元 創価学会→顕正会 
そして脱会した婦人部の体験談


■ 顕正会を脱会出来て良かった!

 私は、国立戒壇を唱える顕正会だけが、大聖人様の御遺命のままに突き進む正しき団体と信じ10数年活動していました。

しかし疑問は、先輩の後輩に対する威圧的な態度や悪口、不可解な浅井氏の言動等々、絶えず出て来てました。

その度に先輩から「煩悩障だ!怨嫉だ!」と罵倒され、私の心が濁っているからなのだと云われました。

私もそう思い込み「早く変わりたい」と、しっかり祈り多くの方の折伏にも言われるままに出かけていきました。

しかし、生活といえば逆行するかのように、入会と同時に母の認知症が始まり、母を無理やり入会させるも進行は止まらず、嫌がる母を“上品の親孝行だ”と信じ無理やり婦人部集会に連れ出し、ある日などは、風邪をこじらせグループホームの方々を困らせてしまいました。

そして主人の母の葬儀に「謗法の坊主とは同座出来ない!」と欠席した為、殴る蹴るの暴力を受け、以来夫婦仲に亀裂が生じ、二人で買った家も売却して離婚となりました。

長く勤めた会社も仕事をそっちのけで活動するうちに解雇となり、以降職を転々とする事となりました。

娘は、「気違いみたいな信心をする母親の側には居たくない!」と家を出て行き、父も「私が恐い」と妹のところに出て行き、顕正会員のその妹との関係もギクシャクとなってしまいました。

唯一勤行・折伏していた息子は、集会に参加する為部活を休んだ頃から、監督との関係がおかしくなり、大好きだった野球部も辞めました。

そして何か気に入らないと壁に穴を開けたりするようになって行ったのでした。

また、飼っている犬もまだ若くて元気だったのに、突然死んでしまい、もう一匹の犬もよく脱走するようになりました。

しかしそれでもまだ、「全て私の罪障なのだ!魔にしてはいけない!」と相変わらず、なけなしのお金を持って、またある時は質屋でお金をつくり折伏・集会・語り合いとの活動は続けていました。

そんなある日、先輩である支区部長が以前私がお世話になっていた日蓮正宗の末寺に、「顕正新聞を持って行こう」と誘って来ましたので、もう一人を加え3人で行く事となりました。

新聞を一通り読み終えたところで御住職様が気の毒に思ったのか、

「顕正会がお寺を大事に思っていることは分かりました。しかし奉安堂は、戒壇の御本尊様を御護りするにふさわしい堅牢な建物ですので、心配無用です!」

とキッパリ云われ、帰るよう促されました。

そして今度は私と支区部長で、法華講の婦人のお宅に折伏に行きました。

その婦人は、80歳を越え少し認知症を患い、私達のことを法華講の方と間違えて、講頭であるご主人は留守でしたが、家に上げて下さり、私達と「大聖人様は凄いですね!」と何度も嬉しそうに語るのでした。

「では一緒に勤行しましょうと」支区部長が促し、なんと散々悪口言っていた日達上人御書写の御本尊様の御前で、入会勤行が始まりました。

何度も「いいのですか?」と訊ねましたが部長は「いいのよ。大丈夫だから」を繰り返すばかりでした。

そして数日後に行われた婦人部集会で私は、耳を疑いました。

御住職様の発言は、「顕正会は正しい」にすりかわり、婦人の入会は、「一同涙の入会勤行が叶いました」と作り話となり、涙ながらに発表する姿を目の当たりにして、

「やっぱり違った。なんてことを私はしたのか」と後悔しました。

「私も同罪だ!この折伏は間違いだった!」と悔やみました。

それから私は、「顕正会は本当に正しいのですか?教えてください!」と戒壇の大御本尊様をしっかり思い浮かべ祈りました。

そして、もう「湧き出てくる疑問に目を瞑り耳を塞いでいくことは止めよう」と気持ちが固まり、法華講の方のお話、御住職様のお話、御書を開きました。

そして次々と浅井氏の謀りが分かって行きました。

▼ 東北の震災以降急に始まった原発反対が20年前には容認していた事実、

▼ 次々と繰り返す当る事の無い予言、

▼ 偽本尊の作成。

▼ そして浅井氏も講義していた松野殿御返事には、

『然るに在家の御身は但余念なく南妙法蓮華経と御唱えありて僧をも供養し給うが肝心にて候なり、それも経文の如くならば随力演説も有るべきか、』

とあり、浅井氏は、この部分は決して言った事がなかったのです。

▼ また日興遺誡置文には、

『当門流に於ては御書を心肝に染め、極理を師伝して云々』とありました。

「何故会員に正しく教えないのか!」

他の御文も拝すれば拝する程、あまりの無惨さに気が遠くなり、酷い謀りに悔し涙が止まりませんでした。

「浅井氏こそ大謗法者、大六天の魔王ではないか!」

その手伝いをしていた私も、大聖人様に弓を引く大罪を犯していた事を初めて知りました。

「何て恐ろしいことをしてしまったのか!」と夜も眠れない日々が続きました。

日蓮正宗に縁しながら、守れた生活に甘んじ、学ぶこともせず、折伏もしないに等しく、信心が懈怠となっていたところに魔が忍び寄り、しっかり腕を捕まれ、身動き出来なくなっていたことに初めて気が付きました。

色々教えて下さった法華講の方に急ぎ連絡を取り、長野県から九州まで御住職様がわざわざ来て頂く運びとなり、無事、御本尊様を御安置頂き、勧誡式の時には、御本尊様の妙の御文字に目がピタッ!と合った瞬間、

「本物の御本尊様だ!」

まるで長い間巻かれていた鎖が解かれて行く様で安堵感で一杯となりました。

そして顕正会時代にあった疑問は、全て辻褄が合いスッキリとしました。

 ■ 顕正会時代からの疑問が全部スッキリ!

● 何故学会版本尊は偽物なのにその事には一切ふれないのか?

→顕正会も偽本尊だから。

 

● 何故横の繋がりを異常なまでに禁止するのか?

→事実を知った者から真実が伝わると会員が減っていくから。

 

● 何故御書を浅井氏一人しか持っていないのか?

→御書には、いたるところに血脈の大事、僧俗和合が説かれているから。
会員を洗脳するのに不都合だから。

 

● 何故幹部は、まるで独裁者みたいになり嘘も平気でつけるのか?

→尊敬する浅井氏にそっくりになるから。
その身に魔が入り心を失っていくから。


● 百六箇抄に大聖人様は、

『但し直授結要付属一人なり、白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為して日蓮が正義悉く以て毛頭程も之れを残さず悉く付属せしめ單んぬ、上首巳下並に末弟等異論無く尽未来際に至るまで予が存日の如く日興嫡嫡付法の上人を以て総貫首と仰ぐ可き者なり

とありました。

顕正会では、浅井氏に絶対服従ですよね 
異論厳禁ですよね 
しかし何故、浅井氏は絶対の仏様である大聖人様の上記の御金言を守れなかったのですか?

● また、 『国立戒壇』は、国柱会の田中智学が言いだしっぺで、『国立戒壇』だけを云うのなら別に明治時代からある国柱会でもいいではないか!
だから、未来を危惧され血脈が絶対大事なのだ!と大聖人様が御書のいたるところでおしゃってあるのだ。


■ 日蓮正宗に帰伏して功徳を感じる日々

脱会して日蓮正宗へ帰伏してからの私の生活は、確かに変わって行ってます。

娘が帰って来て私の助けをしてくれ、勧誡式も母と一緒に受ける事が叶ました。

洗脳されかかっていた息子も落ち着きを取り戻し、壁に穴開けることもなく、後少しで卒業です。

営業職である自身の仕事でも収入も上向きになってきてます。

別離れた主人とも落ち着いて話が出来るようになっていってます。

犬までピタッと脱走しなくなった事にも不思議を感じます。

父も顕正会を辞めたことに「良かった。これから頑張ればよかたい」と言ってくれ、家庭を顧みず顕正会活動に没頭していた私に代わり、母を一番世話していてくれていたのは父親であった事、その父に罵声を飛ばし敵呼ばわりした事に、心より反省し「ごめんなさい」と言え感謝の思いが込みあげました。

私の顕正会でつくった罪障は、五逆罪に当り、その罪障消滅の姿もまた見せていただくことでしょう。

しかし本物の信心だから必ず乗り越えられます。

そして臨終の時大聖人様の御下にいける信心をこれからは磨いていきます。

顕正会から脱会出来て本当に良かったです!!

 
■ まだ浅井氏に騙されている顕正会員へ!

顕正会で悶々としているまま連なっている皆さん、浅井氏の言う予言に惑わされないで下さい。

次々に外れるのは愚者の証拠です。

先輩の云う「絶対だ!」の言葉に騙されないで下さい。

その言葉になんの責任も持ってません。

「地獄」や「罰」の言葉に恐れないで下さい。

顕正会を辞めても罰はでません。

顕正会こそ地獄に向かう泥船なのです。

仏様は大聖人様です!
大聖人様の御金言が絶対であり、御金言に背くことこそもっとも恐れなければいけないのです。
七百数十年いつの時代も、唯授一人の血脈で法灯を灯し続けてきたのは日蓮正宗なのです。
広宣流布をするのは、日蓮正宗の僧俗和合で前進する法華講だけなのです!