創価学会の皆さん、初めましてM.,Iと申します。
私は去年の暮れに遠くから車で駆けつけてきてくれた法華講の樋田さんに
「ニセ本尊は不幸のもと」と話され、長時間話を聞いていると、いろいろ思い当たることがありました。
確かにそういわれれば、出勤前の一時間唱題を持続しても、あげればあげる程
仕事上でうまくいかず、しまいには、ストレスがたまり身体の調子もおかしくなり、精神的にも追い詰められて、不安な日々を送る様になりました。
地区の他の人たちにも、一生懸命、学会活動を頑張っているのに、
婦人部でガンだ、脳梗塞だ、半身不随だ、壮年部では離婚だ、不倫だ、倒産だ、子供の死だ、等々と、様々な不幸な現証が出ており、その日樋田さんが帰ってから
「これは本当にこの本尊が間違っているのかも知れない。」と、半月位、真剣に悩み、真剣に考え抜いた結果、血脈正しい日蓮正宗の御本尊を受けることを決意ました。
でも、それまで一緒にやってきた仲間達と決別することは、言うに言えない、断腸の思いでした。
そんな中、親友と信じていた支部幹部にこっそりこの心境を打ち明けたら、「それは奥さんにそそのかされているからそんな気持ちになったんだ!
離婚してMチャンだけでも学会に残りな!」と言われて、愕然としました。
一家和楽の信心を目指すのが、創価学会の信心ではなかったのか・・・
それを幹部が離婚を真剣に勧めるなんて・・
この出来事で、私の心はきっぱり脱会を決めました。

私の日蓮正宗創価学会への入信は、昭和55年の御受戒でした。
その頃は、ご本尊様に唱題すると確信が出て、勇気が出てきて、生命力が出て何でも乗り越えていけた事を今でも覚えています。
今、正しい御本尊に勤行・唱題するようになってみて、その頃の歓喜が再び蘇ってきました。
そして、今から思うと、創価学会から下付された御本尊にどんなに唱題しても、
気持ちが腐ってやる気が萎えてくるばかりで、歓喜など全くありませんでした。
やはりあれはニセ本尊だったんだと、今は、はっきりそう思います。

学会の皆さん、自分の一家、自分の生命は、池田大作または幹部の人達が守ってくれるのでは絶対ありません。
どうか勇気を出して本物の正統のご本尊様を受けられますように。
また本山中心の戸田先生の時代の折伏第一にも戻ろうではありませんか。