● 創価学会・顕正会には「御授戒」がない。→ 絶対に成仏はしない。


【御講聞書】

●日本国の一切衆生の為に付嘱し給ふ法雨は題目の五字なり。所謂日蓮建立の御本尊、南無妙法蓮華経是なり。(中略)
法雨をふらすとは、今身(こんじん)より仏身に至るまで持(たも)つや否(いな)やと云ふ受持の言語なり(1841)

● 今南無妙法蓮華経有れ共、今身より仏身に至るまでの受持を受けずんば、成仏は有るべからざるなり。(1843)

● 何となくとも貴辺に去ぬる二月の比より大事の法門を教へ奉りぬ。結句は卯月(うづき)八日夜半寅(とら)の時に妙法の本円戒を以て受職(じゅしょく)灌頂(かんじょう)せしめ奉る者なり此の受職を得るの人争(いか)でか現在なりとも妙覚の仏を成ぜざらん。(最蓮房御返事 文永九年四月一三日  五一歳 585〜)

● 作法の受職灌頂の比丘をば、信行の比丘と俗衆と共に礼拝を致し供養し恭敬(くぎょう)せん事、仏を敬ふが如くすべし。
「若し法師に親近(しんごん)せば速(すみ)やかに菩薩の道を得ん。是の師に随順して学せば恒沙(ごうじゃ)の仏を見たてまつることを得ん」が故なり。
自門尚是くの如し。何(いか)に況(いわ)んや他門をや。(得受職人功徳法門抄 文永九年四月一五日 五一歳 590)

● 一、五人一同に云はく、聖人の法門は天台宗なり、仍って比叡山に於て出家授戒(じゅかい)し畢んぬと。
  日興が云はく、彼の比叡山の戒は是(これ)迹門なり、像法(ぞうぼう)所持の戒なり。
日蓮聖人の受戒は法華本門の戒なり、今末法所持の正戒なり。
之に依って日興と五人と義絶し畢んぬ。


第五十九世 日亨上人
● 「この戒壇に事・義の二あり。国立戒壇は事なり、是れ未来一天広布の時の勅命によるべきがゆえに。
その時に至るまでは、本寺の本門戒壇本尊安置の宝蔵を以て暫くこれに充て、授戒・説戒等の儀を執行す、すなわち義として戒壇に当たる。
(日亨上人日蓮各教団の概観)

●『法華取要抄文段』日寛上人
広宣流布の時至れば、一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。
その処は皆これ義理の戒壇なり。
然りと雖も仍これ枝流にして、これ根源に非ず。
正に本門戒壇の本尊所住の処、即ちこれ根源なり。
妙楽云く「像末の四依、仏法を弘宣す。化を受け、教を禀け、須く根源を討ぬべし。若し根源に迷う則は増上して真証に濫る」等云云。
今、日本国中の諸宗・諸門徒、何ぞ根源を討ねざるや。浅間し、浅間し云云。
宗祖云く「根深ければ枝繁く、源遠ければ流れ長し」543

↑ 各末寺が「義の戒壇」であり、そこで御授戒を受けることは、その義、「戒壇」の大御本尊の御前での御授戒に通じる。

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参照

 第一に不殺生戒とは、爾前の諸経の心は仏は不殺生戒を持(たも)つと説けり。然りと雖も法華経の心は爾前の仏は殺生第一なり。所以(ゆえん)は何(いかん)。爾前の仏は一往世間の不殺生戒を持つに似たりと雖も、未だ出世の不殺生戒を持たず。二乗・闡提(せんだい)・無性有情等の九界の衆生を殺して成仏せしめず。能化の仏未だ殺生罪を免(まぬか)れず、何(いか)に況(いわ)んや所化の弟子をや。然(しか)るを今の経に悉く成仏せしむ云云。今身より仏身に至るまで、爾前の殺生罪を捨て、法華寿量品の久遠の不殺生戒を持つや不(いな)や、持つと三返。

第二に不偸盗戒(ふちゅうとうかい)とは、爾前の諸経の心は仏は不偸盗戒を持つと説けり。然りと雖も法華の心は爾前の仏は偸盗第一なり。所以は何(いかん)。爾前の仏は一往世間の不偸盗戒を持つに似たりと雖も、未だ出世の不偸盗戒を持たず。二乗・闡提等の九界の衆生の仏性の玉を盗んで成仏せしめず。能化の仏未だ偸盗罪を免れず、何に況んや所化の弟子をや。然るを今の経に悉く成仏せしむ云云。今身より仏身に至るまで、爾前の偸盗罪を捨て、法華寿量品の久遠の不偸盗戒を持つや不(いな)や、持つと三返。

第三に不邪淫(じゃいん)戒とは、爾前の諸経の心は仏は不邪淫戒を持つと説けり。然りと雖も法華の心は爾前の仏は邪淫第一なり。所以(ゆえん)は何(いかん)。爾前の仏は一往世間の不邪淫戒を持つに似たりと雖も、未だ出世の不邪淫戒を持たず。二乗・闡提(せんだい)等の九界の衆生の仏性の智水を犯して成仏せしめず。能化の仏未だ邪淫罪を免れず、何に況んや所化の弟子をや。然るを今の経に悉く成仏せしむ云云。今身より仏身に至るまで、爾前の邪淫罪を捨て、法華寿量品の久遠の不邪淫戒を持つや不(いな)や、持つと三返。

第四に不妄語戒とは、爾前の諸経の心は仏は不妄語戒を持つと説けり。然りと雖も法華の心は爾前の仏は妄語第一なり。所以は何。爾前の仏は一往世間の不妄語戒を持つに似たりと雖も未だ出世の不妄語戒を持たず。二乗・闡提等の九界の衆生の色心を破りて成仏せしめず。能化の仏未だ妄語罪を免れず、何に況んや所化の弟子をや。然るを今の経に悉く成仏せしむ云云。今身より仏身に至るまで、爾前の妄語罪を捨て、法華寿量品の久遠の不妄語戒を持つや不(いな)や、持つと三返。

第五に不(酉+古)酒(ふこしゅ)戒とは、爾前の諸経の意は仏は不K酒戒を持つと説けり。然りと雖も法華経の心は爾前の仏はK酒第一なり。所以は何。爾前の仏は一往世間の不K酒戒を持つに似たりと雖も、未だ出世の不K酒戒を持たず。二乗・闡提等の九界の衆生をして無明(むみょう)の酒を飲ましめて成仏せしめず。能化の仏未だK酒罪を免れず、何に況んや所化の弟子をや。然るを今の経に悉く成仏せしむ云云。今身より仏身に至るまで、爾前のK酒罪を捨て、法華寿量品の久遠の不K酒戒を持つや不や、持つと三返。

第六に不説四衆過罪戒とは、爾前の諸経の心は仏は不説過罪戒を持つと説けり。然りと雖も法華経の心は爾前の仏は説過罪第一なり。所以は何。爾前の仏は一往世間の不説過罪戒を持つに似たりと雖も、未だ出世の不説過罪戒を持たず。二乗・闡提等の九界の衆生の過罪を説きて成仏せしめず。能化の仏未だ説過罪を免れず、何に況んや所化の弟子をや。然るを今の経に悉く成仏せしむ云云。今身より仏身に至るまで、爾前の説過罪を捨て、法華寿量品の久遠の不説過罪戒を持つや不(いな)や、持つと三返。

第七に不自讃毀他(ふじさんきた)戒とは、爾前の諸経の心は仏は不自讃毀他戒を持つと説けり。然りと雖も法華の意は、爾前の仏は自讃毀他第一なり。所以は何。爾前の仏は一往世間の不自讃毀他戒を持つに似たりと雖も、未だ出世の不自讃毀他戒を持たず。二乗・闡提等の九界の衆生を毀(そし)りて成仏せしめず。能化の仏未だ自讃毀他罪を免れず、何に況んや所化の弟子をや。然るを今の経に悉く成仏せしむ云云。今身より仏身に至るまで、爾前の自讃毀他罪を捨て、法華寿量品の久遠の不自讃毀他戒を持つや不(いな)や、持つと三返。

第八に不慳貪(ふけんどん)戒とは、爾前の諸経の心は仏は不慳貪戒を持つと説けり。然りと雖も法華の心は爾前の仏は慳貪第一なり。所以は何。爾前の仏は一往世間の不慳貪(けんどん)戒を持つに似たりと雖も、未だ出世の不慳貪戒を持たず。二乗・闡提等の九界の衆生の仏性の玉を慳(おし)みて成仏せしめず。能化の仏未だ慳貪罪を免れず、何に況んや所化の弟子をや。然るを今の経に悉く成仏せしむ云云。今身より仏身に至るまで、爾前の慳貪罪を捨て、法華寿量品の久遠の不慳貪戒を持つや不や、持つと三返。

第九に不瞋恚(ふしんに)戒とは、爾前の諸経の心は仏は不瞋恚戒を持つと説けり。然りと雖も法華の意は、爾前の仏は瞋恚第一なり。所以は何。爾前の仏は一往世間の不瞋恚戒を持つに似たりと雖も、未だ出世の不瞋恚戒を持たず。二乗・闡提等の九界の衆生を瞋(いか)りて成仏せしめず。能化の仏未だ瞋恚罪を免れず、何に況んや所化の弟子をや。然るを今の経に悉く成仏せしむ云云。今身より仏身に至るまで、爾前の瞋恚罪を捨て、法華寿量品の久遠の不瞋恚戒を持つや不や、持つと三返。

第十に不謗三宝戒とは、爾前の諸経の心は仏は不謗三宝戒を持つと説けり。然りと雖も法華の意は、爾前の仏は謗三宝第一なり。所以は何。爾前の仏は一往世間の不謗三宝戒を持つに似たりと雖も、未だ出世の不謗三宝戒を持たず。二乗・闡提等の九界の衆生の三宝を謗(そし)りて成仏せしめず。能化の仏未だ謗三宝罪を免れず、何に況んや所化の弟子をや。然るを今の経に悉く成仏せしむ云云。今身より仏身に至るまで、爾前の謗三宝罪を捨て、法華寿量品の久遠の不謗三宝戒を持つや不や、持つと三返。
(本門戒体抄 弘安二年 五八歳 1440)