痴犬へ鉄槌 86  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 612()195458 p2253-ipbf11yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

痴難>  日精の書いた「家中抄」などは、堀上人が100カ所以上その誤りを天註で指摘し、その中には「本師造読家の故に誇大せるが如し惑ふなかれ」(富要5−176)
> (通解:日精は造読家だから誇大に表現しているようである。惑わされてはならない。)
> のように、明らかに日精の主張を邪義として破折した箇所がたくさんある。
>  なんでこんな誤りだらけの法主の言葉が正依になるんでっか?。
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●今更、まだ『家中抄』の頭注ですか?いい加減、進歩したら?
ニセ本尊の害毒で、頭の中が固着しているんじゃないの?
かたや粘着するし、かたや固着するし・・・
本当に創価学会の大謗法の害毒は始末に負えないね。

この件は既に随所で破折され尽くされている。
その論文を編集して掲載する。
それで痴難は終わりである。

では『家中抄』の頭注について

日亨上人にはたいへん恐れ多いが、喜ぶべきことに、これは日亨上人の誤解である。
それを立証するに当たり、先に『家中抄』の日亨上人の頭注について、拝考しておきたい。
 『家中抄』には、日精上人に造読思想が残っていたとする批判の頭注が、『富士宗学要集』第5巻176頁・213頁・214頁・238頁等にある。
 この内、『家中抄』下巻の頭注には、
 ■「本師造仏ノ底意ヲ顕ス」(『富士宗学要集』第5巻238頁)
とある。これは「日印伝」の、
 ■「日尊立像等を除き久成釈尊を立つる故記録に背かざるなり」(同頁)
との記述についての頭注である。
 しかし、これは日精上人が、『家中抄』下巻(『富士宗学要集』第5巻239頁最後の行)に、
 ■「日尊日印日大の三師の伝は全く日辰上人の祖師伝を書写する者なり」
と、記されているように、『家中抄』の「日尊」「日印」「日大」の三師の伝は、日精上人の述作された文章ではなく、要法寺の広蔵院日辰の『祖師伝』をそのまま写したものであって、日辰の文章なのである。

日亨上人は、この部分が日辰の文章であることをつい失念されたために、批判の頭注を加えてしまわれたのである。
それならば日精上人は日辰の邪義もそのまま引用していることになるが、謗法与同ではないかと疑う意見があるかも知れないから、この点につき一言しておく。
 むしろ、ここに『家中抄』編纂(へんさん)の姿勢がよく出ていると拝せられる。
脚色を加えず原資料をそのまま紹介することは、史実を忠実に伝える方法である。
『家中抄』も史伝書なるが故に、御自分で創作するよりも先人の文を採用するほうが穏当であろうと判断されたまでのことである。
この姿勢は、『富士宗学要集』に日亨上人が日辰の『祖師伝』を掲載されているのと同意である。
もしこれを難ずるならば、それ以前に日辰の『祖師伝』を掲載する『富士宗学要集』を発行する、創価学会の罪を追及せねばならないであろう。
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別の論文

【三師の伝は全く日辰上人の祖師伝を書写】

日精上人は
●日尊日印日大の三師の伝は全く日辰上人の祖師伝を書写する者なり(第17世日精上人『家中抄上』/『富士宗学要集』第5巻180頁)
と仰せの如く「全く」「日辰上人の祖師伝を書写」されたのである。
日精上人の真意・正義が日尊師などの「三師の伝」にはないことが明らかである。
そして、この三師の伝の引用部分こそが、日亨上人をして、日精上人を造仏家であると疑わしめた部分なのである。

→なぜ、日尊師などの三師の伝に限って、わざわざ「祖師伝を書写する者なり」と表明されたのか?
それこそ、日尊師などを信望する要法寺系僧俗への配慮ではないか。
『随宜論』の方便といい、『家中抄』での日辰の義の機械的引用といい、日精上人が、正当な法門や化儀を理解できない要法寺系僧俗を四悉檀を駆使して善導されていることが分かる。

ここで、現存する「祖師伝」と『家中抄下』の「三師の伝」の内容が少々違っているからといって、「やはり「三師の伝」は精師の意向を強く反映した著述だ。やはり造読論者だ。」とバカ騒ぎする痴論者がいるので一言。

日亨上人は以下の如く仰せである。
●編者曰く陽師転写本に依り更に要山祐師本(辰師本の直写)を以て一校を加へ又延べ書きと為す(第59世日亨上人『祖師伝』/『富士宗学要集』第5巻54頁)
●右祖師伝一巻日陽の本を以て茲に謄写す本書石州銀山本法寺に在り。 編者曰く筆者不明の転写本に(祖師伝に合本)依て此を写し小訂を加へ延書と為す。(第59世日亨上人『祖師伝』/『富士宗学要集』第5巻62頁)
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→要するに『祖師伝』は写本が複数存在したのである。
『富士宗学要集』の『祖師伝』も写本の写である。
写本である以上、誤写や加筆訂正の可能性がある。
日精上人が■「日尊日印日大の三師の伝は全く日辰上人の祖師伝を書写する者なり」と仰せになっているのに、現存する『祖師伝』の写本と内容が一部異なるのは、『祖師伝』の写本が複数あって、その内容がもともと異なっていたということであろう。

また日亨上人はこうも仰せである。
●編者曰く再治の正本を見ず稿本亦少紙なるが故に孝弁日修本、智詳日詳本、慈来本等を校訂して此を用ゆ(第59世日亨上人『家中抄下』/『富士宗学要集』第5巻265頁)
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→このように『祖師伝』に写本が複数存在する上に、問題となっている日尊師等の「三師の伝」の引用部分は、日精上人の直筆が残っていない。
つまり、現存する『祖師伝』と『家中抄下』の「三師の伝」の内容が少々違っているからといって、日精上人が主観を交えて加筆訂正されたと見るべきではない。
そういう小事に拘って義を見失う愚見は、古文献の性格を知らぬ浅識者のたわ言である。
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詳細解説

【日亨上人の頭注】
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●師存生の間常に兜率(とそつ)の生を願ひ給へり、之に依て御自筆の法華経の巻毎に其の趣を書き給ふ(第17世日精上人『家中抄上』/『富士宗学要集』第5巻176頁)
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◆蓋経の末巻に此意なきにあらず。蓋(けだ)し本師造読家の故に誇大せるが如し。惑ふなかれ(頭注)
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→日亨上人御自身が「此意なきにあらず」と仰せのように、「兜率(とそつ)の生を願ひ」に相当する意味の記述が史料として存在したのであろう。
『家中抄』全体の編集姿勢からすれば、掲載しても不思議ではない。
また、「御自筆の法華経」が存在しても不思議ではないし問題はない。
むしろ日亨上人に「本師造読家」という先入観があったから、このような頭注を加えられたものと思われる。

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●当宗嫡々法門相承どもを日道に付嘱す、其の外高開両師よりの相伝の切紙等目録を以て日道に示す、其の目録に云く。
日興御さくの釈迦一そん一ふく(第17世日精上人『家中抄中』/『富士宗学要集』第5巻213頁)
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◆本師造像家なる故に此の疑文を依拠とするか(頭注)
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大聖人も日興上人も、強執の徒に対する方便として、釈尊(釈迦)像の造立を認められていた。
ここにいう「日興御さくの釈迦一そん一ふく」とは、当時の伝承や古文献にあったものをそのまま転載されたと拝せられる。
いずれにせよ、このような史料が現に存在したから『家中抄』に掲載されたまでであり、日精上人は否定も肯定もされていない。
『家中抄』の編集姿勢を知り、尚且つ「本師造像家」という先入観を取り除けば、当該記述のような頭注はなかったものと思われる。

日精上人は、以下の記述からしても、日興上人の本意が曼荼羅正意であることを御存知だったことは当然である。
●五人一同に云く本尊に於ては釈迦如来を崇(あが)め奉る可し既に立て随て弟子檀那等の中にも造立供養する御書之れ有り云云(中略)日興云く聖人御立の法門に於ては全く絵像木像の仏菩薩を以て本尊とせず、唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為す可し即自筆の本尊是なり(第17世日精上人『家中抄上』/『富士宗学要集』第5巻166頁)

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●日興上人の御自筆御経ありと云ふ事以後の証文になるべし。(第17世日精上人『家中抄中』/『富士宗学要集』第5巻214頁)
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◆本師読誦の例として故に之を引くか(頭注)
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→「御自筆御経」自体は何ら問題ではない。
問題は「以後の証文」であるが、これだけでは何の証明をしようとしたか不明である。
日精上人が毎日の基本の修行として方便品・寿量品読誦が当家の正意であることを知悉なされたいたことは明らかである。
(痴犬への鉄槌85 参照)。
ここもやはり日亨上人が日精上人に対して「造読思想の残滓があった」との先入観と誤解があられたので特に用心して注記せられたと拝する。

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●謹で日代返牒を案じて云はく大聖法立の次第故上人御直筆等棄て置かる事、無念の事なりとは、代公御遷化記録を指すか。彼の記録は故上人(日興)御真筆なればなり。日尊立像等を除き久成釈尊を立つる故記録に背かざるなり。又云はく仏像造立の事本門寺建立の時なりと。然るに日尊本門寺建立の時に先たち造立仏像は是れ一ヶ条の相違なり。罪過に属すべきや否やの論は観心本尊抄、四条金吾釈迦仏供養抄、日眼女釈迦仏供養抄、骨目抄、唱法華題目抄等を以て之を決すべきか。若し、日尊実録(日大筆)無くんば自門他門皆日尊已に立像釈迦并びに十大弟子を造立すと謂つべし。故に日尊の末弟等深心に当に実録を信ずべきものなり。(第17世日精上人『家中抄下』/『富士宗学要集』第5巻238頁〜)
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◆本師造仏の底意を顕す(頭注)
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→当該部分は「日印伝」であるが、日精上人は「全く日辰上人の祖師伝を書写」と断わられている。
すなわち、日精上人の主観は一切交えず機械的に日辰の『祖師伝』を書き写したに過ぎないのである。
当然、「謹で日代返牒を案じて云はく」の主語は日辰であって日精上人ではない(日辰著『祖師伝』/『富士宗学要集』第5巻51頁参照)。

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はいはい、痴犬、ご苦労さん。