日蓮大聖人自らが釈尊以上の仏と名乗られた文証

 天竺国をば月氏国と申す、仏の出現し給ふべき名なり。扶桑国(ふそうこく)をば日本国と申す、あに聖人出で給はざらむ。月は西より東に向へり、月氏の仏法、東へ流るべき相なり。日は東より出づ、日本の仏法、月氏へかへるべき瑞相(ずいそう)なり。月は光あきらかならず、在世は但八年なり。日は光明月に勝(まさ)れり、五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり。仏は法華経謗法の者を治し給はず、在世には無きゆへに。末法には一乗の強敵(ごうてき)充満すべし、不軽菩薩の利益此なり。各々我が弟子等はげませ給へ、はげませ給へ。(諌暁八幡抄    弘安三年一二月  五九歳 1543 真筆・大石寺・身延曾存)


教主釈尊より大事なる行者を、法華経の第五の巻を以て日蓮が頭(こうべ)を打ち、十巻共に引き散らして散々に踏(ふ)みたりし大禍は、現当二世にのがれがたくこそ候はんずらめ。日本守護の天照太神・正八幡等もいかでかかゝる国をばたすけ給ふべき。いそぎいそぎ治罰を加へて、自らの科を脱がれんとこそはげみ給ふらめ。をそく科に行なふ間、日本国の諸神ども四天大王にいましめられてやあるらん。知り難き事なり。(下山御消息  建治三年六月  五六歳 真筆・小湊誕生時他29箇所)