●あ〜あ、「盲信」というのはまさにこれだね。↓
以下の盲信の数々は、一般的学会員の多くが抱いている幻惑であるので、一つ一つ摧破していきましょう。
痴犬は実にいい破折訓練の”教材”を提供してくれるものである。
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痴犬→まさに今池田先生をリーダーとして、創価学会が昭和35年から丁度10年毎に、順番に俗衆増上慢(妙信講、言論問題)、道門増上慢(正信会問題)を呼び起こし、そして昭和63年頃から心あるメンバーが叫んでいたとおり、次の10年目の創立60周年には、見事に僣聖増上慢(日顕宗)を出現させ、経文どおり「法華経の行者」になったんだよ!
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この「法華経の行者」である池田先生と、純粋に人生を賭けて広布に戦う学会員を、まさに仏のように敬うことが法華経の最上第一の相伝であり、このことが理解できない宗門はすでに相伝の資格を失っており、信心の血脈が断絶しているんだよ坊や。
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1、痴犬→「まさに今池田先生をリーダーとして」
●これについては、池田さんなど、別に戸田会長は「後継者」になど明確に選んでないことは既に「歴史の常識」である。
そんな与太話を信じているのは、長年池田創価学会の体制維持のために垂れ流された虚構を鵜呑みにしている、脳天気で、洞察力のない、自ら深く思考することもできない、組織に盲従する学会員だけである。
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慧妙記事から。↓
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池田大作が歪めた創価学会史
戸田会長の真意を曲げ自らを神格化
許せぬ!池田の悪らつな歴史改竄
「栄光の――」「誓願の――」「不滅の――」等々、様々な冠詞≠つけて語られてきた、創価学会でいうところの「広宣流布の模擬試験の日『3・16』」――。
この日はまた、第二代戸田会長が、池田大作に実質的に後を託(たく)した日、とされてきたが、その前提となっているのが、昭和三十三年三月一日、大講堂落慶大法要の当日に、大講堂のエレベーターの中で行なわれたとされる、いわゆるエレベーター相承≠フ話。
しかし、このエレベーター相承=A調べれば調べるほど、池田が自ら発信者となって演出したガセネタ≠フ疑いが濃厚になってきた。
戸田会長の真意を曲げ、創価学会の支配者として君臨(くんりん)し続けようとする池田大作を叱(しか)る。
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「戸田会長が『第三代を守り抜け』と」!?
戸田会長の意図はそれと正反対
「師弟に生き抜け!不滅の『3・16』」――。
創価学会の機関誌『大白蓮華』三月号は、池田大作が、第二代会長・戸田城聖氏から創価学会の全てを引き継いだ、とされる昭和三十三年三月十六日、いわゆる「3・16」についての、延々二十八ページにもわたる特集記事(※まだ次号にも続くらしい!)を掲載、池田大作のさらなる神格化を目論(もくろ)んでいる。
『大白蓮華』はまず、去る一月二十七日に行なわれた創価学会の「全国代表協議会」で、池田大作が次のような指導≠行なったとする。
▼「戸田先生は次のようにおっしゃっていた。
『第3代会長がいる限り、創価学会は興隆し、発展する。幹部は、だれ人たりとも、第3代を守り抜け! これが、私のただ一つの遺言である』
将来のために、あえて伝え残しておきたい。」
そして、記事
▼「この『ただ一つの遺言』を託す式典こそ、戸田第2代会長が亡くなる前月の、昭和33年3月に行われた『3・16(広宣流布記念の日)』の儀式であった」
と断ずるのである。
だが、はたして戸田城聖氏は本当に、「幹部は、だれ人たりとも、第3代を守り抜け!」と語ったのか――。
池田大作が、その発言の根拠(というより原型、元ネタ)としたのは、戸田会長の次の指導であろう。
▲「(いまの牧口門下がわたくしを支えるように)三代会長を戸田門下が支えていきなさい。わたくしは広宣流布のために、身を捨てます。その屍(しかばね)が、品川の沖に、また、どこにさらされようとも、三代会長を支えていくならば、絶対に広宣流布はできます。」(昭和二十七年二月十七日「青年部研究発表会」)
一読して判(わか)るように、これは、先輩・同志が若い三代会長を介助していけ、という意味で「三代会長を支えろ」と指導したものである。
しかしてその後、戸田会長は、
▲「会長は会員の小使であり、支部長は支部員の小使である。(中略)会長は諸君に使われるものでしかない。」(昭和二十九年三月三十日「三月度本部幹部会」)
▲「(組織論として長を守れ≠ニいうのは当たり前だろうが)私がきみたちに守ってもらっているか。支部長に守ってもらっているか。けっして守られていない。それより、支部長をかばってやっている。(中略)
いま、支部長で、(後輩の)地区部長に守られているようなものは出ていきなさい。支部長は、地区部長を守ってやるのです。これを支部長に命令します。また、地区部長は(後輩の)班長に守られるようではいけない。(中略)班長は組長を、組長は組員を守りなさい。これが学会の精神です。
学会の幹部で、支部長、地区部長、班長、組長に守られているような、だらしのない者は一人もいないと思う。もしいたら、手紙を出してください。このように学会の伝統的な精神はきまっている。だから、あまり、守る、守るといわないように。おへそが茶を沸(わ)かすから」(昭和二十九年五月三十一日「五月度本部幹部会」)
と、厳しく指導しているのである。
その戸田会長が、「だれ人たりとも第3代を守り抜け!」という遺訓(いくん)を残した、などと平然と語ること自体、「恩師」の真意を冒涜(ぼうとく)する無慙(むざん)な行為である。
「恩師」戸田会長の真意を曲げ、私を守れ∞私を守れ≠ニひっきりなしに口にする「だらしのない者」の代表・池田大作は、戸田会長の指導のとおり(※を実践するの)なら、自ら進んで学会から出ていくべきなのだ。
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「『3・16』は広布後継の儀式」!?
35年当時は最高幹部も揃って無視
さて、この『大白蓮華』は、かの有名なエレベーター相承≠ノついて、次のように書いている。
▼「戸田第2代会長、青年部の室長であった池田名誉会長らが、エレベーターで6階に上がるその途次のことであった。
戸田第2代会長は池田名誉会長に後事を託す遺言を残した。
『三月一日、先生は、私に言われた。《大作、あとはお前だ。頼むぞ!》』(『随筆 新・人間革命』)
また、その時の模様を池田名誉会長はこうも語っている。
『戸田先生のお体は、非常に衰弱したご様子で、私が片腕を抱えながら、その日の式典の会場へ向かった。その大講堂の式場に向かうエレベーターの中で、先生は《これで自分の仕事は全部終わった。いつ死んでもよいと思っている。あとは大作、頼むぞ》と、ほほえみながらも厳格な口調でおっしゃったことが、胸に突きささってはなれない。この時、戸田先生五十八歳、私は三十歳となっていた。』
◆証言(山浦千鶴子さん)
3月1日、落成法要を終えて、戸田先生は祝賀会に向かうためにエレベーターに乗られ、柏原ヤスさんと森田一哉さんと私が同乗しました。戸田先生は隣の池田先生の顔を見つめながら言われました。
『これで俺の仕事は終わった。これからは、大作、お前が全部やるんだ』
と。
あまりにも峻厳(しゅんげん)な師弟後継の歴史的場面でした。『そうなのだ。広布後継はきまったのだ』。その感動は忘れられません。」
山浦千鶴子氏の主観≠ヘひとまず置き、この証言≠ェ事実だとすれば、いわゆるエレベーター相承≠フ現場には、柏原ヤス・森田一哉の両名が同座していたことになる。
ところが、この両名が、『大白蓮華』昭和三十五年六月号の「特集・第三代会長就任」と題する記事に寄せた文。
その内容は、それぞれの言葉で戸田会長が意図したとおりに青年部の中から三代会長が生まれた≠ニいうことを喜び、池田へおべんちゃらを贈ったものだが、両名とも、「大作、お前が全部やるんだ」との重大発言のことどころか、「大講堂落成法要」にも、「3・16」にも触れていない。
当然のことながら、「エレベーター」の「エ」の字もない。
そればかりか、この特集記事には、総勢十名の創価学会最高幹部が名を連ね、それぞれ自分の知る、戸田会長と池田大作のエピソードを披瀝(ひれき)し、池田大作こそが戸田会長の後継者に相応(ふさわ)しい、と持ち上げているが、そうしたエピソードにおいても、「大講堂落成法要」「3・16」に関するものは皆無である。
このことからも、「3・16」は広布後継の儀式だった≠ニいうのが、後から強引にコジツケたものであることが窺(うかが)われる。
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池田のいうエレベーター相承≠ヘデタラメ
戸田会長は「第三代は皆で決めろ」と
また、エレベーター相承≠ネる話が、いかにデタラメなものであるかは、次の事実からも言えよう。
すなわち、池田大作はこの翌年、『大白蓮華』昭和三十六年五月号の「巻頭言」に
▼ 「昭和三十三年三月一日、大講堂落成式の日、五階から、一階に降りるエレベーターの中で、先生は申された。
『わしの、いっさいの仕事は、これで終わったよ。あとは、おれと、お前だ。お前が、あとはしっかりするんだぞ』と」
と書いている。
また、証言者≠ナある森田一哉はさらに後年、
▼「『わしのいっさいの仕事はこれで終わったよ。あとはおれとお前だ、お前があとはしっかりするんだぞ』と、大講堂落成式の日、五階から一階に降りるエレベーターの中で、恩師より先生に申されたのである」(『大白蓮華』昭和四十年五月号)
と書いている。
つまり、少なくともこの時までは、「五階から一階に降りるエレベーターの中」で相承≠ェ行なわれたことになっていたのだ。
ところが、これが『人間革命』では、
▼「エレベーターが上昇しはじめると、戸田は、伸一の顔をのぞきこむように見すえた。そして、静かだが、力をこめて言った。
『さあ、これで、私の仕事は終わった。私はいつ死んでもいいと思っている。伸一、あとはお前だ。頼むぞ!』(中略)
それから戸田は、大きく頷(うなず)くと、にっこりと微笑を浮かべた。エレベーターは六階に着いた」
となっており、先に紹介したように最新の『大白蓮華』も
▼「エレベーターで6階に上がるその途次のことであった」
「(※六階で行なわれる)祝賀会に向かうためにエレベーターに乗られ」
と書いている。
はて、「五階から降りる」途中だったのか、それとも「六階に上がる」途中だったのか。
さすがエレベーター相承≠セけあって、降りたり上ったり、目まぐるしいことこの上ない。
この目まぐるしさでは、相承≠烽ヨったくれもなかろう。
ともあれ、大事の相承≠ノついての記述の基本部分が、このように大きく変遷(へんせん)していては、池田らの言葉を信ずることなど、できようはずがない。
ちなみに、戸田会長の真意について、戸田会長が、第三代会長候補として実際にその名を口にしたこともある石田次男氏(故人)は、その著書の中で、
▲「戸田先生は、この儀式の祝宴散会後の午後四時頃、その場、その席で、理事長以下、祝宴に参加した全員に対して『次の会長は皆で相談して決めろ、皆で仲良くやっていけ』とおっしゃったではないか。そしてその席に池田氏は参加していなかったし、それでも当日のうちには耳にした筈(はず)ではないか。池田氏の言いぶりでは、戸田先生は理事長以下、理事・支部長・常任委員・婦人部長・男女青年部長・の全員を騙(だま)した事になる」(『内外一致の妙法・この在るべからざるもの』)
と、また、龍年光氏は
▲「(3・16の後)、先生の体がいよいよ衰弱されたため、原島宏治、小泉隆、辻武寿、柏原ヤス、馬場勝種ら理事たちと、池田・北条・森田・龍の四参謀が、揃(そろ)って戸田先生の枕元に行き、遺言を聞こうということになった。音頭を取ったのは辻、原島、小泉らで、この際、はっきり池田を三代会長に指名してもらおうというハラづもりだったようだ。
辻は『大久保彦左衛門』と渾名(あだな)され、どんな場面でも物怖(ものお)じせずにズバッと物をいう男だった。この時も、病の先生の枕辺で、当然のような顔をして、『先生、三代会長は誰にするんですか』と単刀直入に尋ねた。ところが先生は、はっきりした声で、『それは、お前たちが決めるんだ』と答えられた」(『日蓮正宗の敵池田創価学会を解散させよ』)
と記し、歴史の証人として、池田の主張のデタラメさを暴(あば)いている。
前の池田らの信じ難い主張と較べ、やはり、こちらが真実のようだ。
あらゆる手法を使って歴史を改ざんしようとする池田大作――。
だが、真実の歴史は、変えようにも変えられるものではないのである。 |