■ 日本国の一切衆生の為に付嘱し給ふ法雨は題目の五字なり。所謂日蓮建立の御本尊、南無妙法蓮華経是なり (御講聞書 1841)

■ 日興が嫡々相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為すべきなり。(百六箇抄 1702)

■  此の御本尊も只信心の二字にをさまれり。以信得入(いしんとくにゅう)とは是なり。日蓮が弟子檀那等「正直捨方便」「不受余経一偈(ふじゅよきょういちげ)」と無二に信ずる故によ(因)て、此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなり。たのもしたのもし。(日女御前御返事 弘安二年八月二三日 五八歳 1387)

■ 御本尊を書きをくりまいらせ候に、他事をすてゝ此の御本尊の御前にして一向に後世をもいのらせ給ひ候へ。(本尊問答抄 弘安元年九月 五七歳 1283)

■ 十方の諸仏は法華経より出生し給へり。故に全く能生を以て本尊とするなり。(本尊問答抄 弘安元年九月 五七歳 1275)

■ 日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦・多宝、外の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士となるべし。(1036)

■ あひかまへて御信心を出だし此の御本尊に祈念せしめ給へ。何事か成就せざるべき。(685)


★ 何を「本尊」つべきか

■ 日興が云はく、聖人御立ての法門に於ては全く絵像木像の仏菩薩を以て本尊と為さず、唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為すべし、即ち自筆の本尊是なり。(富士一跡門徒存知事 延慶二年 1872)

■ 一、御筆の本尊を以て形木に彫(きざ)み、不信の輩に授与して軽賤する由諸方に其の聞こえ有り、所謂日向・日頂・日春等なり。
  日興の弟子分に於ては、在家出家の中に或は身命を捨て或は疵を被り若しは又在所を追ひ放たれて、一分信心の有る輩に、忝くも書写し奉り之を授与する者なり