『学会歴12年 板橋区  元男子部長』



私は昨年の平成26年('14)6月8日に高原さん紹介の下、御授戒を受けさせて頂き、日蓮正宗 法華講へ正式に入信させて頂きました。

ここで私の入信に至るまでに行なって来た大謗法と、入信して約1年半の中で実感させて頂いた功徳と罪障消滅の一分をお話させて頂きたく思います。

よろしくお願い申し上げます。


私は創価学会の両親を持つ家庭に昭和48年(’73)、二世として生まれ、現在に至っております。

私の両親は日蓮正宗創価学会の時代からの強信者で特に母は信仰心が強く、幼少の頃より御本尊様の前で唱題している姿の印象が強く、今でも鮮明に私の記憶に残っております。

私もそんな母の純粋な信仰心のせいか、不思議と幼少の頃より御本尊様と御題目だけは大好きで、他に取り柄の無い私でしたが御題目だけは一生懸命にしていた記憶が残っております。

しかし不思議と 『創価学会』 と云う言葉を聞くだけで本能的におびえて、嫌悪感を強く抱く感情が幼少の頃より強くあり、それは大人になってからも変わる事はありませんでした。

高校卒業と同時に家族と離れ、私は板橋区にある印刷会社に就職し会社の寮生活をすると云う事で平成3年(’91)、当時18歳の時に御寺で御授戒を受け、日顕上人様の御本尊様をお預りさせて頂いた事を薄っすらで真に申し訳ないのですが記憶しており、寮の部屋に御安置して18〜25歳までの間は大嫌いな学会から離れて生活をしておりました。

しかし25歳を迎えた頃、両親への親孝行を真剣に考える事が頻繁に増え 

『あれだけ母が真面目に信心しているのだから僕もそろそろ学会活動をやらないと本当の親孝行出来ないよなぁ?』 と強く感じ出していました、

そしてその頃、当時の地域で活動してた学会の男子部から会合の誘いを受け参加するようになりました。

この時期は平成10年(’98)ですから既に学会は破門後、ニセ本尊が日本中に普及している真っ只中です。

そして翌年の平成11年(’99)、26歳の時に当時の男子部の部長に日顕上人様の御本尊様を執拗に学会本尊(ニセ本尊)に取り替えるよう迫られ、当時、何も知らない状況だったとは云え、私は日顕上人様御書写の御本尊様を学会に渡しニセ本尊に取り替えしてしまうと云う大謗法を犯してしまいました。

今思うと当時から既に現証が出ておりました。

平成11年(’99)の3月頃に日顕上人様の御本尊様を学会へ御不敬しニセ本尊に取り替えて約2ヶ月が過ぎた5月のゴールデンウィーク明けに会社から突然、部署移動の話が出たのです。

私は当時、18〜26歳まで印刷現場で8年間、交代制勤務をしていました。

確かに当時の私は浅はかな考えも有り

『もう夜勤は嫌だ、このままだと過労死してしまう。普通に夜は寝れる仕事に就きたい 』

と思っており、表向きは

『自分を高めたい、頑張ります!!』 と云うような適当な理由を総務部に言い、営業を申請していたのは事実ありました。

しかしまさか、ここからが魔の通力≠味わい、学会に真剣に取り組み、ドン底になって行く人生になるとはこの時は当然、思いも寄りませんでした。

なんと5月のゴールデンウィーク明けに営業への希望が叶ったのです!

しかも花形の海外営業部です!

その瞬間、

『凄い! 願いが叶った!』  と思いました!

しかし…まさか魔の通力≠ニはこの時は思いません。

意気揚々と海外営業部へ配属して自分はこの時、初めて自分の愚かさに気づくのです。

周りは高学歴、英語は日常会話でされている環境の職場…。

私は高卒で勉強なんてまともにして来なかった…
パソコンも使えないしローマ字もまともに読めない…
どうしよう…

と云う状況になり約1ヶ月後、私は周りの同僚からは馬鹿にされ、先方からも社内からも非難中傷を浴びるようになって行きます。

帰りは必ず私が最後、ほぼ毎日、夜中の2〜3時と云う状況が約3年間続きました。

配属され3ヶ月後に私は20kg以上、体重が落ち40kg台の激ヤセとなりその後、リバウンドで80kg台の激太りとなり、自分の身体がヒートショックを起こした状態になり精神も身体もコントロールが付かなくなり当然、様々、病気を発症します。

胃炎、胃潰瘍、大腸炎、下血、頭痛、円形脱毛症、下血、高血圧、ちなみに血圧は200を超えておりました、

その他に 睡眠障害、軽度の鬱病です。

幸い鬱病は軽度で済んで奇跡的でしたが、このような病気を抱えたまま約12年間も私はニセ本尊の事を知らず、「病気を治したい!」一心で学会活動に打ち込んで行く事になります。

また学会活動を続けて行く中で 『魔の通力』 により一時的に抱えてる病気が良くなる事が多々あり、その度に一喜一憂し、結局は身体がむしばまれていく愚かさにも気が付かず、
私は学会時代に選挙や折伏で成果を出せた時、決まって

『病気が治りましたぁ!!!』  などと意気揚々と会合で活動報告をしていた事を今は恥じております。


私は学会時代12年間、本当に一生懸命に学会活動をして参りました。

財務も毎年、年末のボーナスは全て、時には3桁の財務もやりました。

それは両親に喜んで貰いたい一心だったからです。

その為だったら 「自分に貯金が残らずともいい!」 とさえ思っておりました。

今思えば、創価のこの 『財務』 と云うシステムの悪意に気付かず、 

『財務には功徳がある!!』 

と云う幹部の指導に洗脳され、本当に愚かではありましたが、当時は必死な思いでやっておりました。

しかし、いつまでたってもどんなに頑張っても願いなるものは叶わない…心の 『むなしさ』 のようなものだけは常にあると云う精神状態でした。


そんな中、病気を12年間抱えた状態が続き、平成19年(’07)7月、34歳の時に完全に身も心も、ついていけなくなり印刷会社を退職しました。

そしてこの時も恐ろしい事が起きました。

退職する数ヶ月前、学会の先輩に指導を受けに行った時 

『百万遍の題目をしてから体調の事も退職の事も乗り切ろう!!』 との約束をこの時にしておりました。

私は当時、尊敬していた先輩の指導の下、一生懸命にニセ本尊を拝み、百万遍をやり切ったのです。

そして百万遍を終えた2日後に愛犬が突然死をしたのです…。

今思えば、私がニセ本尊を拝んだせいで家族である愛犬を亡くしてしまったのだと本当に後悔しております。


しかし、そのような出来事があったにも関わらず私は 『自身の信心が足らないんだ』 と自分に言い聞かせ、さらに学会活動を率先して頑張り続けて行きます。

そしてその翌年、平成20年(’08)に転職します。

しかしここでも入職から約2年、陰湿で罵倒が飛び交うイジメにあいます。

勿論、病気を抱えたままですし、精神的にも疲れ、急に髪がバサッと抜け落ち、円形脱毛症が再発、次第に酷くなっていき、いつも職場に行けばイジメをする人間に対し殺意を抱き、それを我慢しながら罵詈雑言される毎日でした。

『何故、一生懸命に活動しているのにこんなにも酷い目にあい、我慢しなければならないのだろう』 と云う毎日でした。


またこの2年間の間、私は人材グループ牙城会で信濃町にて本部担当の着任をしており男子部では部長で私の部屋は部の拠点。

常に学会員が出入りしニセ本尊に題目をする毎日でした。

また、職場のイジメが余りにも酷かった為、上司に対応して頂きましたが中々、改善する事は出来ず結局、イジメる側の人間を注意しても、忠告を守れないと云う状況のままで、結果、放置となりました。

この事を唯一話せる友人に相談した頃には、とうとう病気が悪化し、特に頭痛と睡眠障害が酷くなっていた時期でもあり、変わり果てて行く私を見兼ねて友人から

『樋田さんと云う人の動画を観てみたら』

と言われ、そこで始めてニセ本尊の事を知り、樋田さんのニセ本尊に関する動画を観た瞬間、

『全てはニセ本尊だったのかーッ!!』

と部屋で叫び、動画を観終わった瞬間に仏壇からニセ本尊を剥ぎ取る勢いで巻いて仏壇の引き出し奥に投げつけるように、しまいました。

樋田さんの動画を初めて観て、初めに思い浮かんだのが

『両親を裏切る事は出来ない・・・』

と云う思いでした。

しかし

『学会はニセ本尊なんだ!!』

と云う事実をどう伝えれば良いのか…

当時の私はこの事で常に悩み、葛藤する日々でした。

しかし先ずは病気を治す為、一切の学会活動は辞めようと云う気持ちになり、当時の分区男子部長との話し合いで休養する事になりました。

その後、直ぐに不思議な事が起こり始めました。

職場での陰湿なイジメが次第に軽減して行き、まるで何もなかったように笑顔や笑い声が聞こえて来る職場へと変わっていったのです。

その時、私は

『ニセ本尊を拝まなくなったからなのかな?…これは凄いな…』

と思い始めていました…。

ただその頃の私自身

『もう宗教はこりごりだ…少し距離を置きたい』

と頭破作七分の一面もあり、本当に本物の御本尊様を求めてる気持ちとは裏腹に正宗に帰伏する勇気を持てず、中途半端な状態でした。

当時の私はニセ本尊と気付いたにも関わらず臆病な心に負け

『両親に言えば、きっとショックを受けて死んでしまうだろう』

と自身に言い訳し何も出来ず、ずっとモヤモヤした状態でした。

その後、その状態のまま約3年間、学会からは離れましたが脱会に対しては躊躇しておりました。

そして体調も悪い状態が変わらず続いておりました。

そんな私の姿を見兼ねてか、また友人が

『日蓮正宗の知人が高原さんと云う人の連絡先を知ってるから相談してみれば』

と背中を押してくれたのです。

この一言をきっかけに私は

『肚を決めよう!!そうだ、もうこのままではいけない』

と思い改めて樋田さんの動画を観る中、

『もう一度、人生をやり直したい!!本当に家族を救いたいなら僕がやるしかない!!』

とやっと決心が付き、高原さんに連絡し樋田さん、高原さんとお会いし様々お話を伺い、日蓮正宗へ入信させて頂く事になりました。



入信させて頂いて約1年半の間、学会時代にお世話になった地域を含め高原さん、川井さんをはじめ多くの諸先輩方と一緒に破折に歩きました。

また家族全員にも高原さんに入って貰って破折出来、親孝行の一分をさせて頂いたと心から実感しています。

また日蓮正宗に帰伏させて頂いてから、まだ抱えてる病気はあるもののほとんどの病気は軽減し健康診断でも様々な数値が平均値になってきております。

また御本尊様の御前で勤行、唱題出来る喜び、大石寺におわします本門戒壇の大御本尊様に御会いさせて頂ける喜びを生命で感じさせて頂いた事が私にとって本当の功徳だと実感しております。

今後もさらに今も創価執行部に洗脳されてる健気な学会員の皆さんを一人でも多く救い切って行き、平成33年に向けて前進して参りたいと所存です。

有難うございました。