論題

御書(為政者への奏上文や、主に信徒などへのお手紙文)に大聖人の仏法の全てが書かれているのか。

1、【御本尊の御相貌の変遷について】

以下の全ての内容について、御書には一言も説かれていない。

●大聖人御図顕の御本尊に年次により御相貌に大変な差異がある理由。

●大聖人様御所顕の御本尊中の記銘に「仏滅後二千二百二十余年」と「三十余年」と両様あられる理由。

●大聖人が、仏滅讃文を書かれ始めた御本尊はいつからか。

●文永、建治年間には全て「二千二百二十余年」、弘安元年以降に「二千二百三十余年」との讃文があられるのに、現存するところの文永十二年四月の御本尊五幅のみに「二千二百三十余年」と書かれていることは何故か。

●弘安以降の御本尊において、善徳仏、十方分身仏をお示しされない理由。

●弘安以降の御本尊において、南無妙法蓮華経と日蓮在判の一体の尊形を拝し、かつ判形の更改あることの理由。

●建長年間に、戒定慧三学中の虚空不動慧たる本門の題目が宗旨建立以来弘通せられ、 文永、建治より虚空不動定たる本門の本尊が顕され、さらに弘安二年に至って、宗祖の末法化導における虚空不動戒たる戒躰が顕された、この時期の次第はどういう理由で生じたのか。

●『観心本尊抄』において、法華経の十界互具の観心を文証によって示され、特に
  ■「経に云く『提婆達多乃至天王如来』等云云地獄界所具の仏界なり」
と、地獄に堕ちた提婆達多が天王如来となることを記せられた提婆達多品の意義をもって、
地獄界に仏界が具わることを説かれた。
 次いで、それぞれの経文を挙げて他の九界に具すところの十界が述べられているが、
大聖人所顕の御本尊は、文永十一年七月二十五日の一幅のほかは、始めより弘安二年二月、日目上人授与の本尊の直前まで、約六十幅の御本尊のすべてに、他の九界はあるけれども、地獄界を示す提婆達多を挙げられていない。
つまり、地獄界のみを御本尊の大功徳の御相貌から、敢えて外されている。
この理由。

●しかし、文永十一年七月二十五日のただ一幅にのみ提婆達多を示されたのは何故か。

大聖人の出世の本懐である、「十界文字曼荼羅御本尊」について、かくも重大事が、全く御書に御表示ないということは、御書に大聖人の大事の法門の全てが顕説されている訳ではない。ということである。

ちなみに上記の内容について日蓮正宗大石寺の歴代御法主上人が全問について極めて論理的かつ合理的な御指南されている。



補足

2、 「符」

★以下の御文に仰せの「符」とは何か。それはどういう由来で存在し、具体的にはどのようなものか?

■是併(しかしなが)ら日蓮が符を進(まい)らせし故なり。(月満御前御書 文永八年五月八日 五〇歳 462)

■懐胎のよし承り候ひ畢んぬ。それについては符の事仰せ候。日蓮相承の中より撰み出だして候。能く能く信心あるべく候。(四条金吾女房御書 文永八年五月 五〇歳 464)

3、数珠

●修行の大事な法具である数珠の日蓮教団における形状についての御指南は御書には一文もない。