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大白法・平成13年8月1日刊(第578号より転載)御書解説(98)―背景と大意

寂日房御書(御書 1393頁)

(別名『自解仏乗』等)

一、御述作の由来

 本抄は、弘安二(一二七九)年九月十六日、大聖人様が御年五十八歳の時に、身延において認したためられた御消息です。御真蹟は現存しません。

 従前は『与寂日房書』とも称せられましたが、最後の、  「此の事寂日房くわしくかたり給へ」 との御文は、「寂日房」を使者として、この手紙をどなたかに送られたことを意味し、  「よめ嫁のしうと姑めになる事」 との御文は、ご婦人に宛てたものと考えられます。

また、  「日蓮をうみ出だせし父母」 と、ご両親に触れられています。
大聖人様の諸御書において、ご両親のことに触れられているのは、直接的な関係や因縁のある房州(安房あわ国)に住むお方へのものがほとんどであることから、房州に住む、強信のご婦人に与えられた御消息と推察できます。

 また本抄は、本門戒壇の大御本尊様御図顕の約一カ月前、熱原法難の五日前の御消息で、まさに大聖人様御化導の完成期に遣つかわされた御抄です。

 本抄を遣わされた「寂日房」の諱いみな(1.人の死後尊敬しておくる称号。2.死んだ人の生前の名前。)には「日華にっけ」と「日家」の二つが伝えられています。

 「寂日房日華」は、日興上人が定めた六人の上足僧では、日目上人に続いて第二に位置し、総本山塔中寂日坊、本山妙蓮寺、鰍沢かじかざわ(山梨県)に三カ寺を建立するなど、たいへん勲功の篤あつい方で、大聖人様から、  「沙門日華に之を授与す」(富士宗学要集 第八巻 二二三頁) と認められた御本尊を下付せられています。

この御本尊に日興上人が、  「甲斐の国蓮華寺住僧寂日房は日興第一の弟子」(同) と脇書きされているので、日華上人が寂日房と称したことは明らかです。

 次に「日家」については、同じく「寂日房」と称し、江戸中期の文献『本化ほんげ別頭べつず仏祖統記』には上総かずさ国(千葉県)夷隅いすみ郡興津おきつの領主・佐 久間兵庫亮重吉の第三子と記されています。
また、長兄の佐久間重貞の子である後の美作みまさか房日保と、文永二(一二六五)年十月、共に七歳で出家。叔甥の関係にある両者相議の上、大聖人様誕生の地である小湊に誕生寺を、佐久間邸跡を妙覚寺と号して建立したとされてます。

 しかし、弘安七(一二八四)年十月十八日の『美作房御返事』には、  「此の秋より随分寂日坊と申し談じ候て、御辺へ参らすべく候いつるに其れも叶わず候」(聖典 五五五頁) とあることから、このとき寂日房が、身延の日興上人のもとにおられたことが判ります。
そして、先の御本尊の脇書きから、この寂日房が日華上人であることは確かです。

 故に同時に、房州に寂日房と名乗る日家が存したとなれば、叔甥の関係にある美作房日保に対して、日興上人が双方に通ずる「寂日房」の呼称を用いられるのは極めて不自然です。
他に検証すべき点もありますが、この一事をもってしても「日華」と「日家」は、本来「日華」一人であったと考えられます。

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二、本抄の大意

 はじめに人身の受け難きこと、仏法への値い難きことを示されます。
さらに法華経の御題目に値い、さらにまた、その御題目の行者となることの難しさを示すことによって、法華経の行者の尊い所以ゆえんを教示されます。

 次に、御本仏としての御内証を示されます。
三類の強敵ごうてきを説かれた『勧かん持じ品ほん』の二十行の偈に示される大難を身読されたのは大聖人様御一人であること。
また同品の八十万億那由他の菩薩と異なり、法華経弘通に努めたのも大聖人様御一人であることをもって、このような日蓮を生んだ父母は大果報の人であると明かされます。

 さらに名の意義に触れ、この日蓮こそ自ら仏の境界を悟った故の名乗りであるとし、『神力品じんりきほん』を引かれ、元を尋ねれば久遠の仏、凡夫身としての生は上行菩薩の再誕として末法の初めに出現し、一切衆生救済のため南無妙法蓮華経を流布すると説かれるのです。

 最後に、尊い日蓮の弟子檀那になることの宿縁深厚を示され、同じく南無妙法蓮華経を流布すべく折伏に努め、信心を怠ることなく唱題に励むよう勧められて締め括られます。

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三、拝読のポイント

日蓮の名乗りは自解じげ仏乗ぶつじょう

 『勧持品』の二十行の偈は、八十万億那由他の菩薩が末法弘通の誓願として説かれたものですが、そこには三類の強敵が現れて、法華経の行者を迫害すると示されています。
これらの菩薩の誓願は『涌出品ゆじゅっぽん』の冒頭、他 方二万億の菩薩の誓願と共に制止され、次いで大地より涌出した六万恒河沙の地涌の菩薩に、法華経の真髄たる妙法五字が結要付嘱せられたのです。

 こうした法華経の予証が虚妄こもうでないこと は、末法に出現された大聖人様御一人が、竜の口の法難、佐渡配流等の多くの大難・小難を身読あそばされたことにより証明されたのです。
大聖人は、この法華経の身読をもって、御自身が悪世末法における真の法華経の行者であることを宣言されたのです。

 この宣言こそ地涌千界の上首・上行菩薩の再誕としての宣言であり、法華経こそ真実の教えであること、その功徳の絶大なことを証明するものです。

 しかし、これは一往の義で、再往の深義より拝すれば、久遠元初自受用報身如来・本因妙の教主・御本仏日蓮大聖人の御修行と御化導を示すものです。
すなわち日蓮の御名について示される上で、『神力品』の、  「日月にちがつの光明の 能よく諸もろもろの幽冥ゆうみょうを除くが如く 斯この人世間に行じて 能く衆生の闇を滅し」(法華経 五一六頁) との「日月」とは、御本仏日蓮大聖人の御事であり、「斯の人」とは示同凡夫じどうぼんぷの御姿による末法御出現を意味します。

 そうして、久遠より御所持の南無妙法蓮華経の五字を流布し、その光明により一切の幽冥を除き闇を照らす御化導を実践せられたのです。
すなわち不思議と仰せられた「日蓮」との御名乗りこそ、自ら仏の境界を悟られた自解仏乗の御境界を示すものであり、末法下種の三大秘法こそ、その御当体に在ましますことを 顕しているのです。

地涌の菩薩の功徳を拝受

 我ら弟子檀那が、大聖人様の忍難弘教の御修行と御化導による凡夫即極の実証を拝するとき、本抄の、  「かゝる者の弟子檀那とならん人々は宿縁ふか深しと思ひて、日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」 との教示のごとく、大聖人様との過去世からの因縁を自覚し、同様に真剣に折伏を実践して、広宣流布への前進を図ることが大切です。

 「地涌の菩薩」の意義とは、本門戒壇の大御本尊様の「南無妙法蓮華経 日蓮」との相貌そうみょうに明らかなごとく、久遠元初人法一箇の御本尊に具そなわり給う菩薩界であり、大御本尊を信じて唱題と折伏に精進する広布への実践活動に挺身ていしんする者の生命に涌現する功徳です。

 この「地涌の菩薩」は、六万恒河沙と言われるほど多く存しますが、上行じょうぎょう・無辺行むへんぎょう・浄行じょうぎょう・安立行あんりゅうぎょうの四大菩薩に功徳が括られ、末法にはその最上首として、すべての徳を具えられた上行菩薩ただ御一人のみが御出現あそばされ、我らをお導きくださるのです。
そして、お導きいただいた我らが末法の地涌の流類・地涌の菩薩として、とりわけ平成の今時において三十万総登山を成し遂げるのです。

 その功徳の御指南を拝し、地・水・火・風・空の五大に当てて示すならば、上行菩薩は火大、無辺行菩薩は風大、浄行菩薩は水大、安立行菩薩は地大、四大菩薩の住所が空大となります。

火大たる上行菩薩は、上る義にして留まったり退することなく、常に向上心を持ち、勇気をもって前へ進む意義が拝されます。
風大たる無辺行菩薩は、風は一切にわたるが故に、何ものにもさえぎられることなく、何処にでも行きわたるところの自由自在の中道常住を表するのです。
水大たる浄行菩薩は、水は一切を清浄にする用きがあるように、すべての煩悩・汚れを浄化し、万物を清浄になさしめる徳です。地大たる安立行菩薩は、大地が深く根を張らしめ倒れることなく、すべてを支えるように、万物の出生と安穏な境界を得さしめる徳です。

 そして、これらの四大菩薩・地涌の菩薩の御徳行は、ことごとく我らが眼前の御本尊中に在すのです。
したがって、御本尊に向かい奉り、不自惜身命の信心をもって唱題に励み、折伏を行ずるところに、我が生命に地涌の徳が涌現するのであり、そこに末法本未有善の荒凡夫たる一切衆生成仏の大功徳も存するのです。

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四、結 び

 本抄の末に『薬王品』の、  「裸者らしゃの衣を得たるが如し」 の御文を引かれ、今生の恥と後生の恥を相対され、後生の恥ほど恐れるものはないと示されます。

もちろん今生の業因が後生の恥をなすことは当然で、この恥を隠すのは御信心によるとされています。
 なれば、この恥とは一体何でしょうか。
御法主日顕上人猊下の、  「ただ、大聖人様の御命令に対して、我々がその根本のところにおいて悖もとることがあれば、これは全く恥ずべきである」(大日蓮 五六九号) との御指南は、大聖人様の御命に背反するをもって恥とするとの仰せです。

 大聖人様より宗旨建立七百五十年の大慶事のために賜った御命ぎょめいの第一は、法華講三十万総登山を名実共に成就させることです。
されば地涌の菩薩の意義と功徳を顕彰する南無妙法蓮華経の行人として、一層の唱題に励み、大慈悲に住して折伏を実行いたしましょう。

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1393
    寂日房御書    弘安二年九月一六日  五八歳
 是まで御をとづれ(音信)かたじけなく候。
 夫(それ)人身をう(受)くる事はまれなり。已(すで)にまれなる人身をうけたり。又あ(値)ひがた(難)きは仏法、是又あへり。同じ仏法の中にも法華経の題目にあひたてまつる。結句題目の行者となれり。まことにまことに過去十万億の諸仏供養の者なり。
 日蓮は日本第一の法華経の行者なり。すでに勧持品の二十行の偈の文は日本国の中には日蓮一人よめり。八十万億那由他の菩薩は口には宣(の)べたれども修行したる人一人もなし。不思議の日蓮をうみ出だせし父母は日本国の一切衆生の中には大果報の人なり。父母となり其の子となるも必ず宿習なり。若し日蓮が法華経・釈迦如来の御使ひならば父母あに其の故なからんや。例せば妙荘厳王・浄徳夫人・浄蔵・浄眼の如し。釈迦・多宝の二仏、日蓮が父母と変じ給ふか。然らずんば八十万億の菩薩の生まれかわり給ふか。又上行菩薩等の四菩薩の中の垂迹か。不思議に覚え候。
 一切の物にわたりて名の大切なるなり。さてこそ天台大師、五重玄義の初めに名玄義と釈し給へり。日蓮となのる事自解仏乗(じげぶつじょう)とも云ひつべし。かやうに申せば利口げに聞こえたれども、道理のさすところさもやあらん。経に云はく「日月の光明の能く諸の幽冥(ゆうみょう)を除くが如く、斯(こ)の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す」と此の文の心よくよく案じさせ給へ。「斯人行世間(しにんぎょうせけん)」の五つの文字は、上行菩薩末法の始めの五百年に出現して、南無妙法蓮華経の五字の光明をさ(指)しい(出)だして、無明煩悩の闇をてらすべしと云ふ事なり。日蓮等此の上行菩薩の御使ひとして、日本国の一切衆生に法華経をう(受)けたも(持)てと勧めしは是なり。此の山にしてもをこた(怠)らず候なり。今の経文の次下(つぎしも)に説いて云はく「我が滅度の後に於て応(まさ)に此の経を受持すべし。是の人仏道に於て決定(けつじょう)して疑ひ有ること無けん」云云。
 かゝる者の弟子檀那とならん人々は宿縁ふか(深)しと思ひて、日蓮と同じく法華経を弘むべきなり。法華経の行者といはれぬる事不祥(ふしょう)なり。まぬか(免)れがた(難)き身なり。彼のはんくわい(樊・)・ちゃうりゃう(張良)・まさかど(将門)・すみとも(純友)といはれたる者は、名をを(惜)しむ故に、はぢ(恥)を思ふ故に、ついに臆(おく)したることはなし。同じはぢ(恥)なれども今生のはぢ(恥)はものゝかずならず。たゞ後生のはぢ(恥)こそ大切なれ。獄卒だつえば(奪衣婆)・懸衣翁(けんねおう)が三途(さんず)の河のはた(端)にて、いしゃう(衣裳)をは(剥)がん時を思(おぼ)し食(め)して法華経の道場へまいり給ふべし。法華経は後生のはぢをかくす衣なり。経に云はく「裸者(らしゃ)の衣を得たるが如し」云云。此の御本尊こそ冥途(めいど)のいしゃう(衣裳)なれ。よくよく信じ給ふべし。をとこのはだへ(肌)をかくさゞる女あるべしや。子のさむさをあわ(哀)れまざるをや(親)あるべしや。釈迦仏・法華経はめ(妻)とをや(親)との如くましまし候ぞ。日蓮をたすけ給ふ事、今生の恥をかくし給ふ人なり。後生は又日蓮御身(おんみ)のはぢをかくし申すべし。昨日は人の上、今日は我が身の上なり。花さけばこのみ(菓)なり、よめ(嫁)のしうとめ(姑)になる事候ぞ。信心をこた(怠)らずして南無妙法蓮華経と唱へ給ふべし。度々の御音信(おとずれ)申しつくしがたく候ぞ。此の事寂日房くわしくかたり給へ。
  九月十六日                     日蓮花押