日興跡条条事について論考す 
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管理人(樋田昌志)メール  投稿日:2011年 9月16日(金)17時03分51秒


これは本山に日興上人御正筆が案文・正本両方とも存在して
いるから、
邪難の入る込む余地は問題は全くない。

ただし、御正筆の元々の文は以下の如くである。

 一、日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊御下文、日日に之を授与す。
(富士宗学要集第八巻史料類聚@ 18)。

現在の同文は一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、
日目
に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。

となっており、元々の文から

@「御下文」(と推測される文)が削損し、
A「授与」→「相伝」 と上書きされ
B 文末に「本門寺に懸け奉るべし」との文字が添加されて
いる。

(「御下文」とは、弘安五年、大聖人が日興上人に命じ日目師を代官として、
当時の御宇多天皇に天奏したおりに、天皇が
伝奏に命じて、
この申し状・立正安国論や三時弘教次第など
を園城寺の碩学に見せ検討させたところ、
今の時に適切な内
容である。と賞賛された。

この時、天皇大いに大聖人の立正
安国の赤誠の御心を嘉され、
「朕、他日法華を持たば必ず富士山麓に求めん」と下賜され
た文書のことである。

しかし、これは程なくして紛失してしまう。)
これについて日淳上人が明確に答えられている。

■ しかして此の弘安二年の御本尊をやがて日興上人に賜はつたことは、
「日興跡条々事」に於て「日興が身に宛て給は
る弘安二年の御本尊」と仰せ給ふを拝すれば少しの疑義をは
さむ余地はない。

 日興上人を宗団の大導師として給はつたのである。
「身に宛て給はる」とは日興上人が御本尊の願主でないこと
を雄弁に証明遊ばされてをる。

 次に(※高田某という邪難者は)「此の御本尊については、
日興上人は何とも仰せられてをら
ない。

それを後年御譲状に「本門寺に懸け奉るべし」との文
字を加入して本門寺の戒壇の御本尊と称するに至つたので、
その謀略を此に暴露してをる」といふが、其の論拠は日蓮宗々学全書の冠註にある。
全く馬鹿ばかしくて御話しにならない。

成程御真跡の文字の削除や加入は冠註の如くである。
しかし、これは後年どころか日興上人が直々なされたことで
ある。

此れこそ上人の御用意が万々籠らせ給ふところで、我々が涙
をもつてその思召の程を拝察申上げるところである。
此には此れ以上は申さない。軽々しく申すべきではないからである。

高田氏に一分の道念があれば日蓮正宗に帰依してその御真書を拝したら
此のことは納得がゆくといふことだけを申してを
く。

それともそれが明らかになれば帰依をするといふならば、何
時でも説明をする。
総じて他門流の考へるところは高田氏の程度を出てない憐む
べきである。(日淳上人全集)

現時の平成新編御書には、この後の文が掲載されている。


一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。
本門寺に懸け奉るべし。これは、まさに日淳上人の研究考察を拝してのこととであろう。

日亨上人は、後加は後加として、元々の原文を採用されるお立場である。

原文のまま、あるいは添加・削損の後の文、その両樣であっても、
今までの論証により、弘安二年の大御本尊=「本門戒壇」と銘があらせられる大御本尊=戒壇の大御本尊は
日目上人に授与(相伝)せられた。

これが、戒壇の大御本尊が唯授一人の御歴代上人にへ授与(相伝)される濫觴であり、
最終的には広宣流布達成の暁に本門戒壇へ御安置されることには何等変わりはないのである。

その本門戒壇の場所については、更に補足すれば、

■ 一、本門寺を建つべき在所の事。
  (略)此の本門寺に於ては、先師何(いず)れの国何れの所とも之を定め置かれず。
  爰(ここ)に日興云はく、凡(およ)そ勝地を撰んで伽藍(がらん)を建立(こんりゅう)するは仏法の通例なり。

然れば駿河富士山は是日本第一の名山なり、最も此の砌(みぎり)に於て
本門寺を建立すべき由(よし)奏聞し畢んぬ。

仍って広宣流布の時至り国王此の法門を用ひらるゝの時は、必ず富士山に立てらるべきなり。
(富士一跡門徒存知事 延慶二年)との御指南に於いても更に鮮明である。

であるから、日興跡条条事の文は、そのそも御正筆であり、
その後の削損・添加なども日興上人御自らがされたことであり、
また仮に後人の添加であったとしても、
『日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を授与す。』
との決定的且つ根本的御指南は従前のままで何等揺るぐものではなく、
結局戒壇の大御本尊を否定する何の根拠にもならない。ということである。

妄弁者よ、もう少し勉強してからモノを言った方が恥をかかずにすむというものである。
(一通りの論述が終えたら、善Q麿君を文書によって破折し論及する予定である。

ついでに、退転して今は戒壇の大御本尊を真っ向から否定して妙本寺へ転げ落ちたT君の言い分も仄聞しているので、
これも合わせて切り倒していきましょう。保田妙本寺信徒、善Q麿君、
そろそろ"師匠"からしっかり勉強して準備して置いた方がよかろう。)