袈裟数珠の事        日因上人

又数珠?り様の事。

 当山に二種有り、一には母珠を越えず一片五十四珠を上に流し下に流す即上求菩提、下化衆生の意な

り、此れは要法寺日大、叡山より相伝の義なり当山日昌上人已来之れを相伝すと見えたり、今専ら之を

用ゆ但し日因は之れを用ひず、高雄口決に因る則は過失有り教相判の下具さに之れを述べたるが如く多

くの過失之れ有る者なり、二には二母珠、数を取る故に百八並に母珠を?くるべし即大小経論の如く具

さに百八珠並に三母珠を満てゝ以つて一遍と為すなり、此れは祖師已来御相伝なり当山日主上人子細有

りて関東に下向し下野小金井蓮行寺にして入寂す、故に関東五箇寺並に奥州諸末寺此れより本山の式法

を守るのみ、然るに日昌上人已来、山の化儀少し要法寺に准する有り則ち数珠相伝等是れなり、安房国

保田妙本寺古来の法を守る本と当山蓮蔵坊日目上人遺跡より引き移りて法儀を立つる故なり、然れば則

ち当山二種の中には大衆伝流尤も好き者なり、若し要法日大、叡山相伝を守らば即是れ天台真言流儀な

り、況んや百八珠一連成るべきなり最勝に非る故に大小の経論に背く、亦五十二位及び加行資糧を表す

るは只是れ別教の法門にして円頓の妙義に非るをや、況んや母珠、数を取らざるは則念珠経所製の莫過

法大罪なり、皆百八并に母珠に由つて功徳を積む故に、況んや亦法宝の名を唱へ仏僧の名を唱へざる故

に三宝の功徳を満せず何ぞ三身三体三宝の大果を成せんや、故に二母の名を唱へ則別して高声に南無妙

法蓮華経と唱へ手を以つて頂いて之れを捧げ信心深く致すべし。

 又又当山念珠の御相伝三通之れ有り、目師御筆、道師御目録之れ有り、然る処に十八代日精上人御代

之れを失ふと見へたり日舜上人精師在府の砌り仰せ越され候へば長持の中に之れ有るべき由仰せ越し候

へども之れ無しと見へたり、たとへ之れ有るも日典上人御代に大坊焼失の砌り焼け失せたる者か、故に

今御目録十七条のみ之れ有り御相伝悉皆失ふ故、日忍上人日俊上人已来数珠相伝に当山の相伝之れを失

ふ故に要法寺日大上人叡山相伝之れ有り、喜はしい哉、悲い哉、大衆方正法を守ると云へども近代上人

方は皆正法を失ひ天台真言の邪義に附する故に今日因之を改め近代上人方の附邪の法を疑ふのみ、一に

は日主上人の立行関東奥方に残り伝はる故、二には当山古老僧皆之れを伝ふる故、三には当山日目上人

の相伝悉く房州保田に有る故、四には要法寺二代日大叡山相伝当山に伝ふ、故に知んぬ近代上人方、要

法寺日大の邪伝に附するのみ。


【考察】

 まず、日因上人は、
 「然るに日昌上人已来、山の化儀少し要法寺に准する有り則ち数珠相伝等是れな
り」(富要1-377)として、珠数に関する化儀が日目上人・日道上人以来のものが失
われたと仰せられています。

 誤解のないように念記しますが、これは唯授一人の血脈相承ではありません。
あく
まで大衆にいたるまで広く受けるところの化儀に関する相伝であります。

 要するに、日因上人は唱題の際に親玉を数えるのが、正式な化儀であると仰せられ
るのに対し、日因上人以前には親玉を数えない化儀が存在していたと言われているわ
けです。

 この問題がどれほど重要なことなのでしょうか?

 化儀というものは時とともに多少の変遷を遂げるものです。

宗門ではかつて、四仏
知見の内容が明かされる方便品のうち世雄偈を読誦していましたが、今日世雄偈を読
誦しなければ謗法なのでしょうか?

 そのようなことはありません。
あるとき御法主上人が方便品の十如是までを読誦す
る化儀を定められれば、それでよい訳なのです。

 日寛上人は当家三衣抄に、親玉を超えない意義を

「母珠を超ゆるの罪、何ぞ諸罪に
越ゆるや。今謂わく、蓋し是れ名を忌むか。」(226)

と仰せられて、当時伝承されていた親玉を超えないという化儀は母珠という名前を
嫌ったものであるとして、それ以上のことは述べられていません。
法義的に深い意義
があるとはおそらくお考えではなかったと思います。

 翻って、唱題は、合掌して本門の本尊を信じて題目を唱えればよいわけです。
あく
まで基本は「合掌」です。
題目を珠数で数える場合の作法が、法義的にどれほど重要
なのでしょうか?

 その上に立って日因上人の仰せの意義を考えれば、少量たりとも謗法の香りがする
ものを排除したいとする信念からの御指南であると考えられます。

さらに、珠数の化
儀についてそれによって、血脈相承が破られたなどとは一言も仰せられていません。

 日因上人は血脈相承が正しく受け継がれていることを前提として、その上ですこし
でも大聖人以来の正しい化儀をも用いていきたいとする日因上人の厳しい姿勢を顕さ
れた御文であると拝するべきです。

学会へは、
 日因上人は、日寛上人の本尊抄の講義など、あらゆる面での薫陶を受け、尊敬をい
たされております。
日寛上人が母珠を超えない化儀を示されているが、その日寛上人
が不相伝の御法主であると考えていたというのか?

 と詰問してやればどうでしょうか?

日因上人は日寛上人を血脈不法の大御法主であると拝していたことは火を見るよりも
明らかなのですから・・・・