TOP / 法論文証 / 教義的資料

26年11月08日 創価学会 会則改悪 破折基礎文証

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

【日蓮大聖人】

■ 日蓮一期(いちご)の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり。就中(なかんずく)我が門弟等此の状を守るべきなり。
弘安五年壬 九月 日 日蓮花押 血脈の次第 日蓮日興 
(日蓮一期弘法付嘱書 弘安五年九月 六一歳 1675) 

■ 日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊、日日に之を相伝す、本門寺に懸け奉るべし(日興跡条々事 元弘二年一一月一〇日)

■「三箇の秘法建立の勝地は富土山本門寺本堂なり 乃至 日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為す可きなり」(百六箇抄 1699〜1702)

■ 戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王(うとくおう)・覚徳比丘(かくとくびく)の其の乃往(むかし)を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣(ちょくせん)並びに御教書(みぎょうしょ)を申し下して、霊山浄土(りょうぜんじょうど)に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。三国並びに一閻浮提の人懺悔(さんげ)滅罪の戒法のみならず、大梵天王(だいぼんてんのう)・帝釈(たいしゃく)等の来下(らいげ)して踏(ふ)み給ふべき戒壇なり。((三大秘法稟承事 弘安五年四月八日 六一歳 1595)

■ 去ぬる建長五年=太歳癸丑=四月二十八日に、安房国長狭郡の内、東条の郷、今は郡なり。天照太神の御くりや、右大将家の立て始め給ひし日本第二のみくりや、今は日本第一なり。此の郡の内清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして、午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年=太歳己卯=なり。仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計りなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり。其の間の大難は各々かつしろしめせり。(聖人御難事 弘安二年一〇月一日  五八歳 1397)

■ 第廿五 建立(こんりゅう)御本尊等の事
御義口伝に云はく、此の本尊の依文とは「如来秘密神通之力」の文なり。戒定慧の三学、寿量品の事の三大秘法是(これ)なり。日蓮慥(たし)かに霊山に於て面授口決(めんじゅくけつ)せしなり。本尊とは法華経の行者の一身の当体なり云云。1773

■ 【観心本尊抄】(661)
此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為(な)す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし。(如来滅後五五百歳始観心本尊抄 文永一〇年四月二五日 五二歳 )

■ 本尊問答抄   弘安元年九月  五七歳
本尊とは勝れたるを用ふべし(1275)(三六六)

■ 善に付け悪につけ法華経(一大秘法=戒壇の大御本尊)をすつるは地獄の業なるべし。((開目抄 文永九年二月 五一歳  572)

■  近来の学者一同の御存知に云はく「在世滅後異なりと雖も、法華を修行するには必ず三学を具す。一を欠いても成ぜず」云云。余又年来(としごろ)此の義を存する処 云々(四信五品抄 建治三年四月初旬 五六歳 1111)

■ 三大秘法其の体如何。答ふ、予が己心の大事之に如(し)かず。(三大秘法稟承事 弘安五年四月八日 六一歳 1594)

→ 戒・定・慧 の三学 = 本門の戒壇・本門の本尊・本門の題目  これが整足していなくては功徳は全く成じない。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

【日寛上人】

--------------------------------------------

● 弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟(くきょう)中の究竟、本懐の中の本懐なり。既にこれ三大秘法の随一(※第一)なり。況(いわん)や一閻浮提総体の本尊なる故なり。(観心本尊抄文段)

※ 総体(そうたい)
「物事を構成する上での、すべて(総て)」「全体」 

--------------------------------------------

●26『法華取要抄文段』日寛上人

広宣流布の時至れば、一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。その処は皆これ義理の戒壇なり。然りと雖も仍これ枝流にして、これ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ちこれ根源なり。妙楽云く「像末の四依、仏法を弘宣す。化を受け、教を禀け、須く根源を討ぬべし。若し根源に迷う則は増上して真証に濫る」等云云。今、日本国中の諸宗・諸門徒、何ぞ根源を討ねざるや。浅間し、浅間し云云。宗祖云く「根深ければ枝繁く、源遠ければ流れ長し」543

--------------------------------------------

● 問う、当門流に於ては総体、別体の名自、これを立つべからざるや。
 答う、若しその名を借りて以てその義を明かさば、本門戒壇の本尊は応にこれ総体の本尊なるべし。
これ則ち一閻浮提の一切衆生の本尊なるが故なり。
自余の本尊は応にこれ別体の本尊なるべし。これ則ち面々各々の本尊なるが故なり。(観心本尊抄文段・下)

--------------------------------------------

●26『文底秘沈抄』(68)日寛上人

今謂わく、嗚呼我慢偏執抑何の益有りや、富士山を以て本山と仰ぐべきこと文理明白なり。
 一には富士山は是れ広宣流布の根源なるが故に。根源とは何ぞ、謂わく、本門戒壇の本尊是れなり、故に本門寺根源と云うなり、弘の一の本十五に云わく「像末の四依、仏化を弘宣す、化を受け教を禀く、須く根源を討ぬべし、若し根源に迷う則んば増上して真証を濫さん」云々。宗祖の云わく「本門の本尊、妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか」等云々。既に是れ広布の根源の所住なり、蓋(なん)ぞ本山と仰がざらんや。

--------------------------------------------

● 『文底秘沈抄』

然るに三大秘法随一の本門戒壇の本尊は今富士の山下に在り、故に富士山は即ち法身の四処なり、是れ則ち法妙なるが故に人尊く、人尊きが故に処貴しとは是れなり」(六巻抄六四n)

※法身(ほっしん)とは、父母から生まれた肉身を持つ生身仏(しょうしんぶつ)に対して、法(真理)を体とする仏、法と一体化した仏が法身仏。 
法は常住→法身仏も常住。 
その法身仏の振る舞う処が
「生処・得道・転法輪・入涅槃」
→法身の四処

--------------------------------------------

●『寿量品談義』

祖師より興師へ御付属亦是れ三大秘法なり。興師より目師へ御付属も亦是れなり。(中略)目師より代々今に於て、廿四代金口の相承と申して一器の水を一器に瀉すが如く三大秘法を付属なされて大石寺にのみ止まれり。未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇之れ無しと雖も、既に本門の戒壇の御本尊存する上は其の住処は即戒壇なり。其の本尊に打ち向ひ戒壇の地に住して南無妙法蓮華経と唱ふる則(ときん)ば本門の題目なり。志有らん人は登山して拝したまへ。(中略)其の三大秘法の住する処こそ何国にてもあれよ霊山会場寂光の浄刹なるべし。」(富要一〇―一三一n)

--------------------------------------------

●26『文底秘沈抄』

「問う、霊山浄土に似たらん最勝の地とは何処を指すとせんや。答う、応に是れ富士山なるべし、故に富士山に於て本門の戒壇之れを建立すべきなり」(六巻抄六一n)

--------------------------------------------

■ これ則ち諸仏諸経の能生の根源にして、諸仏諸経の帰趣せらるる処なり。
故に十方三世の恒沙の諸仏の功徳、十方三世の微塵の経々の功徳、皆咸くこの文底下種の本尊に帰せざるなし。
譬えば百千枝葉同じく一根に趣くが如し。
故にこの本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠の妙用あり。
故に暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり。
妙楽の所謂「正境に縁すれば功徳猶多し」とはこれなり。
これ則ち蓮祖出世の本懐、本門三大秘法の随一、末法下種の正体、行人所修の明鏡なり。
故に宗祖云く「此の書は日蓮が身に当る一期の大事なり」等云云。」  と。(観心本尊抄文段・首文)

→ 「この本尊」 とは 弘安二年の戒壇の大御本尊 であることは文義明白。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

【日達上人】

● 戒壇の大御本尊様を忘れてしまったならばいかに信心してもたとえ何々上人の御本尊であると言って拝んでみても大聖人様の血脈は通じてこない。

● 戒壇の根本の御本尊を離れた時には、既にその御本尊は生命もなく人を救うところの力もないのであります。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

【牧口初代会長】

■御本尊の中、総与の御本尊と称して、大石寺に伝へられる大御本尊を信じ奉る者が正しい信者である
(第三文明社『牧口常三郎全集』第10巻 P151)

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

【戸田会長】

◆いまのところは、まずまず貧乏と病気です。これを、仏さまがおられてお救いにならないわけがない。われわれの貧乏と苦悩を救わんがために、日蓮大聖人様は大御本尊様を建立し、遺(のこ)されてある。
 これは、弘安2年の10月12日の大御本尊様のただ1幅なのです。そこから、分身散体の方程式によりまして、ずうっと出てくるのです。それから、ほかの本尊、どこのを拝んでも絶対にだめなのです。弘安2年の10月12日の大御本尊様から出発したものでなければ、法脈が切れてますから、絶対だめなのです。
 だから、身延や仏立宗や霊友会なんか、いくらがんばっても、御利益がでようがないのです。ありませんから、やってごらんなさい。7年もしたら、どんな顔になるか。いや、いままでやった人の顔をみてごらんなさい。
 ですから、私の願いとするところは、この弘安2年の10月12日の大御本尊様を信ずるということです。しかし、理論がわかっても、わからなくてもいい。だんだん、そのうちにわかる。絶対だということがわかる。この日蓮正宗の哲学ぐらい、きちんとなっているものはないのです。
(S30.8.24『戸田城聖全集』第4巻343頁〜)

◆ 電灯にたとえて考えてみると、ヒューズがとんで電流が流れてこない電灯は、電球が切れていないからといって、いくらつけても明るい光を発しないようなもので、電球は本物であっても、電流が流れてこなければ光が出ないのである(中略)したがって富士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法である(創価学会発行『折伏教典』339頁)

▼ なんといっても、御本山に登り、親しく大御本尊様を拝まなくては、本物の信心にはなれない。こんなありがたい御本尊様を、わずかな御開扉供養で拝むことのできるのは、当本山であればこそであり、まことにもったいないことである。今後も、できるだけ多くの会員を登山させるよう、計画を立てたいと思っている (戸田城聖全集 三―四九〇n)

● わたくしたちは、無智な人々をみちびく車屋である。 迷っている人があれば車にのせて、大御本尊様の御もとに案内して行くのが、学会唯一の使命である。 宝の山にはいって、宝をとるかとらないかは、その人の信心の結果であって、ただ宝の山たる大御本尊様へ案内するのが、われわれ学会の尊い使命なのである。 (昭和24年10月24日 創価学会第四回総会 東京教育会館)

■日蓮大聖人の法門では、拝む対象はただ弘安二年十月十二日御認めの戒壇の大御本尊様あるのみである
(戸田城聖講述『日蓮正宗 方便品寿量品精解』精文館 P100)

■日蓮大聖人様はいつも、この娑婆世界に住んでおられる。現在は富士大石寺におわします戒壇の大御本尊様として出現されているのだが、多くの邪宗のものたちは、近くにいながら、かわいそうにも日蓮大聖人様の御当体とは気がつかないでいるのである
(戸田城聖講述『日蓮正宗 方便品寿量品精解』精文館 P33)

■弘安二年の本門戒壇の大御本尊に帰依し奉る以外に成仏得道の道は絶対にないのである
(戸田城聖監修『折伏教典』創価学会【昭和29年版】P139〜140)

■聖人御難事に、予は二十七年弘安二年なりとおヽせある通り、弘安二年十月十二日御出現の本門戒壇の大御本尊を拝ませねばならぬ事は明らかである
(戸田城聖監修『折伏教典』創価学会【昭和29年版】P330)

■本門戒壇の大御本尊を信じ奉らない者は、すべて謗法として禁じなければならない
(聖教新聞社『戸田城聖全集』第5巻 所収「立正安国論講義」P156)

▼ 「大海の水と小さな器の水とでは、同じ海水であっても違うように、本門戒壇の大御本尊は無量無辺の大海の水であり、末法万年の外未来までも流れる一切大衆の信仰の根源であり、功徳の本源であります。私たちが家庭へ頂いて一家で信心している御本尊とはその意義が異なるのです」(『大白蓮華』 昭和三二年四月号三一n)

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

【池田大作】

● 社会はますます複雑になっていくであろう。その動向に対処するため、学会も多様性を要請される場合がある。しかし、ただ、次の点だけは不動の路線であることを忘れてはならない。それは、
  一、三大秘法の大御本尊が一切の根本であると拝していくことだ。
  二、御法主上人の御もとに日蓮正宗の伝統法義を確実に体していくことだ。
(広布と人生を語る 三−二七一)

日蓮大聖人の御魂は、多宝富士大日蓮華山大石寺にまします本門戒壇の大御本尊に御留めおかれているのである (広布と人生を語る 三―二四六n)

★★★ 大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与(いちえんぶだいそうよ)の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない
     (聖教新聞 平成5年9月19日付

● 「日蓮正宗創価学会の根本中の根本は、一閻浮提総与の本門戒壇の大御本尊であることはいうまでもない。」 昭和56年1月14日「広布と人生を語る1」

● 「戒壇の大御本尊を離れて、われわれの信仰はありません」(特別学習会テキスト56)

● 「絶対なるものは大御本尊のお力である」(広布と人生を語る3−53)、

● 「日蓮正宗創価学会の根本は、一閻浮提総与の本門戒壇の大御本尊であることはいうまでもない。しかもその大御本尊は、日蓮正宗に厳然とおわします。そして宗祖大聖人より第二祖日興上人、第三祖日目上人と代々の御法主上人が法水瀉瓶・血脈相承され、現在は、日顕上人猊下に一切受け継がれているのである」(広布と人生を語る1−131)

■ 信心とは、本門戒壇の大御本尊を信ずることである
(池田大作著『広布と人生を語る3』聖教新聞社 P98)

■ 大御本尊様のことについては、それはとうぜん、極中のなかの極中、究極のなかの究極、極説のなかの極説、したがって、仏法の神髄が大御本尊様であります
(池田大作著『会長講演集』第9巻 創価学会 P218)

■ 大聖人はどのようにおおせになったか。
末法において成仏する道は、絶対の幸福生活を会得する直道は、弘安二年十月十二日の大御本尊様を拝む以外にない。
これが日蓮大聖人の出生の本懐であると、おんみずから御本尊様をお遺しくださったのであります
(池田大作著『会長講演集』第2巻 創価学会 P56)

■ 大御本尊様を受持し、信心していくならば、かならず仏になる、大御本尊様をもたないで、大御本尊様をもったものを誹謗すれば、かならず地獄におちる
(池田大作著『会長講演集』第8巻 創価学会 P167)

■ 一生涯、大御本尊様と離れないで、大御本尊様を放さずに、まっすぐ進んでいけば、あとの指導はなにもないのです。ぜんぶふくまれます。
「善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし」(開目抄二三二n)です
(池田大作著『会長講演集』第9巻 創価学会 P323)

■ 「諸難ありとも疑う心なくば」とは、いかなる非難中傷にあい、逆境に置かれても「根本尊敬」「功徳聚」「輪円具足」の御当体であられる三大秘法総在の戒壇の大御本尊を絶対に疑ってはならない、捨ててはならない、との仰せなのである。
「無疑曰信(むぎわっしん)」の大信心に厳然とたつべきである
(池田大作著「開目抄に学ぶ」 東洋哲学研究所『講座 教学研究【2】』所収 P12)

■ 日蓮大聖人の御心とは何か(中略)出世の本懐として顕わされた本門戒壇の大御本尊こそ、究竟中の究竟の御心なのである。
この大御本尊を否定して、いかに大聖人の御書を拝読しても、法華経を賛嘆しても、全部、大聖人の御心に背いている仏敵と断ずることができるのである

(池田大作著『御義口伝講義(上)』創価学会 P94)

■ 末法のわれら衆生の信奉すべき御本尊は、日蓮大聖人であり、また大聖人の御生命を、一幅の大曼荼羅として認められた、弘安二年十月十二日の一閻浮提総与の大御本尊以外に絶対にないのである
(池田大作著『御義口伝講義(下)』創価学会 P238)

■ 日蓮大聖人が出世の本懐として建立された一閻浮提総与の大御本尊が三大秘法総在の御本尊であり、この御本尊に帰命すること、その信仰を全世界に広宣流布することが立正安国の実践となるのである
(池田大作著『立正安国論講義』創価学会 P771)

■ 末法今時においては、「日蓮が魂を墨に染め流して書きて候ぞ」とおおせになられた、正しき日蓮正宗の大御本尊を信ずる以外には、真の信心はありえないことを知るべきである
(池田大作著『日蓮大聖人御書十大部講義 第5巻 報恩抄』創価学会 P274)

■ 「題目肝心」とは、けっして邪宗日蓮宗等のいうように、どんなニセ本尊に向かっても南無妙法蓮華経と唱えればそれでいいというようなものではない。
三大秘法中の本門の題目とは、大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うることである
(池田大作著『日蓮大聖人御書十大部講義 第5巻 報恩抄』創価学会 P362)

■ 大御本尊を拝まなければ、もう学会員ではないのです
(池田大作著『会長講演集』第10巻 創価学会 P192)

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

【その他】

■ 日蓮大聖人の仏法においては、三大秘法の大御本尊ならびに御書に説かれた法門が、化法にあたります。
これは、仏法の根本原理ですから、絶対に変わりませんし、また、変えられません。ましてや、自分で勝手に作るというわけにはいかないのです
(創価学会「大白蓮華」1966年5月号 P86)

■ 七百年前に、大聖人の教義はすでに決定され、つけ加えたり、変更したりする何物もない。
それを都合の悪い点をごまかして変更したり、勝手に、我見で教義を作ったりするとはなにごとであろうか

(創価学会教学部編『日蓮正宗創価学会 批判を破す』鳳書院 P192〜193)


■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

【池田大作監修 仏教哲学大辞典】

ーーーーーーーーーー
◎ 戒壇の大御本尊

■ 日蓮大聖人は御一代の間に幾幅か御本尊をおしたためになり、在家出家の弟子檀那に授与された。
これを一機一縁の本尊と申し上げるのである。
この一機一縁の御本尊は、大聖人滅後第二祖日興上人が「本門寺建立の時は本門戒壇の大御本尊のもとに結集されるべし」と命ぜられている。

 弘安二年九月、熱原の法難においてあらわれた熱原方面の信徒の強信をめでられ、出世の本懐達成の時とされ、同年十月十二日の戒壇御本尊の御建立となった。

■ 日蓮大聖人の出世の本懐が本門戒壇の大御本尊であることも、明白である。

■ 弘安二年十月十二日にあらわされた大御本尊こそ本門戒壇の大御本尊であり、これが出世のご本懐であることは一点の疑う余地もない。

■ (※日寛上人が)結論して仰せには

「就中弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既にこれ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり。」

と、いよいよ日蓮大聖人の出世の本懐がなんであるかは明瞭である。

この戒壇の大御本尊は第二祖日興上人、第三祖日日上人と相伝遊ばされ、法灯連綿、今日まで富士大石寺に広宣流布の日を待って厳護されてきているのである。

ーーーーーーーーーーーーーーー

 F 本門戒壇の大御本尊。

■ 日蓮大聖人の仏法の根本は三大秘法であり、三大秘法の根本は弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊である。

 しかして現在まで日蓮正宗富士大石寺に清純に伝承され本門戒壇建立の時に本門戒壇に安置さるペき御本尊である。

 日蓮大聖人は御一代の間に、いくつかの御本尊を認められ、信心に励む在家出家の弟子檀那に授けられている。

 その御本尊を一機一縁の御本尊といい、日蓮大聖人滅後に第二祖日興上人は
「大本門寺建立の時には本門戒壇の大御本尊のもとに結集されるペきである」
と命ぜられている。

即ち御本尊に多く仏滅後二千二百二十余年と認められ、文永建治にも御本尊が顕わされたが、多く分身及び善徳仏が挙げてある等、文上を帯しており、文永建治の御本尊は出世の本懐を究尽していない。

(中略)

しかして日蓮大聖人は弘安元年より諸御本尊ならびに本尊問答抄等に仏滅後二千二百三十余年と認められ、弘安元年以後の御本尊こそ究竟の極説であり、なかんずく弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊こそ、究竟中の究竟、本懐中の本懐である。

即ち三大秘法の随一であり一閻浮提惣体の本尊である。

 即ち日蓮大聖人は弘安二年十月十二日、当時ひき起こされていた熱原の法難を機会として、日興上人の指導する熱原地方の信者の強信を讃えつつ、出世の本懐達成の時として、本門戒壇の大御本尊を建立された

この本門戒壇の大御本尊ほ、一機一縁の御本尊とはその意味が異なり、末法万年のほか未来永遠の一切衆生がことごとく帰依して即身成仏の大功徳がえられる大御本尊であり、一閻浮提の衆生に与えられた大御本尊である。

ゆえに 聖人御難事(一一八九)には

■「聖人御難事  (弘安二年一〇月一日  五八歳)
 去ぬる建長五年=太歳癸丑=四月二十八日に、安房国長狭郡の内、東条の郷、今は郡なり。天照太神の御くりや、右大将家の立て始め給ひし日本第二のみくりや、今は日本第一なり。此の郡の内清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして、午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年=太歳己卯=なり。仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計りなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり。其の間の大難は各々かつしろしめせり。/P1397」とあり、

日蓮大本懐を遂げられたことを明かされた。

これこそ弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊である。

しかして日蓮大聖人は御入滅に先立ち第二祖日興上人に本門戒壇の大御本尊を相伝された。

ゆえに日興跡条々の事には

■「日興が身に宛て給わるところの弘安二年の大御本尊は日目に之れを相伝す。/P1883」といっている。


ーーーーーーーーーーーーー

六 本門の戒壇 

@ 義事の戒壇。

一般に戒壇とは、戒を授ける壇をいう。

日蓮大聖人の仏法では、本門の戒壇とは本門の本尊を安置し信心修行に励む場所をいう。

本門の戒壇に事と義とがある。

義の戒壇とは、本門の本尊所住の処は、いずれの地であっても授戒の壇場としての内容が整っていて、その義が戒壇にあたるから、義の戒壇という。

例えば法華文句の第十に

■「仏其の中に住す即ち是れ塔の義」 と釈するがごときである。


正しく事の戒壇とは、広宣流布の暁に弘安二年十月十二日御建立の本門戒壇の大御本尊が安置されるところをいう。

広宣流布の時には、受戒の人が事実として参集するから事の戒壇である。

 三大秘法抄(一〇二二)には、本門の事の戒壇について

■「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王(うとくおう)・覚徳比丘(かくとくびく)の其の乃往(むかし)を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣(ちょくせん)並びに御教書(みぎょうしょ)を申し下して、霊山浄土(りょうぜんじょうど)に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。三国並びに一閻浮提の人懺悔(さんげ)滅罪の戒法のみならず、大梵天王(だいぼんてんのう)・帝釈(たいしゃく)等の来下(らいげ)して踏(ふ)み給ふべき戒壇なり。(三大秘法稟承事 弘安五年四月八日 六一歳 1595) 」  とある。

また日蓮大聖人は

■「『南条殿御返事』
此の砌に望(のぞ)まん輩(やから)は無始の罪障忽(たちま)ちに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜん。1569 」といわれている。

日蓮正宗においては、第二祖日興上人いらい、身延相承書(一六〇〇)の

■「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるペきなり」の遺訓を堅く守って、広宣流布に邁進してきている。

しかるに日蓮宗の他門流においては、本門の戒壇について全く異論百出をくりかえしている。

TOP / 法論文証 / 教義的資料