Top /教義的資料目次

大乗非仏説に対しての懐疑論

法華経の伝承と覚り、及び実証に関する一考察

　　　　　　　富士学林教授（当時）　阿部信彰　御尊師

抜粋

（Ⅰ）法華経の伝承について

法華経の伝承と申しますと、通常は六訳三存とか、羅什訳の諸本の対照などを指すかと思いますが、本日はそのもう一歩手前における、大乗経典の成立という辺りの問題について考察を致したいと思います。

テキストに掲げてあります「大乗経典」や「法華経」などの項目は、主として『岩波仏教辞典』所載の解説であります。
大乗経典や法華経の成立に関しましては、所謂、仏教学者と呼はれる人々によって今日まで研究が進められております。
しかるにそれらの研究内容は非常に広汎、かつ多岐に亘っております関係上、その平均的な見解として、
東京大学教授の中村元氏、田村芳朗氏等の編纂になる当該仏教辞典の解説を問題検討の貸料に用いた次第であります。

またかかる仏教学の所説を取り上げた理由は、次に掲げますような大乗経典や法華経の成立に関する解説が、権威をもった一般向けの仏教辞典の内容として世間に出回っており、これを読んだ人々は、その解説をほほ真実と認識しているものと見なければならず、またさらに先に述べた宗内の一部における見解も、かかる仏教学者の学説に影響を受けたものと考えられるが故であります。

【１】　問題の所在　大乗非仏説

＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝

「大乗非仏説」

大乗経典は仏（釈尊）の説いたものでほないという説。
すでに古くインドや中国において見えているが、客観的・実証的に大乗非仏説を唱えたのほ、日本近世の富永仲基（とみながなかもと）に始まる。
仲基は「出定後語」（しゅつじょうごご）を著し、経典すべてが釈迦一代において説かれたものでほなく、歴史的進展にともなって異なった思想や学説がおこり、それが順次、前のものの上に付加されていった（異部加上）とし、
釈尊の金口直説と思われるものは原始経典（阿含経）、それもほんの一部であるとした。（乃至）
明治に入って、ヨーロッパの近代的な学問研究の方法が取りいれられ、また原典研究が盛んとなるにしたがい、改めて大乗非仏説の論がおこり、そこから原始仏教ないし根本仏教に帰れとの声が高まっていった。

しかし、富永仲基も指摘するように、原始経典にもどったとしても釈尊の直説を探りだすことは困難であり、原始経典そのものがゴータマ・ブッダ没後に編集されたことなどから、大乗非仏説の主張ないし論争は、現在では下火となる（岩波仏教辞典538）

＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝

この大乗非仏説とは、大乗経典は釈尊の直説ではないとする説であり、特に我が国において、江戸中期の思想家・富永仲基が、「出定後語」という書を著し、その中で、多くの経典中において、釈尊の直説は原始経典の一部でしかないと述べたことに始まります。

その後、更に明治期以降、欧州の近代的な手法を用いた原典研究が盛んとなり、大乗非仏説が学会に定着していったのであります。
「岩波仏教辞典」では現在では論争が下火となったとしていますが、これは研究の過程において、大乗のみならず、小乗仏教も含めて、一切の経典が釈尊滅後、かなりの時代を経てからの成立であることが明らかとなったところから、小乗のみを仏説とし、大乗仏教を仏説と認めないとする大乗非仏説の論拠が薄弱となり、そのために論争が下火となったということでございまして、けっして今日の仏教学会において、法華経をはじめとする大乗経典が釈尊の直税であると見做されるようになったということではないのであります。

「2」経典の結集と成立

＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝

「結集」

比丘たちが集まって仏陀の教えを誦出し、互いの記憶を確認しながら、合議の上で聖典を編集すること。
ブッダの滅後数百年間、その教えはもっぱら記憶暗唱を頼りとして受け継がれたから、その散逸を防ぎ、また教団の統一化をはかるためには、このような結集が幾度か必要とされた。
伝承によると、
■ブッダの滅後王舎城郊外に五OO人の比丘たちが集まり、最初の結集が開かれたという（五百結集）。
このときは仏弟子摩訶迦葉が座長となり、阿難陀と優波離がそれぞれ経（教法）と律（戒律）の編集主任を担当したとされる。

■その後のインドにおける主な結集としては、仏滅後一OO年頃、戒律上の異議が生じたことを契機に、毘舎離で七OO人の比丘を集めて開かれたとされる第二回結集（七百結集）、

■滅後二OO年に阿育王の治下、華氏城で一OOO人の此丘を集めて行われたという第三回結集（千人結集）、

■紀元後二世紀頃、カニシカ王のもとでカシミールの比丘五OO人を集めて開かれたという第四回結集などが知られている。

ただし、このうち第三回・第四回の結集についてほ南伝・北仏の両仏教の伝承が一致していない　　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　岩波仏教辞典二二七

＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝

「原始仏教――聖典の成立

　仏教の聖典を経律論の三蔵と総称するが、そのうち律蔵と経蔵の二蔵がこの時代に成立し、原始仏教聖典とも呼ばれる。
現在漢訳に伝えられている経蔵の内容は、
長阿含、中阿含、雑阿含、増一阿含の四阿含であり、
また南方上座部では、
長部、中部、相応部、増支部と小部の五部（ニカーマ）をもって構成されている。

長阿含（長部）は長い経典の集成、
中阿含（中部）は中位の長さの経典の集成で、
雑阿含（相応部）と増一阿含（増支部）の二部二阿含は短い経典を集めている
　　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　岩波仏教辞典二三六

＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝

　「大乗経典の成立」

　紀元後一世紀以降に般若経・維摩経・法華経・華厳経・無量寿経等の大乗経典（第一期ないし初期大乗経典が編集され、
　三世紀には竜樹が「中論」等を著して空の思想体系化に努め、
　四世紀には勝鬘経・涅槃経などの如来蔵経典及び解深密経・大乗阿毘達磨経の阿頼耶識経典（第二期ないし中期大乗経典）が編集された。
　五世紀には無着・世親によって瑜伽行派が生まれ、中観派と対立したが、経典としては如来蔵と阿頼耶識との統合をはかった楞伽経や大乗密厳経（第三期ないし後期大乗経典）が編集された。
　六世紀ころから密教化も進み、
　七世紀には大日経・金剛頂経などが作られ、金剛乗が成立した　　　　　　　　岩波仏教辞典538

＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝

次に経典の結集とは、釈尊の鋭かれた教えを弟子の僧侶が集まり、これを声を出して唱え会ったことにあります。
これは御承知のごとく、釈尊は、大聖人様のように、自ら筆を執られることはなく、また弟子たちも天台大師における章安尊者のような筆録ということをせずに、耳で聞いた釈尊の教えを、自らの頭に記憶して伝承していったからであります。

現在でも、特殊な能力を持ち、一見した数字を何百桁までもすべて覚えている人がおりますように、当時の記憶能力に勝れた声聞の弟子たちが、その持てる力を研ぎ澄ませて仏の説法を聴聞したときの記憶というものは、我々の常識を越える勝れたものがあったであろうことはけっして否定できないと存じまず。

要するにそのようにして釈尊の弟子達は、教えを唱え会い、お互いの記憶を確認しながら、合議して経典の編集がなされたのであります。

「岩波仏教辞典」では釈尊の滅後数百年間に亘り、その教えはもっぱら記憶暗唱を頼りとして受け継がれたと解説しております。
具体的に申しますと、釈尊入滅の年に第一回結集が行われ、記録としては第四回までが伝えられております。

このようにして結集され、伝承された経典を経律論の三蔵と総称致しますが、「岩波仏教辞典」では原始仏教聖典と呼ぶところの最初期に成立した経典は、所謂、阿含
経のみであるとしております。
そして、般若経・維摩経・法華経・華厳経・無量寿経等を初期大乗経典とし、これらは紀元一世紀以降に成立したとし、その後、七世紀にかけて、大乗経典が段階的に編集されたと致しているのであります。

（3）法華経の伝承

＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝

法華経

第一期（初期）大乗経典に属し、紀元五〇年から一五〇年あたりにかけて成立したと考えられる経典。
現存の漢訳本は、
竺法護訳「正法華経」、
鳩摩羅什訳「妙法蓮華経」、
闇那崛多・達摩笈多訳「添品妙法蓮華経」
の三本であるが、羅什訳がもっぱら用いられてきた。

十九世紀以降、ネパール・チベット・中央アジア・カシミール（ギルギット）などで原典写本が相次いで発見され、漢訳本と対比しながら、改めて法華経の成立状況や特色について研究が進められている　　　　　　同732

＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝

「法華経経題」

法華思想の成立と特徴、「法華経」は、紀元前一OO年頃から数百年という長い時間をかけて成立し、インドにおける仏教思想の大きな転換点となった
　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　新国訳大蔵経　法華部1－24

＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝

次は「法華経の伝承」でありますが、「岩波仏教辞典」では法華経は、第一期、初期大乗経典に属し、紀元五〇年から一五〇年あたりにかけて成立したと述べております。

これに対して、「新国訳大蔵経」の「法華経」では、大正大学教授の多田孝文氏が「解題」を著しておりますが、そこで氏は、法華経は、紀元前一OO年頃から経典化が始まり、そこから数百年という長い時間をかけて成立したとしております。

これは法華経の経典化の開始年代を紀元前へと繰り上げたもので、法華経の内容から、より釈尊に近い時代にその原型が存するとする考察と考えられます。

（4）右に掲げた諸説への疑義

次に、右に掲げた「岩波仏教辞典」などの解説に対する疑義について述べさせていただきます。

まず中村元氏、田村芳朗氏らが監修に当たっている「岩波仏教辞典」においては、インド仏教史の通説としての仏滅後一OO年頃・教団に戒律上の異議が生じ、このとき第二回結集か行われたとの説を用いております。

これは釈尊入滅後、それまでは結束を致しておりました仏弟子たちが、金銀等の供養の受否などをめぐる戒律上の解釈の問題を契機として、保守的な上座部と、進歩的な大衆部との二部に分裂した折のことであります。
所謂、・仏教々団の最初の分裂であり、これが「根本分裂」と呼ぼれておりますことは御承知のとおりでございます。

このとき、上座部に属する七OO人の比丘らによって行われたものが、いわゆる第二回の経典の結集であります。
そして中村氏らはこの根本分裂までの仏滅後一OO年間を原始仏教の時代とし、このインド仏教の最初期というべき原始仏教の段階において成立した経典を「原始仏教聖典」と呼び、これが四阿含経であるとしております。

ところが実は、この根本分裂の時に、上座部の結集とは別に、大衆部においても、より多数の比丘により大結集が行われたとの説があります（宇井伯壽著・「仏教経典史」五O頁）。

また大乗経典はこの大衆部系統において発達したものと考えられる点が多くある、ということも宇井氏が同書（八七頁）に主張しており、他に同様の見解を表明している仏教学者もおります。

ところが、「岩波仏教辞典」における中村元氏等の解説には、この仏滅後一OO年の根本分裂時における大衆部による大結集、及びその後の大乗仏教との関連については、まったく言及がなされておりません。

これについて考察いたしますと、仏教経典は釈尊入滅の年に第一回の結集か行われたとされる訳でありますが、大聖人様の御書の結集の状況と比較致しました場合、御書は始めから文字文献として存在したわけであり、更にインドよりもずっと狭い日本国本州内においてでさえ、一周忌・三回忌の結集は単なる伝説に過ぎず、実際に録内・録外として御書のすべてがほぼ収集されるまでには、一OO年から三OO年という長期間を要しております。

ましてや広大なインド各地において釈尊が比丘や信徒に対して一代五O年の間に説かれ、しかも記憶のみによって伝承された膨大な教法を、釈尊入滅の年に行われたと伝えられる第一回の結集の折に収集することは、その一部にせよ非常に困難であったと考えられます。

これは大聖人様の御講義を恐らくはメモにより筆録遊ばされたと考えられる日興上人様の「御義口伝」の編集に、かなりの年月を要されたことによっても明らかであります。

「岩波仏教辞典」において中村氏等は

▼　「ブッダの滅後数百年間、その教えはもっぱら記憶暗唱を頼りとして受け継がれた」

と述べていますが、実情は単純に受け継がれただけではなく、仏滅後一OO年の根本分裂時における結集でさえも教法全体のごく一部に過ぎず、教えが記憶暗唱により受け継がれたとされる数百年間において、インド各地に伝えられている膨大な経典の収集作業がなされたと考えられ、その記憶暗唱により伝承された経典の収録という困難な任に携わったのが、仏滅後一OO年以後の部派時代における上座部系統の比丘、及び大衆部系統の比丘と在家信徒ではなかったかと推定されます。

中村氏らは
「釈尊入滅の年の第一回結集から百年後の根本分裂における第二回結集までの間のいわゆる原始仏教の時代に結集され成立したところの最初期の経典とは阿含経である」としており、
「釈尊の直説は阿含経のみである」かのように論じておりますが、これは大聖人様の場合にも、当初録内のみが御書であるとされた例に近い考え方ではなかろうかと思われます。

すなわち経典収集の上で、
小乗阿含経は教理的にも比較的整理の容易な経典であり、
反対に膨大にして甚深微妙な教理の主要大乗経典の整理には多大な歳月を要したであろうことは想像に難くありません。

また具体的な小乗経典の文字による文献化の最初の記録としては、紀元前八九年にセイロンで三蔵が書写されておりますが、時代的には概ねこの前後の時代が文字化の時期ということになるようであります。

それに対して、法華経、般若経、華厳経、浄土教等の大乗の主要な文字経典成立の時機は、概ね一世紀頃と推定されておりますが、中国における仏典の翻訳は紀元前後から始まっており、西暦一OO年代には般若経が漢訳され、二OO年代には法華経の漢訳が開始されております。

従いまして、インドにおいて大乗経典の文字による文献化がなされた年代は、もう少し遡り、先の多田氏の説のごとく、紀元前一世紀から紀元後一世紀前後の頃と考えられるのではないかと思われます。

そしてこのような文字経典成立の状況を考えますと、小乗経典と大乗経典とには、その文字化の時期にそれほど大きな年代的な差異が存在しないことも明らかであります。

更にまた中村氏らは釈尊滅後数百年間にわたる経典の記憶による暗唱と伝承に関しては小乗仏教についてのみ論じておりますが、同様のことが大乗経典の伝承の上においても当然考察されてしかるべきではないかと存じます。

なぜかと申せば、複雑な教義思想を含むところの膨大な大乗経典群が，中村氏等のいう紀元後一世紀頃の時期に、それまでの記憶による暗唱と伝承もなく、すべてが突如、文字経典として成立したとは到底考えられないからであります。

むしろ先にも述べたように、
釈尊入滅の年の第一回結集、
仏滅後一OO年の根本分裂時における第二回結集、
更には仏滅後二百年の阿育王の治下とされる第三回結集、
紀元後二世紀頃のカニシカ王のもとにおけるカシミールの比丘による第四回結集として、
今日歴史上に伝えられる結集以外にも、釈尊の五十年間の説法を根本として、滅後数百年間にわたる記憶による経典の暗唱と伝承の期間においては、大衆部系統をはじめ、インド各地の部派仏教において長期的な教法の整理収集作業が行われ、これらの大規模な結集を経て、法華経を始めとする大乗経典群が成立したであろうことが推定されるのであります。

（5）大乗非仏説に対する学者の会通

＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝
筆者個人としていへば仏教に育って仏教によって生存しているのである。
学的研究の結果が如何になろうとも、仏教に対する絶対の信はゆらくところはない覚悟を有する。
（乃至）文字経典が何人の筆であろうとも、悟達に資するものならば一つも捨つべきものではない。
（乃至）若し文字経典に頼って悟入を得るに至らないならば、離言の法性はまさしく信の対象たるのみであり、悟入し得たならば文字経典は不要である。
従って経典成立を研究しつつも信は不動であり得るし、筆者としては之を書きながらも、全く不動である
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（仏教経典史　宇井伯壽著）

＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝

文献成立の点からみれば大乗非仏説は動かしがたい史実である。
けれども思想の成立は文献成立と全然別個の問題と考えねばならない。
大乗経典の作成が後代に属するからといって、その思想の成立が釈尊に基づいたものでないということはできないのである。
（乃至）
在家信者の層がうけとり理解した釈尊の思想が存在したはずであるが、それはほとんど無現されている
（乃至）
広くみれば、釈尊の説法が伝承され伝播される過程において、時代、環境の情況に即して変化・発展して表現されることを意味するのであって、これが多くの大乗経典が仏説として編纂されたことの理由であると考えられる
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（日蓮思想の根本問題　勝呂信静著）
＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝

次に「大乗非仏説に対する仏教学者の会通」と致しましては、宇井伯壽氏と勝呂信静氏の大乗非仏説についての所説をとり挙げました。
他にも多数の仏教学者がそれぞれ会通的な見解を述べております。

はじめの宇井氏の会通とは、学的研究と仏教に対する信とはまったく別のものであるとするもので、学的研究の結果がたとえ如何なるものであったとしても、そこに「離言の法性」なるものを立て、経典成立の研究と法性への信はまったく別のものとする会通であります。

宇井伯壽氏は曹洞宗の人で、駒沢大学から東京大学の教授を務めた著名な仏教学者ではありますが、この「離言の法性」なる会通には、どうも教外別伝・不立文字的な禅宗の匂いが感じられます。
要するにこの種の会通は、学問研究は学問研究、その結果が如何様であろうと信仰は信仰であって関係ないとするものであり、まさに天台大師が止観において破すところの「闇証の禅師」に類するものと言えると存じます。

次に勝呂信静氏は立正大学の教授でありますが、文献成立の点からみれば、大乗非仏説は動かしがたい史実である。
けれども思想の成立は文献成立と全然別個の問題と考えねばならない」とする点では、宇井氏と同じ論調であります。
しかし、また一面、在家信者の層が釈尊から受け取り理解したところの釈尊の教え、思想というものが、当然存在したはずであるのに、それが仏教学者の研究においては、ほとんど無視されている状況にあると述べ、また釈尊の説法は伝承され伝播される過程において発展し、表現されたものであったとしても、その根本には釈尊の教えがあるのであって、そこに大乗経典が仏説として編纂されたことの理由があるとの趣旨で会通がなされております。
このような考えは実際の結集の状況から導かれたものと思われます。

Top /教義的資料目次