痴犬へ鉄槌 17  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 425()174944 p2253-ipbf11yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

痴犬> ●法主中毒のマサシくんこれはどうした?
> 三一世・日因上人は「近代上人方は皆正法を失ひ天台真言の邪義に附する故に今日因之 を改め近代上人方の附邪の法を疑ふのみ、」(富要集1-378)このような事を言ってい るが「当宗出家の当体即仏法僧三宝なる」のように法主信仰を唱える日因上人の説を用 いるのですか?日因が正しければ近代上人方は 邪義法主になる 近代上人方が正しけ れば日因上人は嘘つき法主になるが君はどちらの法主の言を用いるのだ?
> 現宗門が「三宝抄」の三宝一体義を用いて法主崇拝を高唱することは、看過できない逸脱ではないのか?

●ここもまさに痴犬が古文が読めないという無能さ加減がまたもや露呈した箇所である。
まず、痴犬が反論不能でいつも苦し紛れにいう、「正依を出してみろ。正依を!」
「正依」か?この文が。
痴犬には正依と傍依の違いすら分からないか?
自家撞着これに過ぎたるはなし、だな。呵々
さて、痴犬が自ら言い出したことなのだから、痴犬程度の小者にはこれで十分なのだが、それでは勉強にならないし、面白みがないので、以下に破折を加える。

1、該文は「袈裟数珠の事」(←日亨上人が題を付す)であり、この箇所は数珠の繰り方をお述べになった段である。

2、痴犬は知って敢えて隠しているのか、または知らずに受け売りでコピペをして邪難しているだけの馬鹿だから分からないのか、この該文の前後を読めば、ここが単なる「数珠」に関しての意義であることは明白である。

当該文

日忍上人日俊上人已来数珠相伝に当山の相伝之れを失ふ故に要法寺日大上人叡山相伝之れ有り、喜はしい哉、悲い哉、大衆方正法を守ると云へども※⇒『近代上人方は皆正法を失ひ天台真言の邪義に附する故に今日因之を改め近代上人方の附邪の法を疑ふのみ、』←※一には日主上人の立行関東奥方に残り伝はる故、二には当山古老僧皆之れを伝ふる故、三には当山日目上人の相伝悉く房州保田に有る故、四には要法寺二代日大叡山相伝当山に伝ふ、故に知んぬ近代上人方、要法寺日大の邪伝に附するのみ。

3、であるから、ここに言う「正法」とは「上古以来の正しい数珠の「繰り方」」である。

4、さて、数珠を「繰る」ことそのものは、果たして、重要な化儀なのか。現に今時で数珠を「繰り」ながら唱題しているか?
唱題の基本は本門の本尊を一心に信じて合掌して不動不揺に唱題することである。
題目を数珠で数える作法が法義上それほど重要な問題であるとはいい難い。

5、こうして全文を閲するに、日因上人は、「唯授一人の血脈相承が破られた、」などとは一言も仰せになっていない。

6、以上から、この文は、少しでも大聖人以来の化儀を用いていきたい、とする日因上人の峻厳な姿勢を仰せになっている箇所と拝するのである。

7、さらに、日因上人は、
■「日興上人已下の代々も亦た爾なり。内証に順ずるに則仏宝也。外用に依れば則僧宝也。故に末法下種の大導師日蓮聖人の尊仏に対すれば、則外用を存し以て僧宝と為るのみ」と仰せであり、「歴代上人の御内証はまさに仏宝である」と明確に仰せである。
痴犬の邪難などこの御指南で一遍に吹き飛んでしまう。
馬鹿丸出しの痴論、痴犬ひとりきりきり舞いの図 である。大いに哂うべし。呵々

8、日寛上人は母珠を超えない化儀を示されていた。
もし、痴犬が数珠の繰り方において、日因上人の説を曲解して頑迷に用いるのならば日寛上人は「邪義法主になる」が如何か?
痴犬らはその「邪義法主」の御本尊を(改竄して)拝んでいることになるが、どうか?
まさに、痴犬 馬鹿丸出しである。呵々

9、「正法」という語だけに喰らいついて、全体の「義」を見誤って恥論を吐きかける、痴犬の独りよがりの大醜態である。
■「義に依って語に依らざれ」の基本すら出来ていない未熟者の虚け者である。
それを「法主中毒のマサシくんこれはどうした?」などとさも勝ち誇ったように、さらに声高に無知を晒すとは!ああ、恥ずかしい限りである。呵々大笑。