痴犬→>
日寛上人の御指南は、61才の時にまとめられた破邪顕正の書である「六巻抄」に※1「すべて集約されている」のである。
●本当にバカ丸出しである。
※1 確かに六巻抄が日寛上人の教学の集大成であろう。が、だからといって、六巻抄のみしか用いてはならないなどとは日寛上人はどこにも仰せではないのである。
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痴犬→> >
そのことは、三重秘伝抄の冒頭に、■「予六十一歳春たまさか※1「之」を閲(けみ)するに疎略やや多し、故に粗(ほぼ)添削を加う、敢えて※2「未治の本」を留むることなかれ、然るに此の抄の中には多く大事を示す、此れは是れ偏に法をして久住せしめんが為なり、末弟等深く吾が意を察せよ」(六巻抄P.3)
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(通解:私が61才の春にたまたまこれ(過去の研鑽資料)を調べたが、誤りや不足部分がかなり多かった。だから概ね添削を加えたのである。あえて未完成の本を残してはならない。この本には多くの大事な法門を示してある。このことはただ令法久住のためである。後の弟子たちは深く私の心を察しなさい。)
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●と書かれているとおり、令法久住のために大聖人の仏法の体系化と、要法寺等の他門から流入してきた邪義を破折するために、文字どおり余命を削るようにして、後世のため、令法久住のために正しい法門を書き残され、あえて未完のものは残されないと宣言されている。
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この六巻抄に書かれていることに基づくならばいざ知らず、他門から帰依し、何処へともなく消えていった左京日教の教えを根本にするから邪宗教なのである。
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●本当に 「あ〜あ」 だよな。
文を読めぬこと幼児の如し。痴犬の目は羊にも劣るか。
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1、※1・※2 とは六巻抄の草稿のことである。決して六巻抄の草稿以外の日寛上人の御著述を指しているのではない。
であるから、この「予六十一歳云々」の御指南を以って、「抜書雑雑集」を切って捨てよ。ということには全くならない。
日亨上人が仰せである。
■「(※日寛上人は)未だ血脈相承を受けずとも撰ばれて初代の学頭[六代と云ふは只名義のみ]と為られた位の徳学兼備の大器であったから言動とも自然に其法に即した異材であって、廿六代の貫主と為って相承の為に俄に法門に変動を生ずるやうな凡器とは思へぬ、」
つまりは、御相承をお受けになる前の御著述もまさに「正依」としての堂々の風格があらせられるのである。
また斯様にも仰せである。
■本師(※日寛上人)八十余巻の述作中無益の冗書は無い云々
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2、更にその精美な六巻抄にも、以下の御指南がある。
『文底秘沈抄』に、
■「答う、延山は本是れ清浄の霊地なり、所以に蓮師に此の言有り。而るに宗祖滅度の後地頭の謗法重畳せり、興師諌暁すれども止めず、蓮祖の御心寧ろ謗法の処に住せんや、故に彼の山を去り遂に富山に移り、倍先師の旧業を継ぎ更に一塵の汚れ有ること無し。而して後、法を日目に付し、日目亦日道に付す、今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむる事無し、蓮師の心月豈此に移らざらんや、是の故に御心今は富山に住したもうなり」(大石寺版六巻抄六五骰)
これまさに、富士大石寺にのみに存する血脈の伝承の文証ではないか。
痴犬は斯様な明確な古文すら読めないか?もしそうなら、まず古文の勉強からやり直せ。
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3、しかも、やはり「正依」である『寿量品談義』には、
■「所詮宗祖大聖人の教の如く少も添ず削らず修行する則んば、本因の釈迦菩薩一迷先達して如百迷盲に教へ玉ふ如くぞと信じ奉る可き也。具に此の本因本果の法門を尋んと欲ば、今廿四代伝て大石の精舎にあり金口の御相承切紙相承其の外種々の御相伝有るげにありと云云」(富士宗学要集一〇−二五四骰)
と示されている。
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痴犬(・・実は別の狡狐の邪難を借用してきた文)が言うような血脈否定の邪義は、まさに日寛上人が否定あそばすところなのである。
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