釋尊 も 大聖人 も 弟子(僧侶)達が葬送

▼「仏教の原点である釈尊の時代、僧侶は葬儀などするべきではないと考えられていた。
釈尊自身の葬儀も在家が行った。これは歴史的事実である」 (『聖教新聞』平成四年九月二十七日付)

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破折

▲″弟子の阿難(あなん)が釈尊に対して

諸仏のご遺体に対して、私達はどのようにしたらよいのでしょうか」

と質問をしたところ、
釈尊は

「お前たちは諸仏の遺骨の供養(崇拝)に関わる必要はない。

と説かれるが、これは「遺体」ではなく「遺骨」についてのことであり、
阿難が再び遺体について重ねて問うと、
釈尊は
(遺体を)火葬にすること、そして仏塔・宝塔を造り供養すべきこと」を説かれたのである。″ (詳細『ブツダ最後の旅』中村元訳)

 
池田大作(ほか創価学会首脳ら)は、この内容のうち、「遺骨」に関することのみを切り文して取り上げ、歪曲(わいきょく)した。

●「お前たち(弟子達)は諸仏の遺骨の供養(崇拝)に関わる必要はない」

との部分を、↓↓↓

▼「釈尊は、自身の葬儀の一切を在家の人々に任せよと命じた」

とすり替えた。

●「諸仏」を       → ▼「釈尊」 と限定
●「遺骨の供養」 を → ▼「葬儀の一切」  

と置き換えている。

釈尊は「在家の者に葬儀を任せた」などとはけっして言われていない。

その後、阿難は再度、釈尊に、「諸仏の遺体はどのように処理したらいいのか」と問う。
それに対して釈尊は、葬儀の方法について詳細に説いているのである。
それを要約すると、

■「遺体を、新しい布で包み、打ってほぐされた綿で包む。次に新しい布で包む。
此のような仕方で遺体を五百重(え) に包んで、それから鉄の油槽の中に入れ、他の一つの鉄槽で覆い、あらゆる香料を含む薪(〈註〉白檀などか?)の堆積をつくって遺体を火葬に付する。
その後、四辻にストゥーパ(塔)をつくるべきである。
誰であろうと、そこに花輪または香料または顔料をささげて礼拝し(〈今では、しきみ・お香などがこれに相当しよう〉)、
また浄心に信行する人々は、長いあいだ利益と幸せとが起るであろう。」

まさに、葬儀執行と、その後の法事作法を、決して「在家」ではない、「僧」である阿難に遺言されたのである。

そして現に、釈尊のご遺体を火葬する時には、五百人の修行僧が礼拝したのである。

また、この時、実に示唆に富んだ現象が起きた。

■【そのときマッラ族の四人の首長は、頭を洗い、新しい衣を着て、「われらは尊師(※釈尊)の火葬の薪の堆積に火をつけよう」と思ったが、火をつけることができなかった。
そこでクシナーラーの住民であるマッラ族の人々は尊者アヌルッダ(阿那律) にこのように言った。
▼「アヌルッダさまよ。マッラ族のこれらの四人の首長が(中略)火をつけることができないのは、どういう原因、どういうわけがあるのですか?」
▲「ヴァーセッタたちよ。神霊たちの意向は(あなたがたとは)異なっているからです。」
▼「尊い方よ。では、神霊たちの意向というのは、どうなのですか?」
▲「ヴァーセッタたちよ。神霊たちの意向は、
●〈ここに尊者大カッサパが、五百人の修行僧の大勢の集いとともに、パーヴァー(※註「市」)からクシナーラーに向って道を歩いておられる。
尊者大カッサパが頭をつけて尊師のみ足を拝まないあいだは、尊師の火葬の薪は燃えないであろう〉
というのです。」
▼「尊い方よ。神霊たちの思し召しのようにねがいましょう。」

次いで尊者大カッサパは、クシナーラーの天冠寺であるマッラ族の祠堂、尊師の火葬の薪のあるところにおもむいた。
そこにおもむいて、
(右肩をぬいで)衣を一方の(左の)肩にかけて、(※註 これまさに袈裟のことではないか)
合掌して、火葬の薪の堆積に三たび右肩をむけて廻って、足から覆いを取り去って、尊師のみ足に頭をつげて礼拝した。
かの五百人の修行僧も、衣を一方の肩にかけ、合掌して、火葬の薪の堆積に三たび右肩をむけて廻って、尊師のみ足に頭をつけて礼拝した。

そうして尊者大カッサパと五百人の修行僧とが礼拝しおわったときに、尊師の火葬の薪の堆積はおのずから燃えた。】 引用以上

この記述はまさに 『僧侶が導師でないと、葬儀執行はしてはならぬ。』 との御仏意ではないか。

● 「釈尊の時代、僧侶は葬儀などするべきではない」とか「釈尊自身の葬儀も在家が行なった」などと言い切っているものの、全くそのような歴史的事実は存在しない。
(詳細『富士学報二十四号』仏陀最後の教え 山本法明著)

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また
■ 『宗祖御遷化記録』 では 大聖人の葬儀はまさに六老僧を中心として、僧侶・在家共に参列して行われている。

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創価学会第二代会長戸田城聖氏をはじめ、学会破門以前の学会員は、皆、宗門の導師曼荼羅を奉掲し、僧侶の導師によって葬儀が行なわれていた。
それをどう説明するのか。

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■「このほうもんは、しでしをたゞしてほとけになり侯。しでしだにもちがい候へば、おなじほくゑをたもちまいらせて候へども、むげんぢごくにおち候也」(『歴代法主全書』第一巻一八三頁 日興上人)

正しい師弟相対の筋目をもって、はじめて生死ともに成仏ができる。
正しい筋目の上での「師」でもなんでもない「儀典部」などに葬儀を執行されたら、故人は地獄に堕ちること必定である。