りなさい。そして功徳をもらって、体験をしてください。

 

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投稿日時:2005/07/01(Fri) 18:19
おなまえ:神様
タイトル:ありがとう
 
確かに池田会長の現在の地位に疑問を抱く人は多いでしょう、うちの伯母は学会員だけど独裁者といいます。ですが法王もある意味で絶対的権力者であり、ここも非常に危険な地位です。ここが今まで一緒だったからこそお互いが独裁的側面がうまくいっていたのだと思います。むかしの意見と確かに少しの違いはあるでしょう。ですが宗門も学会を昔は絶賛していたし、学会も宗門があるからそれへの配慮で独自性を出さずにいたのだと思います。
これからも意見交換していきましょうね。

 

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投稿日時:2005/07/04(Mon) 12:53
おなまえ:ミュン
タイトル:違いますよ、神様くん。
 
こんにちは、神様くん。

> 法王もある意味で絶対的権力者であり、ここも非常に危険な地位です。ここが今まで一緒だったからこそお互いが独裁的側面がうまくいっていたのだと思います。>
とありますが、それは、全くまちがってますよ、神様くん。

 神様くんが全くわかってないので、平成の問題が起こるまでの体制を教えますね。
 日蓮正宗(大石寺)は、日蓮大聖人から鎌倉時代よりずっと、日蓮大聖人の教えを守って伝えてきています。創価学会は平成の問題が起こるまでは、大石寺に伝わっている日蓮大聖人の教えを信じている信徒の団体の一つでしかなかったんです。
大石寺は、日蓮正宗の本山で、教えを守り伝え、信者に教える側。
創価学会は、大石寺から日蓮正宗の教えを教えてもらう側だったのですよ。わかりやすく言えば、創価学会は昭和の時代にできた、日蓮正宗(大石寺)を信仰する信者の団体だったんです。

 日蓮大聖人が日興上人だけに日蓮大聖人のお力をお渡しになり、そして次の代、次の代へと今は、日顕上人まで日蓮大聖人のお力が続いているんです。猊下様だけに大聖人様からの血脈(けちみゃく)が続いているんです。
だから、大聖人のお力を受けついでいる猊下様のみしか、御本尊の御書写ができないんですよ。
そういう猊下様と、大きな信者の一団体のトップと全然ちがうでしょ。独裁的側面という発言等は、このことを知らないからだと思います。神様くんの考えかたは絶対に間違っていますよ。

 

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投稿日時:2005/07/04(Mon) 13:03
おなまえ:ミュン
タイトル:はやく日蓮正宗(大石寺)のすごさをわかってね
 
つづきです。

神様くんは、日蓮正宗(大石寺)以外の宗教をしたら不幸になることをわかっているでしょうか。また、日蓮正宗(大石寺)をしたら罪障消滅ができ、幸せになることをご存じでしょうか。

このことはとても大事なことですよ。
この大事な法を守っている、また、猊下様だけが日蓮大聖人様より受け継いでいる唯一人の血脈(ゆいじゅいちにんのけちみゃく)と大御本尊様があるのは、日蓮正宗(大石寺)だけなんですよ。
神様くんは、日蓮正宗(大石寺)のすごさが少しはわかってきましたか?
現在の創価学会をしたら、不幸になるんですよ。
神様くん、早く日蓮正宗(大石寺)をやって御本尊様のすごさをわかってね。

 

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投稿日時:2005/07/05(Tue) 19:49
おなまえ:神様
タイトル:Re:[345] 違いますよ、神様くん。
 
日蓮正宗(大石寺)は、日蓮大聖人から鎌倉時代よりずっと、日蓮大聖人の教えを守って伝えてきています。創価学会は平成の問題が起こるまでは、大石寺に伝わっている日蓮大聖人の教えを信じている信徒の団体の一つでしかなかったんです。大石寺は、日蓮正宗の本山で、教えを守り伝え、信者に教える側。創価学会は、大石寺から日蓮正宗の教えを教えてもらう側だったのですよ。わかりやすく言えば、創価学会は昭和の時代にできた、日蓮正宗(大石寺)を信仰する信者の団体だったんです。日蓮大聖人が日興上人だけに日蓮大聖人のお力をお渡しになり、そして次の代、次の代へと今は、日顕上人まで日蓮大聖人のお力が続いているんです。猊下様だけに大聖人様からの血脈(けちみゃく)が続いているんです。だから、大聖人のお力を受けついでいる猊下様のみしか、御本尊の御書写ができないんですよ。そういう猊下様と、大きな信者の一団体のトップと全然ちがうでしょ。独裁的側面という発言等は、このことを知らないからだと思います。神様くんの考えかたは絶対に間違っていますよ。



ていねいに教えていただきありがたいのですが、それぐらいは知っております。無知からの発言ではありません。笑
ですが、ありがとうございますね

 

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投稿日時:2005/07/05(Tue) 19:58
おなまえ:神様
タイトル:Re:[346] はやく日蓮正宗(大石寺)のすごさをわかってね
 
神様くんは、日蓮正宗(大石寺)以外の宗教をしたら不幸になることをわかっているでしょうか。また、日蓮正宗(大石寺)をしたら罪障消滅ができ、幸せになることをご存じでしょうか。このことはとても大事なことですよ。この大事な法を守っている、また、猊下様だけが日蓮大聖人様より受け継いでいる唯一人の血脈(ゆいじゅいちにんのけちみゃく)と大御本尊様があるのは、日蓮正宗(大石寺)だけなんですよ。

  

他の宗教者は不幸は少し違うような。世界のほとんどは他宗教者です。まぁ本質、法華経にとかれた人生哲学をえとくしていない訳ですから、真の成仏(幸福)を得られていないということでしょう。僕は法王ではなく、日蓮大聖人に帰依しております。法王はただ日蓮大聖人の教えを理解したのが日興上人だけであり、その教えの真髄を正しく伝えていけという御意思のあらわれだと思います。ですから本尊の御書写ということも本質を理解せねば本尊の威光も意味がなくなるという御意思だと思うのです。ですから法王そのものには特別な力や、開眼などの力だけでは意味はなく、必要ありません。本質を理解して(五老僧のレベルではない)こその意味があると思うのです。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2005/07/06(Wed) 12:48
おなまえ:ミュン
タイトル:日蓮正宗(大石寺)の猊下様は唯一人の血脈があります
 
>僕は法王ではなく、日蓮大聖人に帰依しております。法王はただ日蓮大聖人の教えを理解したのが日興上人だけであり、その教えの真髄を正しく伝えていけという御意思のあらわれだと思います。ですから本尊の御書写ということも本質を理解せねば本尊の威光も意味がなくなるという御意思だと思うのです。ですから法王そのものには特別な力や、開眼などの力だけでは意味はなく、必要ありません。本質を理解して(五老僧のレベルではない)こその意味があると思うのです。


神様くんは、間違っていますよ。
では、御本尊様を日蓮正宗(大石寺)の猊下様でなく、誰かが作成をしたとして、それを拝んで功徳があると思っていますか。
日蓮正宗(大石寺)の猊下様だけがお作りになった御本尊様だからこそ、功徳があるんですよ。
日蓮正宗(大石寺)の猊下様が作成した御本尊様を拝めばなぜ、功徳が出ると思いますか?それは、日蓮正宗(大石寺)の猊下様には、日蓮大聖人様のお力が唯一人の血脈が伝わっているからなのですよ。だからこそ、猊下様はそごいんです。直接に日蓮大聖人を弟子だという直結ですか、この考え方は、間違っていますよ。
日興上人様が書いた書物の中にも、そのように書いてあります。
はやく学会をやめて、日蓮正宗(大石寺)に入信しなさい。日蓮正宗(大石寺)以外の宗教は間違っていますから。

 

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投稿日時:2005/07/06(Wed) 23:05
おなまえ:神様
タイトル:Re:[350] 日蓮正宗(大石寺)の猊下様は唯一人の血脈があります
 
> では、御本尊様を日蓮正宗(大石寺)の猊下様でなく、誰かが作成をしたとして、それを拝んで功徳があると思っていますか。


もちろん法王しか本尊は書けません。なぜ日蓮大聖人はそうしたのかというところです。なぜだと思いますか?



> 日蓮正宗(大石寺)の猊下様だけがお作りになった御本尊様だからこそ、功徳があるんですよ。


ですが特別な力や神通力はありません。ではなぜ同じ人間である法王が書かれた本尊でないといけないのか?それは前述べた大聖人の御精神だと思うのです。


> 日蓮正宗(大石寺)の猊下様が作成した御本尊様を拝めばなぜ、功徳が出ると思いますか?それは、日蓮正宗(大石寺)の猊下様には、日蓮大聖人様のお力が唯一人の血脈が伝わっているからなのですよ。だからこそ、猊下様はそごいんです。直接に日蓮大聖人を弟子だという直結ですか、この考え方は、間違っていますよ。


そうですね。信心の血脈があればです。僧宝は大聖人の教えを守り、広める役割があります。それが全てなのです。つまり、日蓮と一般大衆は直結です。法王も日蓮がなければ意味はないと思います。



ありがとうございました。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2005/07/07(Thu) 12:43
おなまえ:ミュン
タイトル:神様くん、間違えてますよ。
 
こんにちは、神様くん。ミュンです。

神様くんは、以下の様に言っていますね。
>
> ですが特別な力や神通力はありません。ではなぜ同じ人間である法王が書かれた本尊でないといけないのか?それは前述べた大聖人の御精神だと思うのです。

お答えしますね、
神様くんは、大事なことをわかっていないですよ。日蓮正宗(大石寺)の教義を僕は、こう考える。私は、こう考えると、自分なりの考え、解釈をもつことがまず、間違えなんです。
日蓮正宗(大石寺)には、日蓮正宗(大石寺)はこういう宗教だという、教え、教義が既にあるんです。既に存在する教義に対して、僕はこう考える、私はこう考えるとすることが、間違えなんですよ。それは邪義をもつことになるんです。

 前座はここまでにしておいて、神様くんの言ってることが間違っていることを教えてあげると、日蓮大聖人の精神とかは、神様くんが単に思っていることで、それは日蓮正宗(大石寺)の教義とは別の邪義です。日蓮正宗(大石寺)には、「法水瀉瓶(ほっすいしゃびょう)という教義があります。日蓮大聖人様のお力は、次の日興上人に法水瀉瓶(ほっすいしゃびょう)されすべて渡されました。そして日興上人は、日目上人へ。そして今の、日顕上人猊下様まで、日蓮大聖人のお力が伝わっているのです。だからこそ、日蓮正宗(大石寺)の猊下様の御書写の御本尊様に仏力(ぶつりき)法力(ほうりき)があるのですよ。
 神様くん、自分がもしもどんなに真剣に考えて神様くんの邪義を考えたとしても、それは、日蓮正宗(大石寺)の教義とは違うので、神様くんが不幸になってしまいますよ。
 正しいのは日蓮正宗(大石寺)だけで、他の宗教は人を不幸にしてしまいます。はやく、学会をやめて、日蓮正宗(大石寺)に入信しなさいね。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2005/07/07(Thu) 12:52
おなまえ:ミュン
タイトル:神様くんは、間違えていますよ。(つづきです
 
つづきです。ミュンです。
以下のように神様くんは、書きましたよね。

>信心の血脈があればです。僧宝は大聖人の教えを守り、広める役割があります。それが全てなのです。つまり、日蓮と一般大衆は直結です。法王も日蓮がなければ意味はないと思います。
>

信心の血脈というのは、何が大前提となっているか、神様くんは知っていますか?
創価学会が今回の問題の前に出版していた本や、大白蓮華には、
「法体の血脈を大前提として、信心の血脈がある」とあります。
あえるなら、コピーしてあげたいくらいです。私の家にも、国会図書館にもありますよ。
よく読んでください。
 神様くんは、創価学会の邪義を信じている発言をしていますよね。創価学会が今回の問題前に、学会員に教えている教義を国会図書館とか行ったりしてよんだり、広布と人生を語る等を読んで、勉強をして方がいいですよ。

 神様くんは、創価学会の教義と同じことをよく書いているけど、それは、不幸のもとです。自分で、ミュンが言っているようしてみなさい。創価学会が教義を今回の問題の前と後で変えてしまったことがわかりますよ。

 神様くん、日蓮正宗(大石寺)だけが幸せになるんですよ。他の宗教は不幸になります。だからはやく創価学会をやめて、日蓮正宗(大石寺)に入信をしなさいね。待っていますよ。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2005/07/08(Fri) 12:49
おなまえ:ミュン
タイトル:神様くん、邪義はもってはだめですよ。
 
こんにちは、ミュンです。

 神様くんに教えてあげたいことがあります。
動物園に鼻の長い象っていますよね。もしも目隠しをして、象にさわったら、ある人は鼻をさわって、「象とは、長い物。」と言う人がいます。またある人はしっぽをさわって、「象とは細い物」と言う人がいます。またある人は体をさわって、「象とは堅くて平らなもの」という人がいるかもしれませんね。皆、自分のさわった感触を言っています。でも象って、細いものでしょうか。そして、堅くて平らなものでしょうか。そして象とは、長いものでしょうか。
違いますよね。象は象という現存したものがあるんです。

 神様くんも、「僕は日蓮正宗(大石寺)はこういうものだと思う。」と言っているけど、神様くんは日蓮正宗(大石寺)のことを余りにも知らないので、全然本当の日蓮正宗(大石寺)のことがわからないのですよ。
(神様くんの場合は、日蓮正宗(大石寺)について言っていることが間違っています。)
神様くん、では日蓮正宗(大石寺)のことを本当に知るためには、どうしたらいいと思いますか?それは、日蓮正宗(大石寺)の猊下様のいう通りにやっていくことなんですよ。なぜなら、日蓮正宗(大石寺)の猊下様は、日蓮大聖人様より法水瀉瓶(ほっすいしゃびょう)で日興上人様が受け継ぎ、それを日目上人へ。そして次の猊下様へと、代々の猊下様が日蓮大聖人様のお力を受け継いでいるからなのですよ。
 神様くん、世界でただ一つ正しいのは、日蓮正宗(大石寺)だけですよ。他の宗教は不幸になってしまいますよ。だから、早く創価学会をやめて、日蓮正宗(大石寺)に入信をしなさいね。待っていますよ。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2005/07/08(Fri) 19:14
おなまえ:神様
タイトル:感謝。感謝
 
沖浦さん、ミュンさん、僕のことを本当に真剣に考えてくださってありがとうございます。なんかうれしいです。

沖浦さんに聞きますが、焼死された法王がいる、現在の法王はだめだ、わかりますが、日寛上人や日興上人などの法王もいます。個人攻撃はいけないし、また本当に皆が疑念なく信頼できる法王が現れるかもしれませんよ?

ミュンさん、僕は確かに日蓮正宗のことを知り尽くしているとは思いません。まだまだ勉強中です。
法王に受けつがれているお力とはなんですか?具体的に、理屈や科学に反しない、僕が納得できるものを教えてください、僕は思想だと思いますが。
日蓮の教えもさまざまな解釈がされます。
ミュン様は非常に原理主義的ですね、これはどの宗教にもあります。聖書のアダムとイブ、これは教義です。即に存在します。ですが現在の科学には反します。ここを盲目的に信じることが正しいとは思えないし、信じれない。
もちろん開眼、法王、などの一部分を僕の中で納得できれば良いです。樋田氏はこの科学に反する矛盾を人智を超えた御仏意ととらえたそうです。僕はここを御精神が根本と考えました。

みなさん本当にありがとうございますね。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2005/07/09(Sat) 01:16
おなまえ:神様
タイトル:感謝
 
沖浦さんは思っている以上に大先輩でした。若輩者のさまざまなご無礼お許しください。僕はまだ若いです。樋田さん、沖浦さん、などの信心の先輩方、親などからさまざまなことを学び、生かしていきたいと考えます。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2005/07/09(Sat) 01:25
おなまえ:神様
タイトル:Re:[365] 神様せん
 
> >  興師は唯授一人です。
> >  他の法主とは比較すら出来ません。

僧宝は創価学会の公式見解と一緒ですね?


> >  寛師は数少ない日蓮正宗における真面目な法主です。

このような中興の祖のような方があらわれ、僧宝としてふさわしい活躍をなさるとは考えられませんか?
宗門を絶対悪にするのではなく、大きな気持ちでとらえられませんか?


> >  宗門の役割は創価学会出現を持って終了いたしました。


そのような側面もあるかもしれません。
大御本尊は大石寺にあります。戸田先生のお墓もあります。
このようなことはどうおもわれますか?

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2005/07/09(Sat) 08:28
ホスト名:219.115.248.12
ブラウザ:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.0.3705; .NET CLR 1.1.4322)
おなまえ:沖浦克治
タイトル:神様さん
 
>そのような側面もあるかもしれません。

 日蓮正宗の存在意義は、蓮祖の法を創価学会に伝える事にありました。
 又、創価学会の布教の初期段階では、700年の伝統が後ろにある事が役立ったのも事実です。
 蓮祖が釈迦仏法からスタートをされ、一生涯釈迦本仏の立場を表面的には崩されなかった事と同じです。

 が、既に創価学会は独立した宗教団体として社会からも民衆からも認知を受け、今日、創価学会にとって日蓮正宗の存在は不必要となりました。
 時を同じくして顕師が出現し、謗法の限りを尽くし創価学会を破門し、創宗蜜月時代の象徴たる正本堂を破壊しさった事に時の不思議を感じます。
 
 日蓮正宗が釈迦仏法の幻影から抜け出すまで、700年が必要でした。
 比較して、創価学会の宗門歴は数十年は短いと感じます。

 蓮祖は、未来の広宣流布と布教の方程式を御予言なさいました。
 
 『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし、』
 (諸法実相抄)

 将来、必ず蓮祖自身もしくは御境涯を等しくされる人が現れ、広宣流布をその人一人からスタートさせ広まって行く。と、明確に御予言なされておられます。

 御金言通り戸田先生は御出現をなされ、出獄後創価学会を再建。
 我地涌の菩薩の棟梁なり。と、宣言をなされ、広宣流布は戸田が致します。と、世間に宣言をなさいました。
 文字通り、創価学会の折伏の嵐はここから始まったのです。
 創価学会の原点です。
 時の不思議も、戸田先生と創価学会の蓮祖直結なる事を示唆しております。
 蓮祖の立宗宣言から創価学会が宗教法人認可まで、ぴったり七百年です。
 ついでですが、鈴木法主の法華の厳罰による焼死は、牧口先生の尊い御殉教より七ヶ月目です。
 時の不思議を感じるのですよ。
 この事実が、全ての宗門側の言い訳をはねつけているのです。
 宗門の役割は、完全に終了いたしております。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽
投稿日時:2005/07/09(Sat) 09:03
おなまえ:沖浦克治
タイトル:神様さん
 
>大御本尊は大石寺にあります。

 拙宅の御形木様は、戒壇様と全く同じお力があります。
 御本尊としての差は皆無です。
 何故御本尊の代表が必要ですか?
 御本尊様をシンボルとして捉えれば、戒壇様がそれに当たるかもしれません。
 が、御本尊様はシンボルではなく末法広布の武器でしょう。
 蓮祖は、ご本尊様を、『末法広布の旗印』(趣意)と、仰せです。
 旗印は戦列の一番前を走るもので、どこかに隔離されたシンボルではありません。
 蓮祖の生き様がそれを証明し余りあります。

 御本尊に差別が無いことは御書に明らかです。
 
 『其の本尊は正法像法二時には習へる人だにもなしましてかき顕し奉る事たえたり、師子王は前三後一と申してありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時もいきをひを出す事はただをなじき事なり、日蓮守護たる処の御本尊をしたため参らせ候事も師子王にをとるべからず、経に云く「師子奮迅之力」とは是なり、』(経王殿御返事)

 と仰せになられ、さらにその下段では、

 『日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし、妙楽云 く「顕本遠寿を以て其の命と為す」と釈し給う。』

 とも仰せです。

 蓮祖が全力を尽くし、魂を墨に染め流して御図顕の御本尊に、一々対告衆によって差がある道理がありません。
 一人のための御本尊も、一切衆生のための御本尊も全て同じです。
 故に蓮祖は、

『ありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時もいきをひを出す事はただをなじき事なり、』

 と明確に仰せです。

 これらの御文証から、戒壇本尊にのみ特別なお力が備わる。との宗門解釈は、信徒支配の為に唱える邪義。である事が判明をしております。

 この御書は文永十年八月の御作です。
 弘安二年十月まで七年以上あるのです。
 その間、蓮祖が御図顕なされた御本尊は何百帯とあるでしょう。
 戒壇本尊が特別ならば、それらの御本尊に蓮祖が手抜きをされたというのでしょうか?
 馬鹿げた意見でしょう。
 御本尊様は全て同じです。
 さらに御文証を引用いたします。

 『曼陀羅と云うは天竺の名なり此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり、』(日女御前御返事)

 御本尊様のことを、輪円具足。と仰せです。
 輪円具足とは、全てが備わっていて付け足すものが無い状態を言います。
 故に御本尊は完成品です。
 何かを付け加えれば蛇足であり、謗法となります。
 戒壇本尊が特別なお力をもつ。
 完全な謗法ですね。
 又、全てが備わる蓮祖御図顕の御本尊に、法主の開眼などが不必要な事も明らかです。
 そんなものは邪魔になるだけですよ。
 
>戸田先生のお墓もあります。
 このようなことはどうおもわれますか?

 私共創価学会員は朝夕勤行をし、戸田先生に報恩感謝を申し上げております。
 謗法の地となった大石寺のお墓に、戸田先生のお心はありません。
 身延にも大聖人様のお墓がありますよ。
 貴方はおまいりをしますか?
 同じですよ。

 

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投稿日時:2005/07/09(Sat) 09:10
おなまえ:沖浦克治
タイトル:神様さん
 
>僧宝は創価学会の公式見解と一緒ですね?

 実は少し違うのです。

>このような中興の祖のような方があらわれ、僧宝としてふ さわしい活躍をなさるとは考えられませんか?

 それは必ず将来何度も御出現になられるでしょう。
 但し僧宝ではありません。
 御本仏とご同様の方として出現されるでしょう。
 当然創価学会の中にです。 
 日蓮正宗ではありません。
 あそこの覚醒を期待する事は、天台宗に期待をかける事と同じです。

>宗門を絶対悪にするのではなく、大きな気持ちでとらえら
 れませんか?

 してるのではなく、顕師によって絶対悪に自分でなったのです。
 既に手遅れです。
 あんなものは捨てておいて、立ち腐れさせておけばいいのですよ。

 

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投稿日時:2005/07/11(Mon) 12:24
おなまえ:ミュン
タイトル:科学はまだまだ進歩します。
 
こんにちは、ミュンです。

 神様くんの科学的に証明してください。にお答えしますね。
科学というものは、今どんどん発展している最中だと思います。
よって、科学がまだ日蓮正宗(大石寺)が唯一正しいという真実を証明できるだけの状態になっていないだけだと思います。すごい時間がたち、科学がものすごく進歩をした時は、日蓮正宗(大石寺)が唯一正しいとわかる時がくるかもしれません。ただ、科学がそこまでの進歩があった場合ですが。

 科学は万全ではありません。これからもっと進歩しなければならないものですよね。
神様くん、日蓮正宗(大石寺)だけが正しい宗教ですよ。他の宗教は人を不幸にしてしまいますよ。だからはやく創価学会をやめて、日蓮正宗(大石寺)をやりなさいね。

 

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投稿日時:2005/07/11(Mon) 20:21
おなまえ:神様
タイトル:意見
 
科学は進化します。可能性は未知数ですね。
将来、超能力も宇宙人も霊界も科学で証明される可能性はあります。でも科学に盲目ではありません。
そしてもう一つ、釈尊はバラモンの絶対的地位を否定し、誰でも成仏できるとときました。
大聖人は自らを上行菩薩であるとし、釈尊をも超えることができるとときました。
戸田先生(ここは参考程度で)は獄中で成仏の本質である生命を悟り、自らをじゆの菩薩であると言いました。
釈尊は大聖人も絶対的平等を説きました。誰の中にも仏性があり、悪人も子供も老人もみな仏と同じ境地をこの世で得ることができるとときました。
僕は法王は正法を正しく未来に伝えるためにあると思います。ただそれだけです。
法王個人を誹謗すれば功徳がない、活仏のような法王のとらえ方、このような考えは少し疑問に思います。
もっと謙虚な気持ちを持ってもらいたい。
おなじ人間、同じ仏性をもっているわけですから。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2005/07/12(Tue) 12:58
おなまえ:ミュン
タイトル:神様くんは、間違ってますよ。

こんにちは、ミュンです。

なんか神様くんの話をよんでいると、素直なのか、素直でないのかわからないですね。
素直なら、まず日蓮正宗(大石寺)の言う通りに日蓮正宗(大石寺をしなさいね。神様くんが素直でないな~と思うのは、結局日蓮正宗(大石寺)をしないし、しなければ御本尊様のすごさも何もわからないじゃないですか。わからない他人ごとになっている人が僕はこう思うといっているだけです。自分ですることをきちんとしない人ほど、持論をもちますよね。神様くんが、自分の考えを持ってもそれはご自分の考えで、日蓮正宗(大石寺)とは違うので、不幸になりますよ。まず神様くんは、大御本尊様の力をどれだけ知っているのですか。
 誰でも勤行、唱題の修行はつらいですよね。幸せになるためのこの修行ができないのでは、神様くんは?この修行をちゃんと猊下様の下でできなければ、結局何もわかりませんよ。
はやく日蓮正宗(大石寺)に入信しなさい。他の宗教は人を不幸にしてしまうものだから。

 

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Re:[373] 意見 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2005/07/12(Tue) 17:23  No.376      [返信]

 

 イベントの企画・運営を依頼されて超多忙でご無沙汰しておりました。

 

また書き込みぼちぼちと復帰しますね。

 

では神様へ。

 

> そしてもう一つ、釈尊はバラモンの絶対的地位を否定し、誰でも成仏できるとときました。

> 大聖人は自らを上行菩薩であるとし、釈尊をも超えることができるとときました。

 

ではなくて、元々、久遠本地に於いては、釈尊が迹であり、上行菩薩内証が久遠自受用身であり、本なのです。

後から出てきた「弟子」分としての上行菩薩が、師である「釈尊」を「乗り越える」という意義はありません。

ここの取違いは、後々仏法の悟りを得る上で、致命的な過ちですよ。

 

> 戸田先生(ここは参考程度で)は獄中で成仏の本質である生命を悟り、自らをじゆの菩薩であると言いました。

 

ここも、戸田会長自らはこのような発言はなかったと思います。後に作られた過剰な「神格化」だと思いますよ。

そして、その「伝説」を「根拠」に学会の無謬性を前面に押し出してくるのですが・・

 

> 釈尊は大聖人も絶対的平等を説きました。誰の中にも仏性があり、悪人も子供も老人もみな仏と同じ境地をこの世で得ることができるとときました。

 

その仏の境地は、理即として理論的には存在しているが、しかし、正しい修行法によってしか発現はしません。

 

> 僕は法王は正法を正しく未来に伝えるためにあると思います。ただそれだけです。

 

ここは君個人の我見ですね。

 

■身延山付嘱書   弘安五年一〇月一三日  六一歳

 釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法

の衆たるべきなり。

  弘安五年=壬午=十月十三日                  武州 池上

                                     日  蓮 花 押

 

■但し直授結要付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨

  日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並び

  に末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者

  なり。

 

このように、明確に御書示されています。

 

> 法王個人を誹謗すれば功徳がない、活仏のような法王のとらえ方、このような考えは少し疑問に思います。

> もっと謙虚な気持ちを持ってもらいたい。

> おなじ人間、同じ仏性をもっているわけですから。

 

ここも完全に君の我見であり、文証に裏付けられた正統な教義ではありませんよ。

 

■凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり。

 

御法主上人を誹謗すればそれは間違いなく謗法であるから、功徳がないどころか、今生では、災難が連続し、後生は確実に地獄行きですよ。

 

君の書き込みを少しみてきましたが、仏教を修行するには我見を捨てて求めないと一生かかっても何も得られませんよ。

 

■只須く汝仏にならんと思はゞ、慢の

はたほこをたをし、忿りの杖をすてゝ偏に一乗に帰すべし。名聞名利は今生のかざり、我慢偏執は後生のほだし

なり。嗚呼、恥づべし恥づべし、恐るべし恐るべし。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

降魔の剣に以下の投稿がありました。

投稿日時:2005/07/12(Tue) 19:32
ホスト名:219.52.118.131
ブラウザ:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)

おなまえ:神様
Eメール:
タイトル:感謝
URL  :

お久しぶりですね。樋田さん。
僕はもちろん法王は僧宝と考えます。代々御法王に大聖人は正統な教えを守ることをたくされた訳ですから。
でも個人を中傷したら功徳がないというのはやはり、ん~
なんか低次元な気がします。
今は日顕氏のご指南を見ています。本当に資質にたりないかどうか。

ミュンさま、僕は生まれたときから学会の家庭で、やらなきゃわからない、とりあえずやってみなさいというのはいやなんです。もちろん納得すれば宗門にも学会にもつきます。
ただ今は少しでも胸をかすめた宗門への疑問を法華講員さんに聞いていただきたいのです。否定しても否定してもそれでも残ったのが真実と考えますから。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

降魔の剣に以下の投稿がありました。

投稿日時:2005/07/12(Tue) 19:35
ホスト名:219.52.118.131
ブラウザ:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)

おなまえ:神様
Eメール:
タイトル:無題
URL  :

血脈とはコップの水を他のコップに写すが如く大聖人様の仏法を次の猊下様から猊下様へ相承する事です。

ここで受けつがれる大聖人様の仏法とはなんですか?
相承とはなんですか?

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

降魔の剣に以下の投稿がありました。

投稿日時:2005/07/12(Tue) 19:53
ホスト名:219.52.118.131
ブラウザ:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)

おなまえ:神様
Eメール:
タイトル:無題
URL  :

最近学会の方と会談する機会ができました。(教学の方)
法華講員さん、学会員さん、どのような質問、提案をすればよいか意見をお聞かせください。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2005/07/12(Tue) 23:22
おなまえ:無法松
タイトル:神様さんへ
 
それでは、代わりに質問してくださいますか。創価学会の公式見解で是非お願いします。
 
 創価学会が現在、新入会の会員や、旧会員に対して販売されているニセ本尊は,どこで印刷されているかは知りませんが、印刷機で印刷されていることは間違いないことです。私が知りたいのは
「その本尊が、どの段階で礼拝の対象である仏様に代わったか」ということなのです。
 あなたたちも、戒壇の大御本尊様と繋がらないといえ,勤行・唱題をされているのでしょうから、一応生身(しょうしん)の仏様と拝されているのでしょう。まさか、幸福製造機などのような物とは考えてはおられないでしょう。

 印刷機に送り込まれる白紙の紙は仏様ではありません。印刷に使用されるインクも仏様ではありません。しかし、仏壇に安置された本尊は、仏様として礼拝の対象になっている。「仏様でない紙とインクが、いったい、どの段階で仏力・法力を持つ仏様になったか?」

 ということです。お願いできますか?

 

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Re:[379] 無題 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2005/07/12(Tue) 23:54  No.381      [返信]

 

 > 最近学会の方と会談する機会ができました。(教学の方)

> 法華講員さん、学会員さん、どのような質問、提案をすればよいか意見をお聞かせください。

 

身延のお土産やで売られている大聖人様御真筆本尊の複製印刷掛け軸と、どこがどのように違うのか聞いていただきたいです。

 

1、あのお土産掛け軸は拝んでいいのどうか。

 

 YES⇒何故今まではそれを「謗法物」と呼んで謗法払いしていたのか?

 

 NO⇒学会発行の掛け軸と、どこが違うのか。

 

もし 「身延の人は謗法の人だから」と答えたら、

 

⇒どういう理由で身延の人は「謗法」なのか。

⇒学会と何がどのように違うのか。

 

と聞いてください。

 

是非お願いします。

 

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Re:[378] 無題 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2005/07/13(Wed) 00:21  No.382      [返信]

 

 > 血脈とはコップの水を他のコップに写すが如く大聖人様の仏法を次の猊下様から猊下様へ相承する事です。

>

> ここで受けつがれる大聖人様の仏法とはなんですか?

 

●まさに御本尊の御内証であります。

 

理由⇒身延その他に保存されている大聖人御真筆御本尊は拝めない。拝んでも功徳はない。(折伏経典から趣意)

 

> 相承とはなんですか?

>

 

■『本因妙抄』

「此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の禀承唯授一人の血脈なり。相構へ相構へ、秘すべし伝ふべし」(新編一六八四㌻)

 

■『御本尊七箇之相承』

「日蓮在御判と嫡嫡代代と書くべしとの給う事如何。師の曰わく、深秘なり、代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」(聖典三七九㌻)

 

■日精上人「当家甚深之相承之事。全く余仁に一言半句も申し聞かすこと之れなく、唯貫主一人の外は知る能わざるなり。(略)又本尊相伝唯授一人の相承の故に代々一人の外書写之れなし」(歴全二―三一四㌻)

 

■同上人「当家相承の事、全く他家に於て知らざる法門なり。大聖人より相伝の分は日興一人なり。之に依って今に相伝絶えず、然るに当時悪僧出来して残らず相承の由申す云々。斯の如き悪侶未来は弥々出来すべきが故に斯の如く書き置く所なり。

 

■『富士門家中見聞』日精上人

「御上洛の刻み、法を日道に付嘱す、所謂形名種脱の相承、判摂名字の相承等なり。総じて之れを謂えば内用外用金口の知識なり、別して之れを論ずれば十二箇条の法門あり、甚深の血脈なり、其の器に非ざれば伝えず、此くの如き当家大事の法門既に日道に付嘱す。

 

■『撰時抄愚記』日寛上人

「宗祖云く『此の経は相伝に非ずんば知り難し』等云云。『塔中及び蓮・興・目』等云云」(文段集二七一㌻)

 

■『文底秘沈抄』日寛上人

「今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむる事無し、蓮師の心月豈此に移らざらんや」(六巻抄六六㌻)

 

■『三宝抄』日寛上人

付属伝授は即ち是れ僧宝なり。世人此の宝を知らざること譬えば卞(べん)和らか璞(あらたま)の如し云々。(夜光の珠は磨かざれば石瓦なり磨は珠なり。歴全4-365)

 

■金言とは金口相承即是れ僧宝なり 三宝抄 歴全4-372

 

■「結要付属豈僧宝に非ずや」(六巻抄三二三㌻)

 

■日寛上人「具に此の本因本果の法門を尋んと欲ば、今二十四代伝て大石の精舎にあり金口の御相承切紙相承其の外種々の御相伝有るげにありと云云。富要10-254 寿量品

 

■日寛上人「三宝抄」

亦復一器の水を一器に写すが故に師弟亦体一なり、故に三宝一体也。

 

■『抜書雑々集』日寛上人(左京日教師「類聚翰集私」・富要二―三〇九頁の文を引用)

「日蓮聖人御入滅有るとき補処を定む、其の次ギに仏法相属して当代の法主の所に本尊の躰有るべきなり、

 

■日寛上人「此の経は相伝に有らざれば知り難し」文。また云く「此の法華経は知らずして習い談ずる者は但爾前の経の利益なり」如説修行抄筆記

 

 

●類文繁多です。我見や慢心をして謙虚に信ずべきであります。

 

この唯授一人血脈相承を蔑ろにしては絶対に成仏できません。もちろん悟りなど思いの他であります。

 

また「世界平和」など砂上の楼閣。夢のまた夢。所詮虚夢です。

 

繰り返しますが、「謗僧」は謗法です。

 

■「謗法ならば、亡国堕獄疑ひ無し。」

 

であります。

 

必ずや、国を、一家を、自分自身を滅ぼし、死後は間違いなく無間地獄です。

 

この、御仏の御言葉を恐れ、肝に銘じ、大いに慎むべきです。

 

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投稿日時:2005/07/13(Wed) 00:56
おなまえ:神様
タイトル:意見
 
ちゃんと聞いておきます。まぁ自分なりにも考えておりましたが。樋田様、無法松様、ご意見ありがとうございます。
御法王上人は御本尊を書写する権利があり、大石寺のトップであり、大聖人の教えを広め、守るための存在でもあります。これは大聖人の御意思であり、その点で僧宝ですね。
そしてこれを誹謗してはいけないと書いてある文献もある。
わかります。でも大聖人の教えを広め、守るために法王上人にしか本尊の書写の権利がない。そこはそこに流れる正法と大聖人の御意思があるからの尊い存在であり、それを無視したら成仏はできない、ということだと思います。
(また我見だ!と怒られるかもしれませんが、自然に思う疑問です。すいません)

 

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投稿日時:2005/07/13(Wed) 20:33
おなまえ:ミュン
タイトル:神様くんは、間違っていますよ。
 
こんにちは、ミュンです。

神様くんは、以下のことを書きました。
> ミュンさま、僕は生まれたときから学会の家庭で、やらなきゃわからない、とりあえずやってみなさいというのはいやなんです。もちろん納得すれば宗門にも学会にもつきます。
> ただ今は少しでも胸をかすめた宗門への疑問を法華講員さんに聞いていただきたいのです。否定しても否定してもそれでも残ったのが真実と考えますから。
>

神様くんは、間違っていますよ。
なぜなら、残ったものが真実と書いてありますが、これは大きな間違えだからです。残ったものは、どこまで真剣に考え質問した結果であっても、それは我見にすぎないからなんです。真実ではありません。真実というのは、すでに日蓮大聖人様が作られてあり、それを鎌倉時代からずっと、日蓮正宗(大石寺)が守りつづけています。真実は既にあるんです。

神様くんは、御本尊様のすごさを知らないでしょう。御本尊様のすごさとは人の体験もあるけれど、自分で修行して功徳を得なければわかりませんよ。(法体の血脈と、大御本尊様のある日蓮正宗(大石寺)でなくてはだめです。)
 頭でどんだけ考えてもそれは、いつまでたっても、例えば像さんのおしりをさわったり、しっぽをさわったり、しているだけで、結局何もわかりませんよ。その上そんなことをしているとどんどん不幸になってしまうんです。
どんなに一生懸命考えた意見でも日蓮正宗(大石寺)が唯一世界で正しい宗教だということと違っていたら、神様くんは不幸になってしますんですよ。はやく創価学会をやめて日蓮正宗(大石寺)に入信しなさい。なぜなら日蓮正宗(大石寺)以外の宗教は人を不幸にする宗教だから。
 あと日蓮正宗(大石寺)が正しいとわかるまでは、やらないという趣旨を書いていますが、神様くんは一生わからないでしょうね。だって、わかるのは、日蓮正宗(大石寺)の御本尊様に勤行・唱題をして、御本尊様から功徳をもらってはじめて、御本尊様ってすごいな~と思うと思うの。だから、考えているだけでは、何もわからないよ。樋田さんを信用して、日蓮正宗(大石寺)に入信しなさい。

 

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投稿日時:2005/07/13(Wed) 20:50
おなまえ:神様
タイトル:感謝
 
ご意見ありがとうございます。
ミュン様の信仰心は素晴らしいです。きっと素敵なかたで、幸せな人生をおくっているのだと思います。
言いたいことはわかります。
でも、創価学会の方も同じことをいいます。他宗教の方とも親交がありますが、同じ事をいいます。
僕はこの宗教の側面は正しいとは思いません。
僕は考えます。盲目な信仰はしたくない。信じ込むことの癒しはいらない。
でもミュン様の信仰は一切否定しません。樋田様のもです。
でもここはわからずやと思われようがご了承ください。
そして、間違っていると思われる考えはどんどん指摘していってください。日蓮正宗の信仰・教義を教えてください。
共に学び、高めあいたいです。

 

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投稿日時:2005/07/14(Thu) 18:06
おなまえ:神様
タイトル:聞きたいこと
 
愚問なんですが、法華経による開眼は御法王上人による儀式的開眼をあらわしているのですか?
信心の気持ちということではないのですか?
例え御法王上人による開眼が必要としても、それは正法をもったものでないとダメだということであって、形式的なことではないような気がするのですが?

 

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投稿日時:2005/07/14(Thu) 20:57
おなまえ:はなまるマーケット
タイトル:神様殿にちょい質問
 
 神様殿は、「法主」のことを「法王」と仰ってますが、これは故意によるものでしょうか? 

 神様殿のレスを拝見しますと、けっこう宗門、学会に関する知識はおありなようにお見受けいたします。「法主」という言葉を聴いたことがないことはまずないでしょう。ちゃんと「ほっす」を打ち込めば「法主」となりますからね。間違っても「ほうおう」で「法主」は出てきません。

 以前に同じような質問をされてた方がいらっしゃいましたが、神様殿はスルーいたしましたね。
 
 ちょっと気になるのでお答えください。

 

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投稿日時:2005/07/14(Thu) 21:03
おなまえ:神様
タイトル:無題
 
あぁ、すいません。「ほっす」といれても出てきません。法主、ですね。本当にすません。前に同じような質問している方はいらっしゃいましたか?知りませんでした。あぁ恥ずかしい。以後気をつけます。払子って変換されちゃうんですけど?

 

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投稿日時:2005/07/14(Thu) 21:04
おなまえ:神様
タイトル:無題
 
もちろん法主という言葉は知っておりました。

 

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投稿日時:2005/07/14(Thu) 21:22
おなまえ:はなまるマーケット
タイトル:無題

 そうでしたか。

 私は、「ほっす」と打ち込めば「法主」と変換できるようにしています。

 ご面倒でも「法主」と書いたほうがよろしいですね。お話しする際に、「法王」を書いたのでは、日蓮正宗の方々に失礼にあたると思います。

 私はロム専門ですが、ちょっと気になりましたので書き込みいたしました。失礼いたしました。

 

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Re:[396] 聞きたいこと 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2005/07/14(Thu) 23:10  No.403      [返信]

 

 > 愚問なんですが、法華経による開眼は御法王上人による儀式的開眼をあらわしているのですか?

> 信心の気持ちということではないのですか?

 

■『日顕上人御講義』

 

「総本山においては、歴代上人より現住・日顕に至るまで、こと御本尊に関する一切はことごとく、かたじけなくも諸仏成道の刻みである丑寅の勤行において、下種本因の四妙たる妙境・妙智・妙行・妙位の正義をもって、事の一念三千の御本尊に対し奉り、開眼草木成仏の深意により、妙境妙智一体不二の御祈念を申し上げておるのであります。この行事は、書写本尊、形木本尊その他、一切を含めていささかの例外もありません。また、創価学会がいくら歯ぎしりしようとも、譲座本尊の本義による代々の法主の仏法伝承の位は、厳然たる事実なのです。」(偽造本尊義を破す五九㌻)

 

 

> 例え御法王上人による開眼が必要としても、それは正法をもったものでないとダメだということであって、形式的なことではないような気がするのですが?

 

●日顕上人が「正法を持っていない」というのでしょうか?

 

その証拠は?

 

何を以って、何を根拠に日顕上人が正法を持っていない、とか、信心がないとか、言えるのでしょうか?

 

その根拠を明示してください。

 

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投稿日時:2005/07/14(Thu) 23:37
おなまえ:神様
タイトル:Re:[403] 聞きたいこと
 
> > 愚問なんですが、法華経による開眼は御法王上人による儀式的開眼をあらわしているのですか?
> > 信心の気持ちということではないのですか?
>
> ■『日顕上人御講義』
>
> 「総本山においては、歴代上人より現住・日顕に至るまで、こと御本尊に関する一切はことごとく、かたじけなくも諸仏成道の刻みである丑寅の勤行において、下種本因の四妙たる妙境・妙智・妙行・妙位の正義をもって、事の一念三千の御本尊に対し奉り、開眼草木成仏の深意により、妙境妙智一体不二の御祈念を申し上げておるのであります。この行事は、書写本尊、形木本尊その他、一切を含めていささかの例外もありません。また、創価学会がいくら歯ぎしりしようとも、譲座本尊の本義による代々の法主の仏法伝承の位は、厳然たる事実なのです。」(偽造本尊義を破す五九㌻)


日顕氏のご指南ですね。沖浦さんならすぐそれは内部規定にすぎませんといいそうですね。御書や何かには法主上人による儀式的開眼の必要性は書かれていないのですか?
よく言われることですが、昔は開眼されていない本尊もたくさんありました。そりゃ何万枚と必要でありますから、いたしかたないと思います。でもそれは日蓮正宗の本尊であり、みな信心があったので功徳があります。真の正法、本質を見なさいという御意思が開眼というものを生んだのだと思います。身延などは釈迦仏を本仏とし、形式ばかりに固執し、葬式仏教、伝統仏教の一つになってしまっています。その教えのもとにその宗の本尊を拝んでも真の功徳はないということだと思います。
>
>
> > 例え御法王上人による開眼が必要としても、それは正法をもったものでないとダメだということであって、形式的なことではないような気がするのですが?
>
> ●日顕上人が「正法を持っていない」というのでしょうか?
>
> その証拠は?
>
> 何を以って、何を根拠に日顕上人が正法を持っていない、とか、信心がないとか、言えるのでしょうか?
>
> その根拠を明示してください。




ここで、スキャンダルや河辺メモ、正信会信徒のようにニセ法主と言う人がいますが、僕はそうは言わないし、それは本質ではないし、くだらないと思います。
80歳を超える方に対してかわいそうだし、利害を超えて亀の甲より年の功です。
まだ日顕上人の資質は勉強中ですので、言及は今はしないでおきます。

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投稿日時:2005/07/15(Fri) 13:01
おなまえ:ミュン
タイトル:神様くんは、間違っていますよ。
 
神様くんは、以下を書きました。(間違ったことを)
>> まだ日顕上人の資質は勉強中ですので、言及は今はしないでおきます。

神様くんは、日顕猊下様の資質は、勉強中と書いてありますが、あいた口がしまりませんよ。
神様くんは、唯授一人の血脈というものをわかっていないのか、軽視をしているのかと思っております。
見るところを違っていますね。そのような考えでは、日蓮正宗(大石寺)のことを一生懸命考えても一生ここで質問をしたとしても何もわかりませんよ。日顕上人猊下様とお会いしたことがありますか。どのように猊下様としておやりになってくださっているかもしっていますか。神様くんのような考えは、慢心者の考えです。
 神様くん、神様くんは御本尊様のすごさをどのくらい知っていますか。神様くんはまず、ご自分がどの位御本尊様のすごさをご存じかということ、よく振り返った方がいいですね。
傍観者が何を言っていても、他人事ですから。
日蓮正宗(大石寺)は世界で唯一正しい宗教です。他の宗教は人を不幸にしてしまう宗教ですよ。

 

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Re:[404] 聞きたいこと 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2005/07/15(Fri) 17:47  No.407      [返信]

 

 > > > 愚問なんですが、法華経による開眼は御法王上人による儀式的開眼をあらわしているのですか?

> > > 信心の気持ちということではないのですか?

> >

> > ■『日顕上人御講義』

> >

> > 「総本山においては、歴代上人より現住・日顕に至るまで、こと御本尊に関する一切はことごとく、かたじけなくも諸仏成道の刻みである丑寅の勤行において、下種本因の四妙たる妙境・妙智・妙行・妙位の正義をもって、事の一念三千の御本尊に対し奉り、開眼草木成仏の深意により、妙境妙智一体不二の御祈念を申し上げておるのであります。この行事は、書写本尊、形木本尊その他、一切を含めていささかの例外もありません。また、創価学会がいくら歯ぎしりしようとも、譲座本尊の本義による代々の法主の仏法伝承の位は、厳然たる事実なのです。」(偽造本尊義を破す五九㌻)

>

>

> 日顕氏のご指南ですね。沖浦さんならすぐそれは内部規定にすぎませんといいそうですね。

 

●内部規定も何も、■「天に二日なし。」で、本尊の正邪を峻別していくことが最も重要なことです。

 

日蓮正宗の本尊に関する化儀・化法に難癖をつけることしかできないのが邪宗徒の惨めさ、哀れさですね。

 

>御書や何かには法主上人による儀式的開眼の必要性は書かれていないのですか?

 

●君には意が通ぜざるか、はたまた、御文を真摯に熟読していないか。

 

別の書き込みを借掲します。

 

 

■此の画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事は法華経の力なり。天台大師のさとりなり。此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ、画木にて申せば草木成仏と申すなり。(四条金吾釈迦仏供養事 建治二年七月一五日 五五歳 993

 

●大聖人様が開眼の意義を仰せである。

 

■形は仏に似れども意は本の非情の草木なり。又本の非情の草木にも非ず、魔なり、鬼なり。 (木絵二像開眼の事   文永九年  五一歳 638)

 

●邪法を以って本尊を開眼供養すれば、その本尊には魔や鬼が入り込む、との仰せである。

 

■法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。638

 

●「法華を心得たる人」が開眼供養しなければその本尊にはやはり鬼神が執り憑く、と仰せである。

 

●以上の御文と以下の御文を真摯に読み込み、大聖人様の御心へ通じていけば、

 

■身延山付嘱書   弘安五年一〇月一三日  六一歳

 釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。

  弘安五年=壬午=十月十三日                  武州 池上

                                     日  蓮 花 押

 

■但し直授結要付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。

 

■『本因妙抄』

「此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の禀承唯授一人の血脈なり。相構へ相構へ、秘すべし伝ふべし」(新編一六八四㌻)

 

 

●自ずと、御法主上人の開眼の義に信が向くはずです。

 

それができないとすれば、邪念が心中を深く覆っているのです。

そういう心根でどんなに何を学んでも、悟りや世界平和には全く結び付きませんよ。

 

■有解無信とて法門をば解りて信心なき者は更に成仏すべからず。

 

 

 

> よく言われることですが、昔は開眼されていない本尊もたくさんありました。そりゃ何万枚と必要でありますから、いたしかたないと思います。

 

 

●それはいつの話ですか?

まさか、草創期の法道院のことではないでしょうね?

 

この件なら完璧に明瞭になっております。

 

もし、それ以外にある事例なら、明確に例示してください。

こちらでも調べて見ます。

 

>でもそれは日蓮正宗の本尊であり、みな信心があったので功徳があります。真の正法、本質を見なさいという御意思が開眼というものを生んだのだと思います。

 

それは君の単なる思い込みですね。

そういう文証のない思い込みを「我見」と言うのですよ。

絶対に成仏できません。

むしろ「浅識」といって謗法です。

謗法は必ず堕獄の業因であり、恐るべきことです。

 

■証文に経文を書いて進ぜず候はん限りは御用ひ有るべからず。是こそ謗法となる根本にて侍れ。

 

■文証無きは悉く是邪偽にして彼の外道に同じ

 

 

>身延などは釈迦仏を本仏とし、形式ばかりに固執し、葬式仏教、伝統仏教の一つになってしまっています。その教えのもとにその宗の本尊を拝んでも真の功徳はないということだと思います。

 

●これはこの通りでしょう。

ただし、この例示を闇雲に日蓮正宗へ当て嵌めるにはそれなりの明確な根拠が必要です。

> >

> >

> > > 例え御法王上人による開眼が必要としても、それは正法をもったものでないとダメだということであって、形式的なことではないような気がするのですが?

> >

> > ●日顕上人が「正法を持っていない」というのでしょうか?

> >

> > その証拠は?

> >

> > 何を以って、何を根拠に日顕上人が正法を持っていない、とか、信心がないとか、言えるのでしょうか?

> >

> > その根拠を明示してください。

>

>

>

>

> ここで、スキャンダルや河辺メモ、正信会信徒のようにニセ法主と言う人がいますが、僕はそうは言わないし、それは本質ではないし、くだらないと思います。

> 80歳を超える方に対してかわいそうだし、利害を超えて亀の甲より年の功です。

> まだ日顕上人の資質は勉強中ですので、言及は今はしないでおきます。

>

 

●ここもやはり君の心根は問題ありですね。

君は一体どのような立場、境地、信心の境涯、能力、人間性、人徳、などを根拠に、「日顕上人の猊下としての資質を検証する」というのでしょうか?

 

君こそ、大聖人様の正当な境地を受け継いでいるとでもいうのでしょうか?

 

かりそめにもこのような思考があるとすれば君はやはり「憍慢」でこれは十四誹謗の冒頭です。

 

■十四誹謗も不信を以て体と為せり。

 

●不信謗法はやはり堕獄の業因です。

 

■此の三位房は下劣の者なれども、少分も法華経の法門を申す者なれば、仏の如く敬ひて法門を御尋ねあるべし。依法不依人此を思ふべし。

 

かの三位房にすらこのように仏の如く敬って法門を尋ねよ、と仰せです。

 

再度君に聞きますが、日顕上人が何故に御法主上人として疑問なのか、例示してみてください。

 

上記の御開眼の御指南ひとつ挙げて見ても、君にその深意が理解できかつまた解釈できますか?

 

そういう憍慢の心根では、何回生まれ変わっても絶対に何も分かりませんよ。

 

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投稿日時:2005/07/15(Fri) 20:23
おなまえ:神様
タイトル:感謝
 
ミュン様、樋田様、貴重なご意見ありがとうございます。僕はまだ若輩者で、諸先輩方は人生の先輩であり、僕は自ら愚問といっているように失礼にあたる発言であったことは承知の上です。すいません。
日顕上人に対しての発言は、ニセ法主、バカ法主のなかで小さいときから育った僕にとっては、深層心理での思い、そのような複雑なものをかかえながらの精一杯の敬意をはらっての発言です。勉強中というのは、そうじょうを受けてない、資質のない人だと言われ続けた僕にとっては、必要なことです。日顕上人への発言は以上の経緯をふまえ、お許しください。
内部規定という発言は、軽率でした。(沖浦さんもお考えも聞きたくての発言です)
また愚問ですが、法華経による開眼というのは=法主による儀式的開眼ということでいいのですね?
すいませんが、開眼という行為を詳しく教えていただけませんか?
日蓮宗への意見は、あくまで日蓮宗へのものです。
僕は僕でしかありません。傲慢などは少し失礼な気がします。僕は常に中立的に、法華講さんはいい人と思いながら、心の奥にある気持ちをおさえ、平等に話しを聞いてきました。ぼくはここにくる法華講、創価学会のかたの感情に任せた悪口、相手に対するイヤミを見るたびに悲しくなります。
そういう方のほうが、傲慢な気がします。
本尊の開眼については、直接末寺から開眼されていない本尊が出ていたというのは学会ではよく聞きます。当時の蜜月関係からの実態を知っていた学会の発言、そして何万枚と必要だった本尊、その一枚も残すことなく開眼がきちっと行われたというのは少し考えにくいです。でもそれは日蓮正宗の本尊です。
僕は知識はみなさんにくらべれば浅いです。もちろんです。
でも知識があったからといって、傲慢になったり、馬鹿にしたりは一切しません。それは学会の実態、宗門の学会批判を小さいときから見ていればそうなります。僕もそうですが、みなさんも傲慢になってはいけません。(もちろん特定の方への発言ではありません)

地獄に落ちる、何回生まれ変わってもダメだ、
・・・・・・・。

 

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投稿日時:2005/07/15(Fri) 20:39
おなまえ:神様
タイトル:意見
 
悟りや世界平和には全く結び付きませんよ。

僕はいぜん樋田様が世界平和など所詮虚構といった類の発言をされておりました。僕はここに少し疑問を抱いたのですが、どちらが樋田様のお考えですか?

世界平和とは広い意味では広宣流布、立正安国ととらえられます。
樋田様の考えもわかります。日本中、世界中の人が、学会、宗門になるのは現実不可能です。
いくら折伏をしても、それは世界から考えれば微々たるもので、自分の限られた力、限られた時間の中では不可能です。
政界、教育界、いくら力を広げても不可能です。
でもこの崇高な理想がなくなれば、自己満や仏界の境地ではありません。
なんか意味不明なこと書いちゃいました。

 

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投稿日時:2005/07/18(Mon) 22:39
おなまえ:ミュン
タイトル:創価学会は人を不幸にしてしまう宗教です。

こんにちは、ミュンです。

 神様くんは、小さい時から創価学会が邪教で、間違った話を両親から聞いていたのですね。そんな中でも、神様くんが、学会が正しいという嘘を信じなくてよかったと、本当に思っていますよ。ミュンもはじめはよくわからなかったから、中立でいました。学会の新聞もよんだし、戸田先生の本も読みました。学会の会合にも出て、そしてお寺に行ってお寺の会合にも出て両方の話を直接見聞きしました。その結果わかったことは、平成に起こった問題以降、教義を変えてしまったのは、創価学会でした。ミュンは正しく日蓮大聖人の教えをしたかったんです。それをさせてくれないのは、教義を変えてしまった創価学会だったんです。
 ミュンは、正しく日蓮正宗(大石寺)をして幸せになりたいんです。それをさせてくれなかったのは、創価学会だったんです。ミュンをはじめ、たくさんの人をうらぎったのは、創価学会でした。正しいのは、日蓮正宗(大石寺)だけです。日蓮正宗(大石寺)以外は人を不幸にしてしまう宗教ですよ。

 

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Re:[408] 感謝 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2005/07/19(Tue) 00:12  No.413      [返信]

 

 > ミュン様、樋田様、貴重なご意見ありがとうございます。僕はまだ若輩者で、諸先輩方は人生の先輩であり、僕は自ら愚問といっているように失礼にあたる発言であったことは承知の上です。すいません。

 

●私は君の発言で私自身への内容を指弾して、君が「慢心」「驕慢」である、と言っているのではありませんよ。

 

この深遠な仏法を自分の浅はかな考えを基に考えて、ある結論を導き出す、その思考のプロセス自体が、御仏もお許しにならない、慢心である、と指摘しているのです。

 

仏法はあくまでも「正師」から伝持・教示されて始めてその真意へ達することができるのです。

 

■若し師無ければ学趣く所無からん。

 

■聖人と申すは師無くして我と覚れる人なり。仏滅後、月氏・漢土・日本国に二人の聖人あり。所謂天台・伝教の二人なり。

 

師無くして解ろうとする者は、自らを「聖人」と思うような慢心者であります。

 

 

> 日顕上人に対しての発言は、ニセ法主、バカ法主のなかで小さいときから育った僕にとっては、深層心理での思い、そのような複雑なものをかかえながらの精一杯の敬意をはらっての発言です。勉強中というのは、そうじょうを受けてない、資質のない人だと言われ続けた僕にとっては、必要なことです。日顕上人への発言は以上の経緯をふまえ、お許しください。

 

●であるならば、日顕上人の「寿量品御講義」を取り寄せ、熟読なさってみて下さい。

今の世界でこれ程の御指南をされる方がいたらお目にかかりたいものです。

絶対に居ようはずがありません。

この御講義自体が御相承の紛れも無い証拠と私は拝します。

 

> 内部規定という発言は、軽率でした。(沖浦さんもお考えも聞きたくての発言です)

 

●沖浦氏は道理が全く理解できないほど精神の荒廃をきたしていると思います。

仏法で説くところの頭破七分の姿そのままであると思います。

 

> また愚問ですが、法華経による開眼というのは=法主による儀式的開眼ということでいいのですね?

 

●これは日顕上人がはっきり仰せなので、それ以上でも以下でもないと思います。

開眼をする秘術を知らない者たちは(もちろん私も含めて)その御指南を素直に信じ拝する以外に成仏の道は絶対にありません。

 

■『日顕上人御講義』

 

「総本山においては、歴代上人より現住・日顕に至るまで、こと御本尊に関する一切はことごとく、かたじけなくも諸仏成道の刻みである丑寅の勤行において、下種本因の四妙たる妙境・妙智・妙行・妙位の正義をもって、事の一念三千の御本尊に対し奉り、開眼草木成仏の深意により、妙境妙智一体不二の御祈念を申し上げておるのであります。この行事は、書写本尊、形木本尊その他、一切を含めていささかの例外もありません。また、創価学会がいくら歯ぎしりしようとも、譲座本尊の本義による代々の法主の仏法伝承の位は、厳然たる事実なのです。」(偽造本尊義を破す五九㌻)

 

> すいませんが、開眼という行為を詳しく教えていただけませんか?

 

●私は開眼を出来る立場ではないので詳しいことは解りません。というか御法主上人以外には絶対に知らないのです。

 

但し、今までの御法主上人のお言葉はあります。

 

22『本門如来寿量品廿三座』日俊上人

「開眼と云うは、眼を開くと云う事なり。魂なければ眼は開くべからず、開かざれば益も無く用も無し」(歴全三―三㌻)

 

26『観心本尊抄文段』日寛上人

「木画二像の草木成仏とは、謂く、木画の二像に一念三千の仏種の魂魄を入るるが故に、木画の全体生身の仏なり。(中略)当に知るべし、若し草木成仏の両義を暁れば、則ち今安置し奉る処の御本尊の全体、本有無作の一念三千の生身の御仏なり。謹んで文字及び木画と謂うことなかれ云云」(文段集四七〇㌻)

 

31『日因上人御消息』

「木絵の二像は本と草木にて有り、然るを生身の妙覚の仏と開眼したもふ事は大事至極の秘曲なり、日蓮聖人乃至日因に至る迄、三十一代累も乱れず相伝是れ也」

 

56『法之道』日応上人

「金口血脈には宗祖己心の秘妙を垂示し一切衆生成仏を所期する本尊の活眼たる極意の相伝あり」(研教二七―四七四㌻)

 

 

> 日蓮宗への意見は、あくまで日蓮宗へのものです。

> 僕は僕でしかありません。傲慢などは少し失礼な気がします。僕は常に中立的に、法華講さんはいい人と思いながら、心の奥にある気持ちをおさえ、平等に話しを聞いてきました。ぼくはここにくる法華講、創価学会のかたの感情に任せた悪口、相手に対するイヤミを見るたびに悲しくなります。

> そういう方のほうが、傲慢な気がします。

 

●数ある掲示板を見ると聊か見るに忍びない内容のものがありますね。君の感じることは私も感じてきました。

その心根にあるものはお互い確かに「傲慢」だと思います。

 

しかし、私が君に対してしている「驕慢」になりますよ。という指摘は、決して君個人への個人攻撃ではありません。

大聖人様の御文に照らして、仏法を学ぶ者たちの心構えとして、そして自らへの戒めとして提起しているのです。

 

> 本尊の開眼については、直接末寺から開眼されていない本尊が出ていたというのは学会ではよく聞きます。

 

●ですから法道院以外でどこが出していたのか明確に例示してください。こんな大事な問題を、根拠の無い噂話や、もしかして捏造話で判断すると言う愚は、君も快しとはしないでしょう。

 

それについても日顕上人の明確な御指南があります。

 

67『日顕上人御講義』

「末寺が、ある時期に弘通教化の上の必要上、形木本尊を下附したことはありますけれども、それはすべて、総本山法主の許可を受けているわけであり、法主に背いて形木を出したことなど、絶対にないのです。また、これは宗門全体が、その中心たる血脈相伝を拝受する上で、本宗の寺院僧侶たる正式の承認を受けている立場で行っているのである。きちんとした寺で、きちんとした住職が、しかも管長の承認を受けてそこに住し法を弘通しておる住職が、その責任の上において法主の許可を得て行っておるわけですから、なんらの問題もないのであります。それを、このようなことを言って、何か宗門の過去の在り方が、いかにも自分達の『ニセ本尊』と同じなんだという言い方をしようとしておるのは、全くの欺瞞であります」(偽造本尊義を破す二三㌻)

 

67『日顕上人御講義』

「大切なのは、いかに方法等に変化があっても、一貫して総本山の血脈法主の指示乃至、許可によるところの本寺と末寺の関係が厳として存在したということであり、この中心の在り方には絶対に変化がない。また、その上からの御形木下附であります」(偽造本尊義を破す三一㌻)

 

67『日顕上人御講義』

「資格のない者が、勝手に血脈上の本尊を印刷、配布するは、つまり授与するのは血脈相伝の仏法上の道義に反します。すなわち、非道の『ニセ本尊』である」(偽造本尊義を破す一七〇㌻)

 

>当時の蜜月関係からの実態を知っていた学会の発言、そして何万枚と必要だった本尊、その一枚も残すことなく開眼がきちっと行われたというのは少し考えにくいです。でもそれは日蓮正宗の本尊です。

 

●上記の如く、まず具体例を挙げて論証すべきです。

伝聞・憶測でこのような大事に自分なりの結論を出すと言うことは謗法となり、堕獄の因を重く積むことになりますよ。

 

> 僕は知識はみなさんにくらべれば浅いです。もちろんです。

> でも知識があったからといって、傲慢になったり、馬鹿にしたりは一切しません。それは学会の実態、宗門の学会批判を小さいときから見ていればそうなります。僕もそうですが、みなさんも傲慢になってはいけません。(もちろん特定の方への発言ではありません)

 

●私自身はもちろん「慢心」により「傲慢」になることは常に戒めているところですが、今回は君に対して君の悪い心がけを御文に照らしてそのまま指摘しているのであります。

こういう言は「傲慢」ではありません。

>

> 地獄に落ちる、何回生まれ変わってもダメだ、

> ・・・・・・・。

 

●これなども御書に類文繁多です。

 

■「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、則ち一切世間の仏種を断ぜん。或は復顰蹙して疑惑を懐かん、其の人命終して阿鼻獄に入らん。地獄より出でて当に畜生に堕すべし、若しは狗・野干、或は驢の中に生まれて身常に重きを負ふ。此に於て死し已はって更に蟒身を受けん。常に地獄に処すること園観に遊ぶが如く、余の悪道に在ること己が舎宅の如くならん」

 

この法華経の御文などはまさに、

 

地獄に堕ちて、何回も生まれ変わってもいまだ人界に生を受けられない謗法の極悪果報を表しています。

 

よくよく心してみなければならない御言葉だと思います。

 

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投稿日時:2005/07/19(Tue) 12:58
おなまえ:ミュン
タイトル:日顕上人猊下様に、唯授一人の血脈はひきつがれています。
 
こんんちは、ミュンです。

神様くんは、以下の様に書きました。(間違っている内容ですが)
> 日顕上人に対しての発言は、ニセ法主、バカ法主のなかで小さいときから育った僕にとっては、深層心理での思い、そのような複雑なものをかかえながらの精一杯の敬意をはらっての発言です。勉強中というのは、そうじょうを受けてない、資質のない人だと言われ続けた僕にとっては、必要なことです。日顕上人への発言は以上の経緯をふまえ、お許しください。

 神様くん、神様くんは両親に「日顕上人様は血脈を受けていない」とでたらめを言われ続けていたのですね。神様くん、私もまだまだ教学の勉強中だけれど、今よりもっと教学力がなかった時に日顕上人猊下様に血脈があるとわかっていました。何で創価学会員は、日顕上人猊下様に血脈がないというのかと、不思議でおりましたよ。だって、創価学会は今回の問題が起こる前は、ずっと、聖教新聞等で日顕上人猊下様のお作りになった御本尊様に祈って、宿命転換をしたとたくさん体験談が掲載されていたじゃないですか。それが日顕上人猊下様に血脈があることの証拠ですよ。日顕上人猊下様に日蓮大聖人様からの血脈が受け継がれていなかったら、日顕上人様がお作りになった御本尊様を拝んでも、功徳などないでしょ。御本尊様を誰が作っても、それを拝めば功徳があり、宿命転換が出来るのではなくて、日蓮大聖人様からの唯授一人の血脈(法体の血脈)を受け継いだ、代々の日蓮正宗(大石寺)の猊下様だからこそ、拝めば功徳のある御本尊様を作成できるのですよ。
 創価学会は今回の問題以降、急に、日顕上人猊下様に血脈がひきつがれていないと、でたらめを言い始めました。
神様くん、でたらめの創価学会にいたら与同罪で不幸になってしまいますよ。日蓮正宗(大石寺)だけが正しくて、他の宗教は創価学会を始めとして全部間違っていて、人を不幸にしてしまいます。早く、創価学会をやめて日蓮正宗(大石寺)に入信してくださいね。待っていますよ。

 

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投稿日時:2005/07/19(Tue) 17:53
おなまえ:神様
タイトル:意見
 
>  神様くん、神様くんは両親に「日顕上人様は血脈を受けていない」とでたらめを言われ続けていたのですね。


そうですね、山友さん、竹入さん、日顕さんについてはたくさん聞いております。信仰・思考は主体的に、ここにつきます。


神様くん、私もまだまだ教学の勉強中だけれど、今よりもっと教学力がなかった時に日顕上人猊下様に血脈があるとわかっていました。何で創価学会員は、日顕上人猊下様に血脈がないというのかと、不思議でおりましたよ。だって、創価学会は今回の問題が起こる前は、ずっと、聖教新聞等で日顕上人猊下様のお作りになった御本尊様に祈って、宿命転換をしたとたくさん体験談が掲載されていたじゃないですか。それが日顕上人猊下様に血脈があることの証拠ですよ。日顕上人猊下様に日蓮大聖人様からの血脈が受け継がれていなかったら、日顕上人様がお作りになった御本尊様を拝んでも、功徳などないでしょ。


そうですね。僕もここは疑問に思います。日顕上人の御本尊を拝み功徳があった。破門以後功徳がなくなったというのはおかしいですね。もちろん宗門の池田会長・創価学会評、正本堂についての見識、創価学会の日顕上人・宗門評、日顕上人の本尊、法主への見識は大きく変わりました。これはお互い今までは配慮をし、真実を言ってこなかったと言うでしょう。



御本尊様を誰が作っても、それを拝めば功徳があり、宿命転換が出来るのではなくて、日蓮大聖人様からの唯授一人の血脈(法体の血脈)を受け継いだ、代々の日蓮正宗(大石寺)の猊下様だからこそ、拝めば功徳のある御本尊様を作成できるのですよ。

そうですね。法主しか本尊を書けないのは事実です。それは大聖人の御意思を真にくみ、正法と本質を見極めているからです。身延は形式ばかりに固執し、大聖人の教えの真髄がわかっていません。その教えのもと、その教えを奉ずる人によって書かれた本尊を拝んでも真の功徳はないということと思います。



>  創価学会は今回の問題以降、急に、日顕上人猊下様に血脈がひきつがれていないと、でたらめを言い始めました。


僕はここは疑問です。法主、大石寺のトップであり、本尊を書くことのできる唯一の人物であります。それは日顕上人に引き継がれました。信心は別です。盲目的に信仰することは不幸です。時のかんずたりともホウボウに屈してはならないと日興上人もいっております。そして大聖人の誹謗とは正法の誹謗であって、それ以上でも以下でもないと思います。
中興の祖のような存在もあらわれますから、広い御心で正法をしていくことが必要です。もちろん、もちろんですが日顕上人に対しての発言ではありません。ですから日顕上人の教え、資質を学会員である僕は学ぶ必要があります。でないとホウボウを犯している可能性があるからです。


> 神様くん、でたらめの創価学会にいたら与同罪で不幸になってしまいますよ。日蓮正宗(大石寺)だけが正しくて、他の宗教は創価学会を始めとして全部間違っていて、人を不幸にしてしまいます。早く、創価学会をやめて日蓮正宗(大石寺)に入信してくださいね。待っていますよ。


学んでいるところです。これからもご指南お願いします。

 

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Re:[416] 意見 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2005/07/19(Tue) 22:05  No.417      [返信]

 

 ミュン

> 神様くん、私もまだまだ教学の勉強中だけれど、今よりもっと教学力がなかった時に日顕上人猊下様に血脈があるとわかっていました。何で創価学会員は、日顕上人猊下様に血脈がないというのかと、不思議でおりましたよ。だって、創価学会は今回の問題が起こる前は、ずっと、聖教新聞等で日顕上人猊下様のお作りになった御本尊様に祈って、宿命転換をしたとたくさん体験談が掲載されていたじゃないですか。それが日顕上人猊下様に血脈があることの証拠ですよ。日顕上人猊下様に日蓮大聖人様からの血脈が受け継がれていなかったら、日顕上人様がお作りになった御本尊様を拝んでも、功徳などないでしょ。

>

>

神様

> そうですね。僕もここは疑問に思います。日顕上人の御本尊を拝み功徳があった。破門以後功徳がなくなったというのはおかしいですね。もちろん宗門の池田会長・創価学会評、正本堂についての見識、創価学会の日顕上人・宗門評、日顕上人の本尊、法主への見識は大きく変わりました。これはお互い今までは配慮をし、真実を言ってこなかったと言うでしょう。

 

●創価学会への宗門としての見解は昔も今も何ら矛盾するものではありません。

創価学会が以下の三原則を遵守している限りにおいては、宗門として創価学会を認め、その折伏活動を賞賛してきたのです。

 

1.折伏した人は信徒として各寺院に所属させること。

2.当山の教義を守ること。

3.三宝を守ること

 

しかし、この大原則が守られなくなったならば、それは謗法団体であり、それに対しては破折・善導しなくてはなりません。

 

教義的にも、実際の活動においても変質したのは創価学会であり、宗門は大聖人様の御法をひたすら厳格に御護りして何ら変わるところはないのです。

 

ミュン

> 御本尊様を誰が作っても、それを拝めば功徳があり、宿命転換が出来るのではなくて、日蓮大聖人様からの唯授一人の血脈(法体の血脈)を受け継いだ、代々の日蓮正宗(大石寺)の猊下様だからこそ、拝めば功徳のある御本尊様を作成できるのですよ。

>

神様

> そうですね。法主しか本尊を書けないのは事実です。それは大聖人の御意思を真にくみ、正法と本質を見極めているからです。

身延は形式ばかりに固執し、大聖人の教えの真髄がわかっていません。その教えのもと、その教えを奉ずる人によって書かれた本尊を拝んでも真の功徳はないということと思います。

>

>

>

ミュン

> >  創価学会は今回の問題以降、急に、日顕上人猊下様に血脈がひきつがれていないと、でたらめを言い始めました。

>

>

神様

> 僕はここは疑問です。法主、大石寺のトップであり、本尊を書くことのできる唯一の人物であります。それは日顕上人に引き継がれました。信心は別です。盲目的に信仰することは不幸です。時のかんずたりともホウボウに屈してはならないと日興上人もいっております。

 

●この辺からは君が学会の謗法の毒気に侵されて、君自身にのその謗法の執心が沁み込んでいる状況です。

 

1、以下の相反する条目を君はどう読みますか?

 

一、時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。

一、衆議たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事。

 

1、日顕上人がいつどんな”己義”を構えたのでしょうか?

きちんと明示してみてください。

明示できないで、仮初にも時の貫首猊下を蔑如するとしたら大謗法の極悪果は必定ですよ。

 

2、たとえ誰人がどんなに大人数で何を決めようが、時の貫首猊下が御相伝の上からその決定が仏法上の誤りであると御判断された場合、その採決をたったお一人で砕きなさい、と日興上人は仰せです。

 

ニセ本尊を欲しいままに雑乱し、僧宝を口を極めて誹謗する者たちを再三教導しても受け入れない場合、この者たちを破門に処して何が問題なのでしょうか?

むしろそういう者たちを放置しておくことこそ大問題でしょう。

 

>そして大聖人の誹謗とは正法の誹謗であって、それ以上でも以下でもないと思います。

 

●まさしくその通り。

では正法とは具体的には何か?

大聖人様のお定めになった成仏への法でしょう。

その根本は何か?

戒壇の大御本尊様ですね。

この戒壇の大御本尊様を御身に相伝されたのは誰ですか?

日興上人・日目上人・・以下御歴代法主上人でしょう。

 

君は私が提示した御文証に未だ一言も答えてないですね。

 

■但し直授結要付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。

 

この御文を素直に信じることが出来ないとすれば、既にそこに慢心・驕慢・不信・疑惑・・・様々な謗法の心根が顕れています。

未来永劫に大聖人様へ御仕えしたように歴代法主上人へ仕えていきなさい。とここまではっきり仰せではないですか。

もしこの御文が信じられないとすれば、それは大聖人様を信じることが出来ないということであり、成仏は絶対無理。堕獄必定ですよ。

 

> 中興の祖のような存在もあらわれますから、広い御心で正法をしていくことが必要です。もちろん、もちろんですが日顕上人に対しての発言ではありません。ですから日顕上人の教え、資質を学会員である僕は学ぶ必要があります。でないとホウボウを犯している可能性があるからです。

 

●まさに君は創価学会という謗法深き環境に育ったが故に以下の御文の如くの状態です。

 

■辛きを蓼葉に習ひ臭きを溷厠に忘る。善言を聞いて悪言と思ひ、謗者を指して聖人と謂ひ、正師を疑って悪侶に擬す。其の迷ひ誠に深く、其の罪浅からず。

 

一体にニセ本尊を勝手に大量販売しているその大謗法が解らずしてどうして日顕上人の謗法など探せましょうか?

まさに便所の臭さが身に沁みて、わが身の謗法の臭気が解らないのです。だから驕慢・慢心と指摘しているのです。

>

>

ミュン

> > 神様くん、でたらめの創価学会にいたら与同罪で不幸になってしまいますよ。日蓮正宗(大石寺)だけが正しくて、他の宗教は創価学会を始めとして全部間違っていて、人を不幸にしてしまいます。早く、創価学会をやめて日蓮正宗(大石寺)に入信してくださいね。待っていますよ。

>

>

神様

> 学んでいるところです。これからもご指南お願いします。

 

●君はもっと真剣に御書を先入観を入れずに読むべきです。

読書百遍、意自ずから通ず、と言います。

 

御書には創価学会が大謗法の大邪宗の団体であるということが明確に解る御文が随所にありますよ。

 

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投稿日時:2005/07/20(Wed) 12:41
おなまえ:ミュン
タイトル:神様くん、樋田さんの質問を答えてみてね。
 
こんにちは、ミュンです。

神様くん、こんにちは。
神様くんは、樋田さんの書き込みを真剣に読んでくださいね。そして、神様くんが樋田さんに返事を書いてくださいね。それをすることが、神様くんが少しづつ神様くんの心に染まってしまっている邪義に神様くんが気がついてくることの一つの手段となると思うからです。
 
以下、樋田さんの417の書き込み(抜粋)です。
      (神様くんの為に書きました。)

ミュン
> 御本尊様を誰が作っても、それを拝めば功徳があり、宿命転換が出来るのではなくて、日蓮大聖人様からの唯授一人の血脈(法体の血脈)を受け継いだ、代々の日蓮正宗(大石寺)の猊下様だからこそ、拝めば功徳のある御本尊様を作成できるのですよ。
>
神様
> そうですね。法主しか本尊を書けないのは事実です。それは大聖人の御意思を真にくみ、正法と本質を見極めているからです。
身延は形式ばかりに固執し、大聖人の教えの真髄がわかっていません。その教えのもと、その教えを奉ずる人によって書かれた本尊を拝んでも真の功徳はないということと思います。
>
>
>
ミュン
> >  創価学会は今回の問題以降、急に、日顕上人猊下様に血脈がひきつがれていないと、でたらめを言い始めました。
>
>
神様
> 僕はここは疑問です。法主、大石寺のトップであり、本尊を書くことのできる唯一の人物であります。それは日顕上人に引き継がれました。信心は別です。盲目的に信仰することは不幸です。時のかんずたりともホウボウに屈してはならないと日興上人もいっております。

●この辺からは君が学会の謗法の毒気に侵されて、君自身にのその謗法の執心が沁み込んでいる状況です。

1、以下の相反する条目を君はどう読みますか?

一、時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。
一、衆議たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事。

1、日顕上人がいつどんな”己義”を構えたのでしょうか?
きちんと明示してみてください。
明示できないで、仮初にも時の貫首猊下を蔑如するとしたら大謗法の極悪果は必定ですよ。

2、たとえ誰人がどんなに大人数で何を決めようが、時の貫首猊下が御相伝の上からその決定が仏法上の誤りであると御判断された場合、その採決をたったお一人で砕きなさい、と日興上人は仰せです。

ニセ本尊を欲しいままに雑乱し、僧宝を口を極めて誹謗する者たちを再三教導しても受け入れない場合、この者たちを破門に処して何が問題なのでしょうか?
むしろそういう者たちを放置しておくことこそ大問題でしょう。

>そして大聖人の誹謗とは正法の誹謗であって、それ以上でも以下でもないと思います。

●まさしくその通り。
では正法とは具体的には何か?
大聖人様のお定めになった成仏への法でしょう。
その根本は何か?
戒壇の大御本尊様ですね。
この戒壇の大御本尊様を御身に相伝されたのは誰ですか?
日興上人・日目上人・・以下御歴代法主上人でしょう。

君は私が提示した御文証に未だ一言も答えてないですね。

■但し直授結要付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。

この御文を素直に信じることが出来ないとすれば、既にそこに慢心・驕慢・不信・疑惑・・・様々な謗法の心根が顕れています。
未来永劫に大聖人様へ御仕えしたように歴代法主上人へ仕えていきなさい。とここまではっきり仰せではないですか。
もしこの御文が信じられないとすれば、それは大聖人様を信じることが出来ないということであり、成仏は絶対無理。堕獄必定ですよ。

> 中興の祖のような存在もあらわれますから、広い御心で正法をしていくことが必要です。もちろん、もちろんですが日顕上人に対しての発言ではありません。ですから日顕上人の教え、資質を学会員である僕は学ぶ必要があります。でないとホウボウを犯している可能性があるからです。

●まさに君は創価学会という謗法深き環境に育ったが故に以下の御文の如くの状態です。

■辛きを蓼葉に習ひ臭きを溷厠に忘る。善言を聞いて悪言と思ひ、謗者を指して聖人と謂ひ、正師を疑って悪侶に擬す。其の迷ひ誠に深く、其の罪浅からず。

一体にニセ本尊を勝手に大量販売しているその大謗法が解らずしてどうして日顕上人の謗法など探せましょうか?
まさに便所の臭さが身に沁みて、わが身の謗法の臭気が解らないのです。だから驕慢・慢心と指摘しているのです。
>
>
ミュン
> > 神様くん、でたらめの創価学会にいたら与同罪で不幸になってしまいますよ。日蓮正宗(大石寺)だけが正しくて、他の宗教は創価学会を始めとして全部間違っていて、人を不幸にしてしまいます。早く、創価学会をやめて日蓮正宗(大石寺)に入信してくださいね。待っていますよ。
>
>
神様
> 学んでいるところです。これからもご指南お願いします。

●君はもっと真剣に御書を先入観を入れずに読むべきです。
読書百遍、意自ずから通ず、と言います。

御書には創価学会が大謗法の大邪宗の団体であるということが明確に解る御文が随所にありますよ。

 神様くん、神様くんが本当に日蓮大聖人様の教えをしたいのなら、一人でいろいろ考えているのではなく、きちんと樋田さんの書き込みを真剣に受け止めなさいね。そして答えてね。
 世界でただ一つ、日蓮正宗(大石寺)だけが正しい宗教ですよ。そして創価学会を始めとして他の宗教は、人を不幸にしてしまう宗教です。邪宗は人の人生を不幸にしてしまうんですよ。

 

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投稿日時:2005/07/20(Wed) 19:48
おなまえ:神様
タイトル:感謝
 
●この辺からは君が学会の謗法の毒気に侵されて、君自身にのその謗法の執心が沁み込んでいる状況です。
>
> 1、以下の相反する条目を君はどう読みますか?
>
> 一、時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。
> 一、衆議たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事。
>
> 1、日顕上人がいつどんな”己義”を構えたのでしょうか?
> きちんと明示してみてください。
> 明示できないで、仮初にも時の貫首猊下を蔑如するとしたら大謗法の極悪果は必定ですよ。
>
> 2、たとえ誰人がどんなに大人数で何を決めようが、時の貫首猊下が御相伝の上からその決定が仏法上の誤りであると御判断された場合、その採決をたったお一人で砕きなさい、と日興上人は仰せです。
>
> ニセ本尊を欲しいままに雑乱し、僧宝を口を極めて誹謗する者たちを再三教導しても受け入れない場合、この者たちを破門に処して何が問題なのでしょうか?
> むしろそういう者たちを放置しておくことこそ大問題でしょう。
>
> >そして大聖人の誹謗とは正法の誹謗であって、それ以上でも以下でもないと思います。
>
> ●まさしくその通り。
> では正法とは具体的には何か?
> 大聖人様のお定めになった成仏への法でしょう。
> その根本は何か?
> 戒壇の大御本尊様ですね。
> この戒壇の大御本尊様を御身に相伝されたのは誰ですか?
> 日興上人・日目上人・・以下御歴代法主上人でしょう。
>
> 君は私が提示した御文証に未だ一言も答えてないですね。
>
> ■但し直授結要付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。
>
> この御文を素直に信じることが出来ないとすれば、既にそこに慢心・驕慢・不信・疑惑・・・様々な謗法の心根が顕れています。
> 未来永劫に大聖人様へ御仕えしたように歴代法主上人へ仕えていきなさい。とここまではっきり仰せではないですか。
> もしこの御文が信じられないとすれば、それは大聖人様を信じることが出来ないということであり、成仏は絶対無理。堕獄必定ですよ。
>

>
> ■辛きを蓼葉に習ひ臭きを溷厠に忘る。善言を聞いて悪言と思ひ、謗者を指して聖人と謂ひ、正師を疑って悪侶に擬す。其の迷ひ誠に深く、其の罪浅からず。
>
> 一体にニセ本尊を勝手に大量販売しているその大謗法が解らずしてどうして日顕上人の謗法など探せましょうか?
> まさに便所の臭さが身に沁みて、わが身の謗法の臭気が解らないのです。だから驕慢・慢心と指摘しているのです。
> >
> >
 
> ●君はもっと真剣に御書を先入観を入れずに読むべきです。
> 読書百遍、意自ずから通ず、と言います。
>
> 御書には創価学会が大謗法の大邪宗の団体であるということが明確に解る御文が随所にありますよ。
>
>  神様くん、神様くんが本当に日蓮大聖人様の教えをしたいのなら、一人でいろいろ考えているのではなく、きちんと樋田さんの書き込みを真剣に受け止めなさいね。そして答えてね。
>  世界でただ一つ、日蓮正宗(大石寺)だけが正しい宗教ですよ。そして創価学会を始めとして他の宗教は、人を不幸にしてしまう宗教です。邪宗は人の人生を不幸にしてしまうんですよ。

 

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投稿日時:2005/07/20(Wed) 20:23
おなまえ:神様
タイトル:感謝
 
1、以下の相反する条目を君はどう読みますか?
一、時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。
 一、衆議たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事。

ここは大聖人の正法を広め大衆を真の成仏に導いていこうという深い慈悲を感じます。


1、日顕上人がいつどんな”己義”を構えたのでしょうか?
きちんと明示してみてください。
明示できないで、仮初にも時の貫首猊下を蔑如するとしたら大謗法の極悪果は必定ですよ。


ここはまだ勉強中です。河辺メモやスキャンダルについてはあえて言及しません。でも法主の存在がより絶対化されたという印象を受けます。そして伝統的形式的仏教のあり方に固執し、ある意味で原理主義的な姿勢があると思われます。でもこれはどの宗教でもある世俗派と保守派の対立にも見受けられます。でもここは勉強中です。いろいろ教えてください。



2、たとえ誰人がどんなに大人数で何を決めようが、時の貫首猊下が御相伝の上からその決定が仏法上の誤りであると御判断された場合、その採決をたったお一人で砕きなさい、と日興上人は仰せです。


そうですね。これは仏法の本質、正法がただしく伝わることの大切さ、難しさを教えてくれていると思います。でも何が仏法上の誤りなのかは判断が分けれます。そこが問題なんですね。



ニセ本尊を欲しいままに雑乱し、僧宝を口を極めて誹謗する者たちを再三教導しても受け入れない場合、この者たちを破門に処して何が問題なのでしょうか?
むしろそういう者たちを放置しておくことこそ大問題でしょう。


はい、その通りですね。でもだれが正法、大聖人の意思をくんでいるかは難しいですね。法主、カンズがホウボウを犯しているならそれをいさめることは正しいことです。でも衆議がホウボウを犯すのなら、それをいさめることも正しいことです。



そして大聖人の誹謗とは正法の誹謗であって、それ以上でも以下でもないと思います。
●まさしくその通り。
は正法とは具体的には何か?
大聖人様のお定めになった成仏への法でしょう。
その根本は何か?
戒壇の大御本尊様ですね。
この戒壇の大御本尊様を御身に相伝されたのは誰ですか?
日興上人・日目上人・・以下御歴代法主上人でしょう。


三大秘法、三宝、御書、すべてが大聖人の教えです。


 
君は私が提示した御文証に未だ一言も答えてないですね。
■但し直授結要付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。
この御文を素直に信じることが出来ないとすれば、既にそこに慢心・驕慢・不信・疑惑・・・様々な謗法の心根が顕れています。
未来永劫に大聖人様へ御仕えしたように歴代法主上人へ仕えていきなさい。とここまではっきり仰せではないですか。
もしこの御文が信じられないとすれば、それは大聖人様を信じることが出来ないということであり、成仏は絶対無理。堕獄必定ですよ。


その通りです。でも大聖人は時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。
 衆議たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事。
とおしゃっております。一般大衆も法主上人も正法に反すればそれはホウボウです。盲目的に信仰することこそホウボウです。その正法は誰でも学ぶことができます。僕も勉強中です。ご指南お願いします。



■辛きを蓼葉に習ひ臭きを溷厠に忘る。善言を聞いて悪言と思ひ、謗者を指して聖人と謂ひ、正師を疑って悪侶に擬す。其の迷ひ誠に深く、其の罪浅からず。
一体にニセ本尊を勝手に大量販売しているその大謗法が解らずしてどうして日顕上人の謗法など探せましょうか?
まさに便所の臭さが身に沁みて、わが身の謗法の臭気が解らないのです。だから驕慢・慢心と指摘しているのです。


僕は主体的に信仰を心がけています。みなさん主体的信仰が必要と思います。なにが善言、悪言かの判断は勉強中です。
ニセ本尊について詳しく教えてください。開眼がなく、日蓮正宗から下付されていないということですよね?

 
●君はもっと真剣に御書を先入観を入れずに読むべきです。
読書百遍、意自ずから通ず、と言います。
御書には創価学会が大謗法の大邪宗の団体であるということが明確に解る御文が随所にありますよ。


御書はなかなか難しいですね。昔の言葉や深い意味がたくさんあって。樋田様の言うとおり大聖人の教えに真実がありますね。



神様くん、神様くんが本当に日蓮大聖人様の教えをしたいのなら、一人でいろいろ考えているのではなく、きちんと樋田さんの書き込みを真剣に受け止めなさいね。そして答えてね。世界でただ一つ、日蓮正宗(大石寺)だけが正しい宗教ですよ。そして創価学会を始めとして他の宗教は、人を不幸にしてしまう宗教です。邪宗は人の人生を不幸にしてしまうんですよ。




ミュン様ありがとうございます。これからもみなさんご指南お願いします。

 

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降魔の剣に以下の投稿がありました。

投稿日時:2005/07/21(Thu) 00:07
ホスト名:61.198.245.5
ブラウザ:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 1.0.3705; .NET CLR 1.1.4322)

おなまえ:ミュン
Eメール:
タイトル:神様くん。まったく違ってます。
URL  :http:

こんばんは、ミュンです。

神様くんは、以下のことを書きました。(間違っています。)

 > 確かに宗教のそのような側面はあります。ここは正していかねばなりません。だが、ここは宗教の本質ではない。宗教は思想なんです。生きる思想。宗とは大本のという意味がある。学問や哲学が教えてくれない生きる意味を学ぶことなんです。
> 宗教は大きな河に似ている
> 源泉から遠ざかるにつれて
>
> 絶え間なく汚染している
>
> プレヴォ
>
> 宗教の基本は幸福、平和なんです。麻原もマザーテレサも宗教家です。
>

 神様くんは、ミュンが思っていたよりも全然日蓮正宗(大石寺)のことがわかっていないのだと、思ってきました。
 平和も大事なことです。戦争なんていやですよね。でもこの日蓮正宗(大石寺)の御本尊様は、罪障消滅が出来て宿命転換ができ、そして成仏できるのですよ。(死んでいい顔になっていることではありません)日蓮正宗(大石寺)をすることによって、人の悲しみ、不幸を変え、幸せになれるんです。 生きる意味を知ることだけに、目が行くのは間違えです。大事なことは、一人一人が日蓮大聖人の教え(日蓮正宗、大石寺)で宿命転換し、罪障消滅し、現実に幸せになっていくことです。
 神様くんのいけないところが一つ、はっきりわかりましたよ。それは、神様くんは、自分の頭で考えてわかろうとしていることです。日蓮正宗(大石寺)の教えは、既に現実にあるのです。それを神様くんがただ知らないだけなのです。

 神様くんが知らないことは、すご~い初歩的なことも多いと神様くんの書き込みを読んでいて思いました。そんな神様くんが、少しづつ知識を増やそうとしても、結局神様くんの知識が多少増えても結局、何もわからないで終わるでしょう。
 神様くん、日蓮正宗(大石寺)の御書の中の日興遺誡置文の
1.富士の立義聊かも先師の御弘通に違せざる事。
1.当門流に於ては御抄を心肝に染め極理を師伝して若し間有らば台家を聞くべき事。      を知っていますか。
極理を師伝の、師とは誰をさすと、神様くんは思いますか。神様くんにいろいろ書いてくれている樋田さんでもなく、もちろんミュンでもないです。日蓮正宗(大石寺)のげいか様のことですよ。神様くんは、げいか様の言うことを信じて日蓮正宗(大石寺)をしなさい。それができないのなら、またそれをするのが盲目的というなら、神様くんが、日蓮正宗(大石寺)の教えを拒否していることになるのですよ。そんなことをしながら日蓮正宗(大石寺)のことを勉強しても、何にもなりません。なぜなら、神様くんが、日蓮正宗(大石寺)のやり方を拒否、否定しているのですから。いつになっても何も日蓮正宗(大石寺)のことはわかりません。
 いろいろ知りたいと言っていますが、神様くんは、日蓮正宗(大石寺)の御本尊様のすごさをどの位知っているのですか?
 日蓮正宗(大石寺)だけが正しい宗教です。創価学会をはじめ、他の宗教は人を不幸にしてしまう宗教です。はやく日蓮正宗(大石寺)に入信して、素直に日蓮正宗(大石寺)のげいか様に言うとおりにやっていきなさいね。

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投稿日時:2005/07/21(Thu) 00:16
おなまえ:神様
タイトル:ミュン様
 
ひとことさまへの返信は法華講の方に対する発言とは少しニュアンスが違うものです。気にしないでください。
幸福は成仏、平和は立正安国
の例えです。
僕は学会員の家庭で育ちました。学会員の宗門観、法主評を知っていますよね?
その中で育ったのです。ですから学ぶしかないのです。
中立に。
お許しください。

 

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投稿日時:2005/07/21(Thu) 01:33
おなまえ:神様
タイトル:意見
 
ミュン様は本当に純粋な人ですね。素敵な人ですね。なんら相手を見下す感じがしない。
一番心に響きます。
大御本尊一度は直接見てみたいな。

 

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Re:[425] 感謝 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2005/07/23(Sat) 01:14  No.464      [返信]

 

 ●> 1、以下の相反する条目を君はどう読みますか?

> 一、時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。

> 一、衆議たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事。

>

> ここは大聖人の正法を広め大衆を真の成仏に導いていこうという深い慈悲を感じます。

 

●御仏の深い御慈悲を感じ取れることは大変に尊いことだと思います。

ただし、この御文は日興上人のお言葉です。

 

参考資料

 

第十八条の「不可用之事(用ふべからざる事)」は不幸にして法主(貫主)の言われることがどうしても理解できなかった場合、消極的に「もちいない、ききいれない」ということであり、

第十九条の「可摧之事(摧くべき事)」は、大衆が数を頼んで団交に及んでも法主が仏法からみて相違しているならば断固、積極的に、「くだけ、おしとおせ」と言われているのである。

 そこに自ら、法主と大衆には礼儀、立場の違い、法の重さという修行分の違いがあるのであって決して「不二(二でない=平等、同格との意)」ではなく、「而二(而して二=自ずと差異があるとの意)」なのである。

 

 

 

●この第十八・十九条については、古来様々な見解が出ていると思います。それほど難解な御文なのだと思います。

 

古来から、この十八条を楯にして、富士大石寺から離反していった門人は数知れません。

 

私としては、この御文には、日興上人が未来永劫に大聖人様の御法門とその法を御護りする宗門・宗団を清浄に保つ為に御遺しになられた甚深の御配慮を拝すのです。

 

つまり、真の三宝への信心がない者は、前条を奇禍として自らの慢心を増幅させ、御文の真意を曲解し、時の御法主上人を攻撃・誹謗し、果ては自らの我見を基とした異流儀として背反していくのです。

結果、戒壇の大御本尊様から離反して堕獄の道をひた走るのです。

 

このような者たちは、獅子身中の虫であり、宗内でその謗法の邪念をひた隠して隠棲していると、本当の大事の時に、大きな魔となり、宗門衰亡の一大事となりかねません。

 

ですから、慢心深き者どもは、未だ宗内で深く、強い、抜き差しがたい立場に成長する前に、この御文に誘発されて、自ら宗外へ離脱してくれる、とも言えるのと思うです。

 

事実昨今の離反した者たちは、まさにそのような慢心深き者達であり、彼らが離反していったお陰で、宗内は実に清浄になったことは紛れもない事実です。

 

私は創価学会での活動もしてきましたが、今から考えると、実に仏法に似て非なるものをしていたということが、よく解ります。

 

真剣に成仏を目指す自分には当時から創価学会の会合等に大変な違和感を持っていましたが、その釈然としないなにものかは、今になってその正体は明確です。

 

つまり、似非仏法だったのです。

 

しかもところどころ正しいところもあるので、一概に全部を否定は出来ないのです。

 

でも、凡そ正しい仏道修行とはずれたこともやらせる。

強いる。

紛らわしい分、実に危険な活動であったと思います。

 

この危険極まりない団体から抜け出て、日顕上人の下で日蓮正宗の仏道修行を直接させていただいて、今実に楽しいです。

 

御書や、法華経に説かれている、不思議な境地というものが感じられてくるのです。

 

そして仏法の奥義を求めて止まない心境になります。

だから楽しくて嬉しくて仏道修行に勤しめるのです。

この感じこそ入信以来ずっと求めてきたものなのです。

 

しかし創価学会時代、会合等には全くと言っていいほど、この歓喜はなかった。

この純粋な仏道修行に依る所の真の歓喜はやはり感じられなかった。

創価学会が日蓮正宗から離反してくれて、私は心の底からありがたいです。

もう、学会に所属しなくても仏道修行ができるからです。

紛らわしい、胡散臭い活動をしなくてもいいのですもの。

そして、仏法の何たるかに全く無知な幹部連の増上慢プンプンの全然「人間革命」していない、押し付けがましい「説教」を聴かなくても良い訳ですから。

 

先日、日顕上人の御講義を拝聴させていただきました。

真に、深い、有り難い、尊い御指南でした。

あのような深いお話が出来る方を私は他に全く知りません。

 

池田氏のスピーチなど、痴論、恥論、の域ですよ。

あのような低劣な話を聞かされている学会員は当然同じように低劣になるのは当たり前ですよね。

実に哀れです。真の尊いものを知らないのですから。

 

尊いものを見分けるのは自らもそれなりの境涯にいかないと解りません。

しかし、いいものを体験した者は、下衆なものは直ぐわかります。

これは世間一般の道理でもあります。

 

・・長くなりましたが、君ももはや真の仏法からほど遠いものしか残っていない創価学会の眼で(如何に中立、といってみても、君は明らかに学会の邪義に毒されていますよ。それはその毒気が少しでも取れてみないと君自身には気がつかなと思いますけど)いくら日顕上人のことを詮索しても、絶対に解らないと思います。

 

私もここ数年ですよ、やっと日顕上人のご指南の尊さを心の底から感じれるようになったのは。

 

それまで日蓮正宗の正統なる御本尊様へ真剣な勤行・唱題をし、お寺に参詣し、総本山に参詣し、折伏し、講員さんの家庭訪問をし・・・それなりの修行を積んできました。

その功徳で、やっと日顕上人の凄さの一分を感じることが出来るようになったのですよ。

 

君も今のスタンスから一歩踏み出さない限り、結局は創価学会という大謗法団体と謗法与同している訳ですから、今の状態からどんどん、沖浦氏のような狂乱、悩乱状態になり、まともな社会生活の規範すら守れない畜生のような境涯に堕ちますよ。

 

今日は、この辺にしておきますね。

 

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投稿日時:2005/07/23(Sat) 03:34
おなまえ:神様
タイトル:感謝
 
参考になりました。教学の方とお話しするときにも参考にさせていただきます。
 

ここは大聖人の正法を広め大衆を真の成仏に導いていこうという深い慈悲を感じます。(日興上人の決意です。日興上人によるものと存知あげております。)

私としては、この御文には、日興上人が未来永劫に大聖人様の御法門とその法を御護りする宗門・宗団を清浄に保つ為に御遺しになられた甚深の御配慮を拝すのです。つまり、真の三宝への信心がない者は、前条を奇禍として自らの慢心を増幅させ、御文の真意を曲解し、時の御法主上人を攻撃・誹謗し、果ては自らの我見を基とした異流儀として背反していくのです。結果、戒壇の大御本尊様から離反して堕獄の道をひた走るのです。このような者たちは、獅子身中の虫であり、宗内でその謗法の邪念をひた隠して隠棲していると、本当の大事の時に、大きな魔となり、宗門衰亡の一大事となりかねません。



僕もそう思います。本当に正法を広めることは難しいですね。まず僕は学ぶことをしていきたいです。誰しも御書を学ぶことができます。法主上人のみ知りえる教え、密教的教えはない。御書やさまざまな文献に書かれています。ですから法主も、大衆も正法を誹謗するものに対しては立ち向かえと日興上人はおおせなのだと思います。しかし、ここは法主上人と大衆との差も感じられますね。大聖人は法主上人に伝持を託された。正法を誰よりも学び、教学力もあり、資質ある人が前法主上人から選ばれる訳ですから当然です。ですがその法主上人でも正法も守らなければホウボウだと日興上人は言っているのです。本当に正法は深く、尊いものです。僕も法華経の生命の永遠、人間の平等などを少しずつ学んでいくうちに、やなことや、生きるということを目の前からとらえられるようになりました。でもまだまだです。



私は創価学会での活動もしてきましたが、今から考えると、実に仏法に似て非なるものをしていたということが、よく解ります。真剣に成仏を目指す自分には当時から創価学会の会合等に大変な違和感を持っていましたが、その釈然としないなにものかは、今になってその正体は明確です。つまり、似非仏法だったのです。しかもところどころ正しいところもあるので、一概に全部を否定は出来ないのです。



確かに選挙活動などは宗教活動ではありません。でも僕は創価学会の公明党という社会表現は大変評価しています。前にも言いましたが、議員とも会談できましたし、政治には無関係な一般の主婦が政治に積極的に参加する。でも、まず自分の考えを持つことが必要です。母にも言ってます。選挙活動、聖教啓蒙、美術館、民音なんどの文化活動、これらは宗教活動ではない。でも、宗教の精神が根本にある。ここがなければ違和感を感じるし、正しくはない。でも僕は学会のこのような多角的活動は大いに賛成です。そして根本には仏法があると思います。しかし、教学の草の根レベルでの徹底も述べていきます。



この危険極まりない団体から抜け出て、日顕上人の下で日蓮正宗の仏道修行を直接させていただいて、今実に楽しいです。御書や、法華経に説かれている、不思議な境地というものが感じられてくるのです。そして仏法の奥義を求めて止まない心境になります。だから楽しくて嬉しくて仏道修行に勤しめるのです。



素敵なことですね。でも両親も同じことを言います。そして絶対地獄の境涯ではない。あなたは創価の後継のために生んだ、お母さんの一番の願いは学会をつぐこと、そういわれています。宗門の話をずっとしていて泣かれたこともあります。そんな母を裏切れないし、今は学会も宗門もどっちかが絶対悪などは考えない。両方正しいところがある。




しかし創価学会時代、会合等には全くと言っていいほど、この歓喜はなかった。この純粋な仏道修行に依る所の真の歓喜はやはり感じられなかった。創価学会が日蓮正宗から離反してくれて、私は心の底からありがたいです。


父も同じことを言います。




紛らわしい、胡散臭い活動をしなくてもいいのですもの。
そして、仏法の何たるかに全く無知な幹部連の増上慢プンプンの全然「人間革命」していない、押し付けがましい「説教」を聴かなくても良い訳ですから。


確かに池田会長の話を直接聞いたことがありますが、僕はもっと仏法の話をしてほしいなって思います。身内だからって気軽な話をしすぎだと思いますね。もっと世界の著名人、本の中で話すことを話してほしい。日顕上人は教学についてきちっと説明してくださいますが、ただずっと御書を読んだり、すこし硬すぎて、それをどう実践すればいいかわかりません。お互いに言いたいことがあります。でも池田会長は増上慢の強欲ジジイだと思われますか?学会員の法主観もそうですが、人間はいいところも悪いところもある。ハーバードの講演、名誉教授、市民、著名人との会談を金で買った!!と一刀両断していいのでしょうか?



尊いものを見分けるのは自らもそれなりの境涯にいかないと解りません。しかし、いいものを体験した者は、下衆なものは直ぐわかります。これは世間一般の道理でもあります。


学会員の人も日顕上人の講義は昔は聞いていたと思いますよ。僕はありません。ビデオや本は最近見ましたが。直接はありません。



・・長くなりましたが、君ももはや真の仏法からほど遠いものしか残っていない創価学会の眼で(如何に中立、といってみても、君は明らかに学会の邪義に毒されていますよ。それはその毒気が少しでも取れてみないと君自身には気がつかなと思いますけど)いくら日顕上人のことを詮索しても、絶対に解らないと思います。



そうですね、僕は学会の視線で見ている部分はあります。それは自覚しています。でもそれが間違っているとは思いません。自分で考えて今の段階で主体的に正しいと思ったことを書いています。でも深層心理にある思いはなるべくおさえ、イヤミや悪口の応酬にはならないように気をつけています。




私もここ数年ですよ、やっと日顕上人のご指南の尊さを心の底から感じれるようになったのは。それまで日蓮正宗の正統なる御本尊様へ真剣な勤行・唱題をし、お寺に参詣し、総本山に参詣し、折伏し、講員さんの家庭訪問をし・・・それなりの修行を積んできました。その功徳で、やっと日顕上人の凄さの一分を感じることが出来るようになったのですよ。


やっぱり宗教は必要。信仰は尊いですね。父もただ生きる人生なんてつまらない、信仰に生きるなんてどんなに尊いか、って言っています。


君も今のスタンスから一歩踏み出さない限り、結局は創価学会という大謗法団体と謗法与同している訳ですから、今の状態からどんどん、沖浦氏のような狂乱、悩乱状態になり、まともな社会生活の規範すら守れない畜生のような境涯に堕ちますよ

僕は大謗法団体とは両者考えていません。
樋田様、毎回本当に感謝しています。ありがとうございます。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2005/07/23(Sat) 04:26
おなまえ:ミュン
タイトル:神様くん、間違っていますよ。
 
こんばんは、ミュンです。

神様くんは、以下のように書きました。(間違っています)

> 僕は大謗法団体とは両者考えていません。

神様くんは、なぜ創価学会を大謗法団体と思っていないのですか。樋田さんが創価学会は、いろいろ間違えていることを教えてくれているじゃないですか。
それなのに、なぜ創価学会を大謗法団体ではないと、神様くんは思っているかを、教えてください。
それは、大きな間違えですよ。

大謗法団体創価学会をはやくやめなさい。そして、日蓮正宗(大石寺)に早く入信しなさい。日蓮正宗(大石寺)以外は、人を不幸にしてしまう間違った宗教だから。

 

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投稿日時:2005/07/23(Sat) 17:24
おなまえ:神様
タイトル:意見
 
> 神様くんは、なぜ創価学会を大謗法団体と思っていないのですか。樋田さんが創価学会は、いろいろ間違えていることを教えてくれているじゃないですか。
> それなのに、なぜ創価学会を大謗法団体ではないと、神様くんは思っているかを、教えてください。



ミュン様ありがとうございます。毎回。
・時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。
・衆議たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事。

と日興上人もおおせのように、法主上人も大衆も正法を誹謗しているならばそれはホウボウです。正法は御書やその他さまざま文献で誰でも学ぶことができます。
そこでこの問題の一番の争点はどちらがホウボウを犯しているかです。
僕の中で整理するために、樋田様、ミュン様の考える創価学会のホウボウを具体的に羅列していただけますか?

 

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投稿日時:2005/07/23(Sat) 17:41
おなまえ:ミュン
タイトル:神様くん、創価学会はホウボウ団体ですよ
 
こんにちは、ミュンです。

 神様くんは、以下の様に書きました。(間違っています。)
> と日興上人もおおせのように、法主上人も大衆も正法を誹謗しているならばそれはホウボウです。正法は御書やその他さまざま文献で誰でも学ぶことができます。
> そこでこの問題の一番の争点はどちらがホウボウを犯しているかです。
> 僕の中で整理するために、樋田様、ミュン様の考える創価学会のホウボウを具体的に羅列していただけますか?
>
 神様くん、神様くんは、創価学会を大ホウボウ団体だと思わないのですか。創価学会は教義も変えてしまっていますよね。神様くんは、創価学会が教義を変えてしまっているのをどの位知っていますか。また、創価学会は、ニセ本尊を作成したり、その他いろいろしていますよね。
ここに書いている沖浦さんの話しも、狂った邪義ばかりです。神様くんが創価学会の今回の問題以降の変わってしまったことをどう、思っているかも教えてください。日蓮正宗(大石寺)の教えは一つです。それを変えてしまえば、それは邪教です。正しい宗教は、日蓮正宗(大石寺)だけですよ。他の宗教は創価学会をはじめとして、人を不幸にしてしまう宗教ですよ。

 

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投稿日時:2005/07/24(Sun) 12:11
おなまえ:神様
タイトル:みなさんへ
 
>  神様くん、神様くんは、創価学会を大ホウボウ団体だと思わないのですか。創価学会は教義も変えてしまっていますよね。神様くんは、創価学会が教義を変えてしまっているのをどの位知っていますか。
> ここに書いている沖浦さんの話しも、狂った邪義ばかりです。神様くんが創価学会の今回の問題以降の変わってしまったことをどう、思っているかも教えてください。





ミュン様、そしてここに集う、創価学会、法華講員の方々、最近学会の教学の幹部の方とお会いし、僕の意見を述べてまいりました。もちろんここでの討論は大いに参考にさせていただきました。

まず一つ、ミュン様、その他法華講員の方は教義が変わった、創価三宝を出せと言います。

創価学会の教義は一切変わったいない。三宝は日達上人の仰せのように、
仏法は大聖人
法宝は大御本尊
僧宝は日興上人
とたてます。
そこで新しい三宝や、大御本尊を否定する人がいる、
と述べてきましたら、少し驚き、
それは己義であると述べておりました。

まず教義変更はなく、そのように言う人は個人としての意見、法論を望んでいるのです。
その他さまざまなことを聞いてまいりました。
全て納得のいくことであり、僕の意見も寛容に聞いてくれました。おいおい述べてまいります。

 

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投稿日時:2005/07/24(Sun) 23:51
おなまえ:ミュン
タイトル:創価学会は、教義を変えてしまっています。
 
こんばんは、ミュンです、

神様くんは、以下の様に書きました。(間違っていますが。)
> まず一つ、ミュン様、その他法華講員の方は教義が変わった、創価三宝を出せと言います。
>
> 創価学会の教義は一切変わったいない。三宝は日達上人の仰せのように、
> 仏法は大聖人
> 法宝は大御本尊
> 僧宝は日興上人
> とたてます。   と、神様くんは、書きました。

 神様くんは、僧宝が日興上人と言っていますが、日蓮正宗(大石寺)では、日興上人様をはじめとして、代々の猊下様も僧宝に入ります。現在の創価学会では、代々の猊下様は僧宝に入れませんよね。創価学会は教義を違えてしまっていますよ。神様くん、よく見てみなさいね。創価学会は、間違っていますよ。正しいのは、世界で日蓮正宗(大石寺)だけですよ。他の宗教は創価学会をはじめとして、人を不幸にしてしまう宗教ですよ。

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投稿日時:2005/07/25(Mon) 00:48
おなまえ:神様
タイトル:意見
 
ミュン様、日蓮正宗では
仏宝……御本仏日蓮大聖人
法宝……大聖人御所顕の大曼荼羅御本尊
僧宝……日興上人(を随一として広義として日目上人以下歴代の貫主、日蓮正宗の全僧俗も含む義がある)
としますね。
確かに僧宝には広い意味があり、伝持という正法を守り伝えるという側面からは、法主上人、僧侶、その組織そのもの、創価学会も含まれる部分もあります。それは創価学会側も(広い意味では創価学会も) と補足します。僕もその点では御法主上人も創価学会も僧宝であると述べてまいりました。しかし、なぜ『』か


日達上人の御講義です

ここで考えなければならないのは、我が宗の三宝は、御本尊が法宝、大聖人が仏宝、日興上人が僧宝と立てます。
(明確に仰せです。これが正しい三宝の立て方であり、これに違背すれば正しいものではない)

それに対して日目上人は座主である。
(座主であり、日興上人との明確な差を述べております。)

今云った通り、管領して、その大聖人の仏法を治めて行く、よく受取って治めて行く、即ち管領と云う意味を持って行くのである。統べ治める、そして統治をして行く。 その日目上人の後は、皆筒の流れのように、それを受継いで行くにすぎない。
(すぎないという発言はここも日興上人とご歴代法主上人との差を述べております。)


だから本宗の考えは、広宣流布の時は日目上人の再現、出現だと云う意味をとっております。 即ち日目上人が広宣流布の時の座主として再誕なされるとの指南であります。
(中興の祖もやはり日興上人とは違う、いくら法を広めても日興上人のした役割とは明確に違うということ)


だから代々の法主が日蓮大聖人ではない。
大聖人そのものと間違って書かれてよく問題が起きますが、その点ははっきりしてもらいたい。
(この謙虚さ。僧宝は日興上人であり、そのお方、しいては大聖人と自分が同列の尊敬の対象とは決して違うということです。)


只三宝をお守りする座主、日目上人は永代の座主、広宣流布の時の座主、それを忘れてはいけないですね。だから客殿のあの座席、法主のあの座席は目師の座席なのです。
(只三宝をお守りする座主、ここでは三宝と座主を明確に分けています。つまり座主は三宝ではない。)


まん中に御本尊、向って左は大聖人、右は日興上人、目師がそれをお守りして行くと、その座が目師の座、今の管長の座は目師の座です。
(お守りするということです。帰依の対象ではない)

だから永代、広宣流布の時にはあの座主が即ち目師の再誕と云う事になる。
(再度自分が三宝ではない、帰依の対象ではない、と仰せです。)


三宝はどこまでも、大聖人・日興上人・御本尊、これが本宗の三宝の立て方です。
(ここまでいってわからなかったら、三宝を意図的に変えているとしか考えられません)

法主が大聖人様の代わりだと、即座にこう云う事を云うと、外から非難されますから、よくその点に注意していただきたいと思います。


まずこの謙虚さ。もちろん僧宝は守り伝えるという側面もある。ですから創価学会も法主上人もその側面は持っている。だが、三宝とは帰依の対象であります。守り伝える立場の者は帰依の対象ではない。日達上人の言葉を読んでもまだご歴代法主上人は三宝だ!というのはどうでしょうか?
あきらかに僕は宗門が三宝が変わったと思ってしまうのですが?

 

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投稿日時:2005/07/25(Mon) 01:31
おなまえ:神様
タイトル:意見
 
そこでです。法主上人は守り伝える存在です。
では何を守り伝えるのか?
大聖人の仏法は御書やその他文献にあらわされています。
誰でも学ぶことができます。(ここも重要です)

しかし、同じ教えを学んでも本仏を釈尊としたりと、本質を見抜けない人がいます。弟子の中で唯一大聖人の教えを真に理解したのは日興上人お一人でした。これは同じ教えを学んでも、法華経に最高の教えがないと悟れない人がいるのと同じであって、とても重要なお立場です。
(この点でもご歴代法主上人とは帰依の対象として明確に違うのです。)

そして代々、その日興上人の大聖人の本質の教えを理解した、教学、指導力にたけた方が代々法主上人として選ばれてきたのです。時と共に宗門も弱体化し、時の政府と妥協した日蓮宗が勢力を伸ばそうと、この教えが守られてきた。すごいことです。
その中で卓越した方もいれば、資質にかけた方もいた。当然です。血脈とは神通力や密教的教えが受け継がれてきたのではないのですから。

時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。

衆議たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事。

そこでこの文言は法主上人も大衆も正法に背けばホウボウだと言っているのです。
宗門は三宝を代々御法主上人だと変更し、

時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。

というご指南にそむき、個人を中傷したら三宝誹謗だし、功徳がない、いくら大衆が教学を学ぼうと法主上人のお言葉が全て。という考えを持っているのなら、それはホウボウです。単純にそう思います。

僕にとって重要なのは、日顕上人が上記のように自ら言い、そうなったのならその教えは日興上人おおせのように用いません。そしてどのように御書を講義しているかです。この行為を三宝誹謗、法主の尊さなどわからないとするのはどうでしょうか?大聖人の教えは誰でも学べます。

ですが法主上人は代々一番正法を理解した資質ある方が選ばれます。ですから大衆と差があるのです。
しかし、日達上人からぜんぷくの信頼の元に選ばれたことが微妙なら法主としての資質がないのは当然ですし、日達上人の教えに明らかに反し、三宝を変え、それにしたがわない800万信徒を切ったのなら、明らかにおおきなホウボウです。
ここを見極めたいのです。

 

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投稿日時:2005/07/25(Mon) 01:48
おなまえ:ミュン
タイトル:神さまくんは、間違っています。ミュンの質問にこたえてください。
 
こんばんは、ミュンです。

神様くんは、でたらめなことを下記の様に書きました。
> ミュン様、日蓮正宗では
> 仏宝……御本仏日蓮大聖人
> 法宝……大聖人御所顕の大曼荼羅御本尊
> 僧宝……日興上人(を随一として広義として日目上人以下歴代の貫主、日蓮正宗の全僧俗も含む義がある)
> としますね。
> 確かに僧宝には広い意味があり、伝持という正法を守り伝えるという側面からは、法主上人、僧侶、その組織そのもの、創価学会も含まれる部分もあります。それは創価学会側も(広い意味では創価学会も) と補足します。僕もその点では御法主上人も創価学会も僧宝であると述べてまいりました。    と、神様くんは、でたらめなことを書きました。   
           

 神様くんは、ミュンが思っていたよりずっと、創価学会のホウボウに毒されていますね。創価学会が広い意味で、僧宝だと、神様くんは言っていますが、とんでもない間違いです。創価学会も創価学会を僧宝と言ってはいけないと、創価学会が言ったのを神様くんは、知っていますか。昭和52年度路線の問題があり、創価学会が52度路線でしてきた、でたらめなこと(ほうぼう)を、お詫びをしに大石寺に行った、お詫び登山のあと、52年度路線で嘘の教義を創価学会に教えたのを、修正する為に、本当の日蓮正宗(大石寺)の教えを創価学会員に教える為、昭和53年6月30日に「教学上の基本問題について」という題で聖教新聞で創価学会員に、正しい日蓮正宗(大石寺)の教義を教えたのです。

 昭和53年6月30日 聖教新聞に掲載された内容をかきます。
 「僧宝」とは、正宗においては第二祖日興上人のことであり、また会長も発言しているごとく、唯授一人の血脈をうけられた御法主上人猊下であらせられる。したがって、この正宗教義の根本となる僧宝と、信心実践面での和合僧ということについては、絶対に混同するようなことがあってはならない。
 また、広義においても、学会を「僧宝」という言い方はしてはならない。
     とあります。大白蓮華にも創価学会を僧宝と考えてはいけない旨が書いてありますよ。
 神様くんは、創価学会に言われたことをそのまま信じていますね。ミュンから神様くんに質問をします。神様くんは、創価学会が以前は、創価学会は僧宝と言ってはいけないと言っていたのに、現在は創価学会は僧宝と言っているので矛盾をしていますよね。創価学会は教義を変えてしまっていますよね。それでも、神様くんは、創価学会が正しいと思うのですか。日蓮正宗(大石寺)は今も昔も、僧宝は日興上人、そして代々の猊下様だと言っています。もちろん、創価学会は僧宝ではないのです。神様くんは、樋田さんの話し等、そしてDVDをあまり読んだりしていないみたいですね。あと、日達上人が言ったと言っていますが、樋田さんのDVD見てみなさい。
 あと、神さまくんは法主が大聖人様の代わりだと、即座にこう云う事を云うと、外から非難されますから、よくその点に注意していただきたいと思います。  と神様くんは書いています。

 そんなことを言っている、日蓮正宗(大石寺)側の人は一人もいませんよ。神様くんは、でたらめだね。言っていることが支離滅裂だよ。創価学会の言うことを信じていると、人生だめにするよ。不幸になるよ。
 
 正しいのは、日蓮正宗(大石寺)だけです。創価学会をはじめ他の宗教は間違っているので、人を不幸にしてしまいますよ。

 

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投稿日時:2005/07/25(Mon) 04:34
おなまえ:神様
Eメール:
タイトル:ミュン様
URL  :

神様くんは、創価学会に言われたことをそのまま信じていますね。ミュンから神様くんに質問をします。神様くんは、創価学会が以前は、創価学会は僧宝と言ってはいけないと言っていたのに、現在は創価学会は僧宝と言っているので矛盾をしていますよね。創価学会は教義を変えてしまっていますよね。



創価学会は僧宝は日興上人とたてます。
しかし、伝持というところ、そういう側面を持ち合わせているということです。日蓮正宗全体を指して僧宝といっていますね、その意味合いと同じです。創価学会が正法を保っていると規定した場合です。ですから『』であり、法主上人も『』をつける補足の存在です。

僧宝は日興上人です。
帰依の対象ですから、日興上人です。



それでも、神様くんは、創価学会が正しいと思うのですか。日蓮正宗(大石寺)は今も昔も、僧宝は日興上人、そして代々の猊下様だと言っています。もちろん、創価学会は僧宝ではないのです。


僧宝は日興上人と日達上人はおおせです。
自分は僧宝、血脈があるから日興上人の同じなどというとらえ方は決してあのご発言からは見受けられません。謙虚なお気持ちを感じます。もしそうとるなら、それはこじつけに思います。


神様くんは、樋田さんの話し等、そしてDVDをあまり読んだりしていないみたいですね。あと、日達上人が言ったと言っていますが、樋田さんのDVD見てみなさい。


見ました。大いに参考にし、樋田様の熱心な信仰心に感動しましたよ。ですから樋田様、ミュン様のご意見を伺いたいのです。DVDではなく、ミュン様のご意見も伺いたい。


あと、神さまくんは法主が大聖人様の代わりだと、即座にこう云う事を云うと、外から非難されますから、よくその点に注意していただきたいと思います。と神様くんは書いています。(日達上人が極論として、いましめとしておっしゃっているのです。)


そんなことを言っている、日蓮正宗(大石寺)側の人は一人もいませんよ。神様くんは、でたらめだね。



もちろん、そうです。法華講員の方はそんな信仰はしていないと知っております。


言っていることが支離滅裂だよ。創価学会の言うことを信じていると、人生だめにするよ。不幸になるよ。


支離滅裂ではないと思いますが。これからのご意見、ご指南お願いします。

 

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投稿日時:2005/07/25(Mon) 05:45
おなまえ:ミュン
タイトル:神様くんは、間違えています。479をもう一度読みなさいね。
 
こんにちは、ミュンです。

神様くんは、以下のように支離滅裂な間違ったことを書きました。

> 創価学会は僧宝は日興上人とたてます。
> しかし、伝持というところ、そういう側面を持ち合わせているということです。日蓮正宗全体を指して僧宝といっていますね、その意味合いと同じです。創価学会が正法を保っていると規定した場合です。ですから『』であり、法主上人も『』をつける補足の存在です。
    と、神様くんは、間違ったことを書きました。


ミュンは、479で以下の様に書きました。
神様くんは、ミュンが思っていたよりずっと、創価学会のホウボウに毒されていますね。創価学会が広い意味で、僧宝だと、神様くんは言っていますが、とんでもない間違いです。創価学会も創価学会を僧宝と言ってはいけないと、創価学会が言ったのを神様くんは、知っていますか。昭和52年度路線の問題があり、創価学会が52度路線でしてきた、でたらめなこと(ほうぼう)を、お詫びをしに大石寺に行った、お詫び登山のあと、52年度路線で嘘の教義を創価学会に教えたのを、修正する為に、本当の日蓮正宗(大石寺)の教えを創価学会員に教える為、昭和53年6月30日に「教学上の基本問題について」という題で聖教新聞で創価学会員に、正しい日蓮正宗(大石寺)の教義を教えたのです。

 昭和53年6月30日 聖教新聞に掲載された内容をかきます。
 「僧宝」とは、正宗においては第二祖日興上人のことであり、また会長も発言しているごとく、唯授一人の血脈をうけられた御法主上人猊下であらせられる。したがって、この正宗教義の根本となる僧宝と、信心実践面での和合僧ということについては、絶対に混同するようなことがあってはならない。
 また、広義においても、学会を「僧宝」という言い方はしてはならない。
     とあります。大白蓮華にも創価学会を僧宝と考えてはいけない旨が書いてありますよ

 神様くんは、創価学会が正法を保ってると、と書いていますが、創価学会が現実は、正法を保っていませんし、たとえ保っていても、創価学会を広い意味で僧宝と言っては、だめだよと、聖教新聞で、創価学会が言っています。創価学会がお詫び登山をして、猊下様のお許しを得て、もう一度日蓮正宗(大石寺)のやり方を猊下様のご指南をいただきながら、やっていくとなったあとの、聖教新聞に書いてある記事だからです。神様くん、広義でも創価学会を僧宝と言ってはいけないんです。もういちど、ミュンの書いた479を読みなさい。あとその聖教新聞には、代々の猊下様も僧宝と書いてありますよ。神様くんは、自分の我見を捨てて、ミュンの書いた479の聖教新聞に掲載されたものを読んだら、神様くんの言っていることが違うということが、わかりますよ。あと、DVDの中のこのことを言っている樋田さんの考えと違うというのは、神様くんは間違っていますよ。世界でただ一つ正しい宗教は、日蓮正宗(大石寺)だけです。創価学会をはじめとして他の宗教は間違っているので、人を不幸にしてしまう宗教です。

 

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投稿日時:2005/07/25(Mon) 06:10
おなまえ:神様
タイトル:ミュン様
 
僧宝には伝持、守り伝えるという側面があります。ですから誤解をまねきやすいですね。言い方を変えます。
帰依の対象としては僧宝は日興上人のみです。これは日達上人もいっております。
代々法主上人に受けつがれている大聖人、日興上人の仏法は帰依対象です。
三宝や御書、大御本尊です。

ではもし代々法主上人の存在そのものも僧宝なら、日達上人の再三のご指南はどうなのですか?

そして、日興上人の
時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。
というのは、もし三宝(帰依対象とするなら)それを用いるなとはどういうことでしょう?三宝誹謗を容認しているのですか?

仏法に相違ということからも、個人そのものは僧宝ではない。
聖教新聞の意見は日達上人に対してですか?
そうならば当時の謝罪をしなければいけない状況、そしてきちっと大聖人の仏法を体得していた日達上人に受けつがれている正法は帰依対象なのだとおもいます。
その日達上人が僧宝は日興上人だと言っているのです。

けれど僕はまだ勉強中です。日顕上人のご指南も学んでます。ご指南これからもお願いします。

 

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投稿日時:2005/07/25(Mon) 06:28
おなまえ:ミュン
タイトル:神様くんは、ミュンの質問に答えていません。
 
こんにちは、ミュンです。

 神様くんは、ミュンの質問に答えてくれていませんね。479にミュンが書いた昭和53年6月30日の聖教新聞に掲載された、僧宝とはを、神様くんは、どう思うかを質問したんです。昭和53年6月30日の聖教新聞には、僧宝とは何をいうのかが、はっきり書いてあるではありませんか。
(日興上人と、唯授一人の代々の猊下様だと。そして、広義の意味でも創価学会を僧宝と言ってはいけないと、昭和53年6月30日の聖教新聞には、書いてありますよ。)

 昭和53年6月30日時の聖教新聞、そして、日蓮正宗(大石寺)は、僧宝について同じことを言っています。
変わってしまったのは、平成の問題の後の、創価学会です。これは、平成の問題の後、創価学会が教義を変えたことの証拠です。日蓮正宗(大石寺)の教えとは、違うことをはじめた、邪教になりはてた証拠です。変わってしまったのは、そして、邪教に成ってしまったのは、創価学会です。

 ちなみに、ミュンの書いた479をここに転記しておきます。
==479==
 神様くんは、ミュンが思っていたよりずっと、創価学会のホウボウに毒されていますね。創価学会が広い意味で、僧宝だと、神様くんは言っていますが、とんでもない間違いです。創価学会も創価学会を僧宝と言ってはいけないと、創価学会が言ったのを神様くんは、知っていますか。昭和52年度路線の問題があり、創価学会が52度路線でしてきた、でたらめなこと(ほうぼう)を、お詫びをしに大石寺に行った、お詫び登山のあと、52年度路線で嘘の教義を創価学会に教えたのを、修正する為に、本当の日蓮正宗(大石寺)の教えを創価学会員に教える為、昭和53年6月30日に「教学上の基本問題について」という題で聖教新聞で創価学会員に、正しい日蓮正宗(大石寺)の教義を教えたのです。

 昭和53年6月30日 聖教新聞に掲載された内容をかきます。
 「僧宝」とは、正宗においては第二祖日興上人のことであり、また会長も発言しているごとく、唯授一人の血脈をうけられた御法主上人猊下であらせられる。したがって、この正宗教義の根本となる僧宝と、信心実践面での和合僧ということについては、絶対に混同するようなことがあってはならない。
 また、広義においても、学会を「僧宝」という言い方はしてはならない。
     とあります。大白蓮華にも創価学会を僧宝と考えてはいけない旨が書いてありますよ。

 神様くん、創価学会が教義を変えてしまったのですよ。正しいのは、日蓮正宗(大石寺)だけです。創価学会をはじめ他の宗教は、間違っているので、人を不幸にしてしまいますよ。

 

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降魔の剣に以下の投稿がありました。

投稿日時:2005/07/25(Mon) 07:19
ホスト名:219.52.118.131
ブラウザ:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)

おなまえ:神様
Eメール:
タイトル:ミュン様
URL  :

「僧宝」とは、正宗においては第二祖日興上人のことであり、また会長も発言しているごとく、唯授一人の血脈をうけられた御法主上人猊下であらせられる。


「唯授一人の血脈をうけられた」というところです。なぜ限定的なのでしょうか?三宝ならどんな状況にあろうとそのお方の発言はすべて大聖人、根本の教えです。
そこで
僧宝には伝持、守り伝えるという側面があります。ですから誤解をまねきやすいですね。言い方を変えます。

「帰依の対象としては僧宝は日興上人のみです。これは日達
上人もいっております。代々法主上人に受けつがれている大聖人、日興上人の仏法は帰依対象です。」
これが僕の意見です。





したがって、この正宗教義の根本となる僧宝と、信心実践面での和合僧ということについては、絶対に混同するようなことがあってはならない。
また、広義においても、学会を「僧宝」という言い方はしてはならない。


創価学会の三宝は日興上人です。日蓮正宗も日蓮正宗全体も広くは僧宝と書いていました。これは正法を守り、伝えるという側面から述べていますね?それと同じと思います
もう一度、僧宝は日興上人で創価学会ではない。

僕の考えは述べました。ミュン様は僕のしてきた質問についてはどう思われているのかお考え聞かせてください。

 

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投稿日時:2005/07/25(Mon) 07:49
おなまえ:ミュン
タイトル:神様くんは、間違っています。
 
こんにちは、ミュンです。

神様くんは、以下のように間違ったことを書きました。
> 「唯授一人の血脈をうけられた」というところです。なぜ限定的なのでしょうか?三宝ならどんな状況にあろうとそのお方の発言はすべて大聖人、根本の教えです。
> そこで
> 僧宝には伝持、守り伝えるという側面があります。ですから誤解をまねきやすいですね。言い方を変えます。
>
> 「帰依の対象としては僧宝は日興上人のみです。これは日達
> 上人もいっております。代々法主上人に受けつがれている大聖人、日興上人の仏法は帰依対象です。」
> これが僕の意見です。



 神様くんは、自分はこう思うと言っていますが、日蓮大聖人様の仏法は神様くんが考えるものではなく、既にあるのです。自分はこのように考えるというのは、神様くんが新興宗教を作っていると同じことなのです。479をちゃんと読みましたか。
ここに再度書いておきます。52年度路線でほうぼうをおかした創価学会がおわび登山をして、その後創価学会員に正しいい日蓮正宗(大石寺)の教学をを教えた時の内容ですl。==479==
 創価学会も創価学会を僧宝と言ってはいけないと、創価学会が言ったのを神様くんは、知っていますか。昭和52年度路線の問題があり、創価学会が52度路線でしてきた、でたらめなこと(ほうぼう)を、お詫びをしに大石寺に行った、お詫び登山のあと、52年度路線で嘘の教義を創価学会に教えたのを、修正する為に、本当の日蓮正宗(大石寺)の教えを創価学会員に教える為、昭和53年6月30日に「教学上の基本問題について」という題で聖教新聞で創価学会員に、正しい日蓮正宗(大石寺)の教義を教えたのです。

 昭和53年6月30日 聖教新聞に掲載された内容をかきます。
 「僧宝」とは、正宗においては第二祖日興上人のことであり、また会長も発言しているごとく、唯授一人の血脈をうけられた御法主上人猊下であらせられる。したがって、この正宗教義の根本となる僧宝と、信心実践面での和合僧ということについては、絶対に混同するようなことがあってはならない。
 また、広義においても、学会を「僧宝」という言い方はしてはならない。
        とあります。
大白蓮華にも創価学会を僧宝と考えてはいけない旨が書いてありますよ。 神様くんは、新興宗教をはじめるのですか。

世界で正しい宗教は日蓮正宗(大石寺)だけです。創価学会をはじめ、日蓮正宗(大石寺)以外の宗教は人を不幸にしてしまう宗教です。

 

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神様氏へ 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2005/07/25(Mon) 12:08  No.486      [返信]

 

 君が日達上人のある一部の御指南を根拠に自論を展開しているようですが、では同じ日達上人の以下の御指南をどう拝するのか、明晰にお答え願いたい。

君の自論だと、下記の御指南と大矛盾を起こすが如何か?

 

66日達上人昭和三十八年5月

「二祖日興上人より歴代を僧宝と立てておるのでありまして、古来より少しも変っておりません。」

 

 

66『日達上人全集』

「猊座というものは、大聖人様の生れ変りを表わす意味なんです。大聖人様が常在、常にここにいらっしゃるということをあらわすところの猊座であります。(中略)「広宣流布の暁には、日目上人が再誕する」という、昔からの伝統の相伝があります。これはすなわちそれを意味するので、だからいつでもその時の法主は大聖人様のお仕事をつかさどっておる」(二―六―九一㌻)

 

66『日達上人全集』

「『日蓮正宗宗規』に、〝管長は法門の正邪を決定する〟という意味のことが明らかに載っております。そのとおりであります。

 

血脈を受けてその法門に従って、そして法門の正邪を決めるのは貫首ではないですか。だから、貫首が己義を構えると考える人はとんでもない考えの人です。それでは血脈相承を受けてない人ということになってしまいます。血脈相承によってご法門を解釈していくのでありますから、少しも己義を構えるということはないわけであります。大聖人の教えのとおりにやっていくのでありますから」(二―七―三四二㌻)

 

66『日達上人全集』

「管領というのは管は筒、筒の流れを伝えて行く、代々の法主がこれを伝えて行くのであります。(中略)管領して、その大聖人の仏法を治めていく、よく受取って治めていく、すなわち管領という意味を持っていくのである。統べ治める、そして統治をしていく」(二―五―四五〇㌻)

 

66『日達上人全集』

「大聖人様が広宣流布の時の大導師日目上人様として、第三代を継いで現われたのが猊座であります。(中略)そこが大聖人様のお席である。だから大聖人様は、あの席に常に生れ替っている」(二―三―三二〇㌻)

 

66『日達上人全集』

「信心といい、血脈といい、法水というところの法水は、どこから出てくるかということがもっとも大切であります。それは、我が日蓮正宗においては日蓮大聖人のご当体たる本門戒壇の大御本尊であります。ゆえに、大聖人の仏法を相伝しなければ、大聖人の仏法の法水は流れないのであります。大聖人は『一代聖教大意』に『此の経は相伝に有らざれば知り難し』と申されております。また日寛上人は『口伝にあらざれば知り難し、師資相承故あるかな』と申されております。師資相承とは師より弟子に相承することであります」(二―五―五九二㌻)

 

     66「大聖人よりの血脈相承がないということは、口先だけの法門であります。あるいは大聖人の仏法に異解を生じ、ついに謗法一闡提となるのであります。」(二―五―五九四㌻)

 

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投稿日時:2005/07/25(Mon) 18:01
おなまえ:神様
タイトル:樋田様へ
 
さすがです。とっても参考になります。
僕は単純に、歴代法主上人と日興上人には歴然とした差がある。伝持の三宝、『』として法主上人は三宝となります。

日興上人とおなじ存在ですか?

となると、
日興上人の
時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。
というのは、もし三宝(帰依対象とするなら)それを用いるなとはどういうことでしょう?三宝誹謗を容認しているのですか?

守り伝える、何を?それは大聖人、日興上人の教えです。
ですから帰依対象は単純にこのお二方です。
もちろん法主上人は尊い方です。
でも帰依対象とすると、その方のご指南は何を言おうが反することはできず、個人の誹謗は三宝誹謗になってしまいます。これは単純に違う。日達上人は謙虚な気持ちでこの点を理解していたと思うのです。ですから、あからさまに法主上人は日興上人と同じように僧宝というのは少し違うような気がします。

 

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降魔の剣に以下の投稿がありました。

投稿日時:2005/07/26(Tue) 00:08
ホスト名:219.52.118.131
ブラウザ:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)

おなまえ:神様
Eメール:
タイトル:いけん 
URL  :

時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。

ということから、もし法主上人が己義を構えば、その本尊、ご指南を用いず、教宣活動も許されます。創価学会という大衆が己義を構えた法主上人により破門させられたのなら問題で、現状は大聖人の御意思に沿っています。


衆議たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事。

ということからも、もし大衆が己義を構えれば、その大衆を破門にし、在家に挙宗体制で折伏していくことは正しいことです。もし創価学会が仏法に相違したのなら問題で、現状は大聖人のご意思に沿っています。



何が正法なのか?これは御書やさまざまな文献、破門までの経緯を誰でも学ぶことができ、それを見極めたいのです。
いろいろ御指南ください。

 

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Re:[494] いけん  投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2005/07/26(Tue) 11:54  No.498      [返信]

 

 > 時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。

>

> ということから、もし法主上人が己義を構えば、その本尊、ご指南を用いず、教宣活動も許されます。創価学会という大衆が己義を構えた法主上人により破門させられたのなら問題で、現状は大聖人の御意思に沿っています。

>

>

> 衆議たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事。

>

> ということからも、もし大衆が己義を構えれば、その大衆を破門にし、在家に挙宗体制で折伏していくことは正しいことです。もし創価学会が仏法に相違したのなら問題で、現状は大聖人のご意思に沿っています。

>

>

>

> 何が正法なのか?これは御書やさまざまな文献、破門までの経緯を誰でも学ぶことができ、それを見極めたいのです。

> いろいろ御指南ください。

 

●君の上記の法門領解は皮相的かつ浅薄である。

 

君が自説の根拠にした日達上人は、この第17条に対し、以下のような会通をなされている。

この御指南について君はどう考えるか。

素直に拝せるか。

 

日達上人御指南

 

■一、時の貫首たりと雖も仏法に相違して已義を構えば之を用うべからざる事。

 

時の貫主とは、その宗の頭、即ち現在の管長であり法主である。管長であるから宗門を運営するに当って、誰を採用し、任用してもよいのであるが、大聖人の仏法に違背して自分勝手な説を立て、しかも注意されても改めない人を用いてはならない。つまり、時の貫主の権限を示されているのである。

 

 

● もし、この御指南通りに拝せないとしたら、君は日達上人の御言葉を自分に都合の良い箇所だけを持ち出してきているだけであり、そういう人のことを我見・慢心・驕慢の者というのである。

そうして、我見・偏見・偏執の心で仏法を見るが故に、斯様に矛盾が生じて来るのである。

 

■心の師とはなるとも心を師とせざれ

 

の御教誡にも背く謗法な根性である。

 

 

参考文献

 

『遺誡置文』の「時の貫首たりと雖も」の一文は必ず、

一、衆義たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事。(新編一八八五頁)

の文と対の意義を以て拝さなければならない。

 

一方では「用いない」という受け身の表現であるのに対し、衆義の仏法違背について貫首は「摧く」という強い表現が用いられている。

 

ここに貫首、即ち御法主上人は特別なお立場であられることが明白である。

 

まして、貫首に対し、どこまでも刃向かい己義を押し通して宗門から破門されてもよいなどという道理はない。

 

日顕上人は、

 

「要するに、宗門は何も、始めからしまいまで「法主に誤謬は絶対にない」などとは言ってないのです。彼等(注 創価学会)が勝手に誣告しているだけであって、私をも含め、ちょっとした間違い、思い違いぐらいはどこにでもあり、それは正直に訂正すればよいのです。

ただし、血脈の法体に関する根本的な意義については、けっして誤りはありません。(創価学会の仏法破壊の邪難を粉砕す六四頁)

と御指南されている如く、血脈を承継される御法主上人が、血脈の法体に関する根本的な意義において誤りを生じるなどということはあり得ないのである。

 

 さらに言えば、一つの正義の前には、それに敵対する何千、何万の義もすべて邪義となる。

 

故に大聖人の仏法の本義に照らし、己義か否かを判定し最終的に決定できるのは、大聖人以来の唯授一人の血脈法体を御所持される御法主上人以外にはおられないのである。

 

したがって御法主上人に敵対する者の主張に正当な道理などあるはずはない。

 

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Re:[491] 樋田様へ 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2005/07/26(Tue) 12:18  No.499      [返信]

 

 順序が逆になりましたが。

 

> さすがです。とっても参考になります。

> 僕は単純に、歴代法主上人と日興上人には歴然とした差がある。伝持の三宝、『』として法主上人は三宝となります。

>

> 日興上人とおなじ存在ですか?

>

> となると、

> 日興上人の

> 時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。

> というのは、もし三宝(帰依対象とするなら)それを用いるなとはどういうことでしょう?三宝誹謗を容認しているのですか?

>

> 守り伝える、何を?それは大聖人、日興上人の教えです。

> ですから帰依対象は単純にこのお二方です。

> もちろん法主上人は尊い方です。

> でも帰依対象とすると、その方のご指南は何を言おうが反することはできず、個人の誹謗は三宝誹謗になってしまいます。これは単純に違う。日達上人は謙虚な気持ちでこの点を理解していたと思うのです。ですから、あからさまに法主上人は日興上人と同じように僧宝というのは少し違うような気がします。

 

 

君の疑惑には以下の論文が最適であろう。

よく熟読玩味すべきである。

 

 

 三宝論

 

 創価学会の邪説 

 

▼ 宗門は、三宝について、「法宝は大御本尊、仏宝は日蓮大聖人、僧宝は日興上人以下歴代法主」としているが、正しくは「僧宝は第二祖日興上人」のみであって、それ以下の歴代法主を加えるのは誤りである。

 もし、僧宝に歴代法主を加えるとすれば、それは総じての立場であり、そのときは日蓮大聖人の仏法を信じる我々学会員も僧宝なのである。

――――――――――――――――――――――

 破折 

 

 僧宝の意味

 

 僧宝とは、仏の代理者あるいは後継者として、仏の説かれた法を伝承・護持し、世に弘通していく方のことであり、その重大な役割について、

 

『四恩抄』には

 ▲「僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によりて住す。譬(たと)へば薪(まき)なければ火無く、大地無ければ草本生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法二千年過ぎて末法へも伝(つた)はるべからず」 (御書二六八頁)

 

また、

日寛上人の『当流行事抄』には

▲「仏恩(ぶっとん)甚深(じんじん)にして法恩も無量なり、然りと雖(いえど)も若し之れを伝えずんば則(すなわ)ち末代今時の我等衆生、曷(なん)ぞ此の大法を信受することを得んや」 (聖典九五一頁)

 

 と仰せである。

 

 すなわち、仏宝・法宝は三世常住である、といっても、僧宝があってはじめて世に久住し、万年の衆生を済度せられるのである。

 ゆえに日蓮大聖人は、御入滅後の令法久住を鑑(かんが)みられ、唯授一人の血脈相承をもって、第二祖日興上人に法体と仏法のすべてを委ねられ、僧宝の任を与えられたのである。

 しかして、その任は、日興上人より三祖日目上人へ、日目上人より四世日道上人へと受け継がれ、さらに代々の上人を経て、現六十七世日顕上人に受け継がれているのである。

 

 学会が主張するごとく、「僧宝は日興上人のみ」とするならば、

前(さき)の『当流行事抄』に

 ▲「之れを伝えずんば則ち末代今時の我等衆生、曷ぞ此の大法を信受することを得んや」

 

 と仰せのとおり、日興上人が御遷化された時点で、仏法は断絶して、後世に伝わらなくなってしまうことになるではないか。

 

 しかるを、大聖人御入滅後、また日興上人御遷化の後、現在に至るまで大聖人の仏法が清浄に持たれてきたのは、御歴代上人によって受け継がれてきた故であり、これこそが僧宝の義なのである。

 

 したがって、道理の指し示すところ、日興上人を筆頭とする御歴代上人方すべてが僧宝にあたることは、申すまでもない。

――――――――――――――――――――――

 

 僧宝の拝し方

 

 さて、この僧宝について、もう少し詳しく述べておこう。

 

 日興上人以下、御歴代上人が僧宝であられることは、以上のとおりであるが、

 

日蓮正宗宗規には

▲「血脈付法の人・日興上人をもって僧宝とする」

 

 と定められ、

 

また日顕上人猊下も

▲「基本においては、日興上人をもって僧宝の随一として拝するわけであります。そういうところからするならば、歴代法主は僧宝以下の立場」 (昭和五十八年三月三十一日御指南)

 

 と述べられ、「僧宝は日興上人である」旨を御教示されている。

 

 これをどのように拝すべきであろうか。

 

 順を追って説明すると、まず、「僧宝」とは、単なる客観的概念ではなく、「宝として尊ぶ」という信仰上の尊信の対象である。

 

 信仰上の尊信とは、自ら身を低くして、下から上を仰いで尊ぶことであるから、もし、自らを宝である、としたならば、そこには信仰そのものが成立せず、かえって驕慢(きょうまん)謗法に堕することになる。

 

 ゆえに、それぞれの立場における信仰・尊信に約していえば、

①、信徒の立場からは、二祖日興上人以来の御歴代上人方および正法の護持伝承に励む本宗御僧侶方を、

②、次に御僧侶方の立場からは、日興上人以来の御歴代上人方を、

③、そして御歴代上人の立場からは、御本仏日蓮大聖人から直授相承を受けられた日興上人を、

 

それぞれ僧宝と仰ぎ尊ぶことが、正しい在り方となるのである。

 

 すなわち、日蓮正宗宗規に定められる「日興上人をもって僧宝とする」とは、上一人の御法主上人から下全僧俗までを含む全日蓮正宗として僧宝を仰ぐ場合の表現であり、同じく日顕上人の御教示は、御法主上人としての立場で僧宝を仰いだ場合の表現である。

 

 したがって、これをもって一般の僧俗が、僧宝を二祖日興上人のみに限定し、「それ以下の歴代法主を加えるのは誤り」などと称するのは、まったく仏法の筋道のわかっておらない大きな間違いである。

 

 また、「歴代上人が僧宝ならば自分たち学会員も僧宝」などというのは、自ら「自分たちは宝だ,尊信しろ」と言っているようなもので、驕慢謗法の謗(そし)りは免(まぬが)れない。

 

――――――――――――――――――――――

 創価学会の三宝観の変遷

 

 最後に、三宝について、創価学会は、かつてどのように指導し、それがどのように変わってきたか、見てみよう。

 この変遷の激しさを見れば、創価学会の三宝籤がいかにいい加減で、でたらめであるかが理解できよう。

 

▼「仏法に三宝というものが説かれている。いうまでもなく仏法僧の三宝であるが、この『僧宝』問題なのである。『僧宝』と言っても僧侶を意味するのではなく、社会の中で実践し法を正しく伝持する人々のことである。(中略)今日における『僧宝』つまり仏法実践者の組織としては創価学会があり」云々。 (『聖教新聞』昭和四十九年五月二十七日付)

 

 これは「聖教新聞」のコラム「名字の言」に掲載されたもので、創価学会自らを「僧宝」と僣称する驕慢謗法の発言である。

 この驕慢発言について、昭和五十二年路線の折、宗門から誤りを指摘され、訂正した際の指導が、次の三つである。

 

▼「ここで『僧宝』とは、今日においては日興上人よりの唯授一人の法脈を受けられた御法主上人猊下であられる。」 (『聖教新聞』昭和五十三年二月二十六日付・池田大作指導)

 

▼「『僧宝』とは、正宗においては第二祖日興上人のことであり、また会長(※池田大作)も発言しているごとく、唯授一人の血脈を受けられた御法主上人猊下であらせられる。したがって、この正宗教義の根本となる僧宝と、信心実践面での和合僧ということについては、絶対に混同するようなことがあってはならない。また、広義においても、学会を『僧宝』という言い方はしてはならない。」(昭和五十三年六月三十日付・「教学上の基本問題について」)

 

▼「正法を正しく継承伝持あそばされた血脈付法の日興上人を随一として、歴代の御法主上人、広くは、御法主上人の法類である御僧侶の方々が僧宝なのです。

 大聖人が『仏宝法宝は必ず僧によりて住す』と仰せのように、仏恩も法恩も広大であり、甚深でありますが、その仏法を正しく伝持してこられた方々がいなかったならば、現在の私たちに、御本尊を受持して、希望と確信に満ちた人生はありえないのです。

 僧宝がいかに尊く大事な存在であるかを知り、尊敬と感謝と報恩の信心をもって御僧侶を敬い、僧俗和合の姿で広宣流布に邁進していくことが肝要です。

 この末法の三宝を正しく信受していくことが、真の信仰であり、それ以外の三宝に執着することは謗法となるのです。」 (『大白蓮華』昭和五十四年十一月号・「教学教典」)

 

 ご覧のとおり、「僧宝は御歴代上人」とし、「創価学会を僧宝と称してはならない」「日蓮正宗以外の三宝に執着することは謗法」と、明確に言い切っているではないか。

 

 それが、平成三年以降になると、次のように変わる。

 

▼「厳密にいえば、歴代の法主は僧宝以下の立場。」  (『聖教新聞』平成三年九月十日付・池田指導)

 

▼「仏法の基本である『三宝』は、歴代上人が御指南されているように、『法宝』は御本尊、『仏宝』は日蓮大聖人、『僧宝』は日興上人であり、三宝が相即する御本尊を拝し奉るのが、私たちの信心である。また日達上人が『代々の法主が日蓮大聖人ではない』と御指南され、歴代法主は僧宝以下の立場であることは明らかである。」(『聖教新聞」平成三年九月三十日付・秋谷指導)

 

 以上に見てきたように、創価学会の三宝観はコロコロと変遷しており、時には 「学会こそ僧宝」と言い、その誤りを指摘されるや、あわてて、「御歴代上人こそ僧宝」と誓い直す。

 

ところが、平成三年以降、日顕上人をはじめとする御歴代上人に対する誹謗が「僧宝」誹謗にあたることを指摘されるや、今度は

 

「歴代法主は僧宝ではない」などと言い出す始末。

 

 これほど無定見、無節操な僧宝観はあるまい。

 

 そもそも、三宝は宗旨の根幹であって、これがコロコロ変わっては、教義そのものが変遷していることと同じである。

 

 それを、その時々の都合次第でいかようにも変遷させるのだから、その意味でも創価学会は、『三宝破壊』の大罪を犯し続けている、といえるのである。

 

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投稿日時:2005/07/27(Wed) 04:54
おなまえ:神様
タイトル:樋田様
 
【内証三宝】(大聖人様の御内証に具される三宝)
●仏…法即人の辺・久遠元初寿量品文底下種の御本仏
●法…人即法の辺・南無妙法蓮華経の御本尊
●僧…本因修行の名字即の凡夫の辺・外用上行菩薩の修行の
【別体三宝】
●仏…久遠即末法・凡夫即極の日蓮大聖人
●法…本因下種・事の一念三千・人法一箇の独一本門戒壇の大御本尊
●僧…唯我与我血脈付法・直授相承の第二祖日
【住持三宝】(三宝を万年に伝持流通せしめる故に)
●仏…日蓮大聖人
●法…本門戒壇の大御本尊
●僧…日興上人を随一とする歴代御法主上人

ということですよね。僕も教学の方にもちろん代々法主上人も伝持からいえば僧宝だと述べてきました。その点は向こうも理解していました。法主上人は尊く、大衆と差はあります。当然です。

でも帰依とは何を言おうがそれが正しく、根本の教えで、個人の中傷は即三宝誹謗です。これが正しいのですか?


ここで他の法華講員さんの御指南を紹介します
>[もしご歴代上人が【僧宝】ならば]二十六箇条の御文『時の貫首たりと雖も仏法に相違し己義を構えば之を用ふべからざる事』は三宝誹謗を容認する事になりませんか?

総じて言えば、御歴代上人も【僧宝】です。しかし、上記の条目は決して三宝誹謗には結び付きません。
何故かと言えば、御歴代上人に於いて『仏法に相違して己義を構える』など有り得ないからです。『己義を構える』とは『富士正統』以外の教義を流布せしめんとする行為であります。
日興上人はこれら御条目を、予見されて定めたのではありません。
万年に於ける【訓戒】として定められたのです。
御先師・日達上人云く『血脈を受けてその法門に従って、そして法門の正邪を決めるのは貫首ではないですか。だから、貫首が己義を構えると考える人はとんでもない考えの人です。それでは血脈相承を受けてない人ということになってしまいます。血脈相承によってご法門を解釈していくのでありますから、少しも己義を構えるということはないわけであります』

ですよね?これが法華講員様方の基本観であると考えます。
日寛上人のような方もいれば、どう考えてもそれ以下の方もいる。それは人間ですから。
血脈相承を受けていない!これはよく日顕上人に言われることです。でも僕は相承とはそんな神通力や代々の法主上人にしかない教えが受け継がれるのではないですからそんな重要ではないと思います。しかし、日達上人のぜんぷくの信頼の元、一般大衆も寸分の疑いなく法主上人に選ばれたのではないなら、
日達上人の
『血脈を受けてその法門に従って、そして法門の正邪を決めるのは貫首ではないですか。だから、貫首が己義を構えると考える人はとんでもない考えの人です。それでは血脈相承を受けてない人ということになってしまいます。血脈相承によってご法門を解釈していくのでありますから、少しも己義を構えるということはないわけであります』
というのも意味を持ってくると思うのです。

帰依とは何を言おうがそれが正しく、根本の教えで、個人の中傷は即三宝誹謗です。これが正しいのですか?
もっと柔軟に、僕は考えます。

 

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投稿日時:2005/07/27(Wed) 11:28
おなまえ:神様
タイトル:意見
 
時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。

衆議たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事。

正法が根本にありますが、これは相反する御指南です。
これは法華講員の方々もそうですし、樋田様は、この相反する御指南をどう読みますか?と質問してくださいました通りです。

 

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投稿日時:2005/07/28(Thu) 06:50
おなまえ:神様
タイトル:意見
 
②第十八条の「不可用之事(用ふべからざる事)」は不幸にして法主(貫主)の言われることがどうしても理解できなかった場合、消極的に「もちいない、ききいれない」ということであり

との御指南の通りと考えます

 

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投稿日時:2005/07/28(Thu) 20:24
おなまえ:ミュン
タイトル:神様くんは、極理を師伝を無視し、己義を構えています。
 
こんにちは、ミュンです。

神様くんは、以下の様に間違ったことを書きました。
> 時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。
>
> 衆議たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事。
>
> 正法が根本にありますが、これは相反する御指南です。
> これは法華講員の方々もそうですし、樋田様は、この相反する御指南をどう読みますか?と質問してくださいました通りです。



 神様くんは自分が己義を言っているという、あやまちを神様くんはしていることに、気がつかないようですね。日蓮正宗(大石寺)は(=教えは)、日蓮大聖人様が既にお作りであり、日蓮大聖人様より唯授一人の血脈を日蓮正宗(大石寺)の猊下様が受け継いでいるのです。
 神様くんは、日蓮正宗(大石寺)の御書に書かれている文を、自分なりに解釈して、いろいろ言っていますが、それは結局己義でしかないのです。法律を学ぶと始めに学ぶことですが、文の解釈には、拡大解釈・縮小解釈 等ありますよね。一つの文をいく通りでも解釈の違う結果が出ることは、そんなの当たり前だということを法律ではならいます。ですから、日蓮大聖人様の仏法はきちんと、日蓮正宗(大石寺)第二祖日興上人が日興遺誡置文で、「極理を師伝し」とお書きくださったように、日蓮正宗(大石寺)の教えは、日蓮大聖人様、日興上人様の文を人によって勝手に解釈しないよう、きちんと、極理を師伝し、と日蓮大聖人様の思いと同じように解釈できる為に日興上人が日興遺誡御置文で定めてあるのです。
極理を師伝し、の師とは、日蓮大聖人様よりの唯一人の血脈を受け継いだ日蓮正宗(大石寺)の代々の猊下様のことです。
  神様くんが、ぼくはこう思うと、言っていることの愚かさが少しはわかりましたでしょうか。神様くんが、ぼくはこう思うけれどと、いうのは、己義です。必ず己義を構えれば、そこには、日蓮大聖人の思いとは違うので不幸が待っております。
 神様くん、早く己義を構えるでなく、世界で唯一人の日蓮大聖人様からの唯一人の血脈を受け継いでいる日蓮大聖人様のいる、日蓮正宗(大石寺)に入信をしなさい。日蓮正宗以外の宗教は、創価学会を始めとしてすべて人を不幸にしてしまう宗教だから、早くやめなさいね。

 

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投稿日時:2005/07/29(Fri) 07:43
おなまえ:ミュン
タイトル:神様くんは、でたらめな己義を構えています。
 
こんにちは、ミュンです。


神様くんは、以下の様にでたらめを書きました。
> 日寛上人のような方もいれば、どう考えてもそれ以下の方もいる。それは人間ですから。
> 血脈相承を受けていない!これはよく日顕上人に言われることです。でも僕は相承とはそんな神通力や代々の法主上人にしかない教えが受け継がれるのではないですからそんな重要ではないと思います。


 神様くんは、神様くんが↑の様に間違えたことを思い、ここに書いていますが、全部神様くんの罪障として神様くんが悪因をつんだので、悪果を得ることは間違えがないのですよ。神様くんは、日寛上人より上だ下・・と、言っていますが、神様くんは、唯授一人の血脈というものが、全くわかっていないので、このような読んでいて恐ろしいことを書いてしまうのですね。全部神様くんの、悪い罪障となって神様くんが受けることになるのですよ。己義を持つのは、やめなさい。神様くんは、相承は重要ではないと言っています。完全な間違った己義です。相承とは、血脈相承のことであり、日蓮正宗(大石寺)の猊下様には、日蓮大聖人様からの唯授一人の血脈が流れているんです。ですから日蓮正宗(大石寺)の猊下様は、人の罪障消滅をさせてくださる御本尊様を書写できる唯一人の人なのです。
 創価学会も今回の問題が起こる前には、唯授一人の血脈をとても大事だと、大白蓮華でも、聖教新聞でも、広布と人生を語るでも言っていたんですよ。今回の問題の後では創価学会は、唯授一人の血脈について、唯授一人の血脈をいうのは、新興宗教だとまで、新聞ででたらめな嘘を創価学会員に教えています。あと、この板に以前書きましたが、日顕上人猊下様には、きちんと唯授一人の血脈が流れています。日顕上人猊下様がきちんと唯授一人の血脈が流れているので、日顕上人猊下様が御書写した御本尊様はに、おがめば、功徳があるのです。この問題が起きる前は、聖教新聞でも、日顕上人様が御書写の御本尊様におがんで、功徳があった体験談たくさん、掲載していましたよね。

 神様くんが、でたらめなことを書いていると、結局は、神様くんが、不幸になってしまいますよ。なぜなら、本当の日蓮正宗(大石寺)の教えとはちがうことを、正しいと言っているのですから。日蓮正宗(大石寺)以外の宗教は創価学会をはじめとして、全部、人を不幸にしてしまう宗教です。早く唯一正しい日蓮正宗(大石寺)に入信をしなさい。

 

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投稿日時:2005/08/08(Mon) 00:43
おなまえ:神様
タイトル:意見
 
血脈は重要。本尊は代々御法主上人しか書けません。
でも単純に、
時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。

ということからも、己義を言えば、消極的にも用いないということも許されますよね?

 

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投稿日時:2005/08/10(Wed) 00:31
おなまえ:神様
タイトル:ミュン様
 
血脈、御法主上人は重要なことです。本尊の書写も唯一法主上人のみ認められております。
血脈とはなんですか?
儀式により不思議な力が受け継がれるのですか?
法主上人のみが大聖人の教えを真に理解できるのですか?
密教的教えが法主上人のみ知っているのですか?
違いますよね?

では、なんで法主上人は大切なのか
鎌倉時代の当時において、御書や日蓮仏法の真髄、仏教哲学を一般大衆は学ぶことは極めて困難でした。
それを知りえるのは出家した御僧侶、法主上人のみでした。
ですから、法を正しく伝持していくためには御法主上人が一番教学ある、信心ある、資質ある法主上人を代々選ぶのです。そのような信心がある方で、当時においては法主上人、御僧侶しか高度な仏法思想を知りえないのですから、法主上人と法は一体で、法主上人に背くことはホウボウです。
そして、本尊も現在のように科学が発達していないので、代々法主上人の御書写、そしてその許可が必要なのです。
そして700年間うけつがれてきました。

しかし、同じ人間です。
さまざまな方がいました。これは中興の祖のような方もいれば、そうでない方もいた。ここはどう言い訳しても資質の差はあります。逆に同じように素晴らしい方だという方が信心ある法主上人に失礼でしょう。

では、現在はどうでしょう?
大聖人の仏法はだれしも学ぶことができます。
本尊も代々書かずとも保存可能です。
状況が変わったのです。
では法主上人はなぜ今も必要なのか?大切なのか?
皆が信頼し、教学があり、信心がある、指導者。この点が法主上人が必要な唯一の理由です。
信心が血脈として代々受けつがれるのです。
血脈とは信心です。


これをふまえ、当時の状況においても、未来をみすえ、信心、仏教の最高の教えを伝えるために日興上人が言われた

時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。

なぜ消極的かは上記で述べていますが、消極的表現でありながら己義をとなえれば法主の教えを用いるなとおおせなのです。ここを素直に読めば、個人誹謗が正法誹謗ではないし、用いないということも己義をとなえれば許されます。日興上人の万感の思いが伝わりますね。
血脈(信心と定義すると)ある法主が己義をとなえる訳がない、当然です。でも信心とは心であり、儀式で受けつがれるものではありません。

で、ここで日顕上人のどこが己義をとなえているの?
と思うと思います

そこで、血脈(信心)のある法主上人が己義を言うわけがなく、これは広い意味の御指南です。
日達上人も
『血脈を受けてその法門に従って、そして法門の正邪を決めるのは貫首ではないですか。だから、貫首が己義を構えると考える人はとんでもない考えの人です。それでは血脈相承を受けてない人ということになってしまいます。血脈相承によってご法門を解釈していくのでありますから、少しも己義を構えるということはないわけであります』
とおっしゃっております。

もちろん、相承とは、特別な神通力や密教的教えが受け継がれるのではありませんし、学会も当初は法主上人として、日顕上人を認めました。
でも、ニセ法主論はたえません。
単純に、日達上人は急死されましたので、いたしかたありません。
ですから、僕は日顕上人をニセ法主という言いか方はやめなさい、不思議な力が儀式で受け継がれるのではないのですから、と学会の幹部の方に言ってきました。

しかし、法主は大聖人の生まれ変わりでもないし、個人誹謗=三宝誹謗でもない。そのような考えを持っていて、
当時の学会のあり方に不満を持ち、法主上人の権威をもう一度極端にさいこうし、独立法人の教団を法華講に編入し、寺院仏教的あり方、僧侶、在家のあり方を見直そうとしたのでしょう。
そして800万信徒を切った。

これはどうでしょう?在家に挙宗体制で臨む。

学会員でも宗門と一緒にならない
指導者は学会で出てくる
という人もいますが、日興上人は代々御法主上人に信心と伝持を託された事実を重く受け止め、大御本尊は大石寺にあります。両者が歩み寄り、中興の祖のような方あらわれるのを待ちます。でないといくら大御本尊を拝んでも大聖人のご意思に反するからです。

 

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投稿日時:2005/08/11(Thu) 12:58
おなまえ:ミュン
タイトル:神様くんは、間違っています。
 
こんにちは、ミュンです。

 神様くんは、512↓で、でたらめばかりを書いていますね。神様くんが一番、気にしなくてはいけないことは、日蓮正宗(大石寺)の猊下様が御書写され日蓮正宗(大石寺)の、御本尊様にお題目をあげれば罪障消滅ができて宿命転換ができるということを神様くんは本当にわかっているかということです。日蓮正宗(大石寺)の猊下様以外の人がニセ本尊を作っても、それにお題目をあげても、不幸になるだけなのです。
 神様くんは、血脈や猊下様に対してでたらめな、うんちくを言っていますが、全部それは、神様くんの我見です。極理を師伝してもいないし、神様くんの自分の考えですよね。今回の問題が起こる前は、聖教新聞に、日顕上人猊下様の御書写の御本尊様にお題目をあげて、宿命転換をした体験談がたくさんありましたよね。それはなぜだか、神様くんはよく考えなさい。日顕上人猊下様に唯授一人の血脈が日蓮大聖人様より通っているからですよ。
 神様くんは、代々の日蓮正宗(大石寺)の猊下様に唯授一人の血脈が流れていることを、認めたくないようですね。日顕上人猊下様のお書きになった御本尊様に、お題目をとなえると、なぜ、日蓮正宗(大石寺)の人は、功徳があるのかを、本気で、神様くんは考えなさい。そうしないと、神様くんがここでいろいろ質問していても、それは、単に、昔とは全然言っていることの違う、邪教になりさがった、創価学会が言っていることのくりかえしでしかありません。または、日蓮正宗(大石寺)から離れていった団体の言っていることの繰り返しです。
 神様くんは、この板の樋田さんやミュンが書いたことをもう一度読み返しなさい。神様くん、あなたは日蓮正宗(大石寺)の猊下様のお書きになり、日蓮正宗(大石寺)の御本尊様に祈れば、宿命転換できるということを本当にわかっているか、自分で自分に質問して、神様くんがこのことをどう思っているかを自分で確かめなさい。きっと神様くんは、日蓮正宗(大石寺)の猊下様のお書きになり、日蓮正宗(大石寺)の御本尊様に祈っても宿命転換できるとは、思ってないでしょうね。


 正しいのは、世界で唯一、日蓮正宗(大石寺)だけです。他の宗教は創価学会をはじめとして、不幸になる宗教なので、やめなさいね。

 

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降魔の剣に以下の投稿がありました。

投稿日時:2005/08/15(Mon) 01:30
ホスト名:219.52.118.131
ブラウザ:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)

おなまえ:神様
Eメール:
タイトル:意見
URL  :

神様くんが一番、気にしなくてはいけないことは、日蓮正宗(大石寺)の猊下様が御書写され日蓮正宗(大石寺)の、御本尊様にお題目をあげれば罪障消滅ができて宿命転換ができるということを神様くんは本当にわかっているかということです。

わかっております。代々の御法主上人しか本尊の書写はできません。そうして700年間受けつがれてきました。
我が家の本尊は日達上人の御本尊です。本尊を書写できるのは信心ある(ここが重要と思います)法主上人です。


神様くんは、血脈や猊下様に対してでたらめな、うんちくを言っていますが、全部それは、神様くんの我見です。極理を師伝してもいないし、神様くんの自分の考えですよね。


極理とは信心ですよね、御書の教えですよね?
自分、、、学会の意見もふまえております。
僕は未成年ですし、今学会をやめることはできません。ですから、まず自分・学会の意見を述べて、納得いくまで指南をいただきたい。その後法華講に入ってもいいです。まだ勉強中です。



今回の問題が起こる前は、聖教新聞に、日顕上人猊下様の御書写の御本尊様にお題目をあげて、宿命転換をした体験談がたくさんありましたよね。それはなぜだか、神様くんはよく考えなさい。


はい。僕は本尊には、信が必要と思います。
日顕上人が800万信徒を破門した時点で、信心の血脈はなくなった思います。


日顕上人猊下様に唯授一人の血脈が日蓮大聖人様より通っているからですよ。

はい血脈(信心)がありました。ですが、800万信徒を破門したことでなくなった

日顕上人猊下様のお書きになった御本尊様に、お題目をとなえると、なぜ、日蓮正宗(大石寺)の人は、功徳があるのかを、本気で、神様くんは考えなさい。


それは学会もそうです。なぜ摩の本尊で功徳が出るのか?
脱講者がいるのか?
どのような信心で本尊を拝むかによって変わってきます。
他の宗教にも癒しのような精神的向上があります。(功徳ではないですよ)



そうしないと、神様くんがここでいろいろ質問していても、それは、単に、昔とは全然言っていることの違う、邪教になりさがった、創価学会が言っていることのくりかえしでしかありません。


僧宝について、ミュン様からの意見にお答えします。
現在、宗門では、日蓮正宗全体も広い意味で僧宝とおっしゃっていますね?
創価学会も昔はそこに入っていました。しかし、創価学会と宗門が分かれたので創価学会も伝持、広い意味では僧宝と


まず僕が一番思うことは、僕の家族、学会の知り合い、そして創価学会の実態は犯罪者集団でもないし、大ホウボウ団体でもない、会長本仏論などない。そして、父、母は功徳で満ち、幸せです。そして、ここでの交流で、法華講の実体も知りました。絶対悪はどちらも違う。
ご指南今後もお願いします。

 

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降魔の剣に以下の投稿がありました。

投稿日時:2005/08/15(Mon) 03:09
ホスト名:219.52.118.131
ブラウザ:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)

おなまえ:神様
Eメール:
タイトル:意見
URL  :

僕が一番重要と考えているのは、日顕上人は信心(血脈)があり、己義を構えているのか?
という一点です。なぜなら

「衆義たりと雖も仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事」という御文があります。
「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構えばこれを用うべからざること」という御文があります。

これからもわかるように、用いないという状況も、摧くという状況も信心の有無によってホウボウにも善行にもなります。

この点から時の法主上人個人に背けばホウボウ!
(用いないという御指南にそむきますし、個人ではなくそこの流れる信心が重要)
僧宝誹謗でほうぼう!
(確かに、700年間、、、伝持の立場から法主は僧宝である。でもあくもで「」、伝える存在である。日興上人、大聖人と同じ性質ではない。)
法主上人に極理があるから大衆には判断できない!
(極理とはなんですか?信心でしょう。御書以外の文献を用いていいのですか?御書は誰でも学べるでしょう?昔は状況が今と違い、一般大衆は学がなかった。今は違う。活仏ようにこの世の一人しか極理を理解する人間は生まれないのか?)
血脈にそむけばホウボウ!
(血脈は信心。でないと二つ目のご指南は己義となる。日興上人の御指南です。)

よって、信心こそ重要であって、僕は一番最初に述べたことが法華講と創価学会の唯一の相違であると思うので、そこをご指南いただきたい。もし上記のような考えがあるならそれは我見だと思う。



ここでよく法華講の方は、二つ目のご指南に対し、これは内部規定だ、法主の権利を言っている、と明白なご指南をあえて難しく解釈しますが、
樋田様もここは消極的にも用いないということとおっしゃっておりますし、
日顕上人も
「時の貫首」という語を、「之れを用うべからず」の語との関連で、主語として考えるか 客語として考えるかの区別になるわけですけれども-。
仮に客語として考えた場合は、その時の貫首が、つまり私なら私に仏法の相違があり、己義を構えた場合、大衆は之を用いてならないと言うわけでです。


日顕上人も難解釈に含みを残しながらも、明白な言葉、一つ目のご指南との対比を考えれば、用いないと仰せです。上記のも我見ですね。

日顕上人のご指南の続きです
日達上人も、「しからば、その己義というのは誰が、判定するんだ」と皆さんに反問されていたことを、御承知でしょう。(これは法主上人以外の大衆です)

たしかにそういう意味があるのです。
即ち、例えば、私が今から大聖人の仏法・化儀・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分かるようなことを言い出したならば、これはたしかに用いるべきではありません。(創価学会はこの通りの意見で用いておりません)

しかし大聖人のご指南を根本としたうえで、言っておることに関してならば、やはりその法主の指導を中心に聞かなければならないはずであります。

争点は日顕上人のどこが己義?
大聖人の仏法そのものでしょう?
そこが争点。ここではなく、上記の血脈にそむく、極理うんぬんは違うのです。日顕上人の正法を証明できないからそう言うのですか?違いますよね。そこが重要。

 

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投稿日時:2005/08/17(Wed) 12:49
おなまえ:ミュン
タイトル:神様くんは、間違いすぎています。
 
 こんにちは、ミュンです。


 神様くんの、書いているのを読んでいると、わかっていない人が話すような話ばかりしているな~と思って読んでいました。神様くんは、かわいそうですね。神様くんは、全然中立ではなく、知識は創価学会の言っていることばかりを言っています。(中立の振りをしているけど、本当は、わざと?)


 創価学会は、日顕上人のお作りになった御本尊を学会員から回収し、学会が作製したニセ会員にとりかえ、配布をしています。どれほどの人がニセ本尊を信じて不幸になってしまったことでしょう。
 神様くんの話を一つ一つ、ここは違うと教えるのもいいのでしょうが、神様くんは、知識が足りなさすぎていますし、神様くんに都合のいいように勝手に解釈をしています。また、神様くんの都合の悪い学会の出版物に対しては、神様くんは、意見を言ったりしません。

 
 神様くんは、以下の様に間違ったことを書きました。
>現在、宗門では、日蓮正宗全体も広い意味で僧宝とおっしゃっていますね?

 
 神様くん、日蓮正宗(大石寺)の宗門が広い意味で日蓮正宗が広い意味で僧宝だと言っていると神様くんは言っていますが、その根拠をだしてください。。必ず答えてくださいね。
日蓮正宗(大石寺)では、日蓮正宗(大石寺)は、広い意味で
僧宝だとなんて、言ったのをミュンは一度も聞いたことはないですよ。

 神様くん、でたらめな君のうらずけのない知識でミュンや、樋田さんの話を解釈しても全然ダ~メ。神様くんの知識は、日蓮正宗(大石寺)の言っていることなのか、創価学会が言っている知識なのかをはっきり区別もできないのでしょうか。もう一度、整理整とんしなさい。その他たくさん、神様くんの518・519に書いたことはでたらめばかりです。

 神様くん、創価学会は、人を不幸にしてしまう宗教ですよ。
早く世界で唯一正しい、日蓮正宗(大石寺)に入信をしなさい。
なぜなら日蓮正宗(大石寺)以外の宗教は人を不幸にしてしまう宗教だから。

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投稿日時:2005/08/18(Thu) 00:09
おなまえ:神様
タイトル:意見
 
>神様くんの、書いているのを読んでいると、わかっていない人が話すような話ばかりしているな~と思って読んでいました。神様くんは、かわいそうですね。神様くんは、全然中立ではなく、知識は創価学会の言っていることばかりを言っています。(中立の振りをしているけど、本当は、わざと?)


僕は学会肯定に意地を張っているのではありません。今は僕の思い、学会の考え方を精一杯述べていきたいと思い、それに対する御指南で納得できれば法華講に入ってもいいです。僕は今は学会が正しいと思います(絶対悪は宗門でもない)ですから、知識がない、バカバカしすぎると思わず、指南いただきたい。でも僕の意見も受け止めて欲しいですね。



>創価学会は、日顕上人のお作りになった御本尊を学会員から回収し、学会が作製したニセ会員にとりかえ、配布をしています。どれほどの人がニセ本尊を信じて不幸になってしまったことでしょう。


はい。日顕上人は800万信徒を破門しました。(ここを僕は己義と思いますが、宗門は正しい行為ととらえている。一番の相違です。ここを理解しあいたい。)ですから用いません。学会員は821万世帯(公称ですけど)います。皆が地獄の境涯で苦しんでいる。そう思うのですね?
脱講者も脱会者もいる。不幸なのは個人の原因もあるでしょうし、宗門も学会も不幸な人はいます。


> 神様くんの話を一つ一つ、ここは違うと教えるのもいいのでしょうが、神様くんは、知識が足りなさすぎていますし、神様くんに都合のいいように勝手に解釈をしています。また、神様くんの都合の悪い学会の出版物に対しては、神様くんは、意見を言ったりしません。


都合の悪い出版物、すいませんもう一度具体的にご指摘ください。
 

> 日蓮正宗(大石寺)では、日蓮正宗(大石寺)は、広い意味で
> 僧宝だとなんて、言ったのをミュンは一度も聞いたことはないですよ。


はい。お答えします。
法華ちゃんねるの法華wikiの大石寺三宝尊にこうあります。
仏宝……御本仏日蓮大聖人
法宝……大聖人御所顕の大曼荼羅御本尊
僧宝……日興上人(を随一として広義として日目上人以下歴代の貫主、日蓮正宗の全僧俗も含む義がある)
これは一般投稿論文ですが、ここに掲示されている以上、公式の教義として法華講の認可があるのでしょう。個人の意見だ!とするならそれは日蓮正宗の意見に反し、己義です。
僧宝は守り、伝える立場です。全体を含むニュアンスもあるのは当然です。
http://hokkech.ddo.jp/modules/pukiwiki/index.php?cmd=read&page=%5B%5B%B0%EC%C8%CC%C5%EA%B9%C6%CF%C0%CA%B8%2F%C2%E7%C0%D0%BB%FB%A4%CE%BB%B0%CA%F5%C2%BA%5D%5D



後半のご意見は真摯に受け止めますが、感情論はさけたいです。

 

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投稿日時:2005/08/22(Mon) 11:45
おなまえ:神様
タイトル:樋田様
 
ご多忙のことと思います。一つ質問ですが、以前山崎正友さんについて質問したところ、あまり存じ上げないと言っておりましたが、法論の中でホウボウの人と断じておりました。そのようなとらえ方でよろしいのですね?

 

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投稿日時:2005/08/22(Mon) 12:10
おなまえ:神様
タイトル:樋田様


> どの法論で私がそう言ったのですか?
> 記憶にないのですが。
> 明確に教えて下さい。

顕正会との法論ご苦労様です。ビルをお持ちとはすごいですね。パソコンの調子が悪く、まだあまり見れていません。その中で、確か相手の方が日顕上人が山崎正友さんと会っている事実を指摘し、ほうぼうの人と会っていいのですか?という質問をしていたと思うのですが?それに対し、ほうぼうの人ですよね?に対してうなずき、ほうぼうの人でも会ったら悪いという事はなく、折伏するための縁としてお付き合いすることもあるでしょう?と言っていたと思うのですが。ニュアンスとして山崎正友氏をほうぼうの人と前提で話している感がありましたし、あの方はほうぼうなのは事実と思いますし。

 

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投稿日時:2005/08/22(Mon) 12:15
おなまえ:神様
タイトル:意見
 
確かに選挙がありますので学会は忙しいですね。今回の選挙はいろいろ波乱含みですし。あと、法論は未編集でこれからお願いしたいです。解説や編集、説明をせず、そのままのものを見てみたいです。

 

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投稿日時:2005/08/22(Mon) 12:45
おなまえ:ミュン
タイトル:神様くん、広布と人生を語るを読んで、創価学会が今回の問題の前と後で
 
 こんにちは、ミュンです。
お久しぶりです。ミュンはただ今、ものすごく忙しく、すぐ明日の朝が来てしまう日を過ごしています。そのため、神様くんに答えてあげられなくて、ごめんなさいね。

 神様くんは、学会が今回の問題の前と今回の問題の後で、言っていることが違う書物をあまり読んでいないようですね。神様くんは、未成年と書いてありましたので、もしかしたら夏休み中ですか。もしそうなら、ミュンから神様くんに宿題をださせてもらいますね。神様くんは、生まれた時から創価学会員だということなので、たぶん今回の問題の前に、聖教新聞から出版された書物を家にあるのではないでしょうか。
 だったら、聖教新聞社が出した、「広布と人生を語る」全巻を読んでください。3巻8巻も特にいいかも。あと、東京に神様くんが住んでいるなら、国会図書館に行って、大白蓮華を今回の問題の前で、昭和52年度路線でない時の者を、読みに行ってください。
 神様くんは、創価学会が今回の問題の前と後で言っていることが違っていることを知るために、神様くんが、まずは、動きなさい。
ミュンにいろいろ言う前に、前段階でこの位のことはして、創価学会が今回の問題の前と後では、血脈に関しても、僧宝にしても言っていることが違うことを、まずは、神様くんが創価学会の出版物を見て知りなさい。
 神様くん、創価学会が正しいなんて、でたらめを言っていると不幸になりますよ。だからまず、ミュンが神様くんに出した宿題をしてくださいね。そうしたら、創価学会は今回の問題の前と後では教義を変えてしまっていることが神様くんにわかりますよ。

 日蓮正宗(大石寺)だけが正しくて、日蓮正宗(大石寺)以外の宗教は、人を不幸にしてしまう宗教です。早く創価学会を辞めて、日蓮正宗(大石寺)に入信をしなさいね。

 

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投稿日時:2005/08/22(Mon) 14:41
おなまえ:神様
タイトル:ミュン様
 
僕もいちおこのような形で法華講の方とお話させていただくので、ある程度の書物は読んでおります。しかし、己義をとなえたら用いず、邪は正していくのが大聖人の仏法です。僕は破門が己義と考えますので、それ以前の法主上人をたたえ、血脈を論じる部分とは一切矛盾を感じません。状況が違うし、日達上人時代は法主も違います。これは宗門の創価学会観と同じです。教義が変わったことは一切ありません。日顕上人に対するとらえ方、己義を己義ととらえるか、ここが唯一の差と考えます。そしてここに絶対悪はどちらでもないが、どちらのスタンスがより大聖人の仏法なのかがあると思うのです。教義が変わった、大聖人に仏法ではないというなら、その証拠となぜ間違いかをご指摘ください。三宝については一切論理矛盾や変更がないと答えましたが、まだ異論はありますか?

 

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投稿日時:2005/08/22(Mon) 14:48
おなまえ:神様
タイトル:創価学会の三宝
 
法華ちゃんねるの法華wikiの大石寺三宝尊にこうあります。
仏宝……御本仏日蓮大聖人
法宝……大聖人御所顕の大曼荼羅御本尊
僧宝……日興上人(を随一として広義として日目上人以下歴代の貫主、日蓮正宗の全僧俗も含む義がある)
これは一般投稿論文ですが、ここに掲示されている以上、公式の教義として法華講の認可があるのでしょう。個人の意見だ!とするならそれは日蓮正宗の意見に反し、己義です。
僧宝は守り、伝える立場です。全体を含むニュアンスもあるのは当然です。
http://hokkech.ddo.jp/modules/pukiwiki/index.php?cmd=read&page=%5B%5B%B0%EC%C8%CC%C5%EA%B9%C6%CF%C0%CA%B8%2F%C2%E7%C0%D0%BB%FB%A4%CE%BB%B0%CA%F5%C2%BA%5D%5D

では創価学会の三宝は
仏宝……御本仏日蓮大聖人
法宝……大聖人御所顕の大曼荼羅御本尊
僧宝……日興上人(を随一として広義として日目上人以下歴代の貫主、創価学会の全僧俗も含む義がある)


僧宝については、帰依対象は日興上人のみですが、僧宝には守り伝える立場、組織を含む立場、全体を指す立場がありますので、代々法主上人と創価学会を入れますが、あくまで「」であり、日興上人とは性質が違い、己義をとなえる可能性をもちます。破門されましたので、己義をとなえている宗門を用いていない正しい仏法団体である創価学会が僧宝となるのは当然で、教義変更ではありません

 

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投稿日時:2005/08/22(Mon) 22:03
おなまえ:神様
タイトル:謝罪
 
山崎正友氏については完全なる誤解でありました。心から謝罪いたします。本当に申し訳ありません。個人的には山崎氏はどうお考えですか?ただ少し聞いてみたく思いました。身延の人との交流は折伏のための縁ですね。選挙については法論がこの世で一番重要視すべきな大聖人のお定めになったことではありません。仏法を行ずるということは広い意味でとらえられます。社会表現も重要です。もちろん法論はぜひしていただきたいです。深い発言ではないです。すいません。法論の編集については埼玉法論を見たうえで一番編集がないのがフェアで、わかりやすいです。カットがあるともっと聞きたかったということがあります。今回は不快な思いさせてしまい本当に心から謝罪いたします。これからも末永いご指南いただきたいです。

 

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投稿日時:2005/09/09(Fri) 12:33
おなまえ:ミュン
タイトル:神様くん、推測ではなく根拠のあるものを見なさい。
 
 こんにちは、神様くん。お元気ですか。
神様くんは、法華ちゃんねるの法華wikiに書かれていることは、法華講の認可があると書いてありますが、法華講の認可があるかないかは、ミュンは全然知りませんのでここで、言っておきますね。(そこに書いてあることが正しいかどうかも、あまりそこを見てないので知らないので、今ここではノーコメントさせていただきますね。)
そことミュンは、接点がないので情報が入っておりません。余り推測で判断をすることを、ミュンは日頃からしません。神様くんは、情報が入ってないのに、推測をすることが日頃から多いのかしらね?
 例えば、学校の社会の教科書の鎌倉時代の表記で、日蓮聖人は日蓮宗をつくった。と書いてあれば、日蓮正宗(大石寺)がその記述どうりに認めていると、神様くんは思うのかしら?
日蓮正宗(大石寺)は、日蓮大聖人とは言っても、日蓮聖人とは言わないし、日蓮正宗(大石寺)を作ったともちろん言っています。(日蓮宗ではないですよね。)
 神様くんが、推測を見るのではなく、なぜ創価学会がこの様な信者の団体で新興宗教路線を走ることになったかを、しかと、実際の状態を見てみなさい。創価学会はたくさんの人を不幸にしてしまっている宗教ですよ。
 世界で正しい宗教は日蓮正宗(大石寺)だけです。創価学会をはじめ、日蓮正宗(大石寺)以外の宗教は、人を不幸にしてしまう宗教なので、はやくやめなさいね。

 

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投稿日時:2005/09/13(Tue) 23:09
おなまえ:神様
タイトル:意見
 
ではミュン様は法華ちゃんねるの内容をどう思われるのですか?正しいと思いますよ。

 

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投稿日時:2005/09/14(Wed) 19:08
おなまえ:ミュン
タイトル:正しい宗教は世界でただ一つ、日蓮正宗(大石寺)だけですよ。
 
 こんにちは、ミュンです。

> ではミュン様は法華ちゃんねるの内容をどう思われるのですか?正しいと思いますよ。

 法華ちゃんねるを今、見てみましたが、全部はみれませんでした。なので、法華チャンネルの全部が正しいのかは、はっきり言えません。でも、創価学会や、顕正会の間違えを出しているので、大変いいサイトだと思いますよ。

 神様くんが何をいいたいのか、よくわからないのですが、ミュンの言いたいのは、創価学会が間違っていることをわからないと、本当に不幸になってしまうということです。
世界でただ一つ日蓮正宗(大石寺)だけが正しい宗教です。日蓮正宗(大石寺)以外の宗教は、人を不幸にしてしまう宗教ですよ。

 

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投稿日時:2005/09/15(Thu) 19:28
おなまえ:神様
タイトル:感謝
 
法華ちゃんねるの僕が取り上げた三宝尊についての記事です

 

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降魔の剣に以下の投稿がありました。

投稿日時:2005/09/17(Sat) 18:34
ホスト名:219.52.118.131
ブラウザ:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)

おなまえ:神様
Eメール:
タイトル:意見
URL  :

ハッピーさん、私も大御本尊は昔から根本です。それらを否定する方々いることには疑問に思いました。そして教学幹部に言ってきました。するとそんな人がいるのですか?と聞いてきましたので、学会員はもっと教学を徹底してほしいといいました。すると当然です。大御本尊否定は己義だと言っていました。己義ですよ。
大御本尊が偽か否かは別にしても大御本尊否定は過去の学会の否定であり、教義の大幅な変更です。
学会は大御本尊を信受し、そう会則に書いてあります。
大御本尊は本物です。それは学会、法華講の方々の歴然とした現証が実証しています。そしてそこの込められた公布の精神が重要です。
学会員でそのような方がいて、それに疑問に思い、学会自体に疑問を持っているなら、その方に己義だ!といってあげてください。学会幹部、学会の会則の意見に反しているわけです。ハッピーさん不信に思わず、信を大切にしてください。

 

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投稿日時:2005/09/17(Sat) 18:35
おなまえ:神様
タイトル:無題
 
「私も大御本尊は昔から根本です。」は「学会は昔から大御本尊根本です。」です

 

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投稿日時:2005/09/17(Sat) 23:02
おなまえ:神様
タイトル:意見

いえ、大御本尊を不信ということではありません。すいません。そしてたとえ、たとえ、大御本尊が偽であってもという極論を仮定し、それでも教義変更であると述べたまでです。大御本尊は大御本尊です。

法華講になりたいのならそうすればいいです。否定しません。自分が納得したらです。信教の自由です

 

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投稿日時:2005/09/18(Sun) 02:41
おなまえ:神様
タイトル:意見
 
学会をしてなくても幸せな人は無数にいます。だって法華講も学会も世界の人の何パーセントですか。
樋田様も貴方様のご両親も幸せです。
幸せの質はあるでしょう。相対的幸福か、絶対的幸福か、癒しか、真の救済か。
学会に不満や、教義に疑念があるなら、自分で抱えこむのは危険です。
僕はその不満を学会幹部の方に直接ぶつけ、両親を泣かせるまで話し合いをし、法華講さま方にも相談し、文証、理証、現証、仏法や自分の信念に照らして判断しています。
まずその不満を自己解決せず、地元の学会の先輩、掲示板の法華講の方、両親と話して欲しいです。
それから、それから、やまる、がんばるという決断をして欲しい。
脱会は安易にはしないで欲しいし、強制的に学会にいて欲しくもない。

 

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投稿日時:2005/12/11(Sun) 20:32
おなまえ:神様
タイトル:お久しぶり
 
お久しぶりです。
ご活躍をビデオで拝見しました。

お年寄り会員の法華講トレードにがんばっているようですが、海外でも日本でも脱講はあなたが思う以上に進んでいます。その二つを単純に計算すれば、あなた方一部の活動家法華講員の悪あがきが悲しくなりましょう。

現証にすぎたるはなし・・・
破門から15年・・・日顕氏退座、
          2%に減った信徒も回復できず、
          はては御開扉に失敗、

さて、この現実に目をむけられるでしょうか?
現証は歴然です。

 

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投稿日時:2005/12/11(Sun) 21:57
おなまえ:リーガル
タイトル:正確には破門から14年
 
何が現証だ。常識がなさすぎです。

ご高齢となられたので御隠居されるだけでしょう。
スポーツ選手が体力の限界を感じて現役を引退するのと同じ理屈です。

扉を開け閉めする機械のただの故障です。永久に故障しない機械はこの世に存在しませんよ。

現証といえば、破門からまさに満14年目のその日に、姉歯元建築士が学会員であることがネット上で広まったことなのでは。黒幕の総研も学会がらみですよね。

 

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降魔の剣に以下の投稿がありました。

投稿日時:2005/12/12(Mon) 21:23
ホスト名:219.52.118.131
ブラウザ:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)

おなまえ:神様
Eメール:
タイトル:現証
URL  :

90年の今頃にはすでに破門状態と言えるでしょう。
15年こそが創宗問題の本質的年月の推移です。

細かいですよ。

「体力の限界を感じて現役を引退」
それだけ体がむしばまれたのです。
破門15年、学会創立75周年に退座とは良くできていますね。

「扉を開け閉めする機械のただの故障です。永久に故障しない機械はこの世に存在しませんよ。」
ええそうです。破門15年、たしか学会に破門通知を送りつけた日でしたか?故障がおきたのは?
現証です。

そして「2%に減った信者も回復できず」には反論がなかったのが悲しいですね。
私が現実に目をむけてくださいと言った最もたる部分です。

そして出てきたのは姉歯がらみの昨今の学会批判。
自分の誇れる現証がないので、学会の批判に終始すること自体が現証です。

返信は結構です。

 

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投稿日時:2005/12/12(Mon) 21:55
おなまえ:リーガル
タイトル:あえて返信
 
だから、平成3年の破門ですから今年で14年でしょう。

御高齢により、自ら引退を決断されたのですよ。お体が悪ければ、ブラジルまで飛行機に乗って行けませんよ。大作さん
こそ、体が弱って最近は近場しか動けないようですね。現証
では。

扉の機械の故障が現証であるという根拠はありますか。あなたの単なる思い込みでしょう。

学会の宗教が人間の倫理を破壊するということが言いたいだけです。昨今の学会員の犯罪者続出こそが現証ではないでしょうか。

 

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投稿日時:2005/12/12(Mon) 22:17
おなまえ:フリテン
タイトル:ぷっ!創立75年だって
 
昭和5年11月18日本部はどこ?会長はだれ?会則は?会員数は何名?どんな宗教活動してたの?

 

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投稿日時:2005/12/12(Mon) 22:59
おなまえ:リーガル
タイトル:あえて返信2
 
>昨今の学会員の犯罪者続出こそが現証ではないでしょうか。

 詳しくは、「百禍繚乱」のサイトの第5章をご覧下さい。

 ところで、貴方自身は誇れる現証をお持ちですか。?

 

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投稿日時:2005/12/12(Mon) 23:01
おなまえ:神様
タイトル:返信はいいと言ったのに
 
結局

「自分の誇れる現証がないので、学会の批判に終始すること自体が現証です。」
再度掲載

返信は結構です。

 

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投稿日時:2005/12/13(Tue) 21:48
おなまえ:リーガル
タイトル:両者まとめて
 
神様(ふざけたHNだね)の残りの「2%・・」の話と一緒にコメントしましょうか。

正確な数を把握している訳ではありませんが、国内はともかく、海外においてはすでに、学会員と法華講の活動家の実数は逆転していると、私は見ています。

インドネシア、台湾、スリランカ、スペイン、そしてアフリカ大陸等においては間違いないと思います。日蓮正宗の公式サイトに参考になる画像があります。

特に台湾では、正宗寺院において毎月、数百人の御授戒がなされているとの報告があります。学会幹部は、さすがに、これはまずいと思ったのでしょう、あらゆる手段を用いて、正宗の御僧侶の入国手続きを妨害したようです。

 

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投稿日時:2005/12/14(Wed) 01:39
おなまえ:神様
タイトル:法華講の現証
 
返信は結構と書きましたが、最後に「2%・・・」
についてお答えがありましたので、書きます。

これは画期的なことです。
「現証に過ぎたるはなし」
で、現実どう発展しているかが一番重要なことです。

法華講が破門14年(ご希望に合わせ訂正いたします。)
創宗問題から15年でどのような現証を示しているかが一番重要な訳であります。

そしてここで、はじめて法華講が14、5年の間で、
たぶん海外ではホームページや機関紙から察するに、SGIを超え信者が増加し、特にインドネシアetc・・・などでは確実(しかし推測)であるという「現証」が示されました。

しかし、
これのどれもが推測の域を出ず、ホームページに参考画像があるというのが唯一の論拠です。最近機関紙で登載された記事もありましょうか。

しかし、公称の信者数でまず論じますと、
SGIは150万人ぐらいでしょうか、そして法華講では、
30~60万人ぐらいだったでしょう。

そして、国の数では、
SGIは190ヶ国(破門後に主に増加)
法華講は三十数ヶ国~四十数ヶ国であったと記憶しています。

この時点でどう逆立ちしても「活動家が逆転」
という論は飛躍以外の何者でもないでしょう。

そして、インドネシア、スリランカ、etc・・・
については、海外布教を行っている方の証言から実態は知っていますが、他に比べ多いとはいえ、とはいえです。
逆転など飛躍の何者にも過ぎませんし、脱講運動はあなたが思っている以上に進んでいます。それは直接聞いた話で、信じるかはあなたに感得の問題ですが。真実です。

ですから、一部活動家法華講のお年寄り会員の信者トレードが無意味な悪あがきと私は見るのです。


台湾については、SGIは12年連続の優良団体の称号を得ていますし、日本たくさんの会員に方が見えています。
それは私が知っています。

これが現証です。
顕○会の信者大本営発表を批判できますか。

返信は本当に結構です。
以上。

 

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降魔の剣に以下の投稿がありました。

投稿日時:2005/12/14(Wed) 01:45
ホスト名:219.52.118.131
ブラウザ:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)

おなまえ:神様
Eメール:
タイトル:Re:[906] 両者まとめて
URL  :

> でもコウセンルフには、あと700年かかるかな。
> いやその倍か?それとも倍々∞?(笑)

そうでしょうね。
学会出現で75年でここまで来たのはすごいことです。
700年間は護持の時代と時の法主上人ですら認めています。

現証は一番です。
ここをしっかり見るべきです。

 

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投稿日時:2005/12/14(Wed) 21:34
おなまえ:リーガル
タイトル:困ったものだ
 
管理人さんどうしましょう。「馬鹿につける薬ははない。」との言葉が頭に浮かびました。
それでは、もう少しだけお付き合いしましょうか。

神様さんはとても「現証」という言葉がお好きなようですね。

では、お尋ねします。「脱講運動はあなたが思っている以上に進んでいます。」「直接聞いた話です。」この件についてもう少しお聞かせ願いますか。できれば、具体的な数や地域など教えていただけますか。? 
もちろん、根拠はお持ちですよね。

 

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投稿日時:2005/12/14(Wed) 22:39
おなまえ:神様
タイトル:なぜ返信を?
 
私はあなたと論争をするつもりなどなく、毎回返信はいいと書いたのですか、しかたなくお付き合いとはなんでしょう?
しかも馬鹿に・・・このような論には憤りを感じえません。
管理人に助けを求めるのもおやめなさい。

現証が好きって、あなたは嫌いなのですか?ないからあまり論じたくないのですか?
現証に過ぎたるはなし・・・です。

で、海外で大発展、活動家逆転などありえません。
少し考えればわかるでしょう?
本当に返信は結構です。
本当に。

これでも返信してきたら、馬鹿ういういをお返しますよ。
ほんと。

 

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投稿日時:2005/12/18(Sun) 15:41
おなまえ:神様
タイトル:意見
 
>日蓮正宗の僧俗にしか解りません。

これじゃ折伏できないね。
説明してくださいよ、文証・理証・現証を持って。

 

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投稿日時:2005/12/18(Sun) 21:32
おなまえ:神様
タイトル:意見
 
池田会長の健康状態ですか?
元気ですよ。本部幹部会来られたらどうですか?
実際何回も見てますからね。

変な、意図的な推測はやめなされ。
隠居したおたくの法主とは違うのです。

「御法主上人のお立場(外用・内証)については、日蓮正宗の僧俗だけしか解りません。」

この発言、矛盾だらけ。間違いだらけ。
法主の内証は唯授一人と言いながら、日蓮正宗の僧俗にわかるという自語相違。

正宗の者しかわからないでは、布教できないではないか?
邪宗の者に教えないとは、折伏をしらないのか?
ということ

そして
わからない・・・ただなんとなく信じる・・・そんなこれが大聖人の信仰者とは思えない。
きちっと、三証をもって、
地球上の全ての人類は凡夫だけど、そうじょうを受けた法主上人だけは日蓮と境涯を同じくされる、生身の釈迦如来とであり、絶対間違いはない。
これを証明されよ。

 

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投稿日時:2005/12/18(Sun) 21:41
おなまえ:リーガル
タイトル:私とは論争しないのでは?
 
> 池田会長の健康状態ですか?
> 元気ですよ。本部幹部会来られたらどうですか?
> 実際何回も見てますからね。

  一番最近では、いつですか。どこの会館。?
 

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投稿日時:2005/12/18(Sun) 21:47
おなまえ:神様
タイトル:質問への回答で、口喧嘩・イチャモンも御免だよってこと
 
あなたね、結局
池田会長が仏罰で体が実はボロボロで、隠れて車椅子に乗っている。(おたくの法主、、、元法主ではないよ)もしかしたら、ほんとは死んでるんじゃないのって勝手に妄想していんでしょうけど、全然元気ですから。
あなたには残念でしょうけど。

いつ?どこ?それ答えたら、私の質問にも答えてくれますね?三証のやつ。

一番最近の本幹ですよ。牧口でしょうね。
てか、元気ですから。今誰かと対談されているみたいですし。これでいいですか?

 

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投稿日時:2005/12/18(Sun) 23:28
おなまえ:神様
タイトル:リーガルさま
 
http://www.sokagakkai.or.jp/SITE1PUB/sun/19/news/report474.html?t=1134027270547
この本幹ですね。

私は行っていませんが、同時中継を見ました。
親類や知り合いの幹部の方はたくさんいますので、多数の方が元気な名誉会長を拝見していますね。

これも整形した第二の会長とか、そこに行った幹部を麻酔で眠らせ、記憶を書き換えてるとか、etc・・・

ここまでくるとSF小説の域です。病気と断じます。
というか、元気ですから。普通に。
死んでないから。残念ながら。

では、私が回答しましたので、納得あれば、
私の949でも質問にもお答えください。

 

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投稿日時:2005/12/19(Mon) 22:46
おなまえ:神様
タイトル:リーガルさんへ
 
>管理人さんへ
>しばらく、レベルの低い話が続きますがお許しください。

あなたは自分で低レベルの意識があるのですね。
自覚があるだけ安心です。


「今年の何月何日の本幹?」その
紹介があのサイトの記事です。
その本幹なのですが。
今年の12月です。日顕氏退座の勝利宣言でしたね。
だって、私の家族が行ってますもん。
直接見てますもん。
芸術部の方も、SGIの方も、

あとですね、
では日顕さんは本当に生きていますか?
この質問でもあなたと同じ揚げ足取りの意図的妄想ができますよ。
ホント、低レベルですよ。自分でご指摘通り。

で、法主については、
解答不能。折伏してみなさい。
私どもを。知らない、邪宗に言ってもしかたない、
これでは大聖人もお嘆きですよ。

別に、正法伝持である分にはいいのです。
三代会長、我々学会員もつくしてきました。
しかし、間違ったから用いないのは当然の理論でしょう?

なのに「絶対に間違いはない!!」「ただ従うのみ!!」
というから、
地球上の全ての人類は凡夫で、
「時の貫首爲りと雖も佛法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事」だから、間違いもある。

それでも、いいや違う!
「御内証だ!」「絶対、絶対間違わない!!!」

と言いますので、では絶対間違わないなら、仏様ではないですか?大聖人と境涯を同じくされる、大御本尊と不二の尊体なら、法主本仏論ではないですか?
それを教義にもとづいて説明してくださいと述べると、

歴代法主の発言(循環論法・釈ばかりで言語道断)、加筆部の御書、
そして、正法伝持を基本とされている僧宝論を持ちだす。
いいですか?
「間違ったら用いないのは基本です」
間違わない!!!!
というなら、それこそが己義で、用いない理由ともなります。

では、では、
「間違った場合用いない」
を認識した上で、
今の法主は間違っていないというお話なら、成り立ちます。
それを三証もって証明しなさいというのです。
それができないなら、宗門は間違っているのです。
してみなさい!!!

 

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投稿日時:2005/12/19(Mon) 23:02
おなまえ:神様
タイトル:三証
 
現証(破門後)
学会・・・190ヶ国(破門後大幅増)に発展
宗門・・・信徒2%減回復できず

文証に関しては、
まず「法主に間違いがない」のが間違い。
日顕の間違っているわけ、
学会破門
正本堂破壊
大御本尊否定
etc・・・
自分を大御本尊・大聖人と不二の尊体って、
なんでそれを開山上人が間違ったら用いるなと言うの?

以上、道理もわきまえている。

 

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投稿日時:2005/12/20(Tue) 11:43
おなまえ:terry
タイトル:神様氏へ。

以前から貴殿の事は存じておりますが、遂に脳乱も極まったみたいですね。
樋田さんとやり取りをされていた時は、正信に目覚めるかとも思っておりましたが。やはりニセ本尊の害毒は恐ろしいと改めて思わされましたよ。

で、貴殿の論の趣旨に反駁させてもらいますよ。

■一、時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。
■一、衆議たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事。
 この段は既に宗内御僧侶から破折論文が出ており、十分意を尽くされているので転載します。

貴殿は、『日興遺誡置文』の、
■時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。(新編一八八五頁)
の御文について、〝日興上人が「遺誡置文」で仰せのとおり、法主も己義を構え謗法を犯すことがある〟と言うが、それは大いなる欺瞞ではないか。
 では反対に聞くが、その『日興遺誡置文』の次の、
■衆義たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事。(同頁)
との御文を、どのように拝するのか。摧く主体を貫首とお示しではないか。数を頼んで血脈を冒涜する創価学会こそ、「摧くべき衆義」に当たるのである。
 この『日興遺誡置文』は、その最後に、
■右の条目大略此くの如し、万年救護の為に二十六箇条を置く。後代の学侶、敢へて疑惑を生ずること勿れ。(同頁)
と仰せのごとく、総じては末代の弟子一同に賜った御遺誡であるが、別しては唯授一人の御法主上人に宛てられた御遺誡である。故に、邪教徒にして門外漢の貴殿にはそもそも『日興遺誡置文』の御真意など拝せるはずがないのである。
 要するに、外用僧宝・内証三宝一体の意義より拝しても、貫首たる御法主上人こそが仏法伝持の主体者なのである。その仏法伝持の主体者である御法主上人に、本来己義など存在するはずがない。仮に、万万が一、貫首が己義を構えたとすれば、それが仏法に相違した己義であるか否かを誰が判定するのか。それを判定できるのは貫首以外にはいないのである。故に、〝法主も己義を構え謗法を犯す〟などということは、絶対にあり得ないことである。
御先師日達上人は、
■「日蓮正宗宗規」に、〝管長は法門の正邪を決定する〟という意味のことが明らかに載っております。そのとおりであります。血脈を受けてその法門に従って、そして法門の正邪を決めるのは貫首ではないですか。だから、貫首が己義を構えると考える人はとんでもない考えの人です。それでは血脈相承を受けていない人ということになってしまいます。血脈相承によってご法門を解釈していくのでありますから、少しも己義を構えるということはないわけであります。大聖人の教えのとおりにやっていくのでありますから。
(日達上人全集第二輯七―三四二頁)
と、貴殿の邪義とは正反対の御正意を仰せであるが、貴殿はこの日達上人の「貫首が己義を構えると考える人はとんでもない考えの人です」との御指南を否定するのか。まさか大恩ある御先師日達上人まで愚弄することはないと思うが、どうか。
 ところで、貴殿に聞きたいのだが、貴殿ら創価学会は、あたかも日顕上人が〝法に背く僧〟であり、仏法に相違して己義を構えたかのように言うが、では日顕上人は仏法上どのような誤りを犯し、己義を構えたと言うのか。よもや異流義と化した池田創価学会の邪義を、正法正義の上から徹底して破折遊ばされたのが仏法上の誤り、己義だと言うのではあるまい。もしそうであれば、貴殿の頭は既に救いようのない毒気に犯されており、まさに「頭破作七分」と言うほかはないが、どうやら貴殿は確実に顛倒しているように見受けられるから言っておくが、〝法に背く僧〟とは、創価学会の大謗法を破折することもできず、貴殿らに諂い、その走狗となっている離脱僧らのことを言うのである。
 日顕上人が創価学会の謗法を大慈悲の上から折伏遊ばされる御姿こそ、真の護法の僧の姿であり、真正なる血脈付法の大導師すなわち僧宝であらせられることの証拠である。したがって、御歴代上人を誹謗し、御当代日顕上人へのあくなき誹謗を行う創価学会は、三宝一体の御法主上人の御内証を拝すれば、まさしく「文底下種三宝」に背く仏法破壊の大謗法であり、無間大城、疑いなしと断言するが、これに反駁有るか?お答え願いたい。

 

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投稿日時:2005/12/20(Tue) 11:51
おなまえ:terry
タイトル:もう一つ聞いておきましょうか。
 
ネット上等でも散々「御義口伝」を偽書扱いして来ている学会諸氏がいるのですが、これは御存時でしょうかね。特に離脱僧の禿頭に多いのですが。

で、今回学会がこの「御義口伝」を英訳して外国に発売したと聞きましたが、
これは「学会本部の公式見解としては似書ではない」からですかね?

するとですね、散々ネット上で云々言っていた禿頭達の存在価値って、全く無い事になりますが、この点は神様氏はどう思いますか?

 

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投稿日時:2005/12/21(Wed) 00:35
おなまえ:神様
タイトル:意見
 
> 以前から貴殿の事は存じておりますが、遂に脳乱も極まったみたいですね。
> 樋田さんとやり取りをされていた時は、正信に目覚めるかとも思っておりましたが。やはりニセ本尊の害毒は恐ろしいと改めて思わされましたよ。


私はその時は教学などについて、諸先輩方に論ずる身にないと考えておりましたので、さまざま意見を聞いておりました。その中で、自ら教学を学び、さまざま方と何時間にもわたってオフラインで対談させていただく中で、正信に目覚めたというか、決意を新たにした次第です。
これも学会のおかげです。
早くあなたにも正信に目覚めてほしいです。
まぁ、すべては時のしからしむところでしょう。



> ■時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。(新編一八八五頁)
> ■衆義たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事。(同頁)


なんら相反しません。貫首も衆義も間違いを犯す、
それを宗門は衆義を摧いた、と
学会は時の貫首が己義を構えた、と言っているのです。
さて、どちらが正しいか?

それは三証で見ていくしかないでしょう。

仏様ではないのです。
宗門では「絶対に間違わない」「生身の釈迦如来」
「大御本尊と不二の尊体」などと言っているのですよ?
「万万が一」もないというのです。
それでは法主は仏様ではないですか?
違いますよね?
ある講員は「地球上のすべての人類は凡夫」と言っていました。
そんな当たり前もわからないのが宗門です。
内部から万万が一、凡夫、これらの論を述べて、改革してください。お願いします。


「それが仏法に相違した己義であるか否かを誰が判定するのか。それを判定できるのは貫首以外にはいないのである。故に、〝法主も己義を構え謗法を犯す〟などということは、絶対にあり得ないことである。」


■時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。(新編一八八五頁)
■衆義たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事。(同頁)
これはどう読んでも貫首も間違いを犯す。
大衆も間違いを犯す。
その場合、お互いそれを用いない・・・
そうとしか読めないでしょう?
あなたの論は「己義」です。
日顕氏ですら、間違いを犯すことを認め、
しかし、私は間違っていないといっているのですよ?
普通はそうではないですか?
大○天氏ですら、「私の絶対的信からの発言」と言っているのです。terry氏、素直に読みなさい。

法主は間違っていない、ではなく、
日顕氏は己義など構えていない・・・こういう論争が求められるでしょう?
間違わない・・・では日顕上人のどこが間違いと言うのだ?・・・???
なんという論の稚拙さ、間違わないなら、間違わないで、
法主は仏様、間違わないと主張してください。
混乱します。


日達上人は自分が仏様、僧宝などと述べていません。
間違わない・・・これは信からの戒めで、本質は凡夫である以上、間違いを犯すのです。違うならば、仏様になってします。それを否定している御指南をどうぞ。


ここで考えなければならないのは、我が宗の三宝は、御本尊が法宝、大聖人が仏宝、日興上人が僧宝と立てます。

それに対して日目上人は座主である。

今云った通り、管領して、その大聖人の仏法を治めて行く、よく受取って治めて行く、即ち管領と云う意味を持って行くのである。統べ治める、そして統治をして行く。

その日目上人の後は、皆筒の流れのように、それを受継いで行くにすぎない。

だから本宗の考えは、広宣流布の時は日目上人の再現、出現だと云う意味をとっております。

即ち日目上人が広宣流布の時の座主として再誕なされるとの指南であります。

だから代々の法主が日蓮大聖人ではない。

大聖人そのものと間違って書かれてよく問題が起きますが、その点ははっきりしてもらいたい。

只三宝をお守りする座主、日目上人は永代の座主、広宣流布の時の座主、それを忘れてはいけないですね。だから客殿のあの座席、法主のあの座席は目師の座席なのです。

まん中に御本尊、向って左は大聖人、右は日興上人、目師がそれをお守りして行くと、その座が目師の座、今の管長の座は目師の座です。

だから永代、広宣流布の時にはあの座主が即ち目師の再誕と云う事になる。

三宝はどこまでも、大聖人・日興上人・御本尊、これが本宗の三宝の立て方です。

法主が大聖人様の代わりだと、即座にこう云う事を云うと、外から非難されますから、よくその点に注意していただきたいと思います。



その通りですね。
今の宗門信徒が僧宝に戸惑うことなく、
日顕氏が非教師指導会で僧宝以下の法主と述べた、
貫首を僧宝と述べる姿は三宝の姿そのものです。
大聖人、日興上人と日顕氏を同列にするなど、恐れ多いではないか?

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Himawari/2771/nikkensyuu/p46.html
これが日顕氏の間違いの歩みだ。
現証で退座したのです。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2005/12/21(Wed) 00:38
おなまえ:神様
タイトル:訂正
 
三宝の姿→三宝破壊の姿

あなたと論争する気はありません。
悪しからず。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2005/12/21(Wed) 15:09
おなまえ:神様
タイトル:日顕のご指南
 
「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事」
これについては日達上人も、
「しからば、その己義というのはだれが判定するんだ」
と皆さんに反問されていたことを御承知でしょう。
たしかに、そういう意味があるのです。
即ち、例えば私が今から、大聖人の仏法の化義・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分かるようなことを言い出したならば、これはたしかに用いるべきではありません。


抜粋ですが、間違えることもあると認めています。
しかし、一方ではこの教えの真意をわかりながら、
信徒に「生身の釈迦如来」と教えている。
これは信徒を隷属させる意図的自語相違です。
はやく正信に目覚めなさい。
「大聖人の仏法の化義・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分かるようなことを言い出したならば」
学会破門、正本堂破壊、法主本仏論、etc・・・

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

降魔の剣に以下の投稿がありました。

投稿日時:2005/12/23(Fri) 23:10
ホスト名:219.52.118.131
ブラウザ:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)

おなまえ:神様
Eメール:
タイトル:三証
URL  :

一、時の貫首爲りと雖も佛法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。

一、衆議爲りと雖も、佛法に相違有らば貫首之を摧くべき事。


この二つの御指南からも、
大衆も法主も間違いを犯すということが明白にわかります。
ではどうやって間違いかを判断するのか?
それはやはり、三証、
文証・理証・現証
によって行われるべきでしょう。

この当たり前の論理・正法に立てば、
「法主に絶対に間違いはない」
という、法主を仏とみなす論は成り立たなくなります。

そして、時の貫首を用いない「正法伝持」があり得るならば、それは法主のみが伝承する、唯授一人の法門、大聖人の内証が存在しない、ないし時代的背景から公開されたということであり、
血脈は南無妙法蓮華経と唱え、正法を伝持する大衆に流れる信心ということを認めたことになります。

上記の三証での正法の判定の土俵に立つと、
法主は絶対に間違わない、大聖人の唯授一人的内証の伝承、
を否定したことになり、自らの間違いを認めたことにもなりましょう。

上記の三証での正法の判定の土俵に立たないと、
日興上人の御指南、大聖人の血脈観を否定したことになります。それ自体己義なのです。

結局、どっちに転んでも間違っているということなのです。
しかし、法主本仏論を否定し、自らの反省の上に、
なお現法主のどこが間違っているのか?
という論争をしたいのであれば、三証をもって証明すべきでしょう。
しかし、それは自らの己義を認めることにもなるのです。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2005/12/25(Sun) 13:23
おなまえ:神様
タイトル:正本堂
 
日本の司法で結論・・・愚かだね、仏法の問題でしょう。
           

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2005/12/25(Sun) 13:27
おなまえ:神様
タイトル:女性の敵
 
日顕氏のシアトル、芸者に目を向けなさい。ここは司法で結論が出ていますよ。これは仏法以前の問題ですから、司法で事実認定が出ています。信平含め、会長はひとつも事実認定されていません。証拠裁判主義を理解しなさい。推測で論ずるものではない。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

降魔の剣に以下の投稿がありました。

投稿日時:2005/12/25(Sun) 13:29
ホスト名:219.52.118.131
ブラウザ:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)

おなまえ:神様
Eメール:
タイトル:法主
URL  :

地球上の全人類は凡夫であるから、法主も間違いを犯す凡夫である。よって、現在宗門のとなえる法主は絶対間違わない仏様であるという論は間違いでいいのですね?

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2005/12/25(Sun) 18:10
おなまえ:神様
タイトル:司法を否定するとは
 
まず、正本堂裁判(ちなみこれは学会で訴えたのではありません。個人の問題です。)ういういを語りながら、司法は学会に支配されている。不当だと叫ぶ。

どっちかはっきりしてください。

まず、信平さんの問題は時効ではありません。時効は事実認定があったということでしょう。
訴権の濫用です。

で、シアトル・芸者については、
裁判の結果・・・まず宗門側が学会の司法支配で不当だというのですから、おのずと司法がどちらが正しいと認めたかわかるでしょう。

この話は議論し尽くされていますね。
私の法主と三証の質問をお答えくださいな。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2005/12/25(Sun) 19:03
おなまえ:神様
タイトル:学会と宗門の裁判
 
> 裁判で裁判相手が創価学会自体の物では全て学会が勝っています。

これでもう結論です。

> 正本堂にしても同時期に三十数件の訴訟が起こる自体不自然

壊した時期がありますので、同時期でも不自然ではないでしょう。
司法が学会に支配されていると言うなら、正本堂ういういなど語らないでください。
そして、支配されているなら、正本堂裁判は学会員の勝訴でしょう。都合がいい時だけ司法を否定し、ある時は司法を利用し・・国権を否定しては何も成り立たないでしょう。それではカルトですよ。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2005/12/25(Sun) 22:27
おなまえ:神様
タイトル:信平事件について
 
いわゆる時効・・・いいですか、時効は事実認定が前提です。

ですから、事実審議が行われていない、事実認定されていない、本件について、時効だ・・・とはならないし、

言葉をにごし、いわゆる時効としても、
時効には事実認定のニュアンスが含まれるため適切でないでしょう。

訴権の濫用と判決で出ています。
100万件に一件の珍しい裁判でした。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2005/12/25(Sun) 22:41
おなまえ:神様
タイトル:シアトル事件について
 
シアトルはもう一審で事実認定されています。
それに不服なら控訴すればいいものの、宗門側は訴えを取り下げました。

宗門が訴え、一審判決を受け、訴えを取り下げる、

しかもこれにかんし、
学会が虚偽の情報をアメリカの情報機関に埋め込んだというデマを言い、
「真実の証明」の内容から日顕氏の関与も断定し、宗門・日顕氏に400万円の支払い命令。

まぁ、学会が訴えた裁判は全て学会が勝っています。
このフリテン様の結論でいいのでは。

しかし、判決不服なら訴えればいい、
それはシアトルも芸者写真も、
学会に支配された司法など無効!
このような国権の否定ではお話になりません。
では、正本堂問題うんぬんは語らないでほしい。

ちなみにこんな話になったのは、
リーガル様の池田会長は女の敵ういういのスキャンダル話からです。

私は法主は凡夫か仏か、絶対間違わないか、間違うか、
そして三証による正法の判定のお答えを求めています。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2005/12/26(Mon) 14:18
おなまえ:神様
タイトル:ういうい好きのリーガル様
 
あなたに私の出身地を告げる義務はありません。
「ういうい」は「などの」、「etc」といった意味ですか。
文脈から察していただければよかったのですが。
この話はもう終わり。いいね。

で、時効だ!との主張は、不適切ということで自ら撤回されたようでよかったです。だって事実認定されていないのですから。
「原告の主張する権利が事実的根拠を欠き、権利保護の必要性が乏しいものであり、このことから、民事訴訟制度の趣旨・目的に照らして著し相当性を欠き、信義に反するものと認めざるを得ないのである。」
あなたこそ判決文読んで言ってるのですか?

シアトルは事実認定され、不服ならなぜ自ら訴えた裁判を自らやめたのですか?事実でないなら訴えなおしなさい。

マグマグ様の指摘どおり、
リーガル様は弓谷さんのことや、女性問題、
スキャンダラスなことがお好きですね。
シアトルも芸者写真も議論し尽くされ、非常に不毛な議論となりませんか。

私は法主は凡夫か仏か?絶対間違わないか、間違うか?
そして正法の三証による証明を求めていますが、お答えがありません。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2005/12/26(Mon) 23:29
おなまえ:神様
タイトル:リーガル様へ
 
「原告の主張する権利が事実的根拠を欠き、権利保護の必要性が乏しいものであり、このことから、民事訴訟制度の趣旨・目的に照らして著し相当性を欠き、信義に反するものと認めざるを得ないのである」
これが信平さんの件の判決文です。

あなたは時効、時効と、
私が事実認定されていないとの主張に、こう繰り返しました。そして、判決文を読めと・・・

しかし、上記のものをご覧ください。
あなたに判決文を読めと言われる道理がない。

そして、クロウについては、
和解調書うんぬんと言われるなら、それを示してください。
自ら訴え、自ら訴えを取り下げ和解へ
これでおのずと解りませんか?

そして、裁判については
学会の裁判では学会側が全て勝っています・・こうフリテン様ですら仰っていますよ。

もしや正本堂裁判なども含めて言ってるのですか?

そして、学会としては敗訴、池田会長も断罪
されたことはありません。

日顕氏、宗門は事実として数百万円の賠償金を学会に払い、
日顕氏個人で2度最高裁で断罪されています。

そして、、あなたは裁判やスキャンダルばかり論じますね。
不毛な議論。。と私は述べました。

法主は絶対間違わない・・・地球上の全人類は凡夫・・・
ここを私はこたえてほしい。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2005/12/27(Tue) 19:17
おなまえ:神様
タイトル:リーガル氏回答不能
 
法主は絶対に間違わない、大御本尊と不二の尊体で、大聖人と境涯を同じくされる方だが、
「地球上の全ての人類は凡夫」で、己義を構えばそれを用いないでよい存在である。

この矛盾に対し回答不能であった。
(あなた負けず嫌いだからいろいろイヤミな返信しそうだけど、低劣な愚問を乱立させ、この回答を拒否するあなたの思考だけはオーディエンスは察してると思うよ。)

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2005/12/27(Tue) 23:23
おなまえ:神様
タイトル:いちお
 
法主は絶対に間違うことのない、大御本尊と不二の尊体で、大聖人と境涯を同じくされる方だが、
「地球上の全ての人類は凡夫」で、己義を構えばそれを用いないでよい存在である。

どう思われるか。
別にリーガル様には聞いていません。
いちお書いておきます。重要なことです。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2005/12/28(Wed) 22:12
おなまえ:神様
タイトル:リーガル様
 
少なくとも、あなたの「素朴な疑問」の数々、
そして、お宅らの幹部・・・この言動・誘い方を問題にしています。
法論についても、ここですら私の質問に答えず、シアトル・信平と論ずるわけですから、あなたの掲示板の様子を見て、
法論に乗る方はいないと言っているのです。

埼玉法論は知っています。
お互い紳士的になれば、紳士的にお話できます。
もう法論についてはいいです。

私の質問に答える法華講の方はいないですかね^^

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2005/12/28(Wed) 23:14
おなまえ:神様
タイトル:正法伝持
 
全ては正法伝持が基本です。

正法伝持であるならば、最大限守り、尊敬し、共に広布に活動する、

しかし、己義を構えば用いない。

基本です。


それに対し、「絶対に宗門(法主)は間違わないの!」
と言うならば、わたしの質問に答えられよ。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2005/12/30(Fri) 01:00
おなまえ:神様
タイトル:素朴な疑問シリーズ続くねぇ~
 
続く、続く、またパンクしちゃうよ(冗談)

素朴な疑問6へ
http://fujinomiyaboy.fc2web.com/saiban001.htm
これをご覧ください。
いいですか?「学会名義」の裁判です。
一個人は含まないです。正本堂裁判などは、
個人個人、ご供養した方の怒りの産物です。
名義は宗門ですから、難しい裁判です。

フリテン様の言葉・・ほぉ、同じ法華講のフリテン様の意見をどう思うのかね?違うと言うのか?
どこが違うのか、述べてみてください。
水増しはヤメ、学会名義で宗門に敗訴したことはない。
しかし、宗門は何度も敗訴し、日顕氏も2度断罪されている。
これは普通の事実ですから、一部の見識ではない。

素朴な疑問7へ
・法論の話?
まず、あなたがたが発表している法論を見ているだけでも、
ナレーションや編集などでいいように利用される。
そういうものも多々あるでしょう。
そしてあなたの誘い方、愚問の数々。
学会は大きい組織ですから、あなた方のつばぜり合いにいちいち参加する道理はないし、正邪は現証で出るでしょう。
まぁ、機根に応じて、あるかもしれないがね。

素朴な疑問8へ
・やっと仏法的なおはなしですね~。少し安心。
ここも正法伝持が基本。
そうでないなら、
己義を構えた法主の本尊をわざわざ用いる必要ないでしょう?そこの許可は不要、いやあった方が謗法でしょう?

もし、「宗門(法主)は絶対に間違わないの!」
と言うなら、私の質問に答えられよ。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

降魔の剣に以下の投稿がありました。

投稿日時:2005/12/30(Fri) 21:32
ホスト名:219.52.118.131
ブラウザ:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)

おなまえ:神様
Eメール:
タイトル:素朴な疑問 10へ
URL  :

直接の私への返信はさけながらも、やっと仏法のお話になってきました。よかったです。


> 学会員の皆さんは、今の大石寺の御当代には大聖人の正意は
> 伝わっていないのだという。


そうですね。私は三証でいちおそれを示しましたので、
あなたが間違っていないというものを三証で示すべきです。
それをずっと私は求めています。



> 日蓮大聖人様が、この人なら間違いなく後世に正しき仏法を
> 伝えてくれるはずだと思われ、日興上人をお選びになったの
> ではないのか。日興上人も同じ思いで日目上人をお選びにな
> ったはずだ。



そのとおりでしょうね。
しかし、その開山上人が、

・時の貫首爲りと雖も佛法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。

こう述べている事実をどうあなたは考えるのでしょう?
これも僧宝として、広布の道を開かれた日興上人のご意思、
大聖人の思いではないですか?
もちろん、大衆も間違いを犯します、ではどちらが正しいかは、三証で見ていくしかないでしょう?
と述べているのです。


> 御当代の信心を疑うということは、この御仏智が、現代まで
> 及ばなかったと言っていることと同じではないか。


ですから、違うのです。
時の貫首も用いない正法伝持が存在するんですよ
これは日興上人の意思であり、

・法師の皮を着たる畜生
こう述べた大聖人の教えです。

であるならば、
血脈は信心・正法伝持なんです。
それは大衆に血脈をつがめんとするのが大聖人の意思ですよ
大衆の救済ですよ

今までは僧俗一致の中で、僧侶の方々一致して、
己義を戒めながら伝持してきた。
そして学会出現で大衆に血脈流れ、ご予言、思いが実現した。全て時のままに流れるのです。


唯授一人・・・法主は責任職であり、大衆の信頼と、正法伝持でなりたつものです。
人法共に尊しでなければならない。
それが大石寺と御本尊を守っていくのでしょう?
そういうのが大聖人の思いですよ。
なにも生身の釈迦如来といいながら、正本堂破壊などは許されないでしょう?
法がよくても、教学や大聖人の真の教えを学んでも、
人がだめならばだめなのです。
そういう職務が法主です。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2005/12/31(Sat) 01:06
おなまえ:神様
タイトル:法論について
 
黄倉様が法論を行われたお話は知っています。
新たに法論する前に、前回行われた法論を未編集公開すべきと思います。もちろん個人的意見ですよ。もし、公開するならです。
あと、学会幹部の家に押しかけたビデオは、
法論うんぬんの前にとても非常識だと思いました。
あれで堕落、勝利ではなんの法論なんでしょう。

そして、ビックリしたのが、

◆君が強く記録公開をしないようにお願いしているシーンが載っているか?
◆法道院の件は根本的に問題ないと田村さん認めているシーンが載っているか?
◆会長本仏論の苦しい言い訳が載っているか?
◆猊下が「大聖人の生まれかわりだ」という文証に絶句しているシーン
は載っているか?


これの一番下、
◆猊下が「大聖人の生まれかわりだ」という文証に絶句しているシーン
は載っているか?

ここです。宗門の中枢、妙観講幹部のご意見ならば、
宗門全体の公式見解でしょう。
そして内部にくすぶる法主観の実態でしょう。


・ここで日達上人のお言葉を登載しておきます。

総本山代六十六世日達上人の御指南
(昭和52年6月「蓮華」より抜粋)

ここで考えなければならないのは、我が宗の三宝は、御本尊が法宝、大聖人が仏宝、日興上人が僧宝と立てます。

それに対して日目上人は座主である。

今云った通り、管領して、その大聖人の仏法を治めて行く、よく受取って治めて行く、即ち管領と云う意味を持って行くのである。統べ治める、そして統治をして行く。

その日目上人の後は、皆筒の流れのように、それを受継いで行くにすぎない。

だから本宗の考えは、広宣流布の時は日目上人の再現、出現だと云う意味をとっております。

即ち日目上人が広宣流布の時の座主として再誕なされるとの指南であります。

だから代々の法主が日蓮大聖人ではない。

大聖人そのものと間違って書かれてよく問題が起きますが、その点ははっきりしてもらいたい。

只三宝をお守りする座主、日目上人は永代の座主、広宣流布の時の座主、それを忘れてはいけないですね。だから客殿のあの座席、法主のあの座席は目師の座席なのです。

まん中に御本尊、向って左は大聖人、右は日興上人、目師がそれをお守りして行くと、その座が目師の座、今の管長の座は目師の座です。

だから永代、広宣流布の時にはあの座主が即ち目師の再誕と云う事になる。

三宝はどこまでも、大聖人・日興上人・御本尊、これが本宗の三宝の立て方です。

法主が大聖人様の代わりだと、即座にこう云う事を云うと、外から非難されますから、よくその点に注意していただきたいと思います。



現宗門は先師の指導、
もちろん大聖人の仏法にそむき、法主本仏論をたてています。これは己義の何者でもなく、大聖人の仏法の歪曲です。
その思いが強まりました。
あしからず。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

Re:[44] 法論について 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2005/12/31(Sat) 11:13  No.47      [返信]

 

 以下の「神様」氏の文面の余りの稚拙さに静観できず一筆呵責します。

 

――――――――――――――――――――――

> ・ここで日達上人のお言葉を登載しておきます。

>

> 総本山代六十六世日達上人の御指南

> (昭和52年6月「蓮華」より抜粋)

>

> ここで考えなければならないのは、我が宗の三宝は、御本尊が法宝、大聖人が仏宝、日興上人が僧宝と立てます。

>

> それに対して日目上人は座主である。

>

> 今云った通り、管領して、その大聖人の仏法を治めて行く、よく受取って治めて行く、即ち管領と云う意味を持って行くのである。統べ治める、そして統治をして行く。

>

> その日目上人の後は、皆筒の流れのように、それを受継いで行くにすぎない。

>

> だから本宗の考えは、広宣流布の時は日目上人の再現、出現だと云う意味をとっております。

>

> 即ち日目上人が広宣流布の時の座主として再誕なされるとの指南であります。

>

> だから代々の法主が日蓮大聖人ではない。

>

> 大聖人そのものと間違って書かれてよく問題が起きますが、その点ははっきりしてもらいたい。

>

> 只三宝をお守りする座主、日目上人は永代の座主、広宣流布の時の座主、それを忘れてはいけないですね。だから客殿のあの座席、法主のあの座席は目師の座席なのです。

>

> まん中に御本尊、向って左は大聖人、右は日興上人、目師がそれをお守りして行くと、その座が目師の座、今の管長の座は目師の座です。

>

> だから永代、広宣流布の時にはあの座主が即ち目師の再誕と云う事になる。

>

> 三宝はどこまでも、大聖人・日興上人・御本尊、これが本宗の三宝の立て方です。

>

> 法主が大聖人様の代わりだと、即座にこう云う事を云うと、外から非難されますから、よくその点に注意していただきたいと思います。

>

>

>

> 現宗門は先師の指導、

> もちろん大聖人の仏法にそむき、法主本仏論をたてています。これは己義の何者でもなく、大聖人の仏法の歪曲です。

> その思いが強まりました。

> あしからず。

>

――――――――――――――――――――――

●神様氏の言い分はこうであろう。

 

⇒「宗門では「法主に誤りはない」というが、

   法主にも間違いがあるのではないか」

 

 貴殿は、日興上人の『遺誡置文(ゆいかいおきもん)』の、

 「時(とき)の貫首(かんず)たりと雖(いえど)も仏法に相違(そうい)して己義(こぎ)を構(かま)へば之(これ)を用(もち)ふべからざる事(こと)」(御書1885頁)

の御文を挙(あ)げて、「貫首(法主)も仏法に違背(いはい)して己義を構えることがあると、日興上人が予見(よけん)していた」と主張している。

 しかし、日蓮大聖人の仏法の一切を継承(けいしょう)された御法主上人が、日蓮大聖人の教えに違背する過(あやま)ちなど、犯(おか)すはずがないのです。

 

 日達上人はこの『遺誡置文』の御文について、

 ■「血脈(けちみゃく)を受けてその法門に従(したが)って、そして法門の正邪(せいじゃ)を決めるのは貫首ではないですか。だから、貫首が己義を構(かま)えると考える人はとんでもない考えの人です。それでは血脈相承(そうじょう)を受けてない人ということになってしまいます。血脈相承によってご法門を解釈(かいしゃく)していくのでありますから、少しも己義を構えるということはないわけであります」(達全二-七-三四二頁)

と仰せられている。

 

貴公は、三宝の立て方の、たてわけ、筋目も理解していない法門未熟の境涯で、己見・邪見を立証する為に日達上人のお言葉を引いたようだが、その同じ日達上人が上記の如く貴殿の主張を真っ向から否定されておられる。

 

■「貫首が己義を構(かま)えると考える人はとんでもない考えの人です。」

このように貴殿のような法門未熟にして「己義」を構える者を指して日達上人は「とんでもない人」であると、呵責しておられる。

 

この矛盾を貴殿はどう説明するのだ?

論旨明快に弁明したまえ。

 

もし、それが出来なければ、貴殿は恣意的に自分に都合のいいことしか引文しない卑劣漢であるか、もしくは自らの不勉強を恥じることなく幼稚な己義に執するという破廉恥漢のいずれかであり、まさに邪教の害毒による「現証」そのままの浅ましい姿であるが如何か。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

降魔の剣に以下の投稿がありました。

投稿日時:2005/12/31(Sat) 16:05
ホスト名:219.52.118.131
ブラウザ:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)

おなまえ:神様
Eメール:
タイトル:法主について
URL  :

樋田様、お久しぶりです。

樋田様は、日興上人のあの単純明快な戒めを読みながら、
なおそれはありえないと言うのですか?
まさしく、意図的な仏法の改竄です。

私はまだまだ勉強途中ですが、
宗門の誤りぐらいはわかります。

いいですか?



樋田様ですら、この御文を私に説明したさい、

一、時の貫首爲りと雖も佛法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。

一、衆議爲りと雖も、佛法に相違有らば貫首之を摧くべき事。

この二つからもわかる通り、「用いない」「くだくべき」
という表現の違いを見よ・・といった、戒め方の違いの指南でした。記録をお持ちなら、わかるはずですよ?

その後、日達上人の発言を引用した。
私には自語相違、やみくもな批判の乱れ打ちの印象を受けました。


いいですか?
あの大○天様ですら、「私の絶対的信からの発言」
と真意を述べました。

日達上人もそういう戒めです。
達師も、急死し、日顕が盗座し、正本堂を破壊し、
真の大和合僧団と賞賛した学会を破門し、
次々と自らの偉業を否定する法主が現れるとは思っていなかったでしょうね。

こういう時こそ、あの御文がピッタリです。

だって、日達上人は、
僧宝を日興上人、法主が大聖人の生まれ変わりは間違い、
と言っているのですから、

黄倉さん提示の、
大聖人の生まれ変わりの文証に絶句?
など到底ありえない邪義です。


ではここで、法主も間違いを犯すという
日顕氏の指南を登載しましょう。



「時の貫主たりと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用うべからざる事」(聖典564)  という御文があります。この御文に関しましては御先師もいろいろな意味での御指南を賜わっておりますが、やはり御先師の御指南は御指南として私は、その御指南の意義を謹んで拝受していくものであります。

しかしまた、ある面から考えましても・・・つまり「時の貫主」という語を「之を用うべからず」の語との関連で、主語として考えるか客語として考えるかの区別になるわけですけれども・・・。仮に客語として考えた場合は、その時の貫主が、つまり私なら私に仏法の相違があり、己義を構えた場合、大衆はこれを用いてはならない、というわけです。

これについては日達上人も「しからば、その己義というのはだれが判定するんだ」と皆さんに反問されていたことを御承知でしょう。

たしかに、そういう意味があるのです。即ち、例えば私が今から、大聖人の仏法の化義・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分かるようなことを言い出したならば、これはたしかに用いるべきではありません。しかし、大聖人の御指南を根本としたうえで言っておることに関してならば、やはりその法主の指南を中心に聞かなければならないはずであります。




「大聖人の仏法の化義・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分かるようなことを言い出したならば、これはたしかに用いるべきではありません。」

これは当たり前の論理ではないですか?
日達上人も、日興上人も、これは基本でしょう?
絶対間違わないなどの邪義で固めること自体、
自らの正義を三証でみていけないからではないですか?

あの日顕氏ですら、
苦心に苦心のすえ、こういう解釈をしなかればならないぐらい、単純明快な戒めです。

新年もよろしくお願いいたします。
新しい御法主上人が誕生したそうで、おめでとうございます。では、良いお年を。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

神様氏へ 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2006/01/01(Sun) 21:09  No.83      [返信]

 

 ▼> 樋田様は、日興上人のあの単純明快な戒めを読みながら、

> なおそれはありえないと言うのですか?

> まさしく、意図的な仏法の改竄です。

 

●貴殿の個人的な意見など己見であり、論外である。

以下の日達上人のお言葉『遺誡置文』の御文について、 明確に答えたまえ。

 ■「血脈(けちみゃく)を受けてその法門に従(したが)って、そして法門の正邪(せいじゃ)を決めるのは貫首ではないですか。だから、貫首が己義を構(かま)えると考える人はとんでもない考えの人です。それでは血脈相承(そうじょう)を受けてない人ということになってしまいます。血脈相承によってご法門を解釈(かいしゃく)していくのでありますから、少しも己義を構えるということはないわけであります」(達全二-七-三四二頁)

 

貴殿は「どんでもない考えの人」⇒大謗法者である。

謗法者が地獄へ行くことは初学の貴殿でも分かるであろう。

――――――――――――――――――――――

>

> 樋田様ですら、この御文を私に説明したさい、

>

> 一、時の貫首爲りと雖も佛法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。

>

> 一、衆議爲りと雖も、佛法に相違有らば貫首之を摧くべき事。

>

> この二つからもわかる通り、「用いない」「くだくべき」

> という表現の違いを見よ・・といった、戒め方の違いの指南でした。記録をお持ちなら、わかるはずですよ?

>

> その後、日達上人の発言を引用した。

> 私には自語相違、やみくもな批判の乱れ打ちの印象を受けました。

――――――――――――――――――――――

●一つの法門をあらゆる角度から説くのは仏法の通例である。

そんなことも知らない浅識謗法であるから、「 私には自語相違、やみくもな批判の乱れ打ちの印象を受けました。」などと迷乱するのである。

また、貴公がどのような印象を受けようがそれは仏法の正邪とは全く関係がないことである。

法門未熟者が何をどう感じようが法義そのものの決判とは無縁である。

むしろ、貴公が引文した日達上人の仰せと、冒頭の日達上人のお言葉の一見して矛盾に聞こえる問題についての整合性を貴公こそ「勉強」すべきである。

貴公自らが言っているようにまさに「勉強不足」である。

そういう「勉強不足」の者が賢しげに仏法を論じることは、憍慢・計我・浅識・不解・不信・疑惑・・・結果更には軽善・憎善・嫉善・恨善となり、

■「十四謗法の中に、一も二もをかしぬれば其の罪消えがたし。」との御金言の如くに、貴殿の罪は誠に消えにくいものである。

――――――――――――――――――――――

> 日達上人もそういう戒めです。

 

●貴殿が一体何様で(神様か?呵々)斯様に日達上人の御言葉を浅薄に判断できるのか?

まさに憍慢・計我・浅識・不解・不信・疑惑謗法で、堕極必定の輩である。

――――――――――――――――――――――

> 達師も、急死し、日顕が盗座し、正本堂を破壊し、

> 真の大和合僧団と賞賛した学会を破門し、

> 次々と自らの偉業を否定する法主が現れるとは思っていなかったでしょうね。

――――――――――――――――――――――

●愚かさ丸出しの論旨である。

1、日顕上人が「盗座」された、と立証せよ。

2、正本堂解体が日顕上人の「己義」であると証明せよ。

3、日達上人御自身が、正本堂落慶のわずか二年後の昭和四十九年に、大御本尊の御遷座を考えられていた。

すなわち、日達上人は、当時の創価学会の露骨な増長ぶりを嘆かれて、

■ 「もし学会が(総本山に)来なくて、こちらの生活が立たないというならば、御本尊は御宝蔵におしまいして、御開帳を願う人があったら御開帳しよう、と覚悟を決めたわけです」(昭和四十九年七月二十七日)

と御指南あらせられたのである。

 これすなわち、状況次第では、大御本尊は必ずしも正本堂に御安置されなくてもよい、との御心である。

これについて反論したまえ。

4、■「日蓮正宗の教義でなし、大聖人の教義でないものが、世界に広がったからといって、けっして我々は喜ぶべきではないし、大聖人が、お喜びになるとは思いません」(昭和四十九年六月十八日お言葉・要旨)との日達上人の言葉について反論したまえ。

 

以上について論拠明確な反論が出来なければ貴殿の思い込みなどただの妄執である。

――――――――――――――――――――――

> こういう時こそ、あの御文がピッタリです。

 

●↑上記の設問に明確に反論でいなければ、まるで空文である。呵々

――――――――――――――――――――――>

> だって、日達上人は、

> 僧宝を日興上人、法主が大聖人の生まれ変わりは間違い、

> と言っているのですから、

――――――――――――――――――――――

●かつて貴殿に「僧宝」の立て方の幾重もの筋目についての論文を提示したことがあったはずだが?

日興上人を僧宝の随一と立てるのは当たり前である。

しかし、そこのみに囚われて更に広く深い御法門を見ないのが僻眼=物事をかたよった考えで判断すること。偏見。というである。

凡そ僧宝とは仏宝・法宝を伝持されるが故に「宝」なのである。

僧宝の拝し方は立場によって別しての義から総じてへ段階的に開いていくのである。

が故に御歴代上人もまさに僧宝のお立場であることは当たり前のことである。

さて、

1、いつ、だれが現宗門で「日顕上人が大聖人の生まれ変わり」だなどと言ったか。明示せよ。

――――――――――――――――――――――

>

> 黄倉さん提示の、

> 大聖人の生まれ変わりの文証に絶句?

> など到底ありえない邪義です。

 

●当事者でないし、その場にいた訳でないから特に当方として論ずる必要はない。

>

――――――――――――――――――――――>

> ではここで、法主も間違いを犯すという

> 日顕氏の指南を登載しましょう。

> 「時の貫主たりと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用うべからざる事」(聖典564)  という御文があります。この御文に関しましては御先師もいろいろな意味での御指南を賜わっておりますが、やはり御先師の御指南は御指南として私は、その御指南の意義を謹んで拝受していくものであります。

>

> しかしまた、ある面から考えましても・・・つまり「時の貫主」という語を「之を用うべからず」の語との関連で、主語として考えるか客語として考えるかの区別になるわけですけれども・・・。仮に客語として考えた場合は、その時の貫主が、つまり私なら私に仏法の相違があり、己義を構えた場合、大衆はこれを用いてはならない、というわけです。

>

> これについては日達上人も「しからば、その己義というのはだれが判定するんだ」と皆さんに反問されていたことを御承知でしょう。

>

> たしかに、そういう意味があるのです。即ち、例えば私が今から、大聖人の仏法の化義・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分かるようなことを言い出したならば、これはたしかに用いるべきではありません。しかし、大聖人の御指南を根本としたうえで言っておることに関してならば、やはりその法主の指南を中心に聞かなければならないはずであります。

>

>

>

>

> 「大聖人の仏法の化義・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分かるようなことを言い出したならば、これはたしかに用いるべきではありません。」

>

> これは当たり前の論理ではないですか?

> 日達上人も、日興上人も、これは基本でしょう?

> 絶対間違わないなどの邪義で固めること自体、

> 自らの正義を三証でみていけないからではないですか?

>

> あの日顕氏ですら、

> 苦心に苦心のすえ、こういう解釈をしなかればならないぐらい、単純明快な戒めです。

 

――――――――――――――――――――――

●長々と書き連ねても所詮幼稚である。

 

1、日顕上人がいつどこで「大聖人の仏法の化義・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分かるようなことを言い出した」のかを明示せよ。

一つ一つ摧破しましょう。

――――――――――――――――――――――>

> 新年もよろしくお願いいたします。

> 新しい御法主上人が誕生したそうで、おめでとうございます。では、良いお年を。

 

●誠におめでたい新年元旦を過ごしました。ありがとう。

>

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2006/01/01(Sun) 22:09
おなまえ:神様
タイトル:樋田様へ
 
あなたは私は幼稚だ、浅識だ、
と述べますが、とても失礼だと思います。
私より年下の法主も、僧宝として帰依するあなた達ですから、年齢差別主義はやめていただきたい。

そして、何様?などの書き込みも、
あなたの傲慢、修羅の境涯に見えます。
自らの教学への自己満にひたり、排他的に他人も見下すのはやめていただきたい。
法華講でも、もっと紳士的に会話できる方もたくさんいますよ。


で、批判の乱れ打ちにかんしては、

・法主は絶対間違いを犯さない
・法主だって間違いを犯す

まずここの相違があるのです。
ですから、まずここの誤りを見ていかなければなりません。

私がおかしいと言うのは、
・法主は絶対に間違いはない!
と言いながら、
・では何が間違いだと言うのか?
・正本堂破壊は正しい!
・古希祝に行ったっていいだろう!

このような論です。
前提が間違わないとの主張なのに、
間違うという土俵に立って論ずるべきではない。

まず、
・法主だって間違いを犯す
という、当たり前に立たなければ、それ自体
己義です。

ここを論ずる必要があり、
自らの論の稚拙さをどう言い訳しても、
上記の論の筋道を逸脱しているのです。


で、

 一、時の貫首爲りと雖も佛法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。

この単純明快な指南を読みながら、それでも
「絶対に間違いはない!」
と意図的改竄をする根拠に、

■「血脈を受けてその法門に従って、そして法門の正邪を決めるのは貫首ではないですか。だから、貫首が己義を構えると考える人はとんでもない考えの人です。それでは血脈相承を受けてない人ということになってしまいます。血脈相承によってご法門を解釈していくのでありますから、少しも己義を構えるということはないわけであります」

私はこの文は、安易に否定するなとの戒めの表現であると言い、その反論に、
この指南に対する日顕氏の指南をのせました。


「時の貫主たりと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用うべからざる事」(聖典564)

という御文があります。この御文に関しましては御先師もいろいろな意味での御指南を賜わっておりますが、やはり御先師の御指南は御指南として私は、その御指南の意義を謹んで拝受していくものであります。

しかしまた、ある面から考えましても・・・
つまり「時の貫主」という語を「之を用うべからず」の語との関連で、主語として考えるか客語として考えるかの区別になるわけですけれども・・・。仮に客語として考えた場合は、その時の貫主が、つまり私なら私に仏法の相違があり、己義を構えた場合、大衆はこれを用いてはならない、というわけです。

 これについては日達上人も「しからば、その己義というのはだれが判定するんだ」と皆さんに反問されていたことを御承知でしょう。

たしかに、そういう意味があるのです。即ち、例えば私が今から、大聖人の仏法の化義・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分かるようなことを言い出したならば、これはたしかに用いるべきではありません。しかし、大聖人の御指南を根本としたうえで言っておることに関してならば、やはりその法主の指南を中心に聞かなければならないはずであります。



「大聖人の仏法の化義・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分かるようなことを言い出したならば、これはたしかに用いるべきではありません。」

法主も間違うと日顕氏も述べているではないか!


これは当たり前の論理ではないですか?
日達上人も、日興上人も、これは基本でしょう?
絶対間違わないなどの邪義で固めること自体、
自らの正義を三証でみていけないからではないですか?


これについては、幼稚だ、ではどこが間違いか指摘してみろ、

と、逃げ、上記で指摘した論の筋道を逸脱したのです。
法主も間違う、ということは法主を用いない正法伝持がある、

そして、それは法主しか知らない法門などないという道理にもなる。

どうですか?
これでも、日達上人の指南で攻めますか?
それの真意をわざわざ日顕氏に言葉を借りて述べたのに。

あと、誰がいつ、どこで、法主は大聖人の生まれ変わりなどといった?というニュアンスの質問ですが、
黄倉さんの書き込みですよ。

あなたが関係ないと言った、妙観講幹部の、
あなたの知り合いの発言です。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

降魔の剣に以下の投稿がありました。

投稿日時:2006/01/01(Sun) 22:25
ホスト名:219.52.118.131
ブラウザ:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)

おなまえ:神様
Eメール:
タイトル:僧宝
URL  :

法主も間違いを犯すとするならば、
間違いを犯すものが帰命対象の僧宝になりえる訳がない。

それは伝持の意味であり、その場合、全僧俗が含まれるでしょう。

謗法が僧宝の誹謗であるならば、
それを用いないでいいわけがない。

つまり、
・法主も間違いを犯す
・法主は絶対に間違わない

この論のどちらが正しいかで、
全ての道理がつくのである。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

愚昧極まる「神様」へ 1 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2006/01/01(Sun) 23:56  No.96      [返信]

 

 > あなたは私は幼稚だ、浅識だ、

> と述べますが、とても失礼だと思います。

> 私より年下の法主も、僧宝として帰依するあなた達ですから、年齢差別主義はやめていただきたい。

 

●本当に勉強不足である。尚且つ蒙昧である。

御書に曰く

■「汝は無下に愚かなり。」

■「汝が道心貴きに似て愚かなり。」

■「其の時居士笑って云はく、嗚呼おろかなりおろかなり。」

■「今一二の文を挙げて汝が矇昧を挑(かか)げん。」

■「聊(いささか)汝が愚耳に聞かしめん。」

■「汝至って愚かなり、」

その他類文繁多である。

貴殿が仏法の道理に対して余りにも愚昧であり、しかもその愚かさに気がつかずに妄執に固執しているが故に、その慢心を劈いているのである。

因みに貴殿は十四誹謗すら良く知らないと思われるのでここに列挙しておこう。

 

憍慢(きょうまん)(驕(おご)り高ぶって正法を侮(あなど)ること)

②懈怠(けたい)(仏道修行を怠(なま)けること)

③計我(けいが)(自分勝手な考えで仏法を推(お)し量(はか)ること)

④浅識(せんしき)(自らの浅はかな知識で、深く広い仏法を判断しようとすること)

⑤著欲(じゃくよく)(欲望に執着して正法を軽んじ、求めようとしないこと)

⑥不解(ふげ)(仏法を正しく解(わか)ろうとしないこと)

⑦不信(ふしん)(正法を信じないこと)

⑧顰蹙(ひんじゅく)(正法を非難すること)

⑨疑惑(ぎわく)(仏法を疑い、迷うこと)

⑩誹謗(ひぼう)(仏法を謗(そし)り、罵(ののし)ること)

⑪軽善(きょうぜん)(根本善である正法を受持する者を軽蔑(けいべつ)し、莫迦(ばか)にすること)

⑫憎善(ぞうぜん)(正法を受持する者を憎むこと)

⑬嫉善(しつぜん)(正法を受持する者を怨嫉(おんしつ)すること)

⑭恨善(こんぜん)(正法を受持する者を恨(うら)むこと)

 

この中で貴殿が陥っている箇条は

驕慢・計我・浅識・不解・不信・顰蹙・疑惑・誹謗でその結果下種三宝の僧宝であられる御法主上人をあろうことか軽善・憎善・嫉善・恨善している。

こういう者こそを「とても失礼」というのである。

――――――――――――――――――――――>

> そして、何様?などの書き込みも、

> あなたの傲慢、修羅の境涯に見えます。

 

●全く「汝至って愚かなり」

自らのハンドルを「神様」などと名乗ることなど、心に少しでも謙虚さと恥らいがある者には絶対に言い出せぬ名である。

末代の幼稚・未熟・愚人・悪人の分限で日達上人の御指南の御心を勝手に妄想し邪推し妄断している様に対して、

●貴殿が一体何様で(神様か?呵々)斯様に日達上人の御言葉を浅薄に判断できるのか?

まさに憍慢・計我・浅識・不解・不信・疑惑謗法で、堕極必定の輩である。

と指摘したのであって、それに対して貴殿が「あなたの傲慢、修羅の境涯に見えます。」といくら泣き言を言ってみたところで、それは貴殿の自らを省みない、「神様」などと名乗る、まさに傲慢で、修羅の根性であるがゆえに、正論を正論と聞けないだけのことである。

 

 

> 自らの教学への自己満にひたり、排他的に他人も見下すのはやめていただきたい。

> 法華講でも、もっと紳士的に会話できる方もたくさんいますよ。

 

●貴殿の如き謗法心の深い者には敢えて偽善的に紳士然ぶる必要はない。

■「彼々の経々と法華経と勝劣・浅深・成仏不成仏を判ぜん時、爾前迹門の釈尊なりとも物の数ならず。何に況んや其の以下の等覚の菩薩をや。まして権宗の者どもをや。法華経と申す大梵王の位にて、民とも下し鬼畜なんどと下しても、其の過ち有らんやと意得て宗論すべし。」

■「人法共に責むべし」

■「若し善比丘有って法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駈遣し呵責し挙処せば是我が弟子真の声聞なり」

■「法華経の敵を見ながら置いてせめずんば、師檀ともに無間地獄は疑ひなかるべし。」

■「頼基が良観房を蚊・虻・蝦蟇の法師なりと申すとも、経文分明に候はゞ御とがめあるべからず。」

■「寿福寺・多宝寺・浄光明寺・長楽寺・大仏殿等の長老等は「我慢心充満、未得謂為得」の増上慢の大悪人なり。

 

以下次回へつづく。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2006/01/02(Mon) 03:09
おなまえ:神様
タイトル:樋田様、私の肝心の質問にもお答えを
 
長文の返信、私への警告ありがとうございました。
ご苦労様です。
確かに私の発言は、紳士的ではなかったでしょう。
お互い、紳士的であれば、有意義な書き込みができる。
これからはそうしましょう。

しかし、肝心の私の質問への回答はしていただきたい。
とても重要なことです。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

浅識の癖に自己の妄執に偏執する神様へ 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2006/01/02(Mon) 09:39  No.106      [返信]

 

 > で、批判の乱れ打ちにかんしては、

>

> ・法主は絶対間違いを犯さない

> ・法主だって間違いを犯す

>

> まずここの相違があるのです。

> ですから、まずここの誤りを見ていかなければなりません。

 

●貴公はとにかく「 ・法主だって間違いを犯す⇒そのときは従わなくてもいい⇒日顕上人は己義を構えた⇒が故に従わない」と言いたいのであろう?

だからかつてから何度も詰問している。

1、日顕上人がいつ、どういう「己義」を構えたのか?

まさか「学会を破門」した、だなどとの噴飯ものの返答はないだろうが・・

もしそうなら挙げてきたまえ。粉々に摧破するのみである。

これが証明できなければ、貴公が拘っている上記の

 

・法主は絶対間違いを犯さない

・法主だって間違いを犯す

 

の法義上の解釈をどれほど説いても無駄である。

 

まず、1、に明確に返答せよ。

もし、「日顕上人に己義があった」ということを証明できなければ、貴公の謗法者独特の信のない机上の空論など風の前のチリである。

 

以下の貴公の愚昧で幼稚なくどくどしい繰言は、この第一設問が核心であるが故に、ここを貴公が解いてこなければ全く論ずる価値と必要がない。

急ぎ急ぎ1、に返答せよ。ただし貴公が常々言っているが如く、文証・理証・現証において論理破綻無く、「己義」や憶測、仮定を交えず、立証せよ。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

Re:[105] 「法主は大聖人のうまれかわり」 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2006/01/02(Mon) 09:44  No.107      [返信]

 

 > これの一番下、

> ◆猊下が「大聖人の生まれかわりだ」という文証に絶句しているシーン

> は載っているか?

>

> ここです。宗門の中枢、妙観講幹部のご意見ならば、

> 宗門全体の公式見解でしょう。

> そして内部にくすぶる法主観の実態でしょう。

 

●またしても稚拙極まりない。

余りにも未熟である。

 

1、妙観講が宗門の中枢であると、何を根拠に言えるのか。立証せよ。

 

2、妙観講幹部と言えども一信徒である方のしかも非公式での表現を何故「宗門全体の公式見解」と断定できるのか。

その妄断の根拠を明示せよ。

 

貴公が言う如く多くのオーディエンスが見ている。

せいぜい恥をかかないように頑張りなさい。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2006/01/02(Mon) 21:40
おなまえ:神様
タイトル:樋田様へ
 
私は以前こう述べました。

・法主は絶対間違いを犯さない
・法主だって間違いを犯す

まずここの相違があるのです。
ですから、まずここの誤りを見ていかなければなりません。

私がおかしいと言うのは、
・法主は絶対に間違いはない!
と言いながら、
・では何が間違いだと言うのか?
・正本堂破壊は正しい!
・古希祝に行ったっていいだろう!

このような論です。
前提が間違わないとの主張なのに、
間違うという土俵に立って論ずるべきではない。

まず、
・法主だって間違いを犯す
という、当たり前に立たなければ、それ自体
己義です。

ここを論ずる必要があり、
自らの論の稚拙さをどう言い訳しても、
上記の論の筋道を逸脱しているのです。

・そして、僧宝に関しても、

法主も間違いを犯すとするならば、
間違いを犯すものが帰命対象の僧宝になりえる訳がない。

それは伝持の意味であり、その場合、全僧俗が含まれるでしょう。

謗法が僧宝の誹謗であるならば、
それを用いないでいいわけがない。

つまり、
・法主も間違いを犯す
・法主は絶対に間違わない

この論のどちらが正しいかで、
全ての道理がつくのである。



こうも述べました。まずここです。
だって、絶対に間違いない!と主張される方と、
どこが間違いか?
これを論ずるのはおかしいでしょう。

そして、僧宝論も、法主本仏論も、法主の唯授一人の法門の存在も、これで道理がつく。

法主を用いない正法伝持が存在することが、
上記の論の大きな否定になるのです。

ですから、
あなたがたは法主だって時には間違う・・・
こう認めた時点で、論理破綻です。
ここで正邪がつく。


それを日顕氏の言葉であなたの日達上人の指南の真意を述べ、間違うとことを立証した。

これについての返信を心より待っています。


・再掲示、日顕氏の法主も間違いを犯すとの指南
「時の貫主たりと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用うべからざる事」(聖典564)

という御文があります。この御文に関しましては御先師もいろいろな意味での御指南を賜わっておりますが、やはり御先師の御指南は御指南として私は、その御指南の意義を謹んで拝受していくものであります。

しかしまた、ある面から考えましても・・・
つまり「時の貫主」という語を「之を用うべからず」の語との関連で、主語として考えるか客語として考えるかの区別になるわけですけれども・・・。仮に客語として考えた場合は、その時の貫主が、つまり私なら私に仏法の相違があり、己義を構えた場合、大衆はこれを用いてはならない、というわけです。

これについては日達上人も「しからば、その己義というのはだれが判定するんだ」と皆さんに反問されていたことを御承知でしょう。

たしかに、そういう意味があるのです。即ち、例えば私が今から、大聖人の仏法の化義・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分かるようなことを言い出したならば、これはたしかに用いるべきではありません。しかし、大聖人の御指南を根本としたうえで言っておることに関してならば、やはりその法主の指南を中心に聞かなければならないはずであります。



「大聖人の仏法の化義・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分かるようなことを言い出したならば、これはたしかに用いるべきではありません。」

法主も間違うと日顕氏も述べているではないか!




さて、オーディエンスも見ています。
・能書きはよい、私の質問に答えろ!
と逃げるか、
答えないか。

それは時には間違う・・・ではどこが間違いと言うのか!
となるか、
この前提にたった時点で、法主も用いない正法伝持を認めたことになり、自爆です。

あの大○天氏ですら、
「私の絶対的信からの発言」
と認めた事実です。

さぁどうですか?

 

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Re:[120] 樋田様へ 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2006/01/02(Mon) 23:09  No.126      [返信]

 

 よくまあこうもくどくどしく女々しく愚かしく発展性のない恥論を繰り返せると、呆れ果て、またあまりの毒気の深さに感心させられる。

普通の感覚であったら、こうもくどくどしく全く同じことは恥ずかしくて繰り返せない。

この厚顔無恥さ加減が学会員の特徴でもあるか。

げに学会の謗法の毒の深さの学習材料である。

――――――――――――――――――――――

> 私は以前こう述べました。

 

以下、今までの再三の書き込みとほぼ全同である。まさに思考停止状態で、バカの一つ覚えである。

学会にはまことにこの「バカの一つ覚え」が蠢いているようである。

 

初学の貴公が入り口で蹴躓いて陰湿に愚論を展開していても、所詮主張したいことは「日顕上人は間違いを犯した」ということであろう?

ここへ導きたいが為に幼稚で愚かで薄弱な頭を精一杯回らしてぐじぐじ痴論をこね回しているだけである。

が故に当方はその貴公の妄執の本質を劈いているだけである。

 

結論「日顕上人には仏法的な全くの過ちはなかった。」

日顕上人の

■「大聖人の仏法の化義・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分かるようなことを言い出したならば、これはたしかに用いるべきではありません。」

このお言葉は論理的な可能性について客観的に仰せになったと拝すのであって、では実際にそのような事案があったのかというと全くないのである。

もしあるというのなら再三詰問しているが、具体例を例示せよ。

貴公は当方の掲示板に書き込んでいるのであるから、貴公だけの都合を当方が聞く義務はない。

貴公こそ当方からの再三の詰問に全くの思考停止のバカの一つ覚えの繰言ではなく、明確に答えよ。

もし、これ以上発展性のない繰言を繰り返すのなら、徹底的にその無知無能さ加減を摧破するのみである。

――――――――――――――――――――――

> ・法主は絶対間違いを犯さない

> ・法主だって間違いを犯す

>

> まずここの相違があるのです。

> ですから、まずここの誤りを見ていかなければなりません。

 

●浅識謗法の根性で深い仏法を自分勝手に妄断するからこういう初歩的な勘違いをするのである。

再度述べるが御法主上人は一往、本因名字の凡夫として論理的な可能性としては確かに間違いを犯す、と仰せであるが、再往血脈の当初は三宝一体なるが故に根本的な仏法の真義に於いては絶対に間違いは犯さないのである。

一往、再往 の筋目すら貴公は知らないらしい。全くの門外漢である。

そんな者が尤もらしく仏法を推し量るから浅識・計我・不解他諸々の謗法を多重に犯している大謗法者で大悪人というのである。

――――――――――――――――――――――

>

> 私がおかしいと言うのは、

> ・法主は絶対に間違いはない!

> と言いながら、

> ・では何が間違いだと言うのか?

> ・正本堂破壊は正しい!

> ・古希祝に行ったっていいだろう!

>

> このような論です。

> 前提が間違わないとの主張なのに、

> 間違うという土俵に立って論ずるべきではない。

>

●であるからここの論など噴飯ものである。

 

以下、論じるにも足りない法門未熟さである。

この掲示板来るにはもう少し高度な邪難を構えてきたまえ。

 

貴公が引文した日達上人・日顕上人の御指南は全て一往あるいは総じての辺である。

再往、別しては

1、日達上人

■「血脈(けちみゃく)を受けてその法門に従(したが)って、そして法門の正邪(せいじゃ)を決めるのは貫首ではないですか。だから、貫首が己義を構(かま)えると考える人はとんでもない考えの人です。それでは血脈相承(そうじょう)を受けてない人ということになってしまいます。血脈相承によってご法門を解釈(かいしゃく)していくのでありますから、少しも己義を構えるということはないわけであります」(達全二-七-三四二頁)

2、日顕上人

■「要するに、宗門は何も、始めからしまいまで「法主に誤謬は絶対にない」などとは言ってないのです。彼等(注 創価学会)が勝手に誣告しているだけであって、私をも含め、ちょっとした間違い、思い違いぐらいはどこにでもあり、それは正直に訂正すればよいのです。ただし、血脈の法体に関する根本的な意義については、けっして誤りはありません。(創価学会の仏法破壊の邪難を粉砕す六四頁)

 

と御指南されている如く、血脈を承継される御法主上人が、血脈の法体に関する根本的な意義において誤りを生じるなどということはあり得ないのである。

 さらに言えば、一つの正義の前には、それに敵対する何千、何万の義もすべて邪義となる。

故に大聖人の仏法の本義に照らし、己義か否かを判定し最終的に決定できるのは、大聖人以来の唯授一人の血脈法体を御所持される御法主上人以外にはおられないのである。

したがって御法主上人に敵対する者の主張に正当な道理などあるはずはない。

 

貴公のように己見に女々しく凝り固まっているものには理解できないだろうが、仏法を学ぶ初門の一往・再往の法義を仏哲でも開いて勉強しなおしたまえ。

 

以下、ただくどくど繰り返しているだけだから略す。

 

さて、当方のこの掲示板へ書き込みを継続するのであれば、管理人として警告する。

1、今までの当方からの詰問全てに速やかに返答もしくは反論せよ。

2、内容に深化のない全同の恥問の繰り返しは禁止する。

以上。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2006/01/02(Mon) 23:35
おなまえ:神様
タイトル:結論だけください。
 
このお言葉は論理的な可能性について客観的に仰せになったと拝すのであって、では実際にそのような事案があったのかというと全くないのである。


御法主上人は一往、本因名字の凡夫として論理的な可能性としては確かに間違いを犯す、と仰せであるが、再往血脈の当初は三宝一体なるが故に根本的な仏法の真義に於いては絶対に間違いは犯さないのである。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

降魔の剣に以下の投稿がありました。

投稿日時:2006/01/02(Mon) 23:52
ホスト名:219.52.118.131
ブラウザ:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)

おなまえ:神様
Eメール:
タイトル:最後に結論を聞きます
URL  :

このお言葉は論理的な可能性について客観的に仰せになったと拝すのであって、では実際にそのような事案があったのかというと全くないのである。

御法主上人は一往、本因名字の凡夫として論理的な可能性としては確かに間違いを犯す、と仰せであるが、再往血脈の当初は三宝一体なるが故に根本的な仏法の真義に於いては絶対に間違いは犯さないのである。


とても長い書き込みなのですが、
可能性はある・・・しかし、絶対無い・・・凡夫である・・・しかし、三宝一体で間違いはない・・・


結論を聞きます。
では、

①一、時の貫首爲りと雖も佛法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。

仏法に相違して己義を構えた場合、時の法主を用いるなと日興上人は仰せで、

日顕氏も、
「大聖人の仏法の化義・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分かるようなことを言い出したならば、これはたしかに用いるべきではありません。」
と指南され、

法主は凡夫と認めるが、

100%法主は間違いなく、絶対に絶対に己義など構えない。その可能性すらない。




なのか?




2、
一、時の貫首爲りと雖も佛法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。

仏法に相違して己義を構えた場合、時の法主を用いるなと日興上人は仰せで、

日顕氏も、
「大聖人の仏法の化義・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分かるようなことを言い出したならば、これはたしかに用いるべきではありません。」
と指南され、

法主は凡夫と認める。

よって、法主も間違いを犯す場合が可能性としては否定できない、つまり、時の法主を用いない正法伝持が存在し、
その場合、伝持の僧宝にもなりえない。





この①か②かどちらかでお答えください。
これには単純な二択で、
長文の返信は結構です。
これもきちっと、オーディエンスが見ています。




どっちか2通りでお答えください。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

Re:[164] 結論 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2006/01/04(Wed) 22:18  No.172      [返信]

 

 本当に神様は仏法理解の素養は「猫」以下か。

 

不二=AとBは二にあらず。

而二=而してAとBは二である。

 

この一見相反すると見える両概念は全く相矛盾しないのである。

仏法理解の初門である。

神様のレベルではこれが理解できないのである。

が故に悩乱しているだけである。

惨めである。

 

 

原文 (提供、神様)

 

可能性はあるが・・・100%ない・・・

 

こんな稚拙な論はありますか?

客観的可能性はあるが、絶対にない・・・

 

間違う可能性はあるでいいのですね?

 

もう出るわじゃ

 

例文

 

AとBは二にあらず。」ではあるが・・・「而してAとBは二である。」・・・

 

こんな稚拙な論はありますか?(幼稚である。呵々)

AとBは二にあらず。」ではあるが、「而してAとBは二である。」・・・

 

(ここで「猫」は自分の頭の理解の限度枠を超えたので混乱して強引に自見を強弁する)

 

AとBは二にあらず。」でいいのですね?

 

(低い理解力しかない猫頭は混乱したまま家を出る)

 

もう出るわじゃ

 

 

もう神様のレベルではこれ以上の理解は無理だと思うが?

 

 

不二・而二 すら理解できない神様へ 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2006/01/04(Wed) 11:52  No.163      [返信]

 

 まず貴公が留守にしようがしまいが当掲示板にとっては全く何の関係もないことである。

 

一往・再往  総・別  下用・内証  不二・而二 等々の義が理解できない幼稚な貴公の頭には仏法の真髄など全く理解できようはずがない。

 

整数しか知らない小学低学年生が、小数点以下の数字の概念が理解できないのと同様である。

猫は一説によると、「1、2、3、・・多数」 と4以上の個数の概念が理解できないそうだが、その猫に、2+2が全く把握でいないのと同様である。

 

こういう仏法の初門にすら至ってない者には成仏の要諦、下種三宝の定義をどの位説いても「豚に真珠」である。

 

■親疎と無く法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ、御心得候へ。

 

と大聖人様が仰せの通り猫の頭のように全く理解できぬ虚け者であるから説く必要もない。

貴公には理解できないのは十分「理解」できたので、もはや貴公は埒外で、どこぞへ旅行でも行ってきたまえ。

やはり、貴公では所詮無理なのである。

貴公を対象とせず、結論をまとめる。

 

「初学の貴公が入り口で蹴躓いて陰湿に愚論を展開していても、所詮主張したいことは「日顕上人は間違いを犯した」ということであろう?

ここへ導きたいが為に幼稚で愚かで薄弱な頭を精一杯回らしてぐじぐじ痴論をこね回しているだけである。

が故に当方はその貴公の妄執の本質を劈いているだけである。

 

結論「日顕上人には仏法的な全くの過ちはなかった。」

日顕上人の

■「大聖人の仏法の化義・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分かるようなことを言い出したならば、これはたしかに用いるべきではありません。」

このお言葉は論理的な可能性について客観的に仰せになったと拝すのであって、では実際にそのような事案があったのかというと全くないのである。

もしあるというのなら再三詰問しているが、具体例を例示せよ。

貴公は当方の掲示板に書き込んでいるのであるから、貴公だけの都合を当方が聞く義務はない。

貴公こそ当方からの再三の詰問に全くの思考停止のバカの一つ覚えの繰言ではなく、明確に答えよ。

もし、これ以上発展性のない繰言を繰り返すのなら、徹底的にその無知無能さ加減を摧破するのみである。

――――――――――――――――――――――

御法主上人は一往、本因名字の凡夫として論理的な可能性としては確かに間違いを犯す、と仰せであるが、再往血脈の当初は三宝一体なるが故に根本的な仏法の真義に於いては絶対に間違いは犯さないのである。

一往、再往 の筋目すら貴公は知らないらしい。全くの門外漢である。

そんな者が尤もらしく仏法を推し量るから浅識・計我・不解他諸々の謗法を多重に犯している大謗法者で大悪人というのである。

――――――――――――――――――――――

貴公が引文した日達上人・日顕上人の御指南は全て一往あるいは総じての辺である。

再往、別しては

1、日達上人

■「血脈(けちみゃく)を受けてその法門に従(したが)って、そして法門の正邪(せいじゃ)を決めるのは貫首ではないですか。だから、貫首が己義を構(かま)えると考える人はとんでもない考えの人です。それでは血脈相承(そうじょう)を受けてない人ということになってしまいます。血脈相承によってご法門を解釈(かいしゃく)していくのでありますから、少しも己義を構えるということはないわけであります」(達全二-七-三四二頁)

2、日顕上人

■「要するに、宗門は何も、始めからしまいまで「法主に誤謬は絶対にない」などとは言ってないのです。彼等(注 創価学会)が勝手に誣告しているだけであって、私をも含め、ちょっとした間違い、思い違いぐらいはどこにでもあり、それは正直に訂正すればよいのです。ただし、血脈の法体に関する根本的な意義については、けっして誤りはありません。(創価学会の仏法破壊の邪難を粉砕す六四頁)

 

と御指南されている如く、血脈を承継される御法主上人が、血脈の法体に関する根本的な意義において誤りを生じるなどということはあり得ないのである。

 さらに言えば、一つの正義の前には、それに敵対する何千、何万の義もすべて邪義となる。

故に大聖人の仏法の本義に照らし、己義か否かを判定し最終的に決定できるのは、大聖人以来の唯授一人の血脈法体を御所持される御法主上人以外にはおられないのである。

したがって御法主上人に敵対する者の主張に正当な道理などあるはずはない。

 

ここの部分を百六箇抄に

■「直授結要付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」と仰せなのである。

貴公及び創価学会はこの御文に背いているが故に、堕極必定の大謗法、大悪人の極悪集団とその一会員である。

よくよく後生を恐れたまえ。

 

貴公のように己見に女々しく凝り固まっているものには理解できないだろうが、仏法を学ぶ初門の一往・再往の法義を仏哲でも開いて勉強しなおしたまえ。

 

さて、当方のこの掲示板へ書き込みを継続するのであれば、管理人として警告する。

1、今までの当方からの詰問全てに速やかに返答もしくは反論せよ。

2、内容に深化のない全同の恥問の繰り返しは禁止する。

以上。

 

 

 

> このお言葉は論理的な可能性について客観的に仰せになったと拝すのであって、では実際にそのような事案があったのかというと全くないのである。

>

> 御法主上人は一往、本因名字の凡夫として論理的な可能性としては確かに間違いを犯す、と仰せであるが、再往血脈の当初は三宝一体なるが故に根本的な仏法の真義に於いては絶対に間違いは犯さないのである。

>

>

> とても長い書き込みなのですが、

> 可能性はある・・・しかし、絶対無い・・・凡夫である・・・しかし、三宝一体で間違いはない・・・

>

>

> 結論を聞きます。

> では、

>

> ①一、時の貫首爲りと雖も佛法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。

>

> 仏法に相違して己義を構えた場合、時の法主を用いるなと日興上人は仰せで、

>

> 日顕氏も、

> 「大聖人の仏法の化義・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分かるようなことを言い出したならば、これはたしかに用いるべきではありません。」

> と指南され、

>

> 法主は凡夫と認めるが、

>

> 100%法主は間違いなく、絶対に絶対に己義など構えない。その可能性すらない。

>

>

>

>

> なのか?

>

>

>

>

> 2、

> 一、時の貫首爲りと雖も佛法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。

>

> 仏法に相違して己義を構えた場合、時の法主を用いるなと日興上人は仰せで、

>

> 日顕氏も、

> 「大聖人の仏法の化義・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分かるようなことを言い出したならば、これはたしかに用いるべきではありません。」

> と指南され、

>

> 法主は凡夫と認める。

>

> よって、法主も間違いを犯す場合が可能性としては否定できない、つまり、時の法主を用いない正法伝持が存在し、

> その場合、伝持の僧宝にもなりえない。

>

>

>

>

>

> この①か②かどちらかでお答えください。

> これには単純な二択で、

> 長文の返信は結構です。

> これもきちっと、オーディエンスが見ています。

>

>

>

>

> どっちか2通りでお答えください。

>

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

降魔の剣に以下の投稿がありました。

投稿日時:2006/01/04(Wed) 04:46
ホスト名:219.52.118.131
ブラウザ:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)

おなまえ:神様
Eメール:
タイトル:数日留守にします
URL  :

数日留守にいたしますので、あしからず。
ですので、私あての書き込みはなさらないでください。
返信できませんし、読めません。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2006/01/08(Sun) 19:55
おなまえ:神様
タイトル:帰ってきました。聞きます。
 
少し留守にしていました。
みなさんのご活躍に感謝します。

> 不二=AとBは二にあらず。
> 而二=而してAとBは二である。
>
> この一見相反すると見える両概念は全く相矛盾しないのである。

えぇ、これは基本ですね。
しかし、

一、時の貫首爲りと雖も佛法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。

の指南が、





①一、時の貫首爲りと雖も佛法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。

仏法に相違して己義を構えた場合、
時の法主を用いるなと日興上人は仰せで、

日顕氏も、
「大聖人の仏法の化義・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分かるようなことを言い出したならば、これはたしかに用いるべきではありません。」
と指南され、

法主は凡夫と認めるが、

100%法主は間違いなく、絶対に絶対に己義など構えない。その可能性すらない。




なのか?



②一、時の貫首爲りと雖も佛法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。

仏法に相違して己義を構えた場合、
時の法主を用いるなと日興上人は仰せで、

日顕氏も、
「大聖人の仏法の化義・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分かるようなことを言い出したならば、これはたしかに用いるべきではありません。」
と指南され、

法主は凡夫と認める。

よって、法主も間違いを犯す場合が可能性としては否定できない、つまり、時の法主を用いない正法伝持が存在し、
その場合、伝持の僧宝にもなりえない。





この質問となんの関係があるのですか?

まず、法華講の方でも、
②の問いに対し、
「私の絶対的信からの発言」
とお答えいただいた方が多々います。
これは決して反体制的な法華講員の発言ではありません。

そして、
「法主が絶対に間違わないは私も思っていない」
と発言し、
現宗門の体制を疑問に思っている方もいました。

これは事実です。

この時点であなたと相当な相違があります。




不二の質問の真意・・・

仏様(大聖人)と法主は別な存在ではあるが、
実体は不二である。

よって、法主は生身の大聖人なのだ。

まぁこういうことでしょう。



では①でいいですね?
そうお答えいただければいいんですが?








この①か②かどちらかでお答えください。
これには単純な二択で、
長文の返信は結構です。
これもきちっと、オーディエンスが見ています。




どっちか2通りでお答えください。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2006/01/08(Sun) 20:03
おなまえ:神様
タイトル:法主について
 
下記の、
不二の質問の真意・・・

仏様(大聖人)と法主は別な存在ではあるが、
実体は不二である。

よって、法主は生身の大聖人なのだ。


に立つと、
あながち黄倉さんの発言と変わりありませんね?

 

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投稿日時:2006/01/08(Sun) 20:54
おなまえ:神様
タイトル:正法伝持
 
「嫡々付法歴代の諸師」
これは伝持の三宝になりえます。
もちろん全僧俗も含まれます。


しかし、
一、時の貫首爲りと雖も佛法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。

日顕氏も、
「大聖人の仏法の化義・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分かるようなことを言い出したならば、これはたしかに用いるべきではありません。」
と指南され、

血脈なき、付法でない法主は用いない、
そして、
それが正法を誹謗するならば、
それを正しゆくのは当然です。

血脈は信心、
「信心と血脈と法水とは要するに同じ事になるなり」
と日有上人(堀上人註解)
で述べられ、
血脈は信心と述べられています。
もし、別しての血脈があるならば、
用いないでいいわけがありません。

相伝は理論的に公開され、
大聖人のご予言、ご指南通り、
血脈を大衆につがめんとする行為こそが尊いのです。

法主は座主の立場であり、
「大聖人と本質は同じ」「生身の大聖人と拝する」
は間違いであり、

まして絶対間違わない大御本尊と不二など邪義です。

はやく法水と言う名の「信」が、
「時のしからしむ」ままに回復され、
人法共に尊い方が現れ、

付法の座主として、
権威や保身を捨て、特別な意義ある存在として、
大聖人と同意、広布に役立ちたい、
との信仰に励まれることを願います。

 

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外出以後も成長の見られない蚊魅作魔へ 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2006/01/08(Sun) 22:36  No.231      [返信]

 

 > 「嫡々付法歴代の諸師」

> これは伝持の三宝になりえます。

> もちろん全僧俗も含まれます。

 

●やっと少し前に出たようである。が稚拙である。

僧宝に於いては、能所の縦分けが存するのである。

その前にまず貴公らの所属団体が以下の如く明言しているが、貴公の上記の発言と相反するがその矛盾を説明せよ。

 

▼『特別学習会テキスト』創価学会発行

「『僧宝』とは正宗においては第二祖日興上人のことであり、また第三代会長も発言しているごとく、唯授一人の血脈をうけられ

 

た御法主上人猊下であらせられます。従ってこの正宗教義の根本となる僧宝と、信心実践面での和合僧ということについては、絶

 

対に混同するようなことがあってはなりません。また、広義においても、学会を『僧宝』という言い方はしてはならないことであ

 

ります」(四一㌻)

 

おいおい、創価学会教学部に貴公はバッサリ破折されているが?呵々。

 

――――――――――――――――――――――>

> しかし、

> 一、時の貫首爲りと雖も佛法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。

>

> 日顕氏も、

> 「大聖人の仏法の化義・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分かるようなことを言い出したならば、これはた

 

しかに用いるべきではありません。」

> と指南され、

>

> 血脈なき、付法でない法主は用いない、

> そして、

> それが正法を誹謗するならば、

> それを正しゆくのは当然です。

 

●くどく、しかも女々しい。

 

1、日顕上人の御言葉と「(日顕上人が)血脈なき、付法でない法主」との貴公の根拠無き妄言とどのように論理的に結びつくの

 

か論証せよ。

日顕上人は一言も御自らが「血脈なき、付法でない法主」などとは述べられていないが?

 

2、何度も今まで詰問した。が貴公は返答不能状態である。日顕上人がいつ、どのように「正法を誹謗」したのか具体的に述べよ

 

いい加減返答せよ。この無知な蝿。(まっ、所詮、猫頭では、自らの妄執に閉じ篭りぐるぐる同半径を巡るだけで、明確な返答は

 

無理だろうが。それはそのまま頭破七分の様相である。若年のようだがお可愛そうな謗法の報いである。)

もし、これに明確に返答できなければ貴公はもはや反論不能であるから、悪あがきは惨めであり、時間の無駄であるから当掲示板

 

への書き込みを禁止する。謝罪文を掲載し、以後投稿は遠慮せよ。よく肝に銘じなさい。

 

――――――――――――――――――――――

>

> 血脈は信心、

> 「信心と血脈と法水とは要するに同じ事になるなり」

> と日有上人(堀上人註解)

> で述べられ、

> 血脈は信心と述べられています。

> もし、別しての血脈があるならば、

> 用いないでいいわけがありません。

 

●ここも浅薄である。しかも悩乱の極みである。

貴公の引文の全文は以下である。

 

■「信心と血脈と法水とは要するに同じ事になるなり、信心は信行者にあり・此信心に依りて御本仏より法水を受く、其法水の本

 

仏より信者に通う有様は・人体に血液の循環する如きものなるに依りて・信心に依りて法水を伝通する所を血脈相承と云うが故に

 

・信心は永劫にも動揺すべきものにはあらず・攪乱すべきものにあらず、若し信が動けば其法水は絶えて来ることなし、爰に強い

 

て絶えずと云はば其は濁りたる乱れたる血脈法水なれば・猶仏法断絶なり、信心の動かざる所には・幾世を経ても正しき血脈系統

 

を有し仏法の血液活溌に運行す、其は世間にて云えば子は親の心に違はす祖先の定めたる家憲を乱さぬが・其家の血統正しきが如

 

く・

 

■仏法には師匠の意中に違はぬが血脈の正しき法水の清らかなるものなり、

 

仏法の大師匠たる高祖日蓮大聖開山日興上人已来の信心を少しも踏み違えぬ時、末徒たる我等の俗悪不浄の心も・真善清浄の妙法

 

蓮華経の色心となるなり此色心の転換も只偏に淳信篤行の要訣にあり、若し此の要訣を遵奉せずして・不善不浄の邪信迷信となり

 

て仏意に違う時は・法水の通路徒らに壅塞せられて・我等元の儘の粗凡夫の色心なれば・即身成仏の血脈を承くべき資格消滅せり

 

。(富要一―一七六㌻)

 

同じ日亨上人はこう仰せである。

 

■「貫主上人は本仏の代官にもあり・又本仏の義にもあり・口づから命を発したる仁なれば、御前に復命せんこと亦勿論なり」

 

■「富士派に於ては古往今来化儀化法秋毫も乱れず、殊に宗旨の本源基礎確立して宗祖以来歴世之れを紹隆し始終一貫未だ曽て微

 

塵も異義を雑へたる事あらざるは実に是れ宗祖の正統血脈相承を紹継せる現証にして祖書経巻を解決するに純潔正確宗祖の正意本

 

懐を顕彰し各派に独歩超出せる所以の者も亦之れ血脈相承あるが故なり。」

 

■「相承に経巻あり血脈あり、就中血脈相承を最とする所以は経巻相承と云ひ師資相承と称するも皆血脈相承に附随含有せらる、

 

故に富士派に於て血脈相承と云ふは主要なるを以てのゆへにして敢て師資経巻の相承なきに非ず、総て此れ等の相承は宗祖より歴

 

世之れを招隆せらるるなり、」

 

貴公の言うとおりである。

▼「もし、別しての血脈があるならば、用いないでいいわけがありません。」⇒まさにその通りである。

貴公は日本語の意味がわかって使っているのか?これは貴公が今まで成して来た邪難を自ら破折している文ではないか。

 

――――――――――――――――――――――

>

> 相伝は理論的に公開され、

 

●その公開されているという相伝を全て開かしてみよ。これは見ものである。もしこれも返答不能であるならば、自らの不明を認

 

め当掲示板上で日顕上人へ謝罪せよ。

――――――――――――――――――――――

> 大聖人のご予言、ご指南通り、

> 血脈を大衆につがめんとする行為こそが尊いのです。

 

●その「血脈」の当体・あるいは正体とは何か?明確に述べよ。できなければ謝罪せよ。

――――――――――――――――――――――>

> 法主は座主の立場であり、

> 「大聖人と本質は同じ」「生身の大聖人と拝する」

> は間違いであり、

>

> まして絶対間違わない大御本尊と不二など邪義です。

 

●ここは貴公の幼稚な思い込みであり、下用・内証が理解できない半可通否門外漢の低レベルの妄執である。

類文繁多であるがまずは上記の日亨上人の仰せと大矛盾であるが、その矛盾を論旨明快に説明せよ。

できなければ謝罪。

 

再三呵責してある。貴公が妄念強情にしてただ理解できないのみならず、自らの痴論をくどくど繰り返しているだけである。

それこそオーディエンスは貴公の妄想ぶりを見ている。

およそボーゲンしかできない者が上級コースに迷い込んだようなものである。

下りのリフトでお帰り。衆人環視で嘲弄されている惨めさを肌で痛烈に味わいながら。

 

――――――――――――――――――――――

>

> はやく法水と言う名の「信」が、

> 「時のしからしむ」ままに回復され、

> 人法共に尊い方が現れ、

>

> 付法の座主として、

> 権威や保身を捨て、特別な意義ある存在として、

> 大聖人と同意、広布に役立ちたい、

> との信仰に励まれることを願います。

 

●さらにバカ丸出しの妄言である。

顕正会の恥論と同義である。哂うべし。哀れむべし。

では、その「人法共に尊い方」は誰から「血脈相承」を受けるのか?呵々大笑である。

まさか、池田センセ~~?秋谷栄之助?らではあるまいな?

新年早々のお笑い番組である。

>

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2006/01/08(Sun) 22:41
おなまえ:神様
タイトル:こちらにお答えを(答えられないなら、理由をお書きください)
 
少し留守にしていました。
みなさんのご活躍に感謝します。

> 不二=AとBは二にあらず。
> 而二=而してAとBは二である。
>
> この一見相反すると見える両概念は全く相矛盾しないのである。

えぇ、これは基本ですね。
しかし、

一、時の貫首爲りと雖も佛法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。

の指南が、





①一、時の貫首爲りと雖も佛法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。

仏法に相違して己義を構えた場合、
時の法主を用いるなと日興上人は仰せで、

日顕氏も、
「大聖人の仏法の化義・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分かるようなことを言い出したならば、これはたしかに用いるべきではありません。」
と指南され、

法主は凡夫と認めるが、

100%法主は間違いなく、絶対に絶対に己義など構えない。その可能性すらない。




なのか?



②一、時の貫首爲りと雖も佛法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。

仏法に相違して己義を構えた場合、
時の法主を用いるなと日興上人は仰せで、

日顕氏も、
「大聖人の仏法の化義・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分かるようなことを言い出したならば、これはたしかに用いるべきではありません。」
と指南され、

法主は凡夫と認める。

よって、法主も間違いを犯す場合が可能性としては否定できない、つまり、時の法主を用いない正法伝持が存在し、
その場合、伝持の僧宝にもなりえない。





この質問となんの関係があるのですか?

まず、法華講の方でも、
②の問いに対し、
「私の絶対的信からの発言」
とお答えいただいた方が多々います。
これは決して反体制的な法華講員の発言ではありません。

そして、
「法主が絶対に間違わないは私も思っていない」
と発言し、
現宗門の体制を疑問に思っている方もいました。

これは事実です。

この時点であなたと相当な相違があります。




不二の質問の真意・・・

仏様(大聖人)と法主は別な存在ではあるが、
実体は不二である。

よって、法主は生身の大聖人なのだ。

まぁこういうことでしょう。



では①でいいですね?
そうお答えいただければいいんですが?








この①か②かどちらかでお答えください。
これには単純な二択で、
長文の返信は結構です。
これもきちっと、オーディエンスが見ています。




どっちか2通りでお答えください。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

Re:[233] こちらにお答えを(答えられないなら、理由をお書きください) 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2006/01/08(Sun) 22:55  No.234      [返信]

 

 バカ一つ覚えの恥論の繰り返しを女々しくくどくどする暇に、当方からの詰問に、少しは謗法の害毒によって汚染された程度の

 

低い頭を精一杯酷使して答えたまえ。

 

貴公の恥問には既に明確に返答済みである。

ただし、整数しか知らない低学年頭が作った「単純かつ幼稚な解答欄」には当てはまらないだけである。

小数点以下の数字の概念がない者が無理しても徒労である。

それよりまずは当方からの反論・反証・詰問全てに答えたまえ。これで再三・再四の警告である。

もし、以後当方から反問に明確に返答できず、発展のない愚問を繰り返したらその旨を掲示し、本来は避けたいことだが削除処理

 

をする。

まさにいかがわしい箇所からの広告書き込みと同様のレベルである。貴公も短期間でここまで成り下がったか・・・

真に創価学会の猛毒の怖さを目の当たりに見る思いである。

 

更に当HP上にて今までの経緯を全文アップし「神様」の恥論とその破折文を末永く公開する。

 

以上厳格に警告する。

 

 

> 少し留守にしていました。

> みなさんのご活躍に感謝します。

>

> > 不二=AとBは二にあらず。

> > 而二=而してAとBは二である。

> >

> > この一見相反すると見える両概念は全く相矛盾しないのである。

>

> えぇ、これは基本ですね。

> しかし、

>

> 一、時の貫首爲りと雖も佛法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。

>

> の指南が、

>

>

>

>

>

> ①一、時の貫首爲りと雖も佛法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。

>

> 仏法に相違して己義を構えた場合、

> 時の法主を用いるなと日興上人は仰せで、

>

> 日顕氏も、

> 「大聖人の仏法の化義・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分かるようなことを言い出したならば、これはた

 

しかに用いるべきではありません。」

> と指南され、

>

> 法主は凡夫と認めるが、

>

> 100%法主は間違いなく、絶対に絶対に己義など構えない。その可能性すらない。

>

>

>

>

> なのか?

>

>

>

> ②一、時の貫首爲りと雖も佛法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。

>

> 仏法に相違して己義を構えた場合、

> 時の法主を用いるなと日興上人は仰せで、

>

> 日顕氏も、

> 「大聖人の仏法の化義・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分かるようなことを言い出したならば、これはた

 

しかに用いるべきではありません。」

> と指南され、

>

> 法主は凡夫と認める。

>

> よって、法主も間違いを犯す場合が可能性としては否定できない、つまり、時の法主を用いない正法伝持が存在し、

> その場合、伝持の僧宝にもなりえない。

>

>

>

>

>

> この質問となんの関係があるのですか?

>

> まず、法華講の方でも、

> ②の問いに対し、

> 「私の絶対的信からの発言」

> とお答えいただいた方が多々います。

> これは決して反体制的な法華講員の発言ではありません。

>

> そして、

> 「法主が絶対に間違わないは私も思っていない」

> と発言し、

> 現宗門の体制を疑問に思っている方もいました。

>

> これは事実です。

>

> この時点であなたと相当な相違があります。

>

>

>

>

> 不二の質問の真意・・・

>

> 仏様(大聖人)と法主は別な存在ではあるが、

> 実体は不二である。

>

> よって、法主は生身の大聖人なのだ。

>

> まぁこういうことでしょう。

>

>

>

> では①でいいですね?

> そうお答えいただければいいんですが?

>

>

>

>

>

>

>

>

> この①か②かどちらかでお答えください。

> これには単純な二択で、

> 長文の返信は結構です。

> これもきちっと、オーディエンスが見ています。

>

>

>

>

> どっちか2通りでお答えください。

> 

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投稿日時:2006/01/08(Sun) 23:12
おなまえ:神様
タイトル:樋田様へ
 
▼『特別学習会テキスト』創価学会発行
「『僧宝』とは正宗においては第二祖日興上人のことであり、また第三代会長も発言しているごとく、唯授一人の血脈をうけられた御法主上人猊下であらせられます。従ってこの正宗教義の根本となる僧宝と、信心実践面での和合僧ということについては、絶対に混同するようなことがあってはなりません。また、広義においても、学会を『僧宝』という言い方はしてはならないことであります」(四一㌻)
>
> おいおい、創価学会教学部に貴公はバッサリ破折されているが?呵々。


いいか、
ここでも、正法伝持は基本は変わらない。
「血脈をうけられた」
法主であります。
血脈とは、法水であり、信心であります。
それがないと僧宝になどなりえない。
そして、全僧俗が僧宝になるのは当たり前ではないか。
この文が宗門への相当なる配慮があると見る。
時を知るべきである。


一、時の貫首爲りと雖も佛法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。
日顕氏も、
「大聖人の仏法の化義・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分かるようなことを言い出したならば、これはたしかに用いるべきではありません。」
と指南され、
 
> > 血脈なき、付法でない法主は用いない、
> > そして、
> > それが正法を誹謗するならば、
> > それを正しゆくのは当然です。

1、日顕上人の御言葉と「(日顕上人が)血脈なき、付法でない法主」との貴公の根拠無き妄言とどのように論理的に結びつくのか論証せよ。



では、この発言は認めるのですね?
可能性ありきという論を?
(以前客観的可能性と述べたので、認めたとみなす相当程度の論拠はある)

だって、日顕氏に誤りなどあるわけないですよね?
そうなれば、
あなた方の
・法主絶対論
・大御本尊と不二
自体が自語相違であり、唯授一人の法門や内証も、
「用いない正法伝持」を認めたので、
邪義である。
よって、間違いではないか?

・日顕上人は一言も御自らが「血脈なき、付法でない法主」などとは述べられていないが?
・何度も今まで詰問した。が貴公は返答不能状態である。日顕上人がいつ、どのように「正法を誹謗」したのか具体的に述べよ。

これらへの大きな返答である。
黄倉氏の、
「法主は大聖人の生まれ変わり」
の発言は樋田様の論ずるところではないと言うが、
参考にはなろう。

そして・・・

いい加減返答せよ。この無知な蝿。(まっ、所詮、猫頭では、自らの妄執に閉じ篭りぐるぐる同半径を巡るだけで、明確な返答は無理だろうが。それはそのまま頭破七分の様相である。若年のようだがお可愛そうな謗法の報いである。)

このような現証もあらわれまい。
なんという醜態。
オーディエンスも見ていますよ。

まず、さまざまな答えはあろうが、
この教義的変質こそが肝心でもある。


> > 血脈は信心、
> > 「信心と血脈と法水とは要するに同じ事になるなり」
> > と日有上人(堀上人註解)
> > で述べられ、
> > 血脈は信心と述べられています。
> > もし、別しての血脈があるならば、
> > 用いないでいいわけがありません。

 ■「信心と血脈と法水とは要するに同じ事になるなり、信心は信行者にあり・此信心に依りて御本仏より法水を受く、其法水の本仏より信者に通う有様は・人体に血液の循環する如きものなるに依りて・信心に依りて法水を伝通する所を血脈相承と云うが故に・信心は永劫にも動揺すべきものにはあらず・攪乱すべきものにあらず、若し信が動けば其法水は絶えて来ることなし、爰に強いて絶えずと云はば其は濁りたる乱れたる血脈法水なれば・猶仏法断絶なり、信心の動かざる所には・幾世を経ても正しき血脈系統を有し仏法の血液活溌に運行す、其は世間にて云えば子は親の心に違はす祖先の定めたる家憲を乱さぬが・其家の血統正しきが如く・

信心の動かざる所には・・・信心なんてどうでもいい、
かましてやれという発言など認められない。

■仏法には師匠の意中に違はぬが血脈の正しき法水の清らかなるものなり、

仏法の大師匠たる高祖日蓮大聖開山日興上人已来の信心を少しも踏み違えぬ時、末徒たる我等の俗悪不浄の心も・真善清浄の妙法蓮華経の色心となるなり此色心の転換も只偏に淳信篤行の要訣にあり、若し此の要訣を遵奉せずして・不善不浄の邪信迷信となりて仏意に違う時は・法水の通路徒らに壅塞せられて・我等元の儘の粗凡夫の色心なれば・即身成仏の血脈を承くべき資格消滅せり。(富要一―一七六㌻)

日興上人は、仏法に相違すれば用いるなと仰せです。
それも信心でしょう。
血脈でしょう。


貴公の言うとおりである。
▼「もし、別しての血脈があるならば、用いないでいいわけがありません。」⇒まさにその通りである。

> 貴公は日本語の意味がわかって使っているのか?これは貴公が今まで成して来た邪難を自ら破折している文ではないか。


んん?読解力の欠如でしょうか。
別しての血脈があるなら、用いないでいいわけない。
ということは、
別しての血脈は理論的公開ないし、現時にあっては存在しない。ということであり、
それは信心であるということですよ。


> > 相伝は理論的に公開されている

では、相伝がないから、
信心がなければ用いないでよい存在なのでしょう。
道理でしょう。

> > 大聖人のご予言、ご指南通り、
> > 血脈を大衆につがめんとする行為こそが尊いのです。
>
> ●その「血脈」の当体・あるいは正体とは何か?明確に述べよ。できなければ謝罪せよ。

ですから、信心でありましょう。
正法でありましょう。



> > 法主は座主の立場であり、
> > 「大聖人と本質は同じ」「生身の大聖人と拝する」
> > は間違いであり、
> >
> > まして絶対間違わない大御本尊と不二など邪義です。




樋田氏はこれを稚拙な思い込み、邪義としました。

 
> > はやく法水と言う名の「信」が、
> > 「時のしからしむ」ままに回復され、
> > 人法共に尊い方が現れ、
> >
> > 付法の座主として、
> > 権威や保身を捨て、特別な意義ある存在として、
> > 大聖人と同意、広布に役立ちたい、
> > との信仰に励まれることを願います。

●さらにバカ丸出しの妄言である。
人法共に尊い方」は誰から「血脈相承」を受けるのか?呵々大笑である。

まさか、池田センセ~~?秋谷栄之助?らではあるまいな?
新年早々のお笑い番組である。

血脈は大衆につがめんとなるものです。
ではどうやって大衆に血脈が流れるのでしょう。
それは正しい信心をするところでしょう。




そろそろ結論を聞きたいので、
①か②
よろしく返答ください。
それがすめばもういいでしょう。
この返答ふぁけはされたし。
オーディエンスも見ているでしょうし。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2006/01/08(Sun) 23:16
おなまえ:神様
タイトル:訂正
 
この返答ふぁけはされたし。
オーディエンスも見ているでしょうし。

この返答をはやめにされたし。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2006/01/08(Sun) 23:17
おなまえ:神様
タイトル:①か②か
> ①一、時の貫首爲りと雖も佛法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。
>
> 仏法に相違して己義を構えた場合、
> 時の法主を用いるなと日興上人は仰せで、
>
> 日顕氏も、
> 「大聖人の仏法の化義・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分かるようなことを言い出したならば、これはたしかに用いるべきではありません。」
> と指南され、
>
> 法主は凡夫と認めるが、
>
> 100%法主は間違いなく、絶対に絶対に己義など構えない。その可能性すらない。
>
>
>
>
> なのか?
>
>
>
> ②一、時の貫首爲りと雖も佛法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。
>
> 仏法に相違して己義を構えた場合、
> 時の法主を用いるなと日興上人は仰せで、
>
> 日顕氏も、
> 「大聖人の仏法の化義・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分かるようなことを言い出したならば、これはたしかに用いるべきではありません。」
> と指南され、
>
> 法主は凡夫と認める。
>
> よって、法主も間違いを犯す場合が可能性としては否定できない、つまり、時の法主を用いない正法伝持が存在し、
> その場合、伝持の僧宝にもなりえない。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2006/01/08(Sun) 23:24
おなまえ:神様
タイトル:すいません
 
234は樋田様の登載でした。

HP上で、登載が公開が無許可に公開されることは、
留意事項になく、
我が方の意図に反するものです。

ですので、
意図的な登載をやめていただきたく存じます。

そのため、
樋田氏が「樋田氏への書き込み禁止」
ならびに、
「法華講への意見を禁ずる」
とする処置ならば、
受けたいと考えています。

ですので、留意事項にない、
許可なき、
公開をやめていただきたい。

お願いいたします。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2006/01/08(Sun) 23:26
おなまえ:神様
タイトル:意見
 
もちろん、ここの掲示板への書き込みを自粛しても構いませんので、

逃げたうんぬんではなく、
ネチケット、当方の意図、留意事項にないこと、
これをどうかやめていただきたい。

下記の質問への回答も結構です。

心からお願いいたします。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2006/01/08(Sun) 23:34
おなまえ:神様
タイトル:お願い
 
再三再度お願いしたい。
公開はやめてください。

掲示板にその趣旨の意図はないと思います。


私は若輩者です。
であるからこそ、
樋田様との対話は勉強のつもりです。
これは初期の書き込みに書き、今も変わっていません。

どうかお願いします。

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

投稿日時:2006/01/09(Mon) 16:54
おなまえ:神様
タイトル:公開について
 
私は公開はすでにこの掲示板でされていますが、
それを意図的な編集を加え、悪辣な印象を与えるように
公開されるのは、不本意で、樋田氏に利用された感が
あると考えるので、それは留意事項になく、
やめるべきと述べています。

下記の発言は少し樋田さんの良心を信じてのもので、
私は意見には自信を持っています。
下記の文脈の不必要な懇願は反省しています。
しかし、紳士的な態度とろうと考えまして。

そして、この対話は樋田氏のほうから話してきたもので、
即刻答えろなど、
最終的に私のイチャモンのような印象を与えますが、
樋田氏からのものです。
ですから、不都合ならば樋田氏に回答を求めない
としました。それもそれでいいでしょう。
以上、樋田氏ならびにオーディンエンスへ

 

✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

告知と破折 神様とやら 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2006/01/09(Mon) 22:54  No.260      [返信]

 

 さてさて、神様とやら、HNに似合わず随分と、女々しく、臆病かつ変節漢、日和見、腰砕け、・・・情けない醜態である。

まっ、これが邪教創価学会員の真の姿であって、口とは裏腹に全く大聖人様の仏法の真の実践者とは程遠い境涯であり、この無様な姿がまさに謗法の悪果報の「現証」である。

いいサンプルとして警告通りHP上で末永く全文掲載させていただく。

以下簡単な破折を加えておく。

 

――――――――――――――――――――――

> HP上で、登載が公開が無許可に公開されることは、

> 留意事項になく、

> 我が方の意図に反するものです。

>

> ですので、

> 意図的な登載をやめていただきたく存じます。

 

●頭が相当良くないようである。

そもそも「公開」されている掲示板に書き込む行為こそ公開を承知での掲載であって、「意図的な搭載」ではないか?

もしかして貴公は本物の馬鹿なのか?

自称「創価学園生」だったと記憶するが、創価学園生は斯様にみな馬鹿なのか?

それとも貴公が特別に落ちこぼれなのか?

――――――――――――――――――――――>

> そのため、

> 樋田氏が「樋田氏への書き込み禁止」

> ならびに、

> 「法華講への意見を禁ずる」

> とする処置ならば、

> 受けたいと考えています。

>

> ですので、留意事項にない、

> 許可なき、

> 公開をやめていただきたい。

 

●何を泣き言を言っているのやら。

あれだけ頑迷にくどくどしく書き込んでおきながら今更弱音を吐くのは実に見苦しい醜態である。

――――――――――――――――――――――

> もちろん、ここの掲示板への書き込みを自粛しても構いませんので、

>

> 逃げたうんぬんではなく、

> ネチケット、当方の意図、留意事項にないこと、

> これをどうかやめていただきたい。

>

> 下記の質問への回答も結構です。

>

> 心からお願いいたします。

 

●同上、自身の妄論に自信があるのなら末永い保存掲載は寧ろ喜ぶべきことであろう?

今更の貴公の哀願など、全く否認する。

――――――――――――――――――――――

> 再三再度お願いしたい。

> 公開はやめてください。

>

> 掲示板にその趣旨の意図はないと思います。

>

>

> 私は若輩者です。

> であるからこそ、

> 樋田様との対話は勉強のつもりです。

> これは初期の書き込みに書き、今も変わっていません。

>

> どうかお願いします。

 

●なんと見苦しいことか。

「勉強」と言うのならば、もっと素直に人の意見を聞くべきであろう。

今更遅い。

――――――――――――――――――――――

> 私は公開はすでにこの掲示板でされていますが、

> それを意図的な編集を加え、悪辣な印象を与えるように

> 公開されるのは、不本意で、樋田氏に利用された感が

> あると考えるので、それは留意事項になく、

> やめるべきと述べています。

 

●安心したまえ。貴公の恥論など別に「意図的な編集を加え、悪辣な印象を与えるように公開」する必要など全くない。

そのまま全文掲載しても十分「恥ずかしい」内容である。

――――――――――――――――――――――

> 下記の発言は少し樋田さんの良心を信じてのもので、

> 私は意見には自信を持っています。

> 下記の文脈の不必要な懇願は反省しています。

> しかし、紳士的な態度とろうと考えまして。

 

●自信があるのならそれを全文末永く掲載してあげるのと言うのだから感謝すべきであろう。

――――――――――――――――――――――

> そして、この対話は樋田氏のほうから話してきたもので、

> 即刻答えろなど、

 

●何言っているのか?貴公が当方がネット上でしていた法論へ口を挟んできたのであろう。

ここなども貴公の卑怯で醜悪・悪辣・の根性全開の妄弁である。

それとも創価学会の猛毒で脳が根っこから冒されて、時系列の認識まで出来なくなっているのか?

それとも「嘘も百遍言えば本当になる」との池田センセ~~~の指導に忠実な下僕か?

いずれにせよ、当方から貴公などへ対話をもちかけた事実は皆無である。

もしあると言うのなら、その文献を提示してみたまえ。

――――――――――――――――――――――

> 最終的に私のイチャモンのような印象を与えますが、

> 樋田氏からのものです。

> ですから、不都合ならば樋田氏に回答を求めない

> としました。それもそれでいいでしょう。

> 以上、樋田氏ならびにオーディンエンスへ

>

> お願いいたします。

 

●よくもまあ、こういう嘘をぬけぬけと吐けるな。

感心する。

当方がいつ貴公などへイチャモンをつけたのか?

第一当掲示板へ書き込んでいる事実が何よりの証拠である。

貴公が運営しているものなどあってもなくても当方は知らないし、もちろん貴公程度のレベルの者など関心すらない。

当方が当事者間で行っている法論以外の掲示板へ書き込んだ事実もない。

依って当方から貴公へなどちょっかいを出すことなど全く皆無であった。

 

以上、貴公の醜怪・面妖な根性はそのまま創価学会の猛毒の体現であるから、今後の戒めの為、世の中への警告の為、全文まとめてアップする。楽しみにおとなしく待つが良い。そして自分が行ってきた愚行・恥言をつくづく眺めるがよい。

 

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投稿日時:2006/01/10(Tue) 03:18
おなまえ:神様
タイトル:樋田氏へ
 
では、公開をするということですね?

ここですでに公開されています。

今まで公式な形で、ひとつのテーマを正式に決め、
頻繁には討論をしたことがなく、
どこの書き込みを掲載し、
どのような編集を加えるのか、
私の意見することのできることでしょう。

では、
ここでの
一、時の貫首爲りと雖も佛法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。
についての掲載を、
「日興遺誡置文について」
という程度の題名で掲示されたし。

正々堂々を自称するなら、
「悪辣なトラップ、題名」
「さまざな時期、内容を問わない搭載のピックアップ」
「内容の編集、未登載」
はおやめください。

これを私は危惧しています。

そして、
「神様氏の登載に、意見せずにはいられなくなった」
と最近の話し合いはあなたの書き込みが初です。

そして、学園うんぬんは、
とうの昔の話です。

もし、上記のような悪辣な編集が見られる場合、
公開について、また意見させていただきます。

 

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>> 法主は座主の立場であり、

>> 「大聖人と本質は同じ」「生身の大聖人と拝する」

>> は間違いであり、

>>

>> まして絶対間違わない大御本尊と不二など邪義です。

>

> ●ここは貴公の幼稚な思い込みであり、下用・内証が理解できない半可通否門外漢の低レベルの妄執である。

>

>

>

> ■「大聖人の仏法の化義・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分かるようなことを言い出したならば、これは

 

たしかに用いるべきではありません。」

>

> このお言葉は論理的な可能性について客観的に仰せになったと拝すのであって、では実際にそのような事案があったのかという

 

と全くないのである。

> もしあるというのなら再三詰問しているが、具体例を例示せよ。

>

>

>

>

>

> 樋田氏は

> ・法主は「生身の大聖人」ではない

> ・法主は座主の立場である

>

> を幼稚な思い込みとしながら、

>

> 法主が間違いを犯す

> 「客観的可能性」を認め、

>

> ・しかし、今までそういう例はない、具体例を出せ

> としています。

>

>

>

> もし法主が、生身の大聖人であるならば、

> そこに間違いを犯す「客観的可能性」を見出すことはできない。矛盾である。

 

●ここが馬鹿だというのである。

当方は御法主上人を直ちに「生身の大聖人」などと言った事は一度たりともない。

御法主上人の血脈の当初が三宝一体である。

下用・内証の法門が理解できない幼稚な頭で逆立ちして考えても無理である。

また、御本仏日蓮大聖人におかせられても、経文の引き違いや、語句の覚え違いなど若干のお間違いがあられる。

貴公は法門未熟で本因妙・名字凡身・無作三身の示同凡夫の尊いお姿が拝せないのである。

真に愚か極まりない。その不解謗法の頭でどう下種三宝を推し量っても驕慢・浅識謗法の罪を重ねるだけである。

 

――――――――――――――――――――――

>

――――――――――――――――――――――

> では、公開をするということですね?

>

> ここですでに公開されています。

>

> 今まで公式な形で、ひとつのテーマを正式に決め、

> 頻繁には討論をしたことがなく、

> どこの書き込みを掲載し、

> どのような編集を加えるのか、

> 私の意見することのできることでしょう。

>

> では、

> ここでの

> 一、時の貫首爲りと雖も佛法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。

> についての掲載を、

> 「日興遺誡置文について」

> という程度の題名で掲示されたし。

>

> 正々堂々を自称するなら、

> 「悪辣なトラップ、題名」

> 「さまざな時期、内容を問わない搭載のピックアップ」

> 「内容の編集、未登載」

> はおやめください。

>

> これを私は危惧しています。

 

●心配御無用、貴公の当方への当初の質問から全文をアップするのみ。

題名について 「悪辣なトラップ、題名」だって?

このような戯けた事は「創価新報」あたりに言ってあげたらどうか?

貴公とのやり取り全文を集計した後、適切な題名を冠するのみ。

どんな題名になろうが「正々堂々」と受けたら宜しい。

何を臆病風を吹かせているのか。しかもHNのくせに。

そういう臆病根性だから一大秘法から退転するのである。

 

■弟子等・壇那等の中に臆病のもの、大体或はを(堕)ち、或は退転の心あり。

 

――――――――――――――――――――――

>

> そして、

> 「神様氏の登載に、意見せずにはいられなくなった」

> と最近の話し合いはあなたの書き込みが初です。

 

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●本当の馬鹿か?

当方へ最初に質問してきたのはどこの誰だ?

 

以下のおよそ正気とは思えない悩乱文章は誰のものだ?

 

227.学会員

名前:神様    日付:6月10日(金) 2時51分

とても教学にたけた方ですね。私は創価学会の三世です。学会は大御本尊否定ですか?確かに日顕さんの法王としての資質は否定していますが、日興上人だってホウボウに屈したら時のカンズうんぬんって言ってなかったでしたっけ?形式的には法王は事実上日顕さんだからそういう意味での血脈はありますよ、でももっと大きな意味での信心?の血脈は学会にあるって感じですよね、ホウボウには屈さない、三類の強敵と戦い、広い御仏意として大御本尊を信じ、お守りしていこう!って感じですよ。学会の教学本や会則ご覧になりましたか?あの法論の人たちは?ん~三宝も三大秘法も変わってないよ。変えたらダメジャンねえぇー。変えられる訳ないよ。僕は内部にいても違うと思いますよ、少し学会の教学本をご覧になって調べられたらどうですか?口より活字のほうが責任が発生して確実ですよ。いっぱい教学勉強して考えがこりかたまり、おれは立正安国、日蓮仏法を正統に広めるぞって思い込み、悟りの暗示にかかってませんか?いいんですよ、そんな自分が好きでしょ?いいことですよ。よく考えりゃ法王も人、なんで法王しか本尊かけないの?特別な力があるの?お手かざし?学会員や法華講しか真の成仏はないの?南無妙法蓮華経だって、功徳はただの心理学的精神力の向上か、妙法と自分が合致した真の成仏か、死後の世界みたいに誰も証明できない。みんな体験や、教学などの大いなる思い込みでカバーしてるわけ。僕は宗教は幸福実現の手段としか考えられない、ってみんな考えがこりかたまってるから、なにお~!って思うかもしれないけど冷静に考えてほしい。でも素敵ですよね、信仰のある生活は科学は生きる意味は教えてくれないもん。だから学会が何で発展したかって、それは価値創造につきると思います(どの宗教も)、高度成長期は新たな日本的コミュニティーとして、現代は平和主義の文化団体として価値を作り出し、日本の暗い世の中に広まった。そしてこの団体は圧倒的マイノリティだし、絶対日本はのっとれないよ、笑

みなさん学会を過剰評価してるよ、そんな力ない。公明党政権取れる?だから僕はもっとこの団体を自分の思ういい社会に向けての手段として使いたい。公明党の国会議員に愛国心明記しろ!拉致問題もっとがんばれ!って二時間会談したことあるよ。宗教って価値をつくりだす集団って考えるとわかりやすい。むかしは天変地異への恐れから自然崇拝という価値観をつくり、科学の発展にともなって生きる意味を見出し、よりよい社会を作る価値観をつくってきた。私自身は絶対的幸福主義それにつきる。後半は余談です。なんでこんなの書いたんだろ、ごめんなさい。前半はいちお法論ですよね。すいません、若輩者の強がりを許してください。

 

――――――――――――――――――――――

>

> そして、学園うんぬんは、

> とうの昔の話です。

 

●昔であろうが最近であろうが、創価学園生か卒園生であることには違いないではないか。何か不都合なのか?

まっ、この程度では池田センセ~~の恥だな。

 

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投稿日時:2006/01/10(Tue) 03:40
おなまえ:神様
タイトル:結論
 
> 法主は座主の立場であり、
> 「大聖人と本質は同じ」「生身の大聖人と拝する」
> は間違いであり、
>
> まして絶対間違わない大御本尊と不二など邪義です。

●ここは貴公の幼稚な思い込みであり、下用・内証が理解できない半可通否門外漢の低レベルの妄執である。



■「大聖人の仏法の化義・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分かるようなことを言い出したならば、これはたしかに用いるべきではありません。」

このお言葉は論理的な可能性について客観的に仰せになったと拝すのであって、では実際にそのような事案があったのかというと全くないのである。
もしあるというのなら再三詰問しているが、具体例を例示せよ。





樋田氏は
・法主は「生身の大聖人」ではない
・法主は座主の立場である

を幼稚な思い込みとしながら、

法主が間違いを犯す
「客観的可能性」を認め、

・しかし、今までそういう例はない、具体例を出せ
としています。



もし法主が、生身の大聖人であるならば、
そこに間違いを犯す「客観的可能性」を見出すことはできない。矛盾である。


・法主を用いない正法伝持の客観的可能性
を認めたので、
自ら法主絶対論、別しての内証の存在を否定した、
またそういうことが道理にもなる

生身の大聖人を肯定しても
客観的可能性と矛盾してします。

生身の大聖人を否定しても、
それ自体が法主を用いない正法伝持を認めたことになる。


私は法主絶対論を否定し、
純粋な座主として認識し、その誤りを認め、
深い信心を取り戻すことを願っています。

 

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> ・法主を用いない正法伝持の客観的可能性

> を認めたので、

> 自ら法主絶対論、別しての内証の存在を否定した、

> またそういうことが道理にもなる

 

●まさに僧宝誹謗の悪果報によって頭破七分になった、そのままの意味不明な文章である。

無理して背伸びして難しい言葉を並べてみてもこのように支離滅裂な恥論になるだけである。

>

> 生身の大聖人を肯定しても

> 客観的可能性と矛盾してします。

>

> 生身の大聖人を否定しても、

> それ自体が法主を用いない正法伝持を認めたことになる。

 

●まず前提が間違っているが故に、その上に何を論じても砂上の楼閣、全くこんな者を相手にしても時間の無駄。

繰り返すが当方は御法主上人を直ちに「生身の大聖人」などと言った事は一度たりともない。

>

>

> 私は法主絶対論を否定し、

> 純粋な座主として認識し、その誤りを認め、

> 深い信心を取り戻すことを願っています。

 

●下種三宝を離れて何を同信じ、何を広めるのか?全くの馬鹿である。

>

●また今更何を悩乱したことを書いていることやら。

全く女々しくくどい卑屈な根性である。

 

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投稿日時:2006/01/13(Fri) 22:27
おなまえ:神様
タイトル:意見。
 
あなたは悪辣な編集、テロップ、
を容認する立場ですね?

それを正々堂々受けろと。
正々堂々って、なんですか?
対等な立場でってことです。
前後の内容のわからない切り文、
ピックアップ、
いかかなものでしょう?

で、学園出身に間違いない?
間違いないとはなんでしょう?私の素性の何をしっているのですか?
あなただって本者かわからない。
聖教新聞の池田会長の存在に疑念を抱くように。


そして、
私が言うのは、
ある方とのやり取りに、久しぶりにあなた様から話してきたということです。

そして、
私の書き込みですが、
公明党の議員は国会ではありませんです。お話です。

私はあなたを信用して書いたのです。
こんな風に利用されるなど、
ネチケット、人間性で許されないと思ったからです。
でも私は学会を信じていたのは事実です。
それは一貫しています。
あなたには冷静になって欲しいと思ったのです。
いろいろな糾弾は、単なる悪口になっていないかと。
悲しいです。
あなたの人間性は、私に宗門の誤りの確信を与えました。

 

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小心者で支離滅裂状態の神様へ 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2006/01/13(Fri) 23:00  No.344      [返信]

 

 > あなたは悪辣な編集、テロップ、

> を容認する立場ですね?

 

●↑こういう戯言は創価新報に言え、言ったことが不勉強もしくは暗愚にて理解できないらしい。

貴公は頑迷そのもの、人の言葉が全く頭に入らないらしいな。謗法の報いで六根が不浄なのであろう。

 

創価新報の見出し

 

<得意のポーズでご満悦―。出た、日顕の『芸者遊び』写真 >

 

<日顕が欲すは「カネ、酒、色」の堕落道 まだ信伏随従するのか 芸者の世界は日顕の『心の故郷』!? 政子が止めても『酒

 

はやめられない』 >

<お待たせしました!またまた出ました、日顕の『芸者写真』!! 今度は日本髪の芸者さんを前に、一本指を立ててお得意のポ

 

ーズ。何とも楽しそうな顔だ。>

 

<ああ、希代の遊蕩坊主・日顕。そして、好色の教団・日顕宗。>

 

東京高裁 鬼頭裁判長は判決文で、

 

「写真を見た者に対し、阿部日顕(上人)一人が酒席で芸者遊びをしているとの、実際の情況とは異なった印象を抱かせるのに十

 

分であり、これをもって客観的な報道ということはできず、修正の限度を超えている」

 

「(『創価新報』の報道は)正当な言論や評論の域を超え、単に阿部日顕(上人)を揶揄(やゆ)し、誹謗、中傷するものとして

 

、違法性を有するものというべき」

と、東京地裁よりもさらに明確な表現で、池田創価学会の行為が違法行為であることを認めた。

 

創価学会は悪辣な編集、テロップ、を容認する立場ですね?呵々。

 

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>

> それを正々堂々受けろと。

> 正々堂々って、なんですか?

> 対等な立場でってことです。

> 前後の内容のわからない切り文、

> ピックアップ、

> いかかなものでしょう?

 

●本当に馬鹿である。何度いっても聞こえないらしい。

全文アップしてあげるから心配に及ばない。よほど臆病なんであろう。

 

――――――――――――――――――――――

>

> で、学園出身に間違いない?

> 間違いないとはなんでしょう?私の素性の何をしっているのですか?

> あなただって本者かわからない。

> 聖教新聞の池田会長の存在に疑念を抱くように。

 

●これは貴公の言である。

 

名前:神様 日付:6月13日(月) 2時30分

 

「今の友達に大石寺の話や、五老僧の話をしただけで、へぇーといわれます。創価学園ですよ?」

 

これは通常の感覚では貴公が平成17年6月13日現在、創価学園生であることを色濃く想起させる文言だが?

しかしこれは断定できないので貴公が否定するのであれば、当方は別に構わないが?

貴公がなんであろうと別に関心はない。

 

>

>

> そして、

> 私が言うのは、

> ある方とのやり取りに、久しぶりにあなた様から話してきたということです。

>

> そして、

> 私の書き込みですが、

> 公明党の議員は国会ではありませんです。お話です。

 

●は~?まとも悩乱、支離滅裂。意味不明。

「公明党の議員は国会ではありませんです。お話です。」

ほんと、頭破七分の現証で脈絡不明の文である。

こういう点で世に大きな警鐘を鳴らすことが出来る。創価学会員の精神の怖さ。

 

――――――――――――――――――――――

> 私はあなたを信用して書いたのです。

> こんな風に利用されるなど、

> ネチケット、人間性で許されないと思ったからです。

 

●ここもまさに自分勝手、自己本位、暗愚、愚鈍、癡、そのままである。

貴公の私信を当方が開示している訳でない。

もともと公開されている掲示板上の文である。

何を血迷っているのか?

ここも創価学会員の非常識さ加減の例証として特筆すべきポイントである。

――――――――――――――――――――――

> でも私は学会を信じていたのは事実です。

> それは一貫しています。

> あなたには冷静になって欲しいと思ったのです。

> いろいろな糾弾は、単なる悪口になっていないかと。

> 悲しいです。

> あなたの人間性は、私に宗門の誤りの確信を与えました。

 

●教義上の破折は単なる悪口ではない。

また、謗法根性を呵責することも別に悪口ではない。

大聖人様の事例を引いて再三証明している。

貴公が暗愚で理解できないだけである。

 

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投稿日時:2006/01/14(Sat) 00:24
おなまえ:神様
タイトル:最後にします
 
樋田様、臆病だから言っているのではありません。
あなた様が正々堂々と教義や対話で望まないので、
それを諭し、臆病ではいけないと言っているのです。
逆です。

そして、
創価学園うんぬんですがね、
友達に創価学園出身がいる、
これで私がそうとなるのか?
そう思いますよ。

そして、
私は樋田様に会えたのも縁と思っています。
仏法に偶然はない。
それは私が感得していきます。
一期一会に感謝です。

樋田様、今までありがとうございました。
最後に恩だけ言っておきます。
返信は結構です。

 

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お別れの辞  神様 へ 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2006/01/16(Mon) 12:29  No.425      [返信]

 

> 投稿日時:2006/01/14(Sat) 00:24

> おなまえ:神様

> タイトル:最後にします

 

●「最後にします。」  この言葉忘れないように。

下用・内証が理解できない癖にネバネバと纏わり憑く者を相手にいつまでもじゃれていられるほど当方は暇人ではない。

――――――――――――――――――――――

> 樋田様、臆病だから言っているのではありません。

> あなた様が正々堂々と教義や対話で望まないので、

> それを諭し、臆病ではいけないと言っているのです。

> 逆です。

 

●何度弁解してみても、貴公の法門未熟な恥論。及び臆病かつ女々しい、狼狽し悩乱した発言は消えない。

この板では流されても全記録は残っているのである。

あとはその全文を世人がどう見るかである。

貴公もこの期に及んで愚図愚図言ってないで、楽しみに待っていたまえ。

 

――――――――――――――――――――――

> そして、

> 創価学園うんぬんですがね、

> 友達に創価学園出身がいる、

> これで私がそうとなるのか?

> そう思いますよ。

 

●別に貴公が創価学園生だろうとどうだろうと、興味はない。否定したいのならすれば宜しい。

貴公の発言が貴公が創価学園生ということを強く示唆したということを指摘しただけであって、HNでの事実解明などは不可能であ

 

るし、別に解明しようとも思わない。

貴公という創価学会員が教学未熟の癖に自らの未熟さを省みず愚論を頑迷に繰り返すのみであった事実が末永く公表され多くの方

 

々に見ていただければそれで十分である。

 

――――――――――――――――――――――

> そして、

> 私は樋田様に会えたのも縁と思っています。

> 仏法に偶然はない。

> それは私が感得していきます。

> 一期一会に感謝です。

>

> 樋田様、今までありがとうございました。

> 最後に恩だけ言っておきます。

> 返信は結構です。

 

●当方にしても貴公によって創価学会員の頑迷固陋さ加減が更に鮮明になり多くの方々への警鐘としての見本が残ったことに感謝

 

する。

また当方も貴公を縁として思索を深く出来たことは大いに有り難かった。

永劫に長い年月の後には貴公もまた救われていくであろう。

 

では。応酬全文掲載を期待していて下さい。