痴犬へ鉄槌 79  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 523()163040 p2253-ipbf11yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

痴犬→> ■「当代の法主の所に御本尊の躰有るべきなり。此の法主に値ひ奉るは聖人の生れ代りて出世したまう故に、生身の聖人に値遇結縁し師弟相対の題目を同声に唱え……当代の聖人の信心無二の所こそ生身の御本尊なれ」と。つまり、※4「どんなに若くても」、※5「当代の法主こそ日蓮大聖人の生まれ変わりであり、生きた御本尊であるから師弟相対せよ」、というのである。
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当方→> D▼まず、痴論の姑息な欺瞞である、略した部分を全文挙げる。
> ■「しかるに日蓮聖人御入滅有るとき補処を定む、其の次ギ其の次ギに仏法相属して当代の法主の所に本尊の躰有るべきなり、此の法主に値ひ奉るは聖人の生れ代りて出世したまふ故に、生身の聖人に値遇結縁して師弟相対の題目を同声に唱へ奉り信心異他なく尋便来帰咸使見之す、何ぞ末代の我等三十二相八十種好の仏に値ひ奉るべき、当代の聖人の信心無二の所こそ生身の御本尊なれ、」
>
> ▼1、※4などとはどこにも書いていない。痴犬が、先のBCの邪推をゴリ押しせんがために勝手に挿入した佞文である。
>
> 2、全文をよく読めば高校生ほど(もちろん劣等性ではだめだが。)の読解力があれば※5などの偏頗な結論にはならない。
> 仮に、この古文が大学入試に出題されたとして、その現代語訳としての回答が※5であるならば、全く点にならず、(甘くて50点か。呵々。だがどのみち)不合格である。
> この御文の意は、「大聖人様の御内証には御「本尊の躰」がおわしまし、それを日興上人を首として歴代法主上人へ次第に唯授一人・血脈相承されて、御当代法主上人の御内証に御「本尊の躰」がおわす。依って御当代法主上人の御内証はまさに生身の日蓮大聖人様であるから、師弟相対した信心に徹するべきである。」と仰せなのである。
> 痴犬は「外用・内証」 「一往・再往」 等の法門の筋目が見えぬバカだから、こういう深旨微妙の御法門が全く領解できない、ただそれだけである。
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痴犬→> ●他山から帰依し、最後はどこへともなく消えていった左京日教のような者の言葉を※「根本」にして、そのような重要な法門を歪曲しようとするのは邪義である証拠。正依を示しなはれ。
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●別に「根本」になどしていないが?傍証である。
しかもこの文は一体誰が持ち出してきたのか。痴犬ではないか。
自分で勝手に持ち出してきて、しかも「(※唯授一人・血脈相承義の)根本にしている」などと勝手に騒いで、一人痴犬が勝手にきりきり舞いしているだけの話ではないか。
つくづく バカ である。
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当方→> ▼、この文は左京日教師の「類聚翰集私」の中の文であるが、この御文を日寛上人は「抜書雑々集」へそのまま転用されている。
> それは内容において重要なるが故であり、まさに痴犬が拘る「正依」である。
> 痴犬、「正依」には素直に従うのではなかったか?呵々。
> さ、この矛盾を万人に分かるように説明せよ。できなければ謝罪・脱会。宜しく。
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痴犬> ●「類聚幹集私」の内容が正しい、などと日寛上人がどこで言っているか、証拠を出しなはれ。

●痴犬苦し紛れの足掻きである。

1、内容に疑義があるものをわざわざ御自ら書き写される道理がないではないか。
では訊くが、もし内容に疑義があるのなら、何故日寛上人はわざわざ御自ら書き写され遺されたのか。
合理的な理由を述べよ。
出来なければ謝罪・脱会。
反詰
●「類聚幹集私」の内容が間違っている、などと日寛上人がどこで言っているか、証拠を出しなはれ。呵々。

2、「類聚翰集私」には日亨上人は注意を要する箇所には頭注をせられているが、当該文にはその頭注は全くない。
ということは義に於いて正当であるということではないか。
もし、これを否定するならば、日亨上人が何故頭注を加えられなかったか、矛盾のない理由を挙げよ。
出来なければ謝罪・脱会。はい、頑張れよ。
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痴犬>  また、法華経譬喩品の「今此三界 皆是我有 云々」の文を、当家御法則文(とうけごほっそくもん)として日興上人が講じられたことを伝え聞いた左京日教が、※1「大いに私見を交えながら勝手なことを書き残したのが、この「類聚幹集私」なのである。」

●※1→「類聚翰集私」は相当量の論述であるが、日亨上人は注意を要する箇所には頭注をせられているが、それは全体の中で極々微量であり、しかも、それは左京日教師の史実に於ける少々の錯誤と、誤字・脱字程度のもの(それも文献の保存状態による脱落であることも含まれよう)であり、大綱・綱目に於いては全く疑義を呈しておられない。
であるから、※1の邪難は全くの失当である。
むしろ痴犬は※1の邪難を根拠を以って明確に証明してみせよ。しかも「正依」で。
さ、できるかな?無理だろうなぁ。呵々
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痴犬>  ※2「どちらも」、日寛上人の「抜書雑々集」の中に引用された左京日教の言葉だと言うことをよくよく理解しなはれ。

●またもやバカ丸出しである。
※2 一体ここまでの文章で、「類聚翰集私」から二箇所の引文があったのか?
人の邪難の尻馬に乗って、自分で考えないで転写するからこのようなみっともない恥をかくのである。
ほんと、バカ である。呵々
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痴犬>  そもそも「抜書雑々集」は、日寛上人が50歳の時(正徳4年)に編纂されたもので、その内容は、三位日順「用心抄」「日順阿闍梨血脈」「本門心底抄」、八品日隆「五帖抄」、妙蓮寺日忠「観心本尊抄見聞」、要賢日我「立正安国論見聞」、左京日教「類聚幹集私」、17世日精「大聖人年譜」、三河日要「富士門流草案」、9世日有「諸聞書」等について、※3「54歳で登座する前」に「日寛上人が法門研鑽のために要文を広く類聚(分類し集める)されたものであり、その範囲は御書、当家、※4「他門、台家、漢籍」にまで及んでいる」旨を興門派の文献でも述べている。

●だから何なんだ?別に何も問題ないではないか。
@もし※3で問題だとするのなら、当時、学頭として次期御法主になられる日寛上人が、教義的に問題のある文献をわざわざ集め、遺す作業などする道理がなかろう。
もしあるというのならその論理的整合性を証明して見せよ。ただし「正依」で。呵々

Aもし、※4として問題があるというのなら、大聖人様の御書内にだって、大いに「他門、台家、漢籍」の引文があられる。だからといって御書を否定するすバカはいない。
それとも痴犬はその バカ に属するか?呵々。

さ、素直に謝んなさい。
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> 当方▼「抜書雑々集」へそのまま転用されている
> ↑と言っているが
>
痴犬> ●当然※5「あちこちに「大貳(日寛上人のこと)云くとして修正等を加えられている」ことから、この文献を根拠に日寛上人の言葉だなどと言うのは、大聖人が御書で法然の言葉を引用しているのを根拠に、大聖人は念仏を信じている、というのに近い。

●とことん バカ ですね。
※5 その全箇所・全文を挙げて見よ。
この「大貳云く云々」の箇所は、概ね補足であり、大綱・綱目全体としての否定や「修正」などでは全くないのである。
痴犬は本当に、この「抜書雑々集」を読んでいるのか?甚だ疑わしいものである。
人の佞文をそのまま盗用するからまたしてもこのような恥をかくのである。呵々。
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痴犬>  この「抜書雑々集」の中で左京日教の「類聚翰集私」の文の、
>
> 「日蓮聖人御入滅有りて補処を定む。其の次其次に仏法を相属して当代の法主の処に本尊の体有るべきなり。此の法主に値ふは聖人の生替りて出世したまうふ故に、生身の聖人に値遇し結縁して師弟相対の題目を声を同じく唱へ奉り当代聖人の信心無二の処こそ生身の御本尊なれ。」
> 「持経者は又当代の法主に値ひ奉る時・本仏に値ふなり」
> 「只知識に値て此経を持つ処が聖人の如く本仏に値ふなり」
> 「聖人は景信・行敏・相模守・平左衛門・師匠導善坊に合ての時・生身の釈尊に値ひ給ふなり」
>
> 等を日寛上人が引用し、これを後に29世日東上人が書写していることを根拠に、※6「「時の法主は即大聖人である」」などという、まったくこじつけとしか言い様のない主張をする愚か者がいるが、

※6 ←誰もこうは言っていない。御法主上人の御内証が三宝一体であるが故に「仏宝・法宝」がまします。と拝するのである。
ここも、外用・内証 一往・再往 が読めない愚か者・未熟者の妄想・僻思いに過ぎない。
一人で居もしない敵を仕立て挙げて、舞い上がって、憤っているだけの話である。
だれも観客のいない舞台で一人で熱演していれば宜しい。呵々大笑。
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痴犬→しかし、そもそもこの「類聚翰集私」は、その内表紙に
>
> ■「私に候間他見有るべからず候」(富士宗学要集第2巻 P.355)
> ※7「(通解:私個人の見解であり他人に見せてはならない)」
>
> と、明確に私的な文書である旨を述べていることが堀上人によって発見され、宗門の正式な法門を記したものではないことが判明しているのである。
> それがなぜ宗門で一応※11「正史料の扱いとして過大に用いられて来た」かと言うと、14世日主上人の著作であると、誤って過去の法主が用いたことがあったためなのだ。
> そのことは、※9「堀日亨上人が自らの研鑽の結果を踏まえて述べられている。」
> こうした事実を確認すれば、※10「とてもそのまま鵜呑みになどは出来ない」のである。

●まあ、どうせ、痴犬の邪文ではないだろうが、しかし実に粗雑・稚拙である。(痴犬の駄文よりは少し高度だがね。呵々)

※7 こういうバカをまさに「守文の徒」というのである。
この意は、本文の内容が当家の深旨に関する内容故、機根未熟の初学者などには簡単には他見を許すべきではない、との意と読むのである。
その証拠にその次下に※8「刑部殿には御授け候はば悦喜申べく候」とあり、内容が理解できる機根の者には伝持されることが喜ばしいと言われているのである。
痴犬の怪釈ではこの※8の文が全く矛盾を生じてしまう。
こういう法門未熟のバカを ・・・やはり バカ と呼ぶのである。

※9 今度は悪辣なスリカエ。もしくは底意が謗法の毒で歪み汚れているがために、文献を正視眼で読めないかどちらかである。
ここに日亨上人の当該文全文を載せ、以って痴犬の僻解を破す。

■ 編者附記して云く此の正本内表紙(一丁目)に
「類聚翰集私」と本師即ち左京阿闍梨日教の筆にて題せり、同丁左下に斜に「日叶ヨリ。相伝。日因」とあり、日叶は本師の前名にして日因の行実は不明なり。
 又内表紙(二丁目)に
「長享二年六月十日上州上法寺に於て之を進す私に候間他見有るべからず候、刑部殿ニハ御授モ候ハゞ悦喜申ベク候。左京」とあり、京字より斜に焼失すれども入文と同筆なるを以つて日叶の左京日教なるを知る、入文焼失の多丁は主師の補筆あれども表紙に及ばず、但し当時転写本ありと見ゆ、今は天和二年の嘉伝日悦の写本あるのみ。
又末丁に理境坊日典より相伝・日主判」とあり、主師は本山十四世なり外にも主師の記入あるを以つて曽つて此本を主師筆と認めたる先師あり、日叶と日什(顕本宗祖)とを混視したる人あり、或は単に法則抄として著者不明としたるあり、左京日教の発見は全く愚僧の丹誠に成る。」

さて、この該文のどこに、※11「正史料の扱いとして過大に用いられて来た」などという義が書かれているのか。
またこの該文のどこに、※10「とてもそのまま鵜呑みになどは出来ない」などと書かれているのか。
繰り返し詰問するが、
@もし、※10ならば、どうして日亨上人はそのような疑義だらけの文を富要集に載せたのか。
A何故頭注に疑義である旨を警告し、読者の注意を喚起しなかったのか。
さ、これについても、矛盾無き反論をして見せよ。
できなければ当然。謝罪。
いい加減潔く、謝罪したらどうか?

まことに根性卑劣・性格卑猥・心根面妖・・・・魑魅魍魎の類の悪辣なゴミである。汚物である。腐臭を放つ糞尿である。