御供養の精神

戸田城聖二代会長
●「もともと、御僧侶に対する御供養は、仏に対する真心を現わすものであり、御僧侶は、大聖人に代わって、これをお納めになるのであって、供養は、純真なものでなくてはならない」(『戸田城聖全集』第一巻六二頁)

池田大作の『人間革命』に、戸田氏の言葉として、
●「当宗には、謗法(ほうぼう)の供養を受けず、という清浄そのものの鉄則さえある。御供養は、われわれ信徒の真心だけです。そのほかに何もない。問題は、真心こめて御供養申し上げる。ただそれだけではないか。それを、御僧侶がどうお使いになろうと、われわれ信徒には関係のないことだ。仮に、その御僧侶が浄財を、とんでもないことに使ったとしても、われわれの関知するところではない。その方に、大聖人のお叱(しか)りがあるのは必定です。御供養はかくあるべきものと、戸田は思うのです」(第三巻二〇六頁)

●それで、寺ができた以上は、今後は、私の言うことを忘れずにいてほしいのは、信心を基調にして、折伏することと、お寺を大事にすることと、御本山へ尽くすことは、あたりまえのことなんだからね。
 それが自慢のようになっては、もう、信者としては資格がない。
 いいか、もう一度言います。折伏することと、お寺へ尽くすことと、御本山への御奉公は、あたりまえのことなのです。それをしたからって、なにも偉いのではないのです。」

●ただ、ひとこと注意しておくことは、こういう一山の大事業を、信者がおこす場合に、お山の行政にまで口を出すことである。かかることは絶対に許しがたいことであって、信者は、ただ真心をもって、御本尊様へのご奉公を、いちずにつとめなければならない。

●学会は、宗務院の行政には絶対に従うのが鉄則であり、今後もただご奉公を尽くしていくばかりである」(戸田城聖全集3-499)

●お布施をすることは、坊さんを喜ばすためにするのではない。それは、御供養をして、罪障を消していただくためにするのである。