粘着悪吐屁君、小休止のようであるから、本来の当方の”仕事”であるところの創価学会の邪難破折に戻りますか。
ちなみに納豆悪吐屁君がひいた糸にくっつてきたゴミが紛れ込んできたみたいだが、悪吐屁納豆の粘性と同じ成分内容であるから、取り合う必要もなかろう。
まっ、せいぜいその名”便ウジ”が示すとおり、ウジウジ言っていれば宜しい。(などというオヤジギャグは不可である。呵々)
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さて、前回、随宜論の総論を述べた。が、↓の痴犬の痴難には破折すべき内容が多々あるので、暫くこの戯言とおつきあいしましょうか。
痴犬→>
●釈迦像を建立し、生涯邪義を唱えた法主17世日精の邪義などが正依であるとはチャンチャラ可笑しい。阿保満開!
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既に述べたとおり、歴代の言葉が正依ならば、あちこちの末寺に釈迦像や四菩薩像を建立した造仏読誦の謗法法主・第17世日精の書き残した言葉である※1「随宜論」や※2「日蓮聖人年譜」に書かれた※3「釈迦像・四菩薩像は広布の時に勅許を受けて一気に建立するのだ」※3とか
●※3は随宜論にある。が、総論として↓で破折済み。細論は以下に随宜論への痴論があるのでその時に粉砕する。
http://toyoda.tv/chiken.tetsui84.htm
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痴論→※4「法華経一部読誦は正しい助行の実践だ」等という邪義も、日蓮正宗の正依だとでも言うんかい?
●※4 ←痴犬が斯く邪難する元の御指南は「日蓮聖人年譜」にある。
(しかし、痴犬は古い。古臭いカビの生えた痴難を未だに振り回している。まことに勉強不足である。)
「法華経一部読誦」についてであるが、日精上人の論旨は正行(南無妙法蓮華経の口唱)を明らかにされるところにこそあり、この正行に対すれば自余はすべて助行に当たる、とされているのであって、当家の日々の修行に於ける「助行」を直ちに述べられたものではないのである。
日精上人は同『日蓮聖人年譜』 (以下「年譜」と表す)で
◆「本迹一致と立る門人、一部修行本勝迹劣と立る門人、八品所顕と立つる門人は思慮有る可きなり。其の故は一致と云ふ人は開山・日昭・日朗・日向の義をたすけん為に、爾か云ふか。されども御書に違する故に師敵対となる、『一部修行の人は難行道に落ち、正行を遊ばさるゝ御書に背く、』八品の衆は観心下山等の御書に違する故に慎みあるべし。(同103ページ)」
と
日蓮門下各宗を破折あそばされる中で、はっきりと日々の修行としての「一部読誦」を破折されておられる。
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では次に「年譜」の日亨上人が頭注を付けられ注意を促されている箇所について見ていこう。
◆迹門正宗八品並に涌出寿量の意皆南無妙法蓮華経五字七字を以て五種に行ぜしむ是を正業正行と為すなり、一部受持読誦解説書写等を以て助業助行と為すなり、所詮七字口唱を以て正行と為し自余は皆助行なり、
との御指南には、日亨上人は■「本師の正助の対判稍濫るが如し注意すべし」との頭注が付せられているが、
■今日蓮等の弘通の南無妙法蓮華経は体なり心なり廿八品は用なり廿八品は助行なり(『御義口伝』)等と同義であり、正義である。
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次に「年譜」
◆助行にいたりては或は毎自作是念の文を唱へ或は自我偈或は寿量品或は略開三を誦し或は方便品の長行を誦し尚広して一部読誦をなす(日精上人『日蓮聖人年譜』/『富士宗学要集』第5巻130頁9行)
との御指南には■「此下助行又大に濫る用ゆべからず」とあるが、
A■日興が云はく、如法・一日の両経は法華の真文たりと雖も、正像転時の往古、平等摂受の修行なり。今末法の代を迎へて折伏の相を論ずれば一部読誦を専らとせず。但五字の題目を唱へ、三類の強敵を受くと雖も諸師の邪義を責むべき者か。此則ち勧持不軽の明文、上行弘通の現証なり。何ぞ必ずしも折伏の時摂受の行を修すべけんや。『但し四悉の廃立二門の取捨宜しく時機を守るべし、敢へて偏執すること勿れ』云云。(五人所破抄 嘉暦三年七月 1880)
また他ならぬ日亨上人が
■信仰的儀表にあらざる読誦解説書写は・直に正行の助行となるにあらずして・第二第三位に下りて助行の助行と意得うべき事なり。(第59世日亨上人『有師化儀抄註解』/『富士宗学要集』第1巻182頁)
と仰せの如く、
日々の読誦修行としての「助行」ではなく、行学研鑽・教化育成等の意に於いての法華経一部読誦は広の修行であり、「助行の助行」を含めたものであり、やはり正義である。
因みに『家中抄』の最後には、日精上人が頓写(とんしゃ=大勢が集まって法華経等を1日で書き写すこと)について述べられた箇所がある。
■一、頓写の事、如説修行の一なり最修行すべきなり、若自書、若教人書の明文あり、法華伝に書写部あり普賢品に但書写の報を説く、諸御書に書写の義を許諾せり、況や当家に於て書写の例有り、又身延山堂供養に書写あり是レ頓写の始なり。
が、この部分の日亨上人の頭注は、
■「此等化儀ノ用捨開山上人ノ意ヲ体シテ時機ニ随フベキナリ」(『富士宗学要集』第5巻265頁)となっており、Aの御指南をそのまま仰せになったものと拝される内容である。
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次に「年譜」の
◆高祖自ら五種の妙行を修行し又他に教へて五種の妙行を修行せしめたまへり、されば蓮祖我読誦を挙げて云く今日蓮法華経一部読んて候、一句一偈尚受記を蒙れり何に況や一部をやと弥々たのもし文是れ若自読なり、※1「真間供養抄に云く法華経一部を仏の御六根に読み入れ進らせて正身の教主釋尊に成し進らせ文、此れ伊予房をして一部読誦をなさしむ是若教人読なり、」※2「月水抄に女人の一部読誦を許諾して次下に判じて云く二十八品の中に殊に勝れて目出度きは方便品と寿量品とに侍り等@云云、是れ女人に教へて二品読誦の相なり、又云く余の品をば時々御いとまのひまにあそばすべく候と是れ女人に教へて一部読誦の姿なり、」※3「法蓮抄に云く、法華経読誦五部と蓮祖称歎の言を加へたまふ是れ又若教人読なり、若自読若教人読其の義此くの如し、」※4「又高祖法華経一部書写の事多般なり、日興又法花経一部書写したまふ当時霊宝随一なり、若自書若教人書其義斯くの如し。」
との頭注に■「助行を広くして遂に一部読誦に及ぶ正く開山上人の特戒に背く用ふべからず」とあるが、
ここも本文を詳細に閲すれば、正義なのである。
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※1■仏の御開眼の御事はいそぎいそぎ伊よ房をもてはたしまいらせさせ給い候へ、法華経一部御仏の御六根によみ入れまいらせて生身の教主釈尊になしまいらせてかへりて迎い入れまいらせさせ給へ(『真間釈迦仏御供養逐状』)
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「仏の御六根に読み入れ進らせて」とは御開眼のことである。であるから、ここに仰せの「一部読誦」とは開眼のための御表現であって、日々の修行の意ではない。
※2■常には此の方便品・寿量品の二品をあそばし候て余の品をば時時・御いとまの・ひまに・あそばすべく候(『月水御書』)
常に読誦するのは方便・寿量の両品であり、「一部読誦の姿」は「時々御いとまのひまにあそばす」というのが大聖人の御指南であり、日精上人も同義であられる。
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※3■今法蓮上人の送り給える諷誦の状に云く「慈父幽霊第十三年の忌辰に相当り一乗妙法蓮華経五部を転読し奉る」等云云(『法蓮抄』)
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ここも「第十三年の忌辰に相当り」とあるから「妙法蓮華経五部を転読」は常の所作ではない。
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※4 については第26世日寛上人『末法相応抄』に
■所謂宗祖自筆の一寸八分細字の御経一部一巻、又開山上人自筆の大字、細字の両部是れなり。此れ亦前の如く自他行業の御暇の時々或は二行三行五行七行之れを書写し、遂に以って巻軸を成ず。是れ滅後に留めんが為めなり。故に義化他に当たれり。曷んぞ必ずしも書写即読誦と云わんや。(『富士宗学要集』第3巻141頁)
とあるごとく、経典を「滅後に留めんが為め」の書写は「義化他」に当たるのであり正行としての書写には当たらない。
日興上人は既に、暇あれば天台教学を学ぶことを許されている。であれば法華経一部の学習も許されるのは当然である。
法華経の書写は教学的側面が多分にあったと拝される。また、印刷技術の発達していない時代における法華経の書写は、現在の教学書の出版にも相当するのである。
では、精読すれば正義であると解る日精上人の「年譜」に何故に日亨上人は上記の如くの「頭注」を付されたのか。
確かに日亨上人は「日精上人に造読思想が残っていたのでは」と、誤解しておられた。が故に、これは、短期間に膨大な資料を蒐集し『宗学要集』を編纂される過程での日亨上人の臨時の御失錯≠ニ拝するのである。
ただし、予め痴犬どもに釘を刺しておくが、学会では「日精上人が正であれば、日亨上人は邪。日亨上人が正であれば、日精上人は邪。一度に両上人が正となることはない」と、どちらに転んでも学会側を利するかのように述べたことがあるが、とんでもない思い違いである。
日亨上人の「御錯誤」とは宗史研究上のことであり、法義の誤りとは峻厳に区別されねばならず、当然のこととして「謗法」である訳など微塵もないのである。
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