鳥本氏の痴論は破す 002
投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2011年
9月18日(日)17時27分
7,日目上人以降の血脈は、日郷・・以下、妙本寺歴代が嗣いでいる。
この主張は、当然、日目上人から日道上人への唯授一人・血脈相承を否定する訳だが、
その根拠と、日目上人が、日郷師にどのように唯授一人・血脈相承されたのか、その経緯を明示していただきたい。
この邪難は既に古来から言い尽くされている観があるので、別項設けて詳述する。
8,広宣流布の暁には、戒壇は妙本寺には建たない。
やはり富士山麓である。
その時の「戒壇本尊」は
@ 今後どこからかひょっこり現れる。
A 広宣流布達成時の「国主」が願主となってその時たに新に作られる。
この@かAのいずれかとなる。
これが、新義としておもしろいので、処理していこう。
ただ、これは元正宗僧侶にしてはあまりにお粗末な珍説なので、願わくば、
これを直に聞いたという妙相寺退転者T君の聞き間違い、もしくは法門未熟が故の解釈の間違いであることを心から願う者である。
もしこの内容に誤伝があるのならば、関係各位、指摘してくだされば、訂正しよう。
では、とりあえす、これが鳥本氏の真説として、破折していく。
▼ 広宣流布の暁には、戒壇は妙本寺には建たない。
やはり富士山麓である。
元日蓮正宗僧侶としては、さすがに「保田妙本寺に戒壇建立。。」というほど、無茶苦茶なことは言えないのであろう。
また、鳥本氏は、「万年救護本尊」を戒壇本尊に祭り上げる、という邪義にも、さすがに屈服していないようである。
これなどは、大本山・保田妙本寺のオエライさんの考え方に反するのじゃないのか?
してみれば新参者の僧侶としては立場がまずくならないか?
老婆心ながら心配するのである。
次に「広宣流布」といっても、一体何を広めるのか?
日興上人御書写を印刷して配布しているようだが、ここも、学会破折と同じである。
■ 法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、
人の死するに其の身に鬼神入るが如し。(木絵二像開眼の事 文永九年 五一歳 638)
妙本寺で「法華を心得たる人」とは当然、貫首。と言うのであろうが、その妙本寺歴代が、大聖人以来の草木成仏・
非情成仏である開眼の義をどこからどのような形で伝持されたのか文証を以て明示できるのか?
それができなければ、学会のニセ本尊同様、妙本寺配布の印刷本尊は魔の巣窟である。
で、そのような「魔の棲み家」を何万枚世間にばらまこうが、それを「広宣流布」とは呼ばない。
どころか、一家の不幸・悲惨・離散・滅亡を拡散し、結果、一国衰亡の因となるだけである。
この「開眼」義は既に、学会破折において随所で論じているので、参考にしていただき、今回は省略する。
以下の説もかなり無謀な発想だが、広宣流布達成の暁、本門戒壇に安置する御本尊が
@ 今後どこからかひょっこり現れる。
だとしたら、そもそも、日興上人御正筆にある『日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊』は、
いつ、誰の時に、どこから、どのように、忽然と消えたのか?
そして、今は、どこぞの誰がどのように保管しているというのか。
それを明示出来なくては、これは“単なる妄想”といわれても致し方ないであろう。
顕正会会長・浅井昭衛が「いつかきっと日目上人が再誕されて、
その時には顕正会は皆お褒めに預かり本山に戻れる」などと言う戯言と何等変わりはない。
正統な教義を誹謗し、否定する者の行き着く先は、斯様な妄想をするしか、逃げ道がなくなるものであある。
次、
A 広宣流布達成時の「国主」が願主となってその時たに新に作られる。だとしたら。
この本尊は、一体どこぞの誰が書くのか?
そしてその者が本尊を書く事が出来るという根拠は何によって証明されるのか?
本尊は誰が書いてもいいのか?
あまりに荒唐無稽な痴論で、破折する気力すら失せる、というものである。
機会があれば鳥本氏に是非伺いたいものである。
また、御本人が、当方との対論を受けて下さらないのであれば、
今回、日蓮正宗から退転した者達、鳥本氏からよくよく以上の点を聞き、その答えを教えてくれまいか?
どんな珍回答が来るのか実に楽しみである。