羽曳野日記 ご無沙汰でした。
いや〜〜、様々な事が起こりました〜!
起こっては解決し、解決してはまた別角度で起こる。。
これを毎日対処し、こなし、ねじ伏せ、あるいは受け流し、、、
という日々を過ごしてきました。
まさに、一日が一ヶ月分くらいの濃い毎日をこなしています。
さて、今日また、大変なことが分りました!
これまでの流れで、羽曳野市に在る、応神天皇陵古墳の墓参を思いつき、そうしたら、応神天皇のお父上である、仲哀天皇陵古墳が、隣接する藤井寺市に在り、しかも車で5分の距離。
これは当然、御子である応神天皇陵を墓参して、その御父上、仲哀天皇をスルーするのは、大変失礼である、、と気づき、その墓参を計画。
であるならば、応神天皇の御子である、仁徳天皇陵古墳もまた車で30分ほどの堺市に在るのだから、これまた、目の前で御父様への、日蓮正宗正統化儀による墓参が行われるのに、そのお子様を、これまたスルーするのは、大変心苦しい、、ここもお願いしよう!ということで、その計画実行が進む中、私達現地メンバーは、俄然、古代史に興味・関心が湧いたのであります。
少々調べましたら、これがまた、大変なことが分ってまいりました!
どこから話して分らないほど、様々の事実が分ってきました。
今回墓参をすべきまず第一番目に思い当たった応神天皇の御祖父様は、なんと!日本武尊(ヤマトタケルノミコト)と伝承されているのです!
つまり、
日本武尊→仲哀天皇→応神天皇 という系譜です。
もちろん、日本武尊は、実在の一人物である、というよりは、当時の様々な人物の功績が、日本武尊の姿を借りて語られていった、というのが今の学説の主流です。
であるとしても、これは実は凄いことなんですね!
更に続けます。
後世、現在の天皇家の血筋と言われている継体天皇は応神天皇の五代目であり、応神天皇はまさに天皇家の始祖王というべき存在ともいえます。
歴史的に見れば
応神天皇は、五世紀に花開いた河内王朝の盟主であり、当時の中国の王朝へ貢献したと記録に残る、「倭の五王」の親とも、あるいはまた、その内の一人にも挙げられる、古代日本黎明期の堂々たる君主であったわけです。
「日本書紀」には、
日本武尊(やまとたけるのみこと)は
「東征(北関東から東北地方での戦い)からの帰り、能褒野(のぼの)(現在の三重県亀山市)で病に倒れ、その地に葬られた。日本武尊の魂は、白鳥となって大和へ向かい、大和琴弾原(ことひきのはら)(御所市冨田)にいったん舞い降りた後、河内の旧市村(ふるいちむら)(大阪府羽曳野市・現在の「古市」)に降り立ち、その後、天に昇られた」
と記述されています。
また、羽曳野市の白鳥神社の社伝には
「羽を曳くようにして埴生野(はにゅうの)を越えて百舌鳥(もず※)の方へ飛び立った」とあり、
これらの既述を基にここは「羽曳野市」(羽が曳いた野)の地名が付けられたんですね。
(この「※百舌鳥」というのが、仁徳天皇陵が在る、百舌鳥古墳群を意味することは当然推測できます。
因みに、堺市の百舌鳥古墳群と羽曳野市・藤井寺市などに存在する古市古墳群を合わせて、現在、世界遺産に暫定登録されました)
以上の様々な神話・伝説・伝承を総合的に考えると、
古代日本黎明期、大陸文化が、九州に上陸し、東進し始めた。。。
そして瀬戸内海を渡って、大阪湾の最東端に位置する現在の堺市へ上陸し、その文化はそのまま東進を続け、奈良盆地へ至り、大和朝廷と形成されていった。。。
この堺と奈良盆地の中間点に位置するのが羽曳野であり、「古市」の名の通り、この交通要衝の地に「市」が立ち、多くの交易が為されていたと伝承されています。
経済が活発なところには当然強大な権力も発生するのは歴史が示す道理。
この地域を中心に古代大和政権の前駆である有力王朝が存在し、その盟主が応神天皇であった、と考えられるのです。
この堺→羽曳野→奈良 には、七世紀の初め(613年)に我が国最初の「国道」である「竹内街道」が造られた。といもの、この事を証明するであろう一事実でしょう。
そこで、ここからが本題なのですが、
今回この、「日本国発祥の地」、といっても過言でない、羽曳野で、我々が、邪教創価を撲滅するために、徹底的にニセ本尊チラシを撒きまくっているこの因縁について。
これは一体どういう不思議なるできごとなのか!
今日本国を傾かせている、あるいは、滅ぼさんとしているのは、まさに大謗法の極みである創価学会であることは間違いない事実です。
この創価を撲滅するために、まず、日本発祥の地である羽曳野を清める!
日本の祖である応神天皇が眠るこの羽曳野を徹底的に浄化する!
そして、この日本の祖である応神天皇を、正統な化儀化法により、懇ろに墓参し回向し奉る!
この応神天皇はまさに八幡大菩薩として、国土安穏の諸天善神として現に在(ましま)す。
この国土守護の大諸天・八幡大菩薩に大きな法味を捧げる。
そのことにより、まず日本国の源の地域を破折し浄化することによって、現在の日本の再建を図る。
『源濁れば、流れ清からず」
逆に考えれば、日本国の源の地を浄化洗浄することにより、日本国全体を浄化再建できる!
日本国の源父である応神天皇がかつて活躍し、そして今眠るその地を浄化することが今後の広宣流布のまず一番の要となるはずではないのか。
そのような重大な意義が、実は今回のプロジェクトにこめられていたのではあるまいか。
これは誰も、最初から仕組んだり、意図したことではなかった。
けれど、様々な功徳と因縁が線をを結び、ここ羽曳野で交点となり、今回の全魂の下種折伏運動につながったんだろうか。。。。
本当に不思議です!
そして、本当に有り難い!
今日は、この大感動を何とか皆様に伝えたくて、久しぶりに書きました。
(消灯時間を過ぎて。。今、我々現地メンバーは、炎天下でのチラシ撒きもいよいよ体力の限界点にきてまして、今日より、10時消灯を決めた矢先でした。(^^;))
この意義深き闘いに、志在らんものは是非、ご参加ください!
日本国の源を浄化する功徳は莫大でありましょう!
必ずや大きな罪障消滅が為され、境涯が大きく拓かれることは間違いないことでしょう!