戒壇の大御本尊

日亨上人見解

■ (※身延離山の)御荷物の中に「生御影」「御骨」はかならず御奉持であるべきであるが、板本尊にいたっては研究の余地が存する。(富士日興上人詳伝・日亨上人・212)

■ 正御影も、戒壇本尊も、身延山に波木井に直接の関係はない。いずれも興師直受・開山直造の宗宝で、五老も日円も手を附け綺(いろ)うべき権利はない。(218)
(中略)
一般の板曼荼羅の思想は、比叡山にもまた御門下にもいくぶんかあったものともみえ、延山の中蔵に民部向師の書写で「日蓮幽霊」云々の脇書ある板本尊があり、また東蔵には中世の数枚の板本尊がある。
これは後世のことであり、当初の日円入道には、夢にも富士の板本尊を渇仰する思想はなく、後世またしかりであろう。(219)

■ (※日興上人が)巨大の板本尊を等身の大聖の御影を造立せらるるを、云々

■ 本門戒壇にはむろん本門の大曼荼羅を安置すべきことが、とうぜんであるので、未来勅建国立戒壇のために、とくに硬質の楠樹をえらんで、大きく四尺七寸に大聖が書き残されたのが今の本門戒壇大御本尊であり、
(中略)
開山上人は、これを弘安二年に密附せられて、正しき広布の時まで苦心して秘蔵せられてのであるが、上代はこのことが自他に喧伝せられなかったが、云々